わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

民藝 2(趣意書全文1)

2011-08-31 22:00:43 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
趣日本民藝美術館設立趣意書に付いては、抜粋や概略を紹介している場合が多く、全文を読む機会は

少ない事と、思います。

 偶然、全文が掲載されている、書籍を見つけましたので、この機会に引用掲載した次第です。

◎ 日本民藝美術館設立趣意書 「趣旨」

 時充ちて、志を同じくする者集り、茲に(ここに)「日本民藝美術館」の設立を計る。

 自然から産みなされた健康な素朴な活々(いきいき)した美を求めるなら、民藝 Folk Art の世界に

 来ねばならぬ。 私達は長らく美の本流がそこを貫いているのを見守って来た。

 併し(しかし)不思議にも此世界は余りに日常の生活に交わる為、却って(かえって)普通なもの

 貧しいものとして、顧みを受けないでいる。誰も今日迄その美を歴史に刻もうとは試みない。

 私達は埋もれたそれ等のものに対する私達の尽きない情愛を記念するために茲に此美術館を

 建設する。必然蒐集(しゅうしゅう)せられる作は、主として工藝 Craft の領域に属する。

 それは親しく人の手によって作られ、実生活の用具となったものを指すのである。

 わけても民衆に用いられた日常の雑具である。それ故恐らく誰の目にも触れている品々である。

 併し(しかし)今日迄その驚くべき価値を反省した人は殆んど(ほとんど)ない。

 人はかかるものに如何(いか)なる美があるかをさえ訝る(いぶかる)であろう。

 併し此美術館の成就に於いて、凡ての危惧は一掃せられるにちがいない。

 それは新しき美の世界の示現(じげん)として、予期し得ない驚きを賜るであろう。

 私達の選択は全く美を目標とする。私達が解して最も自然な健全な、それ故最も生命に充(み)ちると

 信じるもののみを蒐集する。私達はかかる世界に美の本質があることを疑わない。

 従って此美術館は雑多なる聚集(しゅうしゅう)ではなく、新しき美の標的の具体的提示である。

 私達はかかる美が、寧ろ(むしろ)美術品と見做されているものに少なく、却って雑具として

 考えられる所謂(いわゆる)「下手(げて)」のものに多いのを看逃す事が出来ない。

 もとより美は至る所の世界に潜む。併し概して「上手(じょうて)」のものは繊弱に流れ、技巧に

 陥り、病疫に悩む。之(これ)に反し名無き工人によって作られた下手のものに醜いものは甚だ

 少ない。そこには殆ど作為の傷がない。自然であり無心であり、健康であり自由である。

 私達は必然私達の愛と驚きとを「下手のもの」に見出さないわけにはゆかぬ。

  のみならずそこにこそ純日本の世界がある。外来の手法に陥らず他国の模倣に終わらず、凡て

 (すべて)の美を故国の自然と血とから汲んで、民族の存在を鮮やかに示した。

 恐らく美の世界に於いて、日本が独創的日本たる事を最も著しく示しているのは、此「下手もの」の

 領域に於いてであろう。私達は此美術館を日本に残す事に栄誉を感じないわけにはいかぬ。

  幸いにも私達はそれ等の美を認識し得る時代に達した。又それ等の美を要求する時代に活きる。

 彼等は愛せられる為に、長い間私達を待っていた様にさえ考えられる。若し(もし)私達が

 今それ等のものを集めずば、凡てのものは注意される事なく失われてい行くであろう。

 何故ならそれらは今日迄一般からも鑑賞家からも歴史家からも、省みを受けていないからである。

 同時に価値なく考えられている為、今尚巷間(こうかん)に散在し、その市価はまだ極めて

 低廉である。而も(しかも)日常の用具であったから、数に於いても乏しくはない。私達は

 今此絶好の機会を捕えて、それ等のものを蒐集しようとするのである。

  民藝の美には自然の美が活き国民の生命が映える。

  而も工藝の美は親しさの美であり潤いの美である、凡ての作為に傷つき病弱に流れ情愛が

  涸死してきた今日、吾々は再び是等の正しい美を味わう事に、感激を覚えないであろうか。

  美が自然から発する時、美が民衆に交わる時、そうしてそれが日常の友となる時、それを正しい

  時代であると誰か云い得ないであろう。私達は過去に於いてそれらが あった事を示し、

  未来に於いてもあり得べき事を示す為に、此「日本民藝美術館」の仕事を出発させる。


   大正十五年四月一日

        富本憲吉 

        河合寛次郎 

        濱田庄司  

        柳宗悦 
 

 注: 掲載した文章は、柳宗悦の原文を現代の用法に合わせたものでです。

 引用は、「用の美」<上> 柳宗悦コレクション 日本の美  監修:日本民藝館 より

以下次回に続きます。
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民藝 1(民藝運動、各地の民藝館)

