わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

焼き物の着物(色彩)69 古唐津 6(絵唐津2)

2014-04-30 20:20:28 | 陶磁器と色彩
5) 絵唐津に付いて。

 ⑥ 絵付けされた作品。

  作品の種類は、代表的な壷や茶碗の他、大皿、水指、花生、向付、大鉢、片口、茶入、香炉、

  香合など多種多様です。中でも茶陶と関係深い、茶碗や向付、皿や鉢類に多く見られます。

  ) 作品のほとんどが轆轤水挽法で作っています。後で述べる、四方(よほう)向付や、

    撫四方なぜよほう)、四方入隅(よほういれずみ)等の方形や沓形、編笠など歪んだ形の

    作品も轆轤挽き後に変形させ作られています。

    尚、絵唐津用の素地は、比較的白色の為、素地に直接絵付けしています。

  ) 壷: 器形は提灯(ちょうちん)形と算盤(そりばん)玉形に大別されます。

    いずれも李朝で好んで作られていた形の壷です。

    a) 提灯形は、胴が横方向に丸く張り出した形です。

      やや縦長の物と、平らべったい形があります。

    b) 算盤玉形は、張り出した胴が角度を付けて、折れ曲がった形をしています。

      轆轤挽き時は緩いカーブであったものを、削り作業で稜を立てたものと思われます。

    c) 絵柄は、草文、唐草文、菖蒲(あやめ)文、木賊(とくさ)文、葦(あし)文、千鳥

      片車文、柿文などがあります。

    d) 壷の用途は、小さな物は葉茶葉入れと思われます。口径がやや広い壷は、水指として

      使用されていた様です。

    e) 著名な絵唐津壷の逸品には以下の物があります。

     ・ 絵唐津柿文壷: 出光美術館蔵。甕屋の谷窯。小型の為、葉茶壷と見なされています

       高さ 16.7cm、口径 9.4cm、胴径 17.9cm

      器表面いっぱいに、実が成った一本の柿の木と枝が描かれています。

      肩に三つ耳が付けられ、正面(柿の幹が描かれた方向)の耳には五個の擂座(るいざ)

      が付けられているのが稀です。注:擂座とは、太鼓の縁の鋲(びょう)の事です。

     ・ 絵唐津葦文壷: 出光美術館蔵。甕屋の谷窯の名品。

       高さ 16.1cm、口径 15.5~16.6cm、胴径 22.9cm、高台径 10.7cm

       塩笥(しおげ)形の壷で、桧垣風に描かれた草むらの中に、一本の葦と花が

       描かれています。

     ・ 絵唐津蘆唐草文壷: 日本民芸館蔵。 典型的な算盤玉形の壷です。

       高さ 13.9cm、口径 15.0cm、底径 8.9cm

       元来、台所の味噌や醤油を入れる容器として使われていた物と思われます。

       還元焼成の為、釉肌はオリーブ色をしています。同寸で同様な文様の陶片が一之瀬

       高麗神窯から出土しています。

   ) 茶碗類: 

     「一楽二萩三唐津」と言う言葉があります。茶道に使われる器に付いて述べた物です。

    a) 唐津焼は、織部の様な奇抜で個性の強い焼き物ではない為に、逆に「侘び茶」に対して

      最適な器になったと思われます。

    b) 著名な茶碗に付いて。

    ・ 絵唐津木賊(とくさ)文茶碗: 甕屋の谷窯。 田中丸コレクション蔵。

       高さ 9.0cm、口径 12.7cm、高台径 4.8cm

      絵唐津の名碗として、大変有名な茶碗です。背が高く見込みの深い茶碗で、口縁が

      やや外側に反っています。胴の両面に木賊(長さが異なる複数の縦線)の絵付けが

      あります。

    ・ 絵唐津菖蒲文茶碗: 田中丸コレクション蔵。

      高さ 9.3cm、口径 12.2cm、高台径 6.5cm

      絵唐津の筆頭に上げられる半筒茶碗です。茶碗の裏表に鉄砂で菖蒲文が描かれ、描き方

      に配慮された様子が見受けられます。失透性の長石釉が掛けられています。

      表面には細かい貫入が多数あります。

    ・ 絵唐津草文茶碗: 初期絵唐津の名碗です。

      高さ 8.2cm、口径 13.8cm、高台径 6.0cm

      絵付けの方法も天衣無縫で素朴な感じですし、釉掛も無頓着に施釉した為、釉が片側に

      大きく流れ落ちています。この無頓着さが唐津の良い処といえます。

    ・ 絵唐津山水文沓茶碗: 甕屋の谷窯

      高さ 8.2cm、口径 11.6~17.9cm、高台径 5.7cm

      轆轤で水挽した碗を楕円形に歪ませ、腰に強い段差を設けた典型的な沓茶碗です。

      胴には、太い筆で判然としない山水風の絵柄と、黒い点々が付けられています。

    ) 皿、鉢類に付いて。

以下次回に続きます。
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焼き物の着物(色彩)68 古唐津 5(絵唐津1)

2014-04-29 21:45:32 | 陶磁器と色彩
朝鮮から渡来した陶工達は、革新的な二つの技法をもたらします。

一つは以前にお話した(割竹式)登窯の使用です。中世までは窖窯(あながま)が使われていました

が、より効率的な登窯が導入されます。 二つ目は蹴(け、又はけり)轆轤の使用です。

従来の轆轤は手回轆轤といわれる物で、回転盤の端に設けられた複数の小穴に、回し棒を差込手で

回転させる方法で、成形途中で回転力が落ちた時、手を止め棒を握り回転力を与える必要があります

即ち、蹴轆轤ならば、連続して制作が可能で制作能力も格段に上昇する事になり、唐津焼が急速に

普及する原動力になります。

尚、手回轆轤の場合一般に右回転(時計方向回転)で、蹴轆轤の場合には左回転(反時計方向)

