わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸152(栗木達介)

2012-06-30 21:36:04 | 現代陶芸と工芸家達

幅広の銀彩の帯を筒状の作品に巻きつけたり、幾何学文様に組み上げた作品は、完全な「オブジェ」

とも言えず、ある意味「伝統陶芸」的でもある作品を、作り続けているのが瀬戸の栗木達介氏です。

1) 栗木 達介(くりき  たつすけ): 1943年(昭和18年) ~

 ① 経歴

   愛知県瀬戸市に、陶芸家 栗木伎茶夫(儀三雄)の長男として生まれます。

   1962年 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学します。

    ここでは、富本健吉、近藤悠三、藤本能道、清水裕詞らに学びます。

   1966年 同校を卒業し、郷里瀬戸に帰り、父の下で作陶生活に入ります。

   1967年 「日展」に初入選し、1969と1971年の 「朝日陶芸展」で、大賞を受賞します。

   1974年 「第十三回日本現代工芸美術展」で、大賞を受賞し、会員に推挙されます。

    翌年の「朝日陶芸展・課題部門」で最高賞を受賞します。

   1977年 「日展」で特選を果たし、翌年より無審査出品となります。

   その後も、「現代陶芸百選展」(日本経済新聞社主催)、「明日をひらく日本の工芸展」(箱根彫刻の森

    美術館)、日華現代陶芸展」(中華民国歴史博物館)、「日本新工芸展」、「イタリア巡回現代日本

    陶芸展」(国際交流基金主催)、「全日本伝統工芸選抜展」、「陶芸100人香炉名品展」

    (京都新聞社主催)、MOA美術館岡田茂吉賞工芸大賞など、多数の展示会に出品し、大きな賞を

     受賞しています。

 ② 栗木氏の陶芸

    栗木氏の作品は、「伝統的な陶芸」と「オブジェ(立体的造形)の世界」との狭間(はざま)に

    存在している様に見えます。即ち「用」としての存在と、「用」を必要としない「無用」物としての

    存在が、せめぎ合っている作品が多い様です。

    彼の作品は、角が取れた丸味を帯びた形状で、女性的な優しさを感じさせるものが多い様です。

  ) 初期の作品は、1969年の「あおい作品」から1977年の「佇立(ちょりつ)する形態」頃の作品で

      内向的な感性と抒情(じょじょう)的な要素を持つ、青春時代の像といえる作品です。

   ・ 「あおい作品」(高 39 X 横 64 X 奥行 38 cm)

     青い釉が掛けられた、作品で昆虫の「幼虫」が丸まっている様な作品で、上部が開かれて、

     内部は空洞になっています。内側に向いた思考が読み取れる作品です。

   ・ 「佇立する形態」(高 40.6 X 横 30 X 奥行 26.5 cm)

     人体の「トルソ」(イタリア語で胴体の意)の様な作品で、両腕部が黒く他は赤く染められています。

   ・ 「這行(しゃこう)する輪態」(高 59 X 横 54 X 奥行 39 cm)(1976年):東京近代美術館

     彩色は上記の作品同様、黒と赤で構成されています。閉じられ、歪んだ円環状の作品です。

  ) 彼の作品の特徴として、ボデーの表面を二色で分割する装飾方法を取っています。

    ・ 「しろと銀の作品」(高 43  X 横 76 X 奥行 73 cm)(1974年):東京近代美術館

      初期の作品では色の境を明確にし、あいまいさがありません。しっかり「マスキング」が施されて

      施釉されています。 銀彩による装飾でも、二色による装飾は施されていますが、銀と銀の境は

      黒い線で区分けされています。

  ) 銀彩の作品: 銀緑彩、銀紅彩の作品は、栗木氏の代表的な作品群となっています。

     (但し、銀緑も銀紅も鮮明な緑や紅ではなく、銀色が少し緑や紅に見える程度です。)

     銀彩(又は金彩)は、本焼後に低火度で銀(又は金)を焼き付ける上絵の方法です。

     そのやり方には、素地に赤(九谷赤)などの上絵具を下塗りし、その上に銀を塗る方法と、  

     銀に10%程度の上絵具を混ぜ合わせ、泥状にして直に塗る方法があります。

     栗木氏は、後者の方法を採っている様です。

   ・ 「黒釉銀緑彩文角大皿」(高 6.5 X 横 57 X 奥行 54.2 cm)(1980年):東京近代美術館

   ・ 「傾斜したかたち」(高 36 X 径 38.5 cm)(1982年)

   ・ 「銀緑彩文陶」(高 70 X 横 24 X 奥行 25 cm)(1983年)

   ・ 「銀緑彩文陶」(高 67 X 径 28  cm)(1983年)

   ・ 「銀紅彩地文陶・まがり」(高 80.5 X 径 22.6 cm)(1984年): 敦井美術館

   ・ 「螺旋空間モニュメント・銀彩銅鐸」(高 200 X 横 73 X 奥行 40 cm)(1982年)

   ・ 「銀彩紅地壺」(高 78 X 径 22.5 cm)(1984年):東京国立近代美術館

   ・ 「銀緑彩文壺」(高 44 X 横 47 X 奥行 36 cm)(1988年):京都国立近代美術館

  ) 手捻りの作品。

    現代陶芸の造形手段として、手捻りによる成形が一般的になっています。栗木氏も紐造りなどの

    手捻りで作品を作っています。「オブジェ」の世界では、一般に「歪み」や「亀裂」は余り問題に

    成りません。(伝統的な陶芸作品では、一部茶道具を除き、致命的な欠陥となります。)

    それ故、ある意味、気楽で自由に作品を作る事も可能ですが、栗木氏は父の下での陶芸の

    経験で、「歪み」や「亀裂」が発生しない様に、神経を使っている作品が多い様です。 

次回(星野暁)に続きます。

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現代陶芸151(林康夫)

2012-06-28 22:30:13 | 現代陶芸と工芸家達

絵画の世界では「だまし絵」はさほど珍しくもありませんが、立体的な作品で、見る人に視覚的錯覚を

起こさせる作品を造る作家は少ない様で、その一人が京都在住の、林康夫氏です。

1) 林 康夫(はやし やすお): 1928年(昭和3年) ~

 ① 経歴

   京都市東山区今熊野で、陶芸家の林沐雨(義一)氏の次男として生まれます。

   1940年 京都市美術工芸学校(現:京都市立銅駝美術工芸高校)絵画科に入学します。

   1943~45年 海軍航空隊に入隊し、志願して特攻隊に選ばれます。

   1945年 京都市立美術専門学校日本画科に編入学しますが、翌年には中退し、父の指導の下

     陶芸を始めます。(父の陶業も統制解除になり、再開されます。)

   1947年 宇野三吾氏が主宰する「四耕会」の結成に参加し、若手10名による創設メンバーの

    一人に成ります。 翌年には「第1回四耕会展」を、京都旧朝日画廊で開催し出品します。

    (毎回出品しますが、1957年に退会します。)