2011-08-30 17:53:33 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
民芸とは、「民衆的芸術」の略で、大正~昭和に掛けて、柳宗悦(やなぎむねよし)(1889~1961年)が

唱えた美術運動です。

1) 民藝運動とは 

  彼は、民衆の日常生活の中にこそ、生きた本来の工芸の美が有ると述べ、この民芸の精神に

  適う、焼き物作りを目指し、活動を始め、各地の焼き物なども、紹介し、蒐集し始めます。

  (尚、彼は、陶磁器以外にも、漆器、家具、調度品、衣、着物、屏風、彫刻、絵画、書など、

   多方面に渡り、関心を寄せ、蒐集しています。)

  柳の行動に共感したのは、富本健吉、河合寛次郎や浜田庄司、英国人のバーナード・リーチ等でした。

  大正15年4月1日に、「日本民藝美術館建設趣意書」を、上記4名の名前で、発表します。

  柳以外は、陶芸家として、著名な人々です。

  (注: この趣意書の全文は、次回に掲載する予定です。)

  此の中で、本当の美は、美術品の中にあるのでは無く、庶民が日常に使っている、雑具の中に在ると

  見なしており、所謂(いわゆる)「下手(げて)」の物に、多くの美が見受けられる事を、発見したと、

  述べています。

2) 彼らは、地方の小さな窯場を訪れ、指導すると共に、そこで作られていた、日用雑貨を、

  「用の美」として、全国に紹介します。

  それらの窯の中には、「益子焼」(栃木県)、「壺屋焼」(沖縄県)、「小鹿田(おんた)焼」(大分県)