で使用されています。

5) 絵唐津に付いて。

  李朝の絵付け陶器の影響で、我が国で最初に作られた絵付け陶器と言われています。

  最初は李朝風の絵付けでしたが、次第に我が国の絵柄(和風)が採用される様になります。

 ① 鉄絵のある唐津の陶器を「絵唐津」と呼びます。

  絵では無く、文字が描かれた物も「絵唐津」と呼び、鉄砂で刷毛塗りしただけの焼き物も

  「絵唐津」と呼ばれます。それ故「無地唐津」と呼ばれる焼き物とまったく同じ焼き物ですが、

  違いは絵の有無だけです。

 ② 「絵唐津」には、素地の違い、釉の違い、絵柄の違いや描き方の違い、焼成方法の違いなど

  多くの違いや様式が存在しますが、全て「絵唐津」になります。

 ③ 絵の具として、含有岩鉄を磨り潰し水に溶いた物で、素焼きしない成形品に、絵筆などで、

   絵を描き、土灰釉や長石釉を掛け匣鉢(さや)を使わずに、登窯で焼成します。

   釉は透明又は半透明な為、光沢の絵が浮き出てきます。

   尚、初期唐津では、施釉後に鉄絵が描かれた物もあります。

 ④ 土灰釉は透明度が高い為、模様ははっきり現れます。一方長石釉は多少白濁する為、絵が

   ぼやけたり、穏やかな感じになります。

  ・ 酸化焼成の場合:鉄絵は茶色を帯びた発色になり易く、強酸化の場合には、柿色になりす。

    釉肌も釉が黄ばむ為、素地の赤土の影響で枇杷(びわ)色に発色します。

  ・ 還元焼成の場合: 鉄絵の線は黒くなります。釉肌も青味を帯びるのが一般的です。

  但し、意図的に絵を茶色にしたり黒くしたする作業は行われなかった様です。即ち結果的に

  そう成ったと言う事の様です。

 ⑤ 鉄絵の図柄(文様)や描写方法。

  この方法には、李朝系の模倣と見られる方法と、織部好みの美濃陶を模した物の二通りがあり

  ます。

  ) 李朝系の図柄と描写方法。

    朝鮮から渡来した陶工達は、当時李朝で流行していた技法を持ち込みます。

    即ち、南朝鮮の窯場では、鶏竜山(けいりゅざん)で代表される刷毛目鉄絵が盛んに作ら

    れていました。 その文様や描写方法は、きちんとした構図や筆法は無く、好きな形を好き

    勝手に描くと言うすこぶる素朴な方法が取られていました。丸、三角、十字、点などの

    抽象的な物から、草花、蔓草(つるくさ)、樹木など身近な自然や、何を描いているのか

    不明な物まで、色々描かれています。

     注: 鶏竜山の土は黒っぽい為、鉄絵を描くには白化粧する必要が有ったとおもわれます 

       絵唐津に使われる土は、白っぽい土の為、白化粧の必要はありませんでした。

  ) 織部風の絵唐津の図柄と描写方法。

   a) 美濃陶の織部や志野の焼き物に描かれた絵柄が、絵唐津に使われるます。

    瀟洒な構図と巧みな筆法で、橋、網干、松山、春草、菫(スミレ)、菖蒲(あやめ)、

    千鳥、干し柿などがテーマで、李朝風とは、全く異なるものでした。

   b) 器の形に合わせて、構図の取り方が工夫される様になります。

以下次回に続きます。

    
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焼き物の着物(色彩)67 古唐津 4(奥高麗)

2014-04-28 21:42:57 | 陶磁器と色彩
4) 奥高麗に付いて。

  千利休が「ねのこ餅」と呼ばれる奥高麗茶碗を所持していた事はすでに多くの人々によって

  指摘されています。その茶碗が唐津で作られた事も確かの様です。

  筒形(つつなり)と奥高麗茶碗としては、珍しい形です。

  ・ 奥高麗筒茶碗 銘 ねのこ餅(もち): 

    高さ 10.4cm、口径 9.5cm、高台径 5.5cm

    利休所持の三筒茶碗の一つと伝えられ、奥高麗茶碗の古典とも言われる茶碗です。

    尚、他の二点は、高麗茶碗「挽木鞘(ひききのさや)」と古雲鶴「浪花筒(になわづつ)」

    です。

 ① 奥高麗(おくごうらい)の名称の由来。

  「高麗の奥の方の陶工が渡来して唐津で焼きだした物」と古い文献に記載されているとの事です

   注: 高麗は高句麗(こうくり)後の王朝で、918年~1392年まで続いた朝鮮半島の国です。

 ② 高麗茶碗は室町時代末(16世紀半ば頃)に、「侘び茶」が流行し、我が国の茶道で用いられた

   茶碗の一つであり、朝鮮半島で焼かれた日常雑器を、日本の茶人が茶器に見立てたものです。

  但し、「高麗茶碗」と呼ばれる茶碗は、高麗時代の作品では無く李氏朝鮮(1392~1910年)