   1950年 「現代日本陶芸展」(パリのチェルヌスキー博物館)に「無題Untitled」を出品します。

   1962年 前衛陶芸集団「走泥社」に参加します。(1977年に退会します。以後無所属)

   1965年 「フランス政府留学 第一回毎日美術コンクール」に出品します。

   1972年 「第30回フアエンツア国際陶芸展」(イタリア)で、「Face]がグランプリを受賞します。

   1973年 「カルガリー国際陶芸展」(カナダ)で、グランプリを受賞します。

   1974年 「第4回バロリス国際陶芸展」(フランス)で、「Pose]がグランプリ、ド・ヌールを受賞します。

   1975年 大阪芸術大学にモノメントを製作、設置します。1978年には神戸学院大学にレリーフを

    製作しています。

   1983年 「第1回朝日現代クラフト展」に出品します。

   1987年 「第1回オビドス・ビエンナーレ」(ポルトガル)で、グランプリを受賞 します。

   2000年 「オペラ“牡丹亭”」の舞台美術を製作しています。(フランス、ニース・カンヌ)

 ② 林康夫氏の陶芸

  ) 父に言われた言葉: 「父の真似をするな。お前の仕事をせよ」

     この言葉が、彼に制作の自由の環境を与える事になり、飛び込んだ世界が前衛芸術です。

  ) 「四耕会」は「走泥社」より、一年先んじますが、宇野三吾と林康夫氏を除くと、地方出身の素人

     集団であリ、アピール上手な「走泥社」の影に隠れてしまいます。やがて、 八木一夫氏に誘われ、

     「走泥社」に参加する事になります。 旧態依然とした官展系の美術界とは一線を画し、在野の

     意識から自由な造形を試み、器ではなく、オブジェという立体造形に挑戦するようになります。

  ) 彼の作品は、国内では「ガラクタ扱い」と不評でしたが、海外で注目を集める様になります。

     切っ掛けは、1950年にパリで開催された「現代日本工芸展」に応募した作品が入選した事です。

     以降林氏の評価は海外で高まりまり、イタリアやカナダ、ポルトガルなど海外国際陶芸コンクール

     でグランプリ(大賞)を連続して受賞します。

  ) 林氏の陶彫は、赤土による有機的な形体と、黒化粧による幾何学形体に分かれます。

    a) 前者は、女体のエロチシズムを暗示させる作品になっています。

      ・ 「GATE」(高 46 X 横 30 X 奥行 27)(1974年)

       角ばった箱型の上に人体の首の様な短い円柱が載り、箱の前面に蒲鉾形のくり貫きがあり、

       背面まで貫通しています。但し奥に行くほど狭くなっています。

      ・ 赤土を混ぜた信楽の土で成形し、精選した赤土単身に糊(化学糊など)を混ぜ、吹きつけて

        表面の荒れた肌を作り出しています。       

   b) 後者は「だまし造形」とも言える、視覚的錯覚の世界に引き入れる作品です。    

     ・ 「OPEN SPASE」(高 22.5 X 横 37 X 奥行 36)(1981年)

       直角に突き当てた二枚の板の壁の中程に、白地に青と黄色の帯が描かれている作品です。

      どちらの壁が突き合ったっているのか、錯覚を起こします。即ち作品の上部を見ると、左側の

      壁が突き当っていますが、下部を見ると右側の壁が突き合ったっている様に見えます。

    ・ 「角柱」(高 33 X 横 26 X 奥行 28)(1982年)

      角柱の1角が中心に向かって切り取られています。しかし上部を見ると、切り取った部分が

      前面にせり出している様に見える作品です。

    ・ 「FOCUS」(高 35 X 横 39 X 奥行 38)(1984年)

      角柱の中にやや歪んだ円柱が置かれています。但し円柱がどの様に置かれているのか

      判別できません。即ち円柱の右側が角柱の中に吸い込まれ判然としません。又角柱が対角線で

      半分にされている様にも見えますが、その確認も出来ません。要するに錯覚を起こさせる

      作品となっています。

      (注:現物を見ればはっきりすると思われますが、写真では完全に「だまされ」ます。)

  ) 紐造りで作品を作っているとの事で、下から上に向かい一気に紐で造っています。

     又、カラフルな絵模様なども少ない様です。

     焼成は素焼きをせずに、外側に施釉し次いで内側に施釉して、電気窯を使い1230℃で

     酸化焼成の本焼をしています。

次回(栗木達介)に続きます。 

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現代陶芸150(川崎千足)

2012-06-27 23:10:48 | 現代陶芸と工芸家達

小学2年の時広島で原爆を体験し、悲惨な情景を目の当たりした事から、極限状態の人間がいかに

無力で弱い存在かを知り、その弱い人間を心から愛し、人間の魂を「土くれ」に託し、抽象彫刻の様な

作品を作り続けている作家に、川崎千足氏がいます。

1) 川崎 千足(かわさき ちたる): 1938年(昭和13年)~

 ① 経歴

   広島県安芸郡畑賀村に、農業技師の川崎確二の三男として生まれます。

   1960年 行動美術協会展へ、彫刻を出品します。(美大在学中)

   1961年 京都市立京都美術大学の彫刻科を卒業し、大阪市立高津中学の美術の非常勤講に

    成りますが一年で退職します。

   1962年 京都市立京都美術大学の彫刻専攻科に入学します。辻晋吾氏の影響で、陶彫を始めます。

   1964年 同校を卒業後、滋賀県甲賀郡信楽町に移住し、作陶生活に入ります。

    (尚、当時の信楽は寂れていて、家賃が安いのが魅力であった様です。)