 「出西(しゅせい)焼」(島根県)、「布志名(ふじな)焼」(島根県)、「袖師(そでし)焼」

 (島根県)などが有ります。

3) 日本民藝館開館

  昭和11年(1936年)10月に(東京都目黒区駒場4-3-33)民芸館は開館され。初代館長に

  柳宗悦が、就任します。以降、ここが、民藝運動の、本拠地になります。

 ① 蒐集品を展示

   名も無き工人達の手によって生まれた、「日用雑器」に美を見出し、蒐集した品数は、万余を

   超えます。これらは、「健康の美」「正常の美」と言う、価値基準と、美の基準によって、

   集められており、日本民藝館に展示されています。

 ) 展示室ごとに、陶磁器、染織、李朝工藝、木漆工などを、中心に常時500点程を公開し、

   3ヵ月毎に陳列替をしています。

   休館日:月曜日(祝日、振替休日は開館、翌日閉館)開館時間:10時~17時

   TEL: 03(3467)4527

 ) 民藝運動に共感して、各地方にも、民藝館が設立されます。

  a) 松本民芸館:1962年開館。 丸山太郎氏のコレクション

    長野県松本市里山辺下金井 1313-1 TEL: 0263 (33) 1569

  b) 富山市民芸館: 染織品、金工品など、普段使いの品々を展示。

    富山県富山市安養坊1104(富山市民俗民芸村内)TEL: 076 (431) 6466

  c)日下部民藝館: 江戸時代の御用商人の、日下部家の町家住宅(重文)を利用した民藝館。

    土蔵の展示室に、日下部家の貴重な品々が、公開されています。
     
    岐阜県高山市大新町 1-52 TEL: 0577 (32) 0072

  d) 豊田民藝館: 三つのテーマ館からなり、第一民藝館は、東京目黒の日本民藝館の一部を

    移築復元したもの。

    愛知県豊田市平戸橋町岩波86-100 TEL: 0565 (45) 4039

  e) 京都民藝資料館: 1981年開館 陶磁器、染織品などの、工芸品を展示。

    京都市左京区岩倉幡枝町28-1 TEL: 075 (722) 6885
 
  f)大阪日本民藝館:1970年の万国博覧会の際、日本の民藝を出品したのを機会に、西の拠点として、

    開館したもの。春秋の2回特別展を開催しています。

    大阪府吹田市千里万博公園10-5 TEL: 06 (6877) 1971

  g) 倉敷民藝館: 1948年開館。江戸時代末期の米倉を、改装したもので、建物自体が民藝品

    です。 年に3度の、展示の入れ替えがあります。

    岡山県倉敷市中央1-4-11 TEL: 086 (422) 1637

  h)出雲民藝館: 出雲の豪農、山本家の屋敷を民藝館として使用。

    漆器、木工品などの生活工芸品を展示。

    島根県出雲市知井宮町628 TEL: 0853 (22) 6397

  i) 鳥取民藝館: 民藝運動に共感を得た、地元の吉田氏により開館。

    山陰地方に伝わる古い民藝品を展示。

    鳥取市栄町651 TEL: 0857 (26) 2367

  尚、休館日、開館時間などを知りたい方は、各地の民藝館に、お問い合わせ下さい。

以下次回に続きます。
   
  参考資料: 「用の美」<上> 柳宗悦コレクション 日本の美  著者:日本民藝館

       (株)世界文化社 発行
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泥だんごを作る3

2011-08-27 21:36:02 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
子供は、泥遊びや、水遊びが大好きです。それ故、「泥だんご」作りに夢中に成りますが、艶のある、

綺麗な球に仕上げる事は、かなり難しい作業です。場合によっては、大人などが助言する必要も

有るかも知れません。子供同士、仲間と一緒に「泥だんご」作りをすると、教え合ったり、おしゃべり

しながら遊べ、「あ!」と言うまに、時間が過ぎてしまいます。

7) 色付きの「泥だんご」を作る方法

 ① 最初から、色の付いた土を使う

   赤土や、黄土などの土を使えば、色付きのだんごを、作る事が出来ます。

   土台に成る土は、何処にでもある土を使い、「さら粉」のみを、色土にしても良いです。

 ② 土に色を付ける(さら粉のみ)

  ) 好みの色を付けたい時には、(水彩)絵の具を使います。

    即ち、チューブに入っている絵の具を、絞り出し、乾燥させてから、(乳鉢などで)磨り潰し

    「さら粉」に混ぜます。絵の具の量で、濃淡が出ますので、好みの濃さにします。

  ) 弁柄や黄土、更には木炭があれば、磨り潰して「さら粉」に混ぜます。

 ③ 色土を数種類使うと、工夫次第で、色々な色文様が出来ます。

8) 光らせる為のコツ

 ① 土台になる球体の表面が、凸凹していない事。

   土に石英などの、鉱物が含まれていたり、振り掛けた土が、均等では無かった場合や、振り掛けた

   土の荒さに、差が有った場合等の外、磨きが不均一の場合でも、光沢は出ません。

 ② 皮膜を作る際、力が弱かったり、手のひらが、綺麗でなかったりした場合です。

 ③ 磨きの際、適度の湿気が必要です。乾き過ぎてから、磨いても光沢は、出ません。

 ④ 磨く程、光沢は出てきます。特にゆっくり時間を掛ける事と、強く布で擦る(こする)事です。

   即ち、球の表面に載っている、土の粒子を、均一にする事と、球に密着させる事です。

   尚、磨く時間は2~3分を10~20回程度繰り返します。

9) 製作途中で、球が割れたり、皮膜が剥がれたりした場合。

   出来れば、修復したいのですが、思い切って最初からやり直す方が、時間的にも早く、綺麗に

   仕上がります。修復しても、上手くいかない事が、多いです。

10) 小さな球が出来る様になると、大きな球を作りたくなりますが、大きくなれば失敗する確率も

   多くなります。特に、子供の手のひらに、載らない程度まで大きくなると、玉をしっかり握り

   締める作業も、困難に成ります。締めが弱いと、割れの原因になります。

11) 「泥だんご」を作るのにかかる、おおよその時間は、以下の様です。

  ① 土台作り: 5~10分

  ② 球体作り: 30分

  ③ 仮皮膜作り: 15分

  ④ 皮膜作り: 1~3時間程度(500回程度、手の中で、回転させると、良いとの事です。)