  の物がほとんどと言われています。

  「奥高麗茶碗」は我が国の唐津で作られた高麗茶碗を模倣したものと思われています。

 ③ 奥高麗茶碗の特徴。

  ) 素地は鉄分を含む赤土ですが、細かくねっとりした土と、やや粗めで砂を含む粘土の

    両方があります。

  ) 奥高麗はほとんどが茶碗で、井戸茶碗風の口が大きく開いた鉢形と、腰に丸みがあり

    口縁がやや内側に抱え込まれた熊川風があります。

  ) 轆轤挽きされて「ノビノビ」としています。高台は比較的に大きく、高台脇や高台内も

    轆轤による削り出しで、高台中央に兜巾(ときん)が有ります。

    高台脇の削目に「縮緬(ちりめん)皺」が毛羽立ち、長石質の灰釉との相乗効果で

    「梅花皮(かいらぎ)」が現れます。

  ) 高台周辺の土見では、赤味を帯び枇杷(びわ)色を呈するのが一般的な特徴です。

  ) 素地と釉との縮み具合の差で釉に「ひび(貫入)」が入り易く、長年使用していると

    釉に変化が出てくる事も多い様です。

  ) 焼成は酸化焼成が多く、中には還元焔や中性焔で焼成された物もあり、その場合には

    釉面が灰青色になります。これを「白上り」と呼ぶそうです。

 ④  著名な奥高麗茶碗。

  ) 奥高麗茶碗 銘 深山路(みやまじ): 17世紀始 市ノ瀬高麗神窯系?。

     松江藩主の松平松平不眛公(1751~1818年)が所持していた、竹節高台で碗形の逸品です

     高さ 7.8cm、口径 14.0cm、高台径 6.1cm

  ) 奥高麗茶碗 銘 真蔵院(しんぞう): 細川三斉公(1563~1645年、利休七哲の一人)が

     所持していた名碗です。胴は高く立ち上がり轆轤目が目立つ、小振りで深い碗形です。

     高さ 8.5cm、口径 13.1cm、高台径 4.8cm

  ) 重要文化財 奥高麗茶碗 是閑(ぜかん)唐津 銘 三宝(さんぽう): 

     唐津の代表的な茶碗として古くから著名な茶碗です。

     高さ 7.6cm、口径 16.0cm、高台径 6.4cm

  ) 奥高麗茶碗 銘 糸屋唐津: 17世紀始め 唐津としては、古格のある茶碗です。

     元禄の頃の京の目利きとして知られる、茶人の糸屋良斎が所持した茶碗です。

     高さ 7.5cm、口径 15.4cm、高台径 5.3cm

     小石混じりの赤土で、轆轤挽き。小振りな竹節節高台で、畳付きは三日月高台です。

  
以下次回に続きます。

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焼き物の着物(色彩)66 古唐津 3(彫唐津)

2014-04-27 21:49:03 | 陶磁器と色彩
2) 渡来人による焼き物。

  豊臣秀吉による朝鮮出兵は、彼の病死によって撤退されますが、多くの朝鮮の陶工達が各地の

  西国大名達によって拉致され、我が国に渡来する事になります。

  彼ら朝鮮の陶工達や彼らの指導によって、唐津焼のみならず、後日取り上げる、萩、上野

 (あがの)、高取、薩摩など多くの西国大名の元で、新たな窯が築かれ新しい陶磁器の産地に

  発展して行きます。この事は我が国の陶芸界に一大変革をもたらしました。

  その背景にあるのは、各藩の台所事情で、藩の財政を豊かにする為に、新たな産業を起こし、

  現金収入を増やしたい思惑がありました。

 ① 唐津焼は、朝鮮から渡来した陶工達により、従来の岸岳系の陶工と伴に、肥前一帯に多くの

   窯を開く事に成ります。

   特に現在の松浦町周辺で約30箇所の松浦系の窯跡があります。同様に武雄町の周辺にも

   約25~30箇所の窯跡(武雄系)が見つかっています。その他、平戸系で約20数箇所など

   総数で100箇所近い窯跡が見つかっています。

   (但し、同時に100箇所ではなく、時代に幅があります。)