   1969年 信濃橋画廊(大阪)、秋山画廊(東京)で個展を開催します。

    同年 現代彫刻作家の30点の作品を集め、「日本現代の造型 -信楽69-野外彫刻展」を信楽で

    開催します。

   1972年 「第一回日韓現代彫刻展」(韓国・ソウル画廊)に彫陶を出品します。

    同年 「京都野外彫刻展」に彫陶を出品しています。

   1975年 滋賀県造形集団の結成に参加し、「第一回野外彫刻展」を大津市長等公園で開催します。

   1978年 「現代の工芸作家展」(京都市美術館)に出品します。

   1981年 「第一回びやこ現代彫刻展」の、企画実行に参加します。

   1983年 「’83陶磁器デザインコンペティション」(日本陶磁器意匠センター主催)で、銀賞を受賞します。

   上記以外にも、数多くの個展を開催しています。

    ギャラリー射手座(京都)、紅画廊(京都)、カビーナ志野(大阪)、ギャラリーマロニエ(京都)、

    ギャラリー紅(京都)などで、開催しています。

 ② 川越氏の陶芸

  ) 彼の仕事は彫刻から出発しています。それ故、彼の視点は現代の立体的な造形にあります。

     しかし、八木一夫氏や鈴木治氏の流れではなく、戦後に辻晋吾(しんご)氏が始めた、土の

     造形への挑戦に、強く影響されたと言われています。辻氏は従来の陶芸的常識と異なり、

     無謀とも思える大胆で奔放な作品で、数々の国際展で活躍していました。

  ) 川崎氏の作品は、幾何学的形態を基調にしていますが、「冷たさ」や「とり澄まし」などの観念的、

     抽象的な立体造形ではなく、「生々しさ」や「艶やかさ」のある作品で、一種のエロティシズムの美が

     見受けられます。

    ・ 「ロマンチシジムの編み」(高 112 X 横 121 X 奥行26cm)(1977年):「結び目シリーズ」

      全体にはハート型の作品で、その中央部分には、土製の紐が編み込まれた作品です。

   ・ 「結界(けっかい)」(高 90 X 横 57 X 奥行 18cm)(1979年):「結び目シリーズ」

     縦長の四角い箱の中央部が丸くくり貫かれ、土製の紐が絡み合っている作品です。

   ・ 「ふたまたぐもⅠ」(高 116 X 横 119 X 奥行 30cm)(1982年)

     立った二体の人物が、接吻している様に見える作品です。表面には緩やかな凹凸があり、

     上部は頭の様に丸みを帯びています。オレンジ色の本体には、黒色で、雲、蝶、唇などの様な

     模様が描かれています。  「ふたまたぐもⅡ」(1982年):同様の作品ですが、一方の人体が

     浮き上がっています。 

   ) 彼の作品のほとんどは、手捻りによる作品で、時には型を使用する場合もある様です。

    ・ 土は、数種類の信楽の粘土をブレンドし、シャモット(焼粉)を適量加えています。

    ・ 焼成は、ガス窯と電気窯を使っています。

      大物や火色を出す為には、ガス窯を使っています。小型の作品や黒陶の場合は、電気窯を

      使用しています。

    ・ 彼の黒陶の技法は、成形後、乾燥途中で念入りに磨きあげ、低火度(810℃程度)の釉が

      掛けられ、500℃程度に温度が下がったら、松の葉を窯に投入し窯を密閉して、黒色を

      出します。、

      「大地の墓標」(高 89 X 横 600 X 奥行92cm)(1972年)

       凸型の黒陶の作品で、縦の部分が三段のハートの様な形で、6個が平行に置かれた

       一組の作品です。

      「W’83-6黒陶に朱」(高 70 X 横 70 X 奥行30cm)(1983年)

       ハンドバッグの様な形の作品で、縁が波打ち、朱色の溝の線が輪郭(縁)に沿って彫られて

       いる作品です。

  ) 「陶芸的」な作品も作っています。

     1974年には志野陶石による「傘立」を造る様になります。

     1975年の「信楽陶芸展」では、大賞を受賞しています。

 次回(林康夫)に続きます。      

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現代陶芸149(沢田重雄)

2012-06-26 22:57:55 | 現代陶芸と工芸家達

常滑在住の沢田重雄氏と妻の沢田嘉予子(旧姓、後藤かよ子)氏は共に陶芸家として活躍しています。

重雄氏は「日展」の中堅の前衛作家であり、嘉予子氏は「日本工芸会」の正会員で実力ある女流陶芸家

として高く評価されています。

1) 沢田 重雄(さわだ しげお): 1931年(昭和6年) ~

 ① 経歴

  ) 愛知県常滑市古場町で、沢田重三郎の長男として生まれます。

    1948年 常滑工業学校の農業科を卒業し、秘色焼製陶所(叔父に当たる柴山三郎氏の経営)に

     入社します。(1972年に同所を退社します。)ここでは主に花器を製造し、デザインから窯焚き

     までも担当しています。

    1957年 日展に初入選を果たします。

    1958年 「現代日本陶芸展」(朝日新聞社主催)で、朝日新聞社賞を受賞します。

    1964年 日展出品作品「峯」が、外務省の買い上げに成ります。

    1965年 「日本現代工芸美術展」に出品した「壺」が、外務省の買い上げとなります。

     (1966年以降、「日展」と「日本現代工芸美術展」の出品を取り止めます。)

    1970年 「朝日陶芸展」で「飛翔」と題する作品が、大賞を受賞します。

    1971年 常滑造形集団を結成します。彼はリーダー的存在でした。(1975年に解散します。)

    1972年 「フランス・バロリス国際陶芸展」で、名誉最高大賞(グランプリ)を受賞します。

    1975年 「朝日陶芸展」の審査員に推挙されます。

    1976年 「フランス・バロリス国際陶芸展」で、銀賞を受賞します。

    1981年 「日本工芸美術展」の審査員に選ばれます。

    1983年 常滑市立陶芸研究所の講師に成ります。

 ② 沢田重雄氏の陶芸

    彼の作品は、イタリアや米国の抽象表現運動から強い影響をうけて成立したと言われて

    います。

   ) 沢田氏が前衛陶芸家と認められる切っ掛けになる作品は、1970年の「朝日陶芸展」で大賞を

      受賞した「飛翔」と題する作品で、審査委員長(谷川徹三氏)を感動させます。

      この作品は、楔(くさび)状の細長い岩盤(陶製)を三段に組み上げた重量感ある作品で、

      三段を束ねるかの様に、三本の溝がやや斜め平行に彫られています。

      この作品は彼の代表的な作品の一つとなっています。

      同年にも新築された常滑陶磁器会館の正面に、大陶壁「飛ぶ」を製作設置します。

  ) 沢田氏の前衛陶器は、陶磁の持つ美を前面に押し出し、生命力を讃える芸術作品となって

     います。彼の人柄(誠実、重厚、良心的など)が滲み出ている作品が多いと言われています。

  ) 紐造による作品が多く、時には轆轤を使う事もあった様です。

   a) 粘土は地元常滑産の田土を使い、必要に応じて畑土を混ぜています。

   b) 原寸大に描いたデザイン画を基に、成形するそうです。

   c) 釉は鉄釉と、木灰を主体にしたものに藁灰又は、長石を混ぜたものを使います。

  ) 丸い形を割った作品: 全体が黒く、引き裂かれた様な割目は白で表されています。

     黒陶の技法を使います。即ち、一度焼締焼成した作品の黒くしたい部分を、木炭の中に埋め

     燻し焼きする事で、カーボン(炭)を浸透させて黒くします。

   ・ 「黒陶83-7」(高32 X 横60 X 奥行18cm)

   ・ 「黒陶83-10」(高42 X 横57X 奥行25cm)

   ・ 「黒い音」(高68 X 横65 X 奥行20cm)(1984): ドーナツ状の円環の上部が割れています。

  ) 束ねた紙を折り曲げた様な作品: 褐色で分厚い紙の様に見えます。

   ・ 「黙記」(高36 X 横70 X 奥行45cm)(1979年)

   ・ 「歴」」(高62 X 横97 X 奥行46cm)(1980年)