  ⑤ 休み時間(湿気を表面に出す為): 2~3時間程度

 結局、一日仕事に成りますが、皮膜作りや、⑤の休み時間などは、日を改めて、作業を続行する事も

 可能です。但し、球が極端に乾燥すると、光沢が出なくなる場合もありますので、保管に注意が

 必要です。


以上で、「泥だんご」作りの話を終わります。

次回から、別のテーマでお話します。
   
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泥だんごを作る2

2011-08-26 21:32:36 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
小学生の頃作った「泥だんご」は、ほとんど光沢も無く、完全な球(丸)でも無かったが、今でも

作った時の感覚は、憶えています。

 作り方の話を続けます。

4) 仮皮膜を作る

  だんごの表面に、仮皮膜を作ります。仮皮膜は最初の皮膜で、徐々に綺麗な皮膜にしていきます。

 ① 細かい土(さら粉ではない)を「だんご」に、振り掛け、良く擦り(こすり)ます、力が入り過ぎて

   表面に、傷を付けたり、「ひび」や「割れ」を、起こさない様にします。

   時々「だんご」を握り締め、振り掛けた土が、密着する様にもします。

 ② 万遍なく、球の局面に沿って、擦ります。

   この動作を続けると、表面に細かい砂粒の付いた、丸い玉に成ります。

5) 本格的な皮膜を作る

   「さら粉」(粉土)を撫ぜ付けて、皮膜を作っていきます。

   「さら粉」は、完全に乾燥した細かい土で、土のある所では、容易に見つける事が出来ます。

   即ち、土面の表面に載っています。手のひらで、地面を撫ぜると、手が白く汚れますが、これが

   「さら粉」と成ります。小石や砂粒が、手のひらに付かない様にします。

 ① 「さら粉」は、振り掛けずに、手のひらで、撫ぜる様にして、「だんご」に擦り込みます。

   「だんご」の表面は、まだ湿り気がありますので、一度に多くの「さら粉」を付けると、

    表面が凸凹に成りますので、注意が必要です。

 ② 手のひらに付ける「さら粉」の量を多くしながら、力強く「ゴシゴシ」と球を磨きます。

   球は片手に持ち、回転させながら、他の手に「さら粉」を付け、強く擦ります。

   特に、親指の腹で擦ると、有効です。

 ③ 手には、絶対水をつけてはいけません。乾いた手で作業する事です。

   水を付けると、皮膜が剥がれます。

 ④ 擦る力が弱いと、茶色っぽくなり、適度の力の場合には、黒っぽくなります。

   しばらくすると、白っぽい部分が、現れますので、一度作業を、中断します。

 ⑤ ここまでの時間は、約1時間程です。

6) 休み(養生)と、磨くを繰り返す。最後の工程と成ります。

  球の内部の水分を、表面に滲み出させ、布で磨きます。

 ① ビニール袋に入れ、口を閉じるて、軟らかい布(雑巾、タオルなど)の上に置きます。

   形が崩れない様にする為です。

 ② 1~2時間すると、内部の水分が、表面に現れ、濡れた状態に成ります。

   この水を少し乾燥させてから、目の細かい布(ややザラツイタ感じ)で、少しずつ擦ります。

   すると、少し光沢が出るはずです。

 ③ 再度ビニール袋に入れ、表面に湿気が出たら、取り出し、再度布で磨きます。(擦ります)

   この作業を数回、繰り返します。少しずつ、光沢が出てきます。

   磨く時間は2~3分とし、その後、ビニールに入れます。

 ④ 空気が入り込み、皮膜が浮き上がらない様に、時々握り締める必要があります。

   急な乾燥は、ひび割れの原因になりますし、手のひらの温度も、結構高く、乾燥を促進します。

   それ故、常温(室温)で、ゆっくり乾燥させます。

 ⑤ 回数を重ねるほど、艶が出てきます。

   満足のいく状態で、作業は終わりに成ります。

   但し、まだ十分乾燥していませんので、傷が付き易いですので、保管場所に注意が必要です。

 ⑥ 完全に乾燥すると、濡れた手で触らない限り、何処に置いても安全です。

   完成した、「泥だんご」の光沢は、数十年間変わらないとの事ですが、2~3日で、光が

   無くなる場合もあります。これは、完成が不十分で、内部から水が滲み出て、皮膜が歪んだり、

   皮膜作りの力が弱いなどが、原因と思われます。

以下次回に続きます。
 
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泥だんごを作る1

2011-08-25 22:01:29 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
少し堅い話が続きましたので、陶芸とは離れた話をします。