  ) 一元的でない唐津焼。これが唐津焼の魅力になっています。

    出身も異なる陶工達が広い場所に多くの窯を築いた為、色々な種類の唐津焼きが生まれます

   a) 窯を築く土地により、粘土の種類が異なるのは当然です。

    白い土、赤土、赤黒土、肌理の細かい土、粗い土、粘り気のある土、砂混じりの土など

    多彩です。当然、その土に適した作り方や作品ができます。

   b) 釉にも多様性があります。白い釉(白濁釉)でも窯により、微妙に差があります。

    透明に近い釉、半濁釉、白濁釉、青味を含む釉などがありますが、同じ釉であっても素地の

    違いで発色は異なります。

   c) 絵柄や絵の描き方なども千差万別です。朝鮮系の絵柄や我が国特有の絵柄などが描かれて

    います。

  ) 但し、当然の事ながら、当時でもある程度の共通事項も存在します。

   a) 新興の窯では、渡来人の影響が大きく、李朝中期の南朝鮮系の焼き物が強く影響した

    作品が作られています。それはこだわりの無い、素朴で明るい焼き物と成っている事です。

   b) 三島又は三島風の技法も朝鮮からもたらせれた物です。

    その他、粉引唐津、刷毛目唐津、絵唐津、黒唐津、二彩唐津、備前唐津、瀬戸唐津など

    多様な加飾の技法が出現する事に成ります。これらに付いては後日お話します。

3) 彫(ほり)唐津に付いて。

  成形後、素地がまだ生乾きの状態で、竹ベラや櫛などで幾何学的で単純な紋様を彫り、長石釉を

  掛けて志野風に焼いた物を彫唐津と言います。

 ① 岸岳古窯の一つの飯洞甕下窯から、彫唐津の茶碗の破片が発見されます。この茶碗が焼か

  れたのは、1592~11593年と見られています。その背景には、文禄、慶長の役の司令部である肥前

  名護屋城に、古田織部(1544~1615年)が滞陣し、近隣の岸窯に意匠を指示させて作らせた

  と言う事も考えられます。

 ② 胴の外側全周に、大きな☓形の深い彫文様が連続して彫られ、長石釉が掛けられているのが

  特徴です。又、彫込み部分に鉄絵(鉄釉)を施した彫絵唐津があります。

  ・ 彫唐津茶碗 銘玄界: 桃山時代(16世紀末) 飯洞甕 京都民芸館蔵。

    高さ 10.1cm、 口径 12.9~14.2cm、 高台径 7.4cm 

    口縁は不規則な七角形で、二重高台です。胴に大きなX印の陰刻があります。

  ・ 彫絵唐津茶碗: 16世紀末 飯洞甕下窯、上窯より同一陶片が出土しています。

    高さ 9.8cm、 口径 13.0~14.0cm、 高台径 7.9cm 

    胴部に箆(へら)でX印の陰刻があり、長石釉を掛けた後、陰刻の上に黒釉を掛けてあり

    ます。焼成温度が低い為、長石釉が十分熔けず、高台脇の梅花皮(カイラギ)が景色と

    成っています。   

    轆轤造りで、素地は砂気のある白土です。半筒形で口縁部を五箇所指の腹で凹ませて

    あります。

4) 奥高麗(こうらい)に付いて。

以下次回に続きます。
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焼き物の着物(色彩)65 古唐津 2(斑唐津、朝鮮唐津2)

2014-04-26 21:54:05 | 陶磁器と色彩
 ③ 古窯跡と出土品。

  古唐津焼は、「岸岳七窯」と呼ばれる窯で焼成され、それらは東松浦郡を支配していた、

  波多氏の居城の「岸岳城」に隣接する山間に点在していました。

  ) 飯洞甕(はんどうがめ)下窯の発掘。

   1956年(昭和31年)、肥前陶磁研究会によって、一番保存状態の良い下窯が発掘調査され、

   以下の事が判明します。

   a) 窯の構造は「割竹式登窯」と判明します。この登窯は現在の登窯に先行する窯です。

    登窯とは、山腹の傾斜を利用した複数個の焼成室が連続している構造になっています。

    中世では窖窯(あながま)が使われていましたが、桃山時代になり量産を目的とした窯です

   ・ 割竹式の名前の由来は、竹を二つに割り、伏せた状態に見える事から付けられます。

   ・ 時代区分は出土品から、室町後期の頃と推察されます。

   b) 窯は傾斜角が、約 15.5度で西から東に向かって築かれています。

    全長約 17m、焼成室は八室ありました。一部屋は横幅約 2.2m、長さ約 2.0m、砂床から

    天井までの高さが約 1.2mで、全て粘土を貼り付けて作られています。

    途中で火力を増す為に、各室の右横に焚口が設けられていました。

   c) 窯詰方法は、砂床に直置きする方法と、馬蹄形の「ハマ」や陶枕(とうちん)を使って

    います。又、重ね焼きの方法と、赤貝を使う貝高台が使われていました。

   d) 出土品する陶片は、壷や甕、鉢などの日用雑器が主です。その他、片口、猪口などがあり

    少数ながら、志野風の彫唐津茶碗(次回述べます)も出土しています。

  ) その他の窯の発掘。

   a) 帆柱窯: 斑唐津の優れた作品を多く焼いています。

    斜面は20度近い急勾配です。胎土はざらざらした砂粒の混在する粗い土です。

    製品は、碗、皿、ぐい呑、徳利、水指、片口、鉢、瓶類、壷、甕の類が多いです。

    ・ 失透性の藁灰釉で、白灰色の釉の中に青く細い斑文が浮き出景色が珍重されました。

   b) 椎の峰(しいのみね)窯:1594年波多氏が秀吉により滅亡します。岸岳窯の陶工が

    一度は散々に成りますが、元和年間(1615~1624年)にこの地に集まり、窯を築いたと

    されています。ここでも、日用雑器を中心に焼かれていますが、茶陶も多く見られます。

    ・ 斑唐津、朝鮮唐津、絵唐津、三島唐津、二彩唐津、献上唐津などほとんどの種類の

     装飾技法が取られています。

   c) その他、藤ノ川内窯、道園(どうぞの)窯、甕屋の谷窯、桃山窯なども発掘調査され

     ますが、詳細は省略します。

 ④ 「斑唐津」と「朝鮮唐津」の作品。

  ) 斑唐津点斑(てんぱん)文壷: 重要文化財。

    高さ 17.2cm、口径 12.8cm、高台径 9.5cm

    全体に厚造り、下膨れの腰の張った作品で、竹の節高台になっています。

    全体に藁灰釉がたっぷり掛けられ、口縁と肩の六っ箇所には黒い鉄釉が掛けられ、二彩釉の

    先駆的な作品です。

  ) 斑唐津彫文壷: 根津美術館蔵。

    高さ 14.9cm、口径 9.5cm、高台径 9.1cm

    胴に四本の刻線を巡らせ、縦方向に六本の溝が彫られています。

    この縦線には釉が掛けられていない事から、施釉後に削り取ったと思われます。

  ) 朝鮮唐津水指 銘(廬爆=ろばく):千家名物 藤田美術館蔵。17世紀 藤ノ川窯 

    高さ 17.1cm 口径 10.1cm

    叩き造り、口は玉縁で胴の下側には黒飴が掛り、口縁から肩に掛けて白い藁灰釉が瀧の

    様に流れ落ちている逸品です。雑器を水指に見たてた物と思われています。

  ) 朝鮮唐津 一重水指: 17世紀 藤ノ川内茅の谷窯。

    高さ 14.8cm、口径 15.8~20.0cm、底径 9.5cm

    最初から水指として作られたと見なされている作品です。

    叩き造りで、桶の箍(たが)を表現したと見られる削り跡があります。

以下次回に続きます。
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焼き物の着物(色彩)64 古唐津 1(斑唐津、朝鮮唐津1)