   ・ 「地動の記録」」(高38 X 横146 X 奥行40cm)(1980年)

 ) 秘色焼製陶所に在職中に、日根野作三氏(昭和30年代にクラフト運動の推進者であった

     デザイナー)の指導を受け、その日根野の影響も強く受けている様です。

 ) 陶壁も製作しています。

    上記の常滑陶磁器会館の他に、常滑市役所の5階にも陶壁を製作しています。

次回(川崎千足)に続きます。

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現代陶芸148(宮下善爾 )

2012-06-25 22:46:12 | 現代陶芸と工芸家達

1) 宮下善爾(みやした ぜんじ): 1939年(昭和14) ~ 2012年(平成24)

 ① 経歴

  ) 京都市で、日展系の陶芸家宮下善壽の長男として生まれます。

   1964 京都市立美術大学(現、市立芸術大学)陶磁器科を卒業し、更に専攻科に進み終了後の

    '66~'85同大学の非常勤講師となります。 同年 日展に初入選を果たします。

    以後連続入選します。

   1967年 「京都府工芸美術展」で奨励賞を受賞します。以後市長賞などを受賞し、1974年には

    同展の審査員を務めています。

   1975年 「日本現代工芸美術展」で、会員賞と外務大臣賞を受賞します。又「日本陶芸展・前衛の部」

    で入選します。同年 個展を大阪・セントラルギャラリーで開催します。

   1979年 日展で特選を受賞します。翌年日展無審査出品と成ります。(1993年には日展審査員)

    同年より毎年個展を開催しています。「ギャラリー白」(大阪)、「京都ギャラリーなかむら」、

   「南青山グリーンギャラリー」(東京)、「銀座和光」、「阪神百貨店」(大阪)など各地で開催しています。   

   1994年 京都創作陶芸の流れ「土・火・技」(京都文化博物館)に出品。

   1997年 京都市地下鉄二条城前駅コンコースに陶壁「京の風」を制作します。

   2001~2002年 「京都の工芸〔1945~2000〕」(京都・東京国立近代美術館)に出品。

  ) 海外でも作品を発表しています。

     「オーストラリア・ニュージーランド巡回現代日本陶芸展」、「イタリア巡回現代日本陶芸展」、

    「カナダ巡回現代日本陶芸展」、 「日本の陶芸〈今〉100選展」(エトワール・パリ)、 「現代日本の

    陶芸」(エヴァーソン美術館・米)、「現代陶芸メトロポリタン美術館所蔵作品選抜展」

    (同美術館・ニューヨーク)などに出品しています。

 ② 宮下善爾氏の陶芸

  ) 京都市立美術大学の陶磁器科で強い影響を受けたのは、助教授であった清水洋(後の清水

     九兵衛)の指導を受けた事です。

     焼き物とは異なる鋳金や彫刻の分野で活躍していた清水氏の作風に、衝撃を受け、論理的な

     造形思考に、大きな感化を受けたと言われています。

  ) 京都市立美術大学で非常勤講師として、後進の指導を行うと共に楠部彌弌氏の主宰する

     京都青陶会に参加し、「日展」や「日本現代工芸美術展」で大きな賞を受け、若手陶芸家として

     頭角を現して行きます。

   ) 土による立方体、球体、幾何学的な形体

      宮下氏の初期の 作品に多く見られる器形で、やがて壊れ行く立方体と、伸び上がる立方体との

      融合する作品に変化して行きます。

     ・ 「育成について」(高 23 X 横 11 X 奥行 18cm)(1982年)

    ・ 「上からと下からと」(高 34 X 横 23 X 奥行 19cm)(1983年)

      赤レンガ風の肌で、先端が丸いひょろ長い物体(生命体)が動き回る様子や、四角い箱を

     上下から挟んでいる様な作品です。

   ) 風をモチーフにした作品

    ・  「一人歩きの風」(高 27 X 横 36 X 奥行 29cm)(1979年)

      布状の横縞模の風呂敷が丸みのある、何かを上から包んでいて、その端(下部)が歩いて

      いる様に表現された作品です。

    ・  「アフガンの風」(高 31.5 X 横 24 X 奥行 15cm)(1981年)

       アフガニスタンに旅した時の、カラカラに乾燥した大地と空気がモチーフになっています。

       立方体で赤レンガ風の肌の作品の下半分に、手前が広く奥に行くに従い狭くなる四角い穴が

       堀込まれ、青色に染められた壁には、風紋の様な文様が付いている作品です。

   ) 練り込み技法の作品

      異色の土を重ね合わせたり、練り込んだりする技法です。

      宮下氏は陶板の上に、薄い色土を置き、ローラーで陶板に食い込ませる象嵌風の方法で

      板を作り、これを球や立方体に仕上げています。

    ・ 「藍彩花器」 (高 29 X 横 38.5 X 奥行 9.8cm)(1982年) (日展特選作品)

   ) 彩泥の作品

      コバルト(青色に発色)、クロム(緑色に発色)などの酸化金属を土に混ぜ、色土を作り順番に

      貼り付けて、緑から青へグラデーションを付けた作品です。 

    ・ 「彩泥花器・碧堆(へきつい)」(高 23 X 横 20 X 奥行 22cm)(1983年)

    ・ 「彩泥花器・緑の風景」(高 35 X 横 47 X 奥行 24cm)(1984年)

    ・ 「彩泥包壺・遠い潮騒」(高 19 X 横 18 X 奥行 18cm)(1983年)

    これらの作品は、変化に富む「日本の四季」の自然美を、花器などに託していると言われています。

次回(沢田重雄)に続きます。

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現代陶芸147(杉江淳平)