私事ですが、昭和20年代~30年代の、小学生時代に、泥だんご(団子)を作った記憶があります。

粘土質の土でなく、普通の土を使っていたと思います。

当時は、まん丸にする事、だんごが崩れない事、光沢がある事と、短い時間内に作り上げる事が、

要点で有った様な気がします。先輩の作り方を、見よう見まねで、作っていました。

・ たまたま、「泥だんご」の本を、見かけましたので、ページをめくってみると、「ぴかぴ」かに

  光らせる方法が載っていて、陶芸とは直接関係ありませんが、興味を覚えましたので、

  今回テーマとして、取り上げた次第です。

  今回参考にさせて頂いた本は、「光れ!泥だんご」講談社 監修/ 加藤文男さんの本です。

 尚、「日本泥だんご科学協会」なる組織があり、「泥だんご」の作り方などが、掲載されています。

   興味のある方は、ご覧下さい。

   ホームページは: www.wa.commufa.jp/andsdoro/

「泥だんご」の作り方は、以下の様な手順で行います。

1) 準備する物

 ① 何処にでもある、普通の土(粘土質である必要はない)

 ② 水: 土を、泥状にする為に使います。

 ③ 乾いた土(さら粉と言う): 上記の土と同じで、目の細かい物
 
 ④ 布: だんご(玉)を磨く為の、目の細かい布が良い

 ⑤ 雑巾、タオル: 製作途中の玉を、包んで保護する

 ⑥ ビニール袋: 袋に入れ、乾燥し過ぎない様に、割れやひびを防ぎます。

   玉を養生(ようじょう)させる為でもあります。

 ⑦ 箱や牛乳パックなど: 玉を保管しておく所。

2) 普通の土を使て、「泥だんご」の土台を作る。

  粘土を使えば、光沢のある「泥だんご」を作る事は、比較的容易に作れますが、何処にでもある土を

   使うと成ると、光沢を出すのに苦労します。

  ① 何処にでもある土を使いますが、ゴミや小石、植物の根っこなどが、入っていない方が

    良いのは、勿論の事ですが、製作途中で、除去する事も出来ます。

  ② この土で、「泥だんご」の芯を作ります。

    上記土を、容器に入れ、水を加えて泥状にします。

    水加減は、指の間から泥が、流れ落ちる程度です。

  ③ 泥を片手ですくい上げ、水を抜き、両手で強く握り締めます。最初は量を少なくして、

    小さなだんごの方が、やり易いです。握り締めて、空気を抜き、更に丸く(球体)にします。

    全体に万遍無く、力を加え、まん丸にします。

    この丸くする作業は、結構難しい作業です。両手を向かい合わせに、水平に広げ、その間に

    「だんご」をはさみ、両手を回転させながら、丸くします。ある程度丸くなったら次の工程に

     移ります。

  ④ この際、表面に付いた、細かいゴミや小石は、取り除きます。

3) 球を作る

  ① 球を回転させながら、乾いた土を振り掛ける。

    球は片手に持ち、親指の付け根を、撫ぜる様にしながら、回転させます。

  ② 振りかけた余分な土は、振り落とします。

    軽く手で拭き取る様にし、手のひらで回転させます。

  ③ 振り落としたら、又土を振りかけ、この作業を繰り返し、徐々に振りかけた層を、厚くして

    ゆきます。

  ④ 振りかけた土の層には、空気が入り込んでいますので、両手でやや強く握り、空気を追い出します。

  ⑤ この時点で、だんごに、凸凹がない様にします。後から凸凹を取り去るのは、困難です。

    根気良く、丸くする行為を続けます。

  ⑥ 最後に振りかけた土を、吹いて全部吹き飛ぶ程度に、乾燥したら、ひとまず、終わりです。

4) 仮皮膜を作る

以下次回に続きます。
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朝鮮の陶磁器(粉青沙器3)