2014-04-24 22:02:44 | 陶磁器と色彩
関東では陶器の事を瀬戸物と呼ぶのに対し、西日本では唐津物と呼ばれています。

唐津の焼き物は、東の瀬戸と質量とも対抗する一大産地で、その状態は現在でも続いています。

唐津焼は、佐賀県の唐津市の近傍で焼かれた釉を掛けた(施釉)陶器です。その範囲は唐津市の

南の東松浦郡から、伊万里市、武雄市、有田町、長崎の佐世保市にかけてに広く分布し、その集積地

が唐津であった為、この地方で作られた陶器を唐津焼と呼ぶ様に成ります。

1) 唐津陶器の歴史

  唐津の焼き物が何時から始まったかは、諸説あり確定していません。しかし何処で初めて焼か

  れたかは、有る程度判明しています。

 ① 東松浦郡の岸岳周辺の帆柱(ほばしら)、飯洞甕(はんどうがめ)、岸岳皿屋(さらや)

   などの古窯が最初に築かれたと思われています。

   ここで焼かれた陶器は、藁灰(わらばい)釉や飴(あめ)釉を用いた「斑(まだら)唐津」や

   「朝鮮唐津」(別名、叩き唐津)と呼ばれる物で、鉄絵などは描かれていません。

   これらの窯で焼成された作品を「岸岳古唐津」と呼びます。又、これらの窯は、一般に唐津焼

   きが、いわゆる「焼き物戦争」と呼ばれる文禄、慶長の役(1592~1598年)で渡来した朝鮮

   陶工によって起こされた諸窯より、先行していたのは確実の様です。

 ②  古唐津には、「斑唐津」と、「朝鮮唐津」の二種類があります。

   どちらも、器形は壷、碗(茶碗など)、片口、猪口などが主な物です。

  ) 「斑唐津」とは乳濁した不透明な釉が、一面に掛かった焼き物です。必ずも斑(まだら)