2012-06-24 22:15:49 | 現代陶芸と工芸家達

1) 杉江 淳平(すぎえ じゅんぺい): 1936年(昭和11)~2005年(平成17)7月永眠。

  ① 経歴

   ) 愛知県常滑町で製陶業を営む、杉江俊一の長男として生まれます。

     1955年 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学し、富本憲吉、近藤悠三、藤本

      能道氏らに師事します。

     1958年 「第七回現代日本陶芸展」に入選します。

     1959年 同大学を卒業し、郷里常滑に帰り作陶生活に入ります。

      同年 「モダンアート展彫刻部」に入選します。

     1960年 「第八回日本陶芸展」で、二席の朝日新聞社賞を受賞します。

      翌年の同展で、再び朝日新聞社賞を受賞します。

     1961年 「モダンアート展」で、奨励賞を受賞します。

     1962年 「全日本美術工芸展」で通産大臣賞を受賞します。

     1967年 中部電力の知多火力発電所にモニメント「和」を製作し設置します。

     1968年 常滑市庁舎に陶壁「窯華」を製作設置します。

     1970年 大阪万博に陶製ベンチ「月の椅子」200点を共同制作します。

      同年、読売新聞大阪本社に陶壁「白い記録」を製作します。

     1971年 白馬山荘に陶壁「岩壁」を製作設置します。

     1972年 「バロリス国際陶芸展」(フランス)でグランプリ・ドヌール賞を受賞します。

     1973年 都営地下鉄内幸町駅に、陶壁「都電のモニメント」を製作します。

     1974年 日本興業銀行本店に、陶壁「青い草原」を製作。

     1976年 「朝日陶芸展」で陶芸賞を受賞し。「’76 陶磁器デザインコンペ」で金賞受賞。

     1978年 「バロリス国際陶芸展」で銀賞を受賞します。

      同年営団地下鉄(現、東京メトロ)青山一丁目駅に、陶壁「四季の花」を製作します。

     1979年 宮崎国体陸上競技場に、陶壁「群像」を製作します。

    上記い以外にも各地に陶壁を製作しています。

    又、個展も東京、京都、名古屋などの各都市で開催しています。

     2012年 4~5月 常滑市陶の森資料館で「杉江淳平 回顧展」が開催されます。

  ② 杉江氏の陶芸

     常滑の陶芸家を集めた集団による陶壁作品や、自工房(陶房杉)の陶壁と、食器類を主に

     製作しています。

    ) 垂れ下がるイメージの作品

       柔らかいものが自分の重みで「垂れ下がる」様な作品。

       「作品’67-1」(高 11.5 X 横 60 X 奥行30cm)(1967年)

    ) 熔けて垂れるイメージの作品

       「記憶・分割」(高 35 X 横 25 X 奥行25cm)(1981年) 

       この作品は、焼成の際に使用するゼーゲル錐を窯の中で熔かし、垂れ下がった作品です。

       錐の倒れ方が徐々に変化して行く様子が表現されています。

       「記憶・炎」(高 170 X 横 73 X 奥行 73)(1976)中部電力知多火力発電所

       このモニメントは、炎が上昇している様に見えますが、見方によっては、炎が下に滑り落ちて

       いる様にも見える作品です。

     ) 鋳物砂焼成

       鋳物の砂型に使用する砂は、鉄分の含有量により、焼成時に色の違いとなって現れます。

       この違いを積層状態にしたのが、上記「記憶・分割」の作品の土台部分です。

     ) 「記憶」のタイトルの作品

       「記憶」」(高 79 X 横 42 X 奥行 42cm)(1973年),「記憶・B&S」(1974)、

       「記憶・構」」(高 125 X 横 72 X 奥行72cm)(1976年),「記憶・分割」(1981):

       「記憶・夜」」(高 25 X 横 5 0X  奥行50cm)(1981年)  

       「記憶」は心の中に沈殿し、色々な思い出が積み重なり 、一つに溶け合い、無意識の彼方へと

       押しやられながら、次第に不鮮明になり、やがて失われる運命にあるものとして、表現されて

       いるのかも知れません。、

    ) 真空押し出し成形機の利用

        土管作りやニューセラミック、プラスチックの成形に使われる成形機を使い、作り上げた

        作品もあります。 「記憶・虹」」(縦 58 X 横 50m)(1971年)がそれで、無数の小孔を

        並列に並べた作品です。

    ) 「陶壁」 の作品

       「白い記憶」(縦 2.7 X 横 11m)(1971年)、 「陶壁・岩礁」(高 2.6m)(1978年)

       いずれも、凹凸の少ない平面的な作品で、長方形や正方形の陶板が、規則的、又は不規則に

       並べられています。

次回(宮下 善爾 )に続きます。

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現代陶芸146(速水 史朗)

2012-06-22 22:29:52 | 現代陶芸と工芸家達

1) 速水 史朗(はやみ  しろう): 1927年(昭和2年)~

 ① 経歴

  ) 香川県多度津町に生まれます。

     1949年 徳島大学工学部機械科を卒業します。 同時に多度津中学校に理科の教師として

       勤務します。ここで新田藤太郎氏と松村礼一氏から、彫刻を学びます。  

     1953年 第7回二紀展(東京都美術館)に彫刻を初出品し、入選を果たします。

     1957年 二紀展彫刻部で佳作賞を受けます。翌年には二紀会の同人になります。

      66年まで同展に石膏に着色した、具象彫刻の出品を続けます。

     1960年 香川県展で文部大臣賞を受けます。この頃より抽象の作品を作る様になります。

     1965年 岐阜県で開催された「アンデパンダンアートフェステバル」に参加出品します。

       同年 二紀会を退会します。

     1967年 「四国現代美術展」で大賞を受賞します。

     1968年 地元にある瓦工房に出会います。この事が切っ掛けに、日本瓦に彫刻を施す作品を

      作りだします。同年 瓦を素材とする彫刻の個展を、東京・ギャラリー新宿で「トーテム

      速水史朗展」を開催し、「おばけ」と題する筒型陶作品、240点を出品します。

     1969年 「第一回現代国際彫刻展」(彫刻の森美術館主催)に石の彫刻を出品します。

      同年 東京銀座の松崎画廊で個展を開催し、以後毎年開催する様になります。

     1972年  ビナール画廊の企画展で、瓦の作品を大量に出品します。    

     1973年 「第1回彫刻の森美術館大賞展」で優秀賞を受賞します。    

     1974年 「第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」で須磨離宮公園賞を受賞します。

     1976年 第5回同展にて東京都美術館賞を受賞します。

     1977年 「第7回現代日本彫刻展」で宇部市野外彫刻美術館賞を受賞。

     1980年 「第7回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」で東京国立近代美術館賞を受賞。

     1981年 「びわこ現代彫刻展」および「第2回ヘンリー・ムア大賞展」で優秀賞を受賞。

     その後も数々の野外彫刻展で受賞を重ね、1987年には第1回倉敷まちかどの彫刻展に出品。

     1997~98 下関市立美術館(高松市美術館、滋賀県立近代美術館巡回)において、

      回顧展「速水史朗展ーおおらかな大地のかたち」を開催します。

  ② 速水 史朗氏の作品

    速水氏は陶芸家と言うより、彫刻家としてしての方が著名な人です。

   ) 石を素材とした抽象的な彫刻作品を多く作っています。

     a) 須磨離宮公園(神戸市)や常盤公園(宇部市)などの野外彫刻や、「現代国際彫刻展」

       「ヘンリー・ムアー大賞展」(箱根)など、日本各地に設置された、モニメントなどです。

     b) 石彫は、モニュメンタルな作品やパブリックアートが多く、東京都庁や国立科学博物館など、

       全国100ヶ所を超えるパブリックスペース等に作品が設置されています。

       ・ 注:パブリックアートとは、街の公共的空間に常に設置されている美術品のことです。 

   ) 日本瓦をを素材ととした作品

    a) 現代彫刻は、木、石、ブロンズから、鉄、真鍮、ステンレス、アルミ、プラスチック、ガラス等へと

      素材を拡張して行きます。

    b) 1968年頃、郷土の多度津の瓦工房では、鬼瓦、巴瓦、丸瓦、平瓦などの屋根瓦を

      作っていました。速水氏は焼き物の瓦を、新たな彫刻素材に使う事を思いたちます。

    c) 「作品」第一回彫刻の森美術館大賞展(1973年)、「KAWRA・’75」第六回現代日本彫刻展

      (宇部市)、「BIWAKO・’84」びわこ現代彫刻展などの作品を発表します。

      「びわこ」の作品(高 0.2 X 横 4.8 奥行20.66m)は、細長い矩形の箱を次々に延長した物を

      20段程度並行に並べた作品です。

    d) 瓦素材は別名「黒陶」と呼ばれるものです。焼成時に木の葉や鉋くず、木片チップ等の煙で

      燻され、表面を黒くします。焼きは堅く、表面が磨かれて銀色なのが特徴です。 

      「サムライ」:(高 58.5 X 横 41 X 奥行13cm)(1980年)