2011-08-24 22:30:01 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
3) 高麗茶碗 (こうらいちゃわん)

   朝鮮の陶磁器は、我が国にも、大きな影響を与えます。

   特に、茶の湯の世界では、高麗茶碗と呼ばれる、抹茶々碗が渡来し、茶人の間で、珍重されます。

 ③ 三島手: 室町末頃から、井戸茶碗とともに、人気を博した茶碗です。

   粉青沙器の一種で、素地に印刻した後、白土を掛け、白土を拭き取ると、刻印部分に模様が白く

   浮き上がる技法で、三島、彫り三島(掻き落し)、刷毛目三島、花三島などがあります。

    (尚、三島の名前は、我が国で付けられたものです。)  

  ) 三島手: 素地に木型の小紋を、連続的に刻印し、白化粧土を掛けてから、拭き取り、文様を

    象嵌風に白く表します。 李朝初期~中期にかけて、朝鮮南部一体で焼かれたものです。

    秀吉の文禄慶長の役で、窯場は荒廃し、次第に衰退していきます。

  ) 刷毛目三島: 三島の最後の工程を、省略した物とも思われます。

    即ち、白土を拭き取らずに、仕上げたものです。

    尚、刻印文様の無い、無地刷毛目茶碗もあります。約束事として、外側腰以下は、刷毛目が

    無い事です。 時期的には、三島手と同じで、同じ窯で焼成されたと思われます。
 
  ) 花三島茶碗(李朝): 花文様を全面に印刻し、白化粧土を掛けた茶碗です。

     文様は、梅花、菊花や四弁の花文などが、帯状に2~5段連なっています。

     中には、象嵌模様を併せ持った、茶碗もあります。

 ④ 粉引茶碗(又は粉吹茶碗): 三島手との違いは、白土の掛け方の差です。

   白土を、釉薬と同じ様に、流し掛けたり、漬け掛けして、表面に塗ります。

   素地は、黒褐色の肌理の細かい土で、薄作りの作品が多いです。

   又、景(けしき)として、故意に火間(ひま)を作っている場合が多いです。

   火間とは、茶碗の外側に、長めの三角形の塗り残しを、作るものです。

   更に、雨漏りと称し、一種の「しみ」が浮き出てくるのも、景として茶人に喜ばれます。

   茶碗のみならず、懐石で使用される、徳利もあります。

   著名な粉引茶碗に、鴻池伝来の銘「宇治山」があります。

 ⑤ 堅手茶碗(かたてちゃわん): 粉引と同様に厚めの、白土が掛かっています。

   名前の由来は、手触りが堅い事(磁器質)からと、言われています。

   李朝初期~中期にかけて、慶尚南道の河東や、金海などの窯で、焼かれたものです。

  ) 古堅手は特に、人気があり、作行は軽快で、轆轤目が目立ち、竹の節高台で、梅花皮

   (かいらぎ)もあり、雨漏りと言い紫色の「しみ」は、茶人に珍重されます。

  ) 釜山近郊の金海窯産は、金海堅手と呼ばれ、ピンクの斑文(御本と言う)が出ていつ物が

     多いです。釉は潤いのある柔和ですが、貫入が荒く入っています。

  ) 堅手茶碗の名品に、銘「神無月」があります。

 ⑥ 我が国でも、白化粧土を使った、茶碗が作られる様に成ります。

   朝鮮の窯場が、秀吉の出兵で、大打撃を受け、粉青沙器は生産を止めてしまいます。

   その為、茶人の需要に応じる為、我が国でも製作される様に成ります。

  ) 江戸前期に、古八代焼(高田焼=こうだやき)で青磁象嵌筒茶碗が、焼かれています。

     銘「雲鶴」、銘「千代鶴」などがあります。

     又、江戸後期には、赤膚焼でも、三島写象嵌文茶碗を作っています。

  ) 古曾部焼(高槻市古曾部)、柳原焼(久留米市柳原)などで、江戸後期に、李朝の刷毛目写

   茶碗が作られています。その他、京都の青木木米も、刷毛目写茶碗を作っています。


以上で、朝鮮の陶磁器の話(粉青沙器)を、終わります。

次回より別のテーマで、お話しする予定です。
   
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朝鮮の陶磁器(粉青沙器2)