    に成っている訳では有りません。

   a) 釉の調合は、土灰と長石から基礎釉を作り、藁灰を加え乳濁させた物です。

     藁灰には多量の珪酸(けいさん)が含まれ、この珪酸の影響で白色になります。

   b) この釉を掛けると、全面が真っ白に成る訳ではなく、細い筋状と成って流れ落ちます。

     別名「卯の斑(うのふ)」と呼ばれる釉と同じ様な物です。

   c) 素地には砂目を含む、粗目の白土を用い、水挽轆轤(ろくろ)成型されています。

  ) 「朝鮮唐津」は、上記「斑唐津」とは、素地粘土の違い、成形方法の違いがありますが、

    同じ窯で焼かれていました。以下その成形方法を述べます。

   a) 土は鉄分の多い、ねっとりとした細土を使います。叩き技法に適した土です。

     この土に土灰釉を掛けると、鉄分の影響で赤褐色に焼き上がります。

   b) 水挽き轆轤成形ではなく、叩き技法による成形方法です。

   c) 轆轤上の亀板に輪積みした粘土を積み上げます。

   d) 適度の高さに積み上げたら、内側に丸い当て板をあてがいます。

     当て板は、丸太を輪切りにして作ります。

   e) 外側より、平らな叩き板で叩いて土を薄く延ばします。

     轆轤をゆっくり回転させながら、上下左右を満遍なく叩きます。

   f) 叩く事により、上下の土が密着し強度が増します。

     同時に、形を整えて行きます。その際、叩き板に格子文や傾斜文などの模様が刻まれて

     いると、密着度を増すと同時に、叩き跡が一種の装飾模様になります。

   g) 必要な形に成ったら、水挽き轆轤成形で口縁を作り、底回りを削って完成です。

     最後に内側に当て板を当てる為に、開いていた口縁は閉じる事になります。

  ) 岸岳周辺の窯の終焉。

    東松浦郡地方を支配していた波多氏一族が1593年に滅亡すると、この地の窯業は衰退して

    行きます。当時作られた「斑唐津」も「朝鮮唐津」も、後代の唐津焼の華やかさは無く、

    素朴で飾り気の無い、民衆の雑器として使い捨てられる運命にありました。特に叩き唐津と

    呼ばれる、「朝鮮唐津」はほとんど伝来する作品は少ないです。

    一方、「斑唐津」と呼ばれる器は独特の釉の影響で、茶人に見出され茶碗や水指として

    利用されますが、先に述べた様に、雑器と作られた物を見立てて使用した物です。

   ・ 波多氏の下で働いていた陶工達は、他の地域の諸窯に移動したか、他の場所で窯を築き

     技術は途絶える事無く続く事になります。

 ③ 古窯跡と「斑唐津」と「朝鮮唐津」の作品。

以下次回に続きます。
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自己流と陶芸 2

2014-04-23 21:26:46 | 陶芸入門(初級、中級編)
5) 必ずしも多くの技術(技法)は必要有りません。

 ① 目的が同じの場合、その目的を達成する方法や手段は多く存在するのが一般的です。

  だからと言って、それらの方法や手段を、全て身に付ける必要は無いのは当然の事です。

  例えば、制陶する前に土を練るのは、必要不可欠で基本的な事です。 

  この場合、土の硬さを均一にする。土の中の空気を抜く事が主目的になります。

  その為に、手で菊練をするのが普通ですが、その他に足の踵(かかと)を使う方法や、土練機を

  使う方法などがあります。気泡を抜く真空土練機が理想ですが、一般の土練機の場合には、

  菊練を行う事になります。

  又、数十回ランダムに糸で切る方法や、土を床や机に叩き付ける方法など色々あります。

 ② 一般的な手を使っての菊練でも、右手を使い土を右回転方向に移動する方法と、左手を使い

   左回転で練る方法があります。又一度練って丸めた土を、天地を逆にして再度練る方法も

   有ります。どちらが良くどちらが悪いと言う問題では有りません。但しその方法を採用して

   いるのには、それぞれ言い分があると思われます。

 ③ 練った土を轆轤(ろくろ)上に据える場合にも、そのまま据える人と、天地を逆にして据える

   人もいます。 練りの回転方向と、轆轤の回転方向を考慮(同回転、逆回転)して決めて

   いる様です。

 ④ 轆轤は作品を早く綺麗に作る道具です。

   轆轤に付いても、好みに応じて電動轆轤、蹴り轆轤、昔の回し棒を使う手轆轤など多様です。

   同様に轆轤の回転方向も右回転(時計回り)と左回転(反時計回り)があり、両方を使い

   分けている人もいれば、一方向で全てを済ませる人もいます。

   当然、両手の指の使い方に差が出ます。更に、手や指の使い方は人によって千差万別です。

   それ故、先生又は最初になら習った方法で、専念すべきと考えます。

 以上の様に、目的を達成するには幾つかの方法が存在します。だからと言って全てを見に付ける

 必要はありませんし、各々の方法の間には、厳密には違いが有るのでしょうが、お互いに大きな

 違いはないと思われます。多くを知る事はベテランでは無い限り、混乱(混同)の元になります。

6) 蕎麦打ちを趣味にしている方が、菊練の仕方を蕎麦を練る様にして練っているのを見かけます

  本来別の目的と思われる行為を、同じ物と勘違いしたのも「自己流」と言えます。

  「自己流」と本人が自覚している場合には、さほど問題も無いのですが、「自己流」とは

  認識しないで行っている場合も多いです。注意してくれる人がいれば、「自己流」である事が

  解かるのですが・・、自分のしている行為を他の人と見比べたり、たまには見つめ直すのも

  「自己流」を発見する手段になります。

  前回にも言いましたが、必ずしも「自己流」は悪い訳ではありません。 

7) STAP問題では、実験ノートの有無が重要な証拠として議論されています。

  同様な事が陶芸にも言えます。几帳面な方はノートを所持し作品名、使用粘土の種類、作品の

  形と大きさ、釉の種類などが書き込まれています。そこから何時どの様な作品を作ったかを

  知る事ができます。ノートは自分自身が知れば良い事ですので、公にする必要はありませんが、

  後々大変役に立つ資料に成ります。

8) 陶芸の範囲は、土作りから制作、装飾、絵付け、釉の調整、施釉の仕方、焼成方法などと

  非常に広く、これらを一人で行う事が多いです。即ち分業の部分が少ないです。

  それ故、あれもこれもと手を広げ過ぎると、混乱が起こり自分が一番したい事がおろそかに

  成ってしまい勝ちに成り易いので、十分注意が必要です。

以上せ、「自己流と陶芸」の話を終わります。

次回より、「焼き物の着物」の話に戻ります。
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自己流と陶芸 1

2014-04-22 21:20:09 | 陶芸入門(初級、中級編)
本来本日より、「焼き物の着物」で古唐津に付いて述べる予定でしたが、ここで小休止を挟みます。

昨今STAP細胞に付いて話題になっており、小保方さんの記者会見も関心を集めました。

陶芸とSTAP細胞とは、何ら関係が無いのですが、記者会見の中での彼女の発言は、陶芸の技術

習得方法にも、いささか関係があると思われますのでお話します。

「あちこちの研究室でお世話になり(本人は居候と言っています)、多くの先生にご指導して頂いた

 にも関わらず、基本的な事が身に付かず、自己流で物事を処理してしまい、私の未熟さもあり

 多くの人々に大変ご迷惑を掛けて申し訳ありませんでした」と言う様な趣旨の発言をされています

1) 自己流は決して悪いわけではありません。

  他の人と同じ事をしていては、進歩発展は望めません。特に科学の世界や芸術の世界では一番

  最初に試み成功した人が、賞賛を浴びる事になります。人とは違った方法や技法は、必ずしも

  他人から教えて貰うのではなく(ヒントは貰えかも知れませんが)、自分で発見しなければ

  成りません。当然それは良い意味の「自己流」と言うことになります。

2) 多くの場合「自己流」は失敗する事が多いのも事実です。

 ① 彼女も述べている様に「基本的な事が身に付かず」に「自己流」に走る事は多くの場合失敗し

  ます。長い期間同じ様な作業(研究や制作など)をしていると、最初の基本からどんどん離れ

  「自己流」に成っていくのは、ある意味必然とも言えますが、「基本が身に付いた」人でないと

  簡単に自己流の道に進むのは危険です。「自己流」とはある意味、楽な方法とも言えます。

 ② 「基本が身に付いている人」とはどうゆう人か。

  「なぜそうするのか?」、「なぜそうしなければならないのか?」が理解出来ている人です。

  この事が十分理解できれば、その応用や自分なりの違う方法を見付ける事が可能ですし、失敗

  しても元に戻す事もできます。

 ③ 陶芸の世界でも、「基本が身に付いていない」にも関わらず、「自己流」に落ち込む人は非常

  に多い様に見受けられます。

  教える立場からすると、「自己流」を矯正させるかどうかは、判断が迷う処です。

  「自己流」でどんどん悪い方向に進みそうな場合は、矯正の必要があるかも知れませんが、

  10年も陶芸をやっている方に、注意するのも問題ですし、本人も意固地になるかも知れません

  本人が気付くのが一番良い方法なのですが・・・

3) 趣味程度でも、陶芸の道に入った方は最初に先生から基本的な事柄を学ぶはずです。

  (世の中には、先生を持たずに成功したと言う人もいますが、何らかの先生はいるはずです。)