       黒い縦長の箱の上に、「ちょんまげ」の様な棒状のものが載っている作品です。

      「ククリ」: 縦長の箱の上部に繭玉の様な物が載り、金属のベルトでくくりつけている作品です。

      「シバリ」: 3点組、いわき市美術館蔵(1979年)

       丸、長方形、正方形の黒陶を、各々布の紐で頑丈に縛った作品です。

    e) 黒一色の作品の他、黒く銀色の輝きの中に、朱や黒の漆を塗り「瓦と讃岐漆の融合」を

       実現している作品も製作しています。

   ) 「陶壁」の作品も多く手がけています。

     a) 年)「陶壁・しあわせ」:(高 3 X 横 5.8 m)(1979、神奈川県立ろうあセンター

        下部には何本もの手の指が上に向い、上部からは下に向かって垂直に立てられ、

        一部はやや歪んでいます。色は白を基調に、赤が一部使われ、指の無い中間部は青色が

        使われいます。

     b) 「陶壁・昇」:(高 2.5 X 横 8 m)(1980)、無地の黒いタイルと「Uの字」に盛り上がった

        黒いタイルを、やや不規則に並べた作品です。

     c) 「陶壁・港」:(高 2.47 X 横 5.56m)(1982)、神奈川県立戸塚労働研修センター

        緑色の横方向の平行線で波を表し、上部より船を思わせる滴状の物体が、波を押しのけて

        下部に向かっている様に見える作品です。

     d) その他「陶壁・セレクション」:(高 3 X 横 11m)(1980)、「陶壁・海」:(高 2.5 X 横 4.33 m)

        (1981年)などの作品があります。  

近年では滋賀県、信楽の焼締による作品を制作する等、多彩な素材使い、新たな挑戦が続いています。

次回(杉村淳平)に続きます。

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現代陶芸145(藤田昭子)

2012-06-21 22:34:06 | 現代陶芸と工芸家達

 藤田氏の作品は、建築的であり、彫刻的でもあり、更に陶芸的要素を多分に含む作品で、高さや径が

数メートルに及ぶ巨大な作品です。巨大な作品を焼く為に、野焼きの技法を取る必要がある訳です。

1) 藤田昭子(ふじた あきこ): 1934年(昭和9年)~

 ① 経歴

  )  東京都三鷹市に生まれます。1945年 神奈川県平塚市に疎開します。

     1950年 横浜国立大学美術科に入学します。

     1954年 東京 なすび画廊で「二人展」を、東京松坂屋デパートで「43人展」に出品します。

     1955年 神奈川県立近代美術館で「今日の新人展」に出品します。

     1956年 東京都美術館で「新人アンデパンダ展」に、中央公論画廊(東京)で「新鋭15人展」に

      出品します。 同年 神奈川県平塚市に「波の子造形研究所」を設立します。

       (3歳からの美術教育と、知的障害児の為の美術教育を実践します)

     1957年 横浜国立大学 学芸部彫刻専攻を卒業します。

     1963年 「丸善石油美術奨励賞選抜展」(東京日本橋高島屋)

     1964年 「アートクラブ彫刻展」 椿近代画廊、常盤画廊(東京)

     1973年 箱根彫刻の森美術館に「20階建のアパート」を製作設置します。

  ) 1975年 愛知県常滑で、野焼きの作品「天竺(てんじく)」を製作します。 

     1976年 「現代彫刻展エスキース展」(第五回神戸須磨離宮公園)に出品

       同年 野焼き作品「原住居空間への招待・出縄」(平塚市出縄=いでなわ)第一期完成。

       翌年第二期を完成させます。(高 6 X 横 15 X 奥行 15 m)

     1981年 野外彫刻「波塔(はとう)」(滋賀、第一琵琶湖彫刻展で入賞)(15 X 9 X 4m)

     1985年 野外彫刻「大地の花」(ブラジル・サンパウロ)。「みすずの家」(カナダ・トロント)

     1986年 野外彫刻「つばめの家」(ブラジル・カンビーナス)(3 X 4 X 9 m)

     1989年 野外彫刻 「寄(やどりぎ)」 (2.2 X 1.5 X1.5 m)(神奈川)

     1990年 野外彫刻 「フレームツリー」 (2.2 X 6 X 6 m) (オーストラリア・キングスウッド)

     1992年 建立野外彫刻 「クォバディス」 (2 X 5 X 5 m) (ドイツ・ハノーファーシュムンデン)

     1993年 野外彫刻 「優曇波羅花」(うどんばれいじ)(9 X 7 X 2m)(宮城・リアスアーク美術館

     1997年 建立野外彫刻 「原・集落」 (4 X 1.5X 5.5m) (新潟・国営越後丘陵公園内)

     1998年 野外彫刻 ハマンジアの船 (0.6 X 1.2 X 1.3 m) (ルーマニア・コンスタンシァ)

     1999年 野外彫刻 「なゆたの船」 (1.6 X 2.8 X 2.8 m) (箱根彫刻の森美術館 ・

       森に生きるかたち)

     2002年 野外彫刻 牀座(じょうざ) (0.62 X 4.8 X 2.8 m) (福井)

    尚、各地で個展を開催します。松村画廊(東京)1957、58、秋山画廊(東京)1963,

     1966,1968年。文芸春秋画廊(東京)1964,クリスタル画廊(東京)1966など多数。

     グループ展示: 集団「30展」(東横サロン、白木屋)1959, 「神奈川アンダパンダ展」

     (有隣堂ギャラリー)、「第一回女流彫刻展」東急百貨店,第二回展(東京・東横画廊)など多数。

   ② 藤田昭子氏の陶芸

    ) 「天竺(てんじく)」の作品:(高 5 X 横 7X 奥行 3 m)(1975年)