2011-08-23 22:04:58 | 世界の陶磁器の歴史
 粉青沙器(ふんせいさき)の胎土は、青磁の土と同じものですが、釉は青磁釉より淡い、淡青色を

 帯びた、灰白色か淡青や淡黄褐色で、おおむね、淡く透明な白色に近い色のものが、多いです。

 初期の頃は、部分的に使われた白化粧土も、次第に器全体を、埋め尽くす様に成っていきます。

 即ち、行く着く先は、白磁と成るのは、当然とも言えます。

 各地の地方官窯の作品が、地方の官邸で、使用されると同時に、中央王室や官庁では、広州官窯の

 作品が使われる様になります。

2) 壬辰和乱 (じんしんわらん) 1592~1598年

 ① 豊臣秀吉は、国内を統一後、朝鮮に出兵します。これが、「文禄、慶長の役」と呼ばれる戦争です。 

   この戦乱で、朝鮮の多くの窯場は、大打撃を受けます。特に多くの陶工が、日本に拉致されます。

 ② 相当期間、窯は再開されませんでしたが、広州官窯だけが、中央官邸などの、作品を作る為に、

   再建されます。優秀な陶工が、特別待遇で、集められ規模を拡大してゆきます。

 ③ 乱の前に生産されていた、粉青沙器は、乱後には、ほとんど生産されず、白磁のみが生産が

   再開されます。 粉青沙器は、この時点で消滅していきます。

3) 高麗茶碗 (こうらいちゃわん)

   朝鮮の陶磁器は、我が国に大きな影響を与えます。

   特に、茶の湯の世界では、高麗茶碗と呼ばれる、抹茶々碗が渡来し、茶人の間で、珍重されます。

   高麗茶碗の中でも、室町末の早くから格別に、尊びられていたのは、井戸茶碗です。

   俗に「一井戸、二楽、三唐津」と言い、茶人の人気を集めます。

   以下、粉青沙器に関係する、茶碗についてお話します。

 ① 高麗茶碗とは、高麗時代(918~1392年)の茶碗の意味ではなく、朝鮮の茶碗の意味で、

   当時朝鮮を、高麗と呼んでいた名残です。

   次に述べる、古雲鶴青磁(こうんかくせいじ)以外は、ほとんどが、李朝時代の作です。

   高麗茶碗も、中国の茶碗と同じ様に、唐物茶碗に分類します。

 ② 古雲鶴茶碗 (高麗時代)

   江戸初期にも、我が国から朝鮮に、雲鶴手の茶碗が発注されますが、釉の色や、形も異なります。

   これと区別する為、高麗時代に作られた、雲鶴青磁を、古雲鶴と呼びます。

   (尚、江戸期の物には、見込みに篆刻風の、押し印があります。)

   多くは、筒型茶碗で、白、黒土の象嵌青磁です。雲鶴模様の物が多いですが、亀甲文などもあります。

  著名な茶碗としては、銘 「匹田筒(ひったつつ)」の古雲鶴青磁茶碗(京都の茶人匹田宗観所有)や

  李朝中期の、亀甲繋象嵌(きっこうつなぎぞうがん)の筒茶碗があり、薄く作られています。

 ③ 三島手: 室町末頃から、井戸茶碗とともに、人気を博した茶碗です。

以下次回に続きます。
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朝鮮の陶磁器(粉青沙器1)