 ① 最初に学んだ事も年月が経つにつれて、往々にして忘れて仕舞う事も多い物です。

  例えば、自動車の運転免許を取る為に学科試験があり、受かる為に勉強をし交通規則を憶え

  ますが、合格すれば、綺麗さっぱり忘れて仕舞うのと同じです。なにかの際、教本を再度引っ張

  り出し読み直す事もあるかも知れませんが、そんな事はめったにありません。

 ② 「基本」から「自己流」に成るのは自然の事ですが、その方法の目的がしっかり理解出来て

  いれば、何時でも「自己流」を修正する事も出来ます。修正できる人が、「自己流」に進める

  権利が有るとも言えます。

4) 「自己流」には、ご自分で発見したやり方と、第三者の真似まがいの「自己流」があります。

 ① 前者の場合には、創造性を含む場合がありますので、大いに歓迎しますが、後者の場合には

  大きな疑問が生じます。

 ② その第三者に直接学んだ真似であれば問題は少ないのですが、見様見真似の「自己流」は

  危険が一杯です。即ち「まがいもの」ですので、自分で勝手に解釈しているからです。

  第三者の真似まがいの例として、書籍やテレビ等で映し出された映像の真似があります。

  実演者が手早く綺麗な形の器を作っている場合、手や指や用具類を実演者と同じ様にすれば

  自分でも出来ると勝手に思って仕舞う事があります。実演者はなぜその様な方法を取るのかは

  完全に理解しているはずです。物真似者は表面的な様子を見るだけです。 

 ③ 特に、今までのやり方と異なる技法をやってみたいと思うのは良いのですが、付け焼刃的では

   上手くいきません。

5) 必ずしも多くの技術(技法)は必要有りません。 

以下次回に続きます。
 
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焼き物の着物(色彩)63 古備前10(海揚り)

2014-04-21 21:46:57 | 陶磁器と色彩
7) 備前焼の海揚りに付いて。

 海揚り(うみあがり)とは、数百年の昔に難破し沈没した船の積荷が、引き揚げるられた事で

 その積荷を海揚り品といいます。

 ① 海中より古備前を発見。

  1919年(大正8年)岡山県玉野市宇野の沖合いに浮かぶ、香川県の直島(なおしま)の北側の、

  海中より漁師が、古備前を発見します。この付近で難破した船に古備前が積まれている事が

  予想されました。但し、その後も難破船は発見されていません。

  引き揚げ作業が本格化するのは、岡山県の医師の陶守三郎氏が潜水夫を雇い、捜索活動が

  始まる昭和15年(1940年)からで、以後数度に渡って引き揚げ作業が続きます。

  引き揚げられた備前焼は、「上陸備前」又は「海揚り(古)備前」と呼ばれる様になります。

 ② およそ400年前の桃山~慶長年間に伊部で仕入れた備前焼を満載した大型船が、伊部

  近くの片上港から出航します。しかし、瀬戸内海を航行中に何らかの原因で転覆、沈没した物と

  思われ、積荷が海に没します。

 ③ 積荷は桃山~慶長時代に焼かれたと思われる古備前の品々で、鶴首、徳利類、擂鉢、皿類、

   大甕(高さ 112.1cm、口径 65.1cm、胴径 82.0cm)など、二百数十点に及びます。

   その中には、お預け徳利、鶴首徳利、芋徳利、大皿、ハ寸など伝世品に無いものもあり、

   この発見で新たな作品の存在が知られる様になります。

  ・ 長年の間、海底の泥の中に埋もれていた為に保存状態も良く、味わいのある陶肌が人気を

    呼びます。特に徳利などの酒器が好事家の間で、垂涎の的になっています。

  ・ 中でも「鶴首徳利」は現存数が少なく二十数個と貴重な存在です。全て緋襷の海揚がりの物

    です。その姿は優美で、作行は丁寧です。又高台は備前では稀な碁笥底に成っています。

   その他に、以前紹介した、緋襷の大皿も含まれています。

   これらの品々から、桃山備前の時代区分が、より詳細になったと言われています。

  ・ 残念な事は、海揚り品の多くは、十分な調査や記述を残さずに、四散してしまった事です。

 ④ 水の子岩海底遺跡に付いて。

  ) 発端:1977年(昭和52年)ダイバーが完形品を含む備前焼と見られる陶片群を発見し、

    一部を岡山県立博物館に持ち込みます。翌年1月に予備調査が行われ、備前焼の完形品や

    船のバラスト用の河原石などが確認されます。

    発見場所は、香川県小豆郡内海町の海上の、通称“水の子岩”と呼ばれる岩礁近辺の

    水深20~40mの場所です。岩礁下に散布していた状況から、伊部の片上港を出港し、

    「水の子岩」に激突して、遭難した船の積み荷であったろうと推測できました。

  ) 同年(1978年)4月に「水の子岩学術調査団」が結成され、本格的な調査がスタートします

    引き揚げられた遺物は、備前焼の鉢や壷、大甕など10器種210点、金属製品や石製品なども

    含まれていました。これら備前焼は同一時代の生産と見られるとの事です。

  ) これらの陶器は、畿内周辺で使われていた陶器と同じである事から、南北朝の頃の生産

    でると判明します。

  ) 遺構概要: 香川県小豆島の東方沖6km、海底20~40mの地点。

     遺物概要 : 擂鉢77個、捏鉢2個、大型壺68個、中型壺2個、各種の甕類ほか大量の陶片

    などです。生産は、南北朝時代(備前初頭)に属すると考えられています。

 尚、海揚り品は備前焼に限らず、他の海域でも発見されていますし、今後新たに発見される事も

 予想されます。

 今回で古備前の話を終わります。
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焼き物の着物(色彩)62 古備前 9(牡丹餅、緋襷)