       この作品で、一躍注目を集める女流作家になります。

      a) 土(粘土)を素材にして焼成しますので、一応焼き物の部類に属しますが、従来の陶芸とは

        大きく異なります。

      b) 円錐形の塔と、太い煙突状の物が備わった方形の箱の様な物との組み合わせた作品で、

         円錐状の塔は、人が入れる程度の入口があり、塔の中央から上にかけて、大きな穴が

         数個開けられています。塔の内部にも広い空間があり、人が入れそうです。方形の箱にも

         小さな窓の様な穴が開けられています。

   ) 出縄(いでなわ)の作品:(5 X 15 X 15 m)(1976~77年)

      古代都市の城壁を思わせる作品です。円形状に壁が巡らされ、城門や出入り口の様な穴が

      開いています。

   ) 「20階建のアパート」の作品:(1.8 X 2.5 X 0.7 m)(1981~82年)

      テラコッタの様な赤い土で台形状に作られ、その側面に大小の穴が開いている作品です。

   ) 大地に捧げるモニメント

      地球上の大地には、多くの万物や生き物が、長い歴史の中で埋り存続し続けています。

      現在地上に立つ我々も、やがて地中に埋没する存在といえます。この全てを飲み込む大地に、

      「土」によるモニメントを打ち立て、自分の生きている時間をひとつのイメージとして、「土の持つ

      エネルキー」を表現する事に、藤田氏は関心がある様です。

次回(速水史朗)に続きます。

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現代陶芸144(三島喜美代)

2012-06-20 21:47:23 | 現代陶芸と工芸家達

転写法により、新聞や雑誌の記事を粘土製の本体に焼付ける作品を通し、現代の情報の氾濫と

多様化及び偽情報などが蔓延し、その恐ろしさと危険性を表現している様に見える巨大な作品を

作り続けているのが、大阪在住の三島 喜美代氏です。

1) 三島 喜美代(みしま きみよ): 1932年(昭和7年)~ 

 ① 経歴

   ) 1932年 大阪市十三(じゅうそう)で、志水喜代次氏の長女として生まれます。

      1951年 大阪府立扇町高等学校を卒業します。在学中に、関西行動展に出品しています。

      1952年 三島茂司氏が主宰する、アトリエ・モンターニュー洋画研究所に入所します。

       翌年 三島氏と結婚します。

      1954~1969年 独立美術協会に所属します。雑誌や新聞を画面に貼り付ける、コラージュを

       駆使した絵画を制作し、注目を集めます。1963年同協会の独立賞・須田賞を受賞します。

      1964年 「現代美術の動向展示」(京都国立近代美術館主催)と「国際青年作家展示」に

       出品します。

      1965  「シェル美術賞展」で佳作賞を受賞します。翌年には「毎日美術コンクール展」に

       出品します。

      1971年 新聞や雑誌の記事を転写の技法を用いて、土に焼き付ける作品を作る様になります。

       同年毎日新聞社主催の「日本陶芸展・前衛部門」に「包」を出品します。

        新聞紙で何物かを包んだ様な形状をした、大物2個と小物1個の作品です。

      1974年 イタリア・ファツェンツァ「国際陶芸展」で金賞を受賞します。

       同年「日本国際美術展」(毎日新聞社主催)に招待出品します。その他「現代美術四半世紀展」

       (セントラル美術館)、「現代日本美術展」(毎日新聞社主催)に出品しています。

      1976年 「ブラッドホード国際版画ビエンナーレ展」、「クラコウ国際版画ビエンナーレ展」、

       「日本陶磁器名品展」(ドレスデン)、「現代日本陶芸展」(オーストラリア・ニユージーランド)

       などの海外の展示会に出品しています。

      1978年 「現代日本の陶芸展」(京都国立近代美術館)、「現代工芸作家展」(京都市美術館)

       などに出品します。

      1979年 「今日の日本展」(アメリカ・デンバー)、「まがいものの光景、現代美術とユーモア展」

       (国立国際美術館)などに出品しています。

      その後も、台北「日華現代陶芸展」、「現代日本陶芸展」(ローマ)、「日本の現代陶芸・カナダ

      巡回展」「日本現代美術展」(スイス市立美術館)、「インパクト・アート展」(韓国ソウル)などの

      他、パリ、ニュヨーク、ボストン、エジプトなど多くの外国でも作品を出品しています。

    1986~7 年 ロックフェラー財団奨学金を得てニューヨークへ留学しています。

  ・ 個展も、画廊あの(1964 大阪)、南画廊(1974 東京)、ギャラリー16 (1988 京都)、

     INAXギャラリー (1990 東京、大阪)、カサハラ画廊 (1992 大阪)、 村松画廊(2001 東京)

      ギャラリー新居( 2004 東京・大阪)、伊勢現代美術館 (2004 三重)など多数開催しています。

  ② 三島 喜美代氏の陶芸

   ) 絵画から陶芸へ

     a) 新聞や雑誌などの記事を切り抜き、キャンパスに貼り付け、その上に彩色するコラージュの

      絵画を製作し、独立美術協会で活躍していましたが、やがてより立体的な作品に印刷物を

      貼り付ける(焼き付ける)作品を作る様になります。その手段に土を選びます。

    b) 陶芸を独学で学ぶ

      陶芸の技術は、陶芸家の工房や陶芸教室を訪ねたり、陶芸の技術書を読んで習得したそうで

      特別師匠に師事する事は無かったとの事です。

  ) 転写の技法による絵付け

     転写の技法は明治時代から、量産陶磁器に使用されていました。

     胴版画による転写法明治20年頃より、その後は石版画が使われていました。

     この量産向けの技法を芸術作品に取り入れた事が、目新しい事と見なされ注目を集めます。

     現在では、下絵用と上絵用の転写紙が市販され、どなたでも簡単に使用する事ができます。

  ) 三島氏の技法

    a) 粘土で板状のタタラを作り、組み合わせて作品を作ります。これを素焼き後白いマット釉を施し

       本焼きします。上絵付け用のインクで、シルクスクリーン印刷した転写紙を水で貼り付け、

       800℃程度の温度で焼付けます。

    b) 粘土と磁土を半々に混ぜ、麺棒で薄く延ばし、その両面に下絵用の転写紙で絵付けし、

       軟らかい内に形を作ります。 そうする事により、自由な形や豊かな表情の形を作る事が

       できます。 その後透明釉をスプレー掛けし本焼きします。

  ) 三島氏の作品

   a) 「PACKSGE-78」(1978年) 京都国立近代美術館蔵

      ジュースの瓶の様な物約30個を、新聞紙で包み、乱雑に置かれている作品です。

   b) 「PAPER BAG-80」 (高 52 X 横 39 X 奥行 28cm)(1980年)

      セメント袋の様な袋に、何かが入っている様子の作品で、開けられた口はネジって閉められて

      います。大きな赤文字とその下に黒文字が印刷されています。

   c) 「NEWS PAPER-P」(高 55.5 X 横 40.5 X 奥行 27.5cm)(1980~1981年)

      積み上げられた新聞紙の束や、紐が掛けられた新聞紙の束、日本の新聞、英字新聞などが、

      やや乱れて積まれている作品です。

   d) 「COLUMN(コラム)-1」(高 145 X 径 100 X 奥行 98cm)(1983~1984年)