2014-04-20 20:43:39 | 陶磁器と色彩
6) 備前焼の着物。(前回の続きです)

 ① 備前手(近年窯変手と呼ばれています): 古備前と呼ぶ場合、この手の焼き物を指すのが

   一般的です。その特徴は以下の通りです。

 ) 備前手の種類。

  e) 牡丹餅(ぼたもち)と伏焼(ふせやき)、及び特殊の焼き方。

   イ) 牡丹餅とは、棚板が使われていなかった昔の窯では、多くの作品を重ね焼きをして

    いました。特に無釉の場合には、作品同士がくっつく恐れが少なく、直接重ねる事が

    可能な為、一般に行われています。

    大きな皿や鉢などでは、その内側に徳利や盃、茶碗などを載せて焼成しました。

    載せた跡は、赤く残り他の部分には灰が掛かり、胡麻などが出ますので、明らかな差が

    出ます。特に載せた作品の底が丸い場合には、赤い丸い模様になります。

    この模様(景色と言います)が牡丹餅の様に見える処より、この名前があります。

   ・ 牡丹餅文様は、中心部と周辺部では色の違いがあります。中心部は火に直接触れま

     せんが、重ね合わせの周辺部分では、若干火に触れますので、発色に差がでます。

   ・ 施釉陶器でも重ね焼きを行いますが、その際には、「目」を立てて浮かせて重ねます。

     それ故「目跡」が残ります。

   ロ) 伏焼とは、壷や瓶などの首の部分に、湯呑や筒壷などの作品を伏せて載せて焼成

     すると、その部分が火に触れずに、赤く(又は下とは異なる色に)発色する事になり

     ます。伏せる際、重ね合わせの部分に藁(わら)を巻きつけると、後で述べる緋襷

     (ひだすき)が出る場合があります。

   ハ) 特殊な焼き方として、施釉陶器では不可能な、作品を横に倒して焼成する方法があり

     ます。下になった部分は火が当たりませんので、赤く発色し、他の部分は胡麻が掛かり

     ます。使う際には立てて使用しますので、片側のみに赤が出現する事に成ります。

 ② 緋襷(ひだすき)

   緋襷にするには、胡麻が掛からない様に「匣鉢(さや)」に納めて焼成する必要があります。

  ) 備前焼は無釉の陶器ですので、原則的には、何枚も重ね焼きが可能になります。しかし

   実際には重ね合わせると、作品の重みで口縁などに加重が掛り、破損する恐れもありす。

   その為、藁(わら)を巻き付てクッションを入れる事で、下部の口縁に掛かる荷重を軽減し

   ました。又、高温で素地はある程度軟らかくなり、密着した部分で焼き付く場合も有りました

   これを防ぐ為にも、密着し過ぎない無い様に作品に藁を巻く必要がありました。

  ) 藁の当たった部分が緋色に発色する場合があります。これを緋襷と呼んでいます。

    但し、赤い緋襷以外にも、黒っぽい緋襷や鼠色掛かった色になる緋襷も出現します。

    更に、藁を巻けば緋襷が、必ず出現する訳ではありません。

  ) 赤く発色するのは、藁に多く含まれる珪酸と、素地の鉄分との化学反応の為です。

    窯の雰囲気にも左右され、酸化焼成の方が発色し易いと言われていますが、強酸化では

    緋色が出ないとの事です。即ち、火の焚口の近くより、離れた場所が適します。

  ) 当然、素地も選ぶ必要があります。伊部の土の様に非常に粘度が強い、黒土が適します。

    信楽や志野土(もぐさ土、五斗蒔土など)等も火色が出易いとの事です。

  ) 偶然見付けた技法ですが、現在では人工的に緋襷を作る方法もあります。

   a) 藁に食塩水(塩化ナトリウム、塩化カリウムなど)を掛けてから(又は浸してから)

     作品に巻き付けると緋色が出るそうです。

     尚、藁は十分に叩いて軟らかくしておくと、使い易くなります。

   b) 白い粘土の素地に、食塩水に溶いた酸化鉄(弁柄など)を霧吹(噴霧器)で吹きかけ

     焼成する事で、緋色に発色させている人もいるそうです。

  ) 緋襷は薪窯で発色させますが、ガス窯で焼成している人もいます。

     焼成温度も大切です。1220℃程度が最適で、それ以上に成ると鉄分が飛び、色が消えると

     話す作家さんもいます。

 ③ 伊部手。 以前お話した様に、塗土した作品に胡麻の掛かったもので、窯変手と異なり紫褐色

   に焼上がった物が多く、器肌は滑らかに成っています。尚、匣鉢(さや)詰めで焼成し、

   胡麻が掛からない様にした作品も、伊部手と言います。

   江戸初期頃から、茶人の間で流行し伊部で大量に作られる様になります。

以下次回(海揚り)に続きます。
   
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