      鋲(びょう)が打たれた黒いドラム缶の上部に、継ぎの当たったブルーシートが被せられ、

      ロープが掛かっている作品です。

   e) 「NEWS PAPER-84-W」(高 135X 横 110 X 奥行 105cm)(1984年)

      くしゃくしゃに丸められた英字新聞がうず高く積み上げらている作品です。

      中央縦にロープが掛けられ、束ねてあります。これらが陶芸用の窯の中に置かれています。

     これらの作品は、あふれる情報とその儚い(はかない)存在を表現し、その情報の危うさや

     恐ろしさを表現したものと思われています。

以下次回(藤田昭子)に続きます。     

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現代陶芸143(坪井明日香2)

2012-06-18 20:34:32 | 現代陶芸と工芸家達

 ③ 坪井明日香氏の陶芸

   ) 前衛作品への転向: 1966年 京都工芸美術家代表団の一員として、文化大革命中の中国を

     訪問します。本場中国で各地の古い陶磁器を、50日間も見続けていたそうです。

     それらの作品を見て、「あれもこれもやり尽くされた感じで、自分が追いかけてもしょうがない」と

     思う様になります。その頃から徐々に前衛作品を作る様になります。

   ) 1970年 「現代の陶芸ーヨーロッパと日本」(京都国立近代美術館主催)に招待出品した

     ポップアート的な 「ふろしき A・B」は、覆われたふくらみが、女体の乳房や臀部を想像させる

     刺激的な作品として、注目を集めます。

   ) 1971年 「第一回日本陶芸展」(毎日新聞社主催)で「袖シリーズ」を発表します。

      十二単(ひとえ)の袖口を連想させる、鮮やかな多色の襞(ひだ)が重なる作品は、女性の

      陰部を空想させると、男性側からささやかれる程でした。

   ) 「歓楽の木の実」と「禁断の木の実」の作品

      1973年 「現代工芸の鳥瞰(ちょうかん)展」(京都近代美術館主催)に出品された作品です。

      a) 「歓楽の木の実」は、赤地に無数の金の水玉が蛇の網目文様の様に走り、小さな乳首を持つ

         乳房が五段のアーチ状に積み重ねられ、一個の赤いリンゴが挿入されている作品です。

        乳は丸みを帯び、一定方向ではなく、ランダムな方向を向いています。

        一部は重ねた重みで潰れた様な形になっています。(高 64 X 横 56cm)

     b) 「禁断の木の実」は、黒く銀色に輝く乳房を4~5段重ねこれを1ユニットとして、3~4ユニットを

        縦に束ねた作品で、青(緑)リンゴ2個が中段と最上段に挿入されています。

        乳首はリンゴと同じ緑色に成っています。(高 64 X 横 45cm)

     c) これらの作品は、「充熟した生命感」と、おおらかな「生の賛美」を表現したものと言われて

        います。本来女性は太陽であり、大地であり、子供を産出し、豊饒(ほうじょう)で全体を繋げる

        存在でもあります。この原点を歌い上げた作品とも言えます。

    ) 「地図シリーズ」の作品: 

       京都地図:(縦 51 X 横 55cm)東京国立近代美術館(1976年)、大阪地図(1977年)、

       神戸地図:(縦 67 X 横67cm)(1982年)など。

      a) これらの作品は、薄い陶板に、不定形な複数の襞(しわ)を付けたり、端面を丸め込んだり

        して変形させた作品で、燻し銀の地肌の一部に、布目を押し当て連続文様にすると共に、

        その反対側に鱗文(うろこもん)を色絵で絵付けされています。

      b) この作品は、源氏物語絵巻の様に、王朝時代の女性の雅さを現代風に表現しているものと

        言われています。

    ) 「春秋冬物語」と「春秋東山記」の作品:

      a) 「春秋冬物語」福井県立美術館(1980年) 三個組(高103cm、他)

        垂直(又は横倒し)に立てられた黒い四角い箱(陶板)の上部(又は側面)に、多様な枯葉

        (陶土)を大量に重ねて貼り付けた作品です。黄葉した葉や虫食いの葉、ちじれた葉などが

        一見無造作に貼り付けられいます。朽葉は寒風に耐える現在の作者の証(あかしを、

        表現していると思われます。生存の根拠や生存理由を問うている様な作品です。

     b) 「春秋東山記」(1979年)三個組

        高さと横幅の異なる黒い各々の箱の上に、鳥類の卵の殻を思わせる白い球体が一個づつ

        載っている作品です。球体には大きな穴が開き、雛が誕生した後の様子が伺えます。

        その穴の周囲には枯葉が数枚貼りついています。

        生の発端と終焉を表しているていると見る人もいます。

  ) 「唐織物・月輪」と「記憶の領域」の作品:

     「唐織物・月輪」(高 12 X 横 44cm)京都市美術館(1982年)

     「記憶の領域」(高 40 X 横40cm、他)(1982年)二個組

    これらの作品は、長い旅路の果てにある老境の女性が、過去の輝かしい思い出での糸で、丁寧に

    織り上げた袋物を表現している様に見えます。前者は丸みを帯びた無地の半円球が連続して

    連なり、袋の口が不規則に開けられています。後者は、やや大きめの水玉文様地で口が閉じられた

    袋を表現しています。

  ) 「遊月琴(ゆうげつきん)」と「西海のもくず」の作品:平家物語より題材を取った作品です。

    a) 「遊月琴」(高 10 X 横 50cm)(1982年):

      青い椀琴や折れ曲がった横笛の上に、平氏の家紋である蝶が無数に群がっている作品です。

     青い蝶や黒い蝶、金色の蝶も混じっています。

     (野菜のピーマンが1個置かれているのは何の意味があるのでしょうか?)

     同じ題名の他の作品もありますが、こちらは陶板の上に乗っている作品です。

   b) 「西海のもくず」(高 50 X 横5 3 X 奥行 20cm)(1983年): 

     この作品は、一時は絢爛たる文化を築いた平家が、壇ノ浦で海の藻屑(もくず)と散った

     鎮魂かかも知れません。貴公子が身に纏った、豪華な衣装で表現されています。

     袖と思われる二個の四角い作品は、内側が真っ赤で、表側には多くの丸い文様が銀色に

     輝いています。一個は縦に他の1個は寝かされいます。

  ) 「京紙」(高 20 X 横 32 X 奥行 32cm)(1984年)

     従来の情念や思索から切り離された様な穏やかな作品です。

     重ねられた紙束の上の一枚と、離れた所に置かれた一枚の薄紙で表現されています。

     布目(蚊帳目)の付いた陶板がやや反り返り、白化粧を施し、対角線上に波打つ金彩や

     細い引っかき傷が描かれています。

  坪井明日香氏の作品は、女性ならではの表現がなされた物が多いです。

次回(三島喜美代)に続きます。

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