2011-08-22 21:38:37 | 世界の陶磁器の歴史
朝鮮の象嵌青磁は、12~13世紀にかけて、全盛期を迎えます。

しかし、14世紀に成ると、優雅な翡色青磁や、精巧な象嵌青磁は、大きく変化して行きます。

即ち、販売の為の大量生産方式が取り入れられ、新しい器形や文様が増加してきます。

それに伴い、技術的に劣る作品が、多くなります。

15世紀中頃より、象嵌青磁から自然発生的に発生したのが、粉青沙器(ふんせいさき)です。

特に、15世紀前半に、多様な技術が開発され、16世紀前半に白磁が取って代わる間に、韓国陶磁器の

歴史上最も独創性を、発揮した陶磁器を、作る上げていきます。

1) 粉青沙器(ふんせいさき)とは

 命名は、意外と新しく1930年頃の書物(著者は、韓国の高某氏)に「粉粧灰青沙器(ふんしょう 

 かいせいさき)」と記述されていた物を、簡略して「粉青沙器」と呼び、これが学術用語になり

 一般に使わる様にます。

 ① 特徴

  ) 粉青沙器は、白土粉装技術と、その文様にあります。

  ) 胎土は、木節粘土で、長石を主成分とした、灰などの生釉です。

  ) 白土粉装の仕方によって、独自の美を表現しています。

    技法としては、象嵌技法、印花技法(三島)、彫花技法(陽刻、陰刻技法)、剥地(はくち)技法、

    鉄絵技法、刷毛目技法、扮装技法(粉引)など、種類は多様です。

 ② 象嵌技法: 青磁象嵌技法の延長上にある、技法ですが、文様や釉が異なります。

   即ち、文様も水辺の水禽(すいきん)類、蓮花文、魚龍文、唐草文と青磁象嵌の流れを、

   汲んでいますが、幾何学文、牡丹文、蓮弁文などもあります。釉は青磁ではありません。

   線象嵌と面象嵌の、二通りの方法がありますが、両方を組み合わせた作品もあります。

 ③ 印花技法: 小さな印を、器の全面を覆い尽くす様に捺し、その後、白土を塗り付ける技法です。

   小さな菊花文等の印を束ね、繰り返し捺印する事により、同じ文様を反復、繰り返しています。

   尚、我が国では、この方法を「三島」と呼んでいます。

 ④ 剥地技法: 我が国では、「掻き落し」と呼ばれている技法です。

   鉄分を含む胎土の表面に、白土を掛けた後、文様を描き、その背景部分を、削り取ります。

   胎土と白化粧土との、色の対比が効果を、引き立たせます。

   逆に、文様部分を掻き落し、背景部分を、白く仕上げる方法もあります。

 ⑤ 鉄絵技法: 胎土に白化粧を施し、その白い面に鉄(酸化鉄、弁柄など)で、文様を描きます。

   文様は、白地に黒や褐色で表れます。

 ⑥ 刷毛目技法: 筆や刷毛を用いて、化粧土を塗り、筋状に刷毛の通た跡が残り、文様に成ります。

   刷毛の動かす方向や、刷毛の細かさの種類、力の入れ具合の差によって、効果も大きく変化します。

   全面ではなく、数箇所を大胆に、描く事により、一層効果的に、表現されます。

 ⑦ 扮装技法: 我が国では、「粉引き」(こひき)と呼ばれる技法です。

   化粧土を、釉の様に使う方法です。即ち、化粧土を流し掛けしたり、漬け掛けて表面を覆う技法で、

   土の色を隠し、白に見せ掛ける為に行います。その後、施釉して焼成します。

  ・ 注意点は、化粧掛けするタイミングです。素地の種類と、乾燥度によっては、作品が完全に

    崩れる事も多いです。

以下次回に続きます。

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朝鮮の青磁2(象嵌青磁)

2011-08-20 22:23:30 | 各種の釉(鉄、銅、その他)
象嵌技術は、10世紀頃に出現し、11世紀後半より、盛んに製作される様になります。

更に、12~13世紀に、絶頂期を迎えます。

 初期の象嵌青磁は、皿の一部に、写実的な象嵌模様が描かれ、陰刻や陽刻で表されている部分に、

 施されていました。

 象嵌最盛期には、器の全体又は、内側にも施され、写実的文様から、図式的に様式化していきます。

1) 象嵌(ぞうがん)とは

 成形した作品の表面に、凹みを作り、異なった色土を詰め、凹み通りの模様を付ける方法です。

 ① 作品はやや厚めに作ります。文様を深く彫る為と、表面を一皮削る為です。

 ② 切れる刃物や、鋭く尖った釘などを使い、深く線彫します。(溝が浅いと、綺麗な文様がでません。)

   特に、切り口が丸くならない様に、エッジを立てる様にすると、文様が綺麗に仕上がります。

 ③ この溝に、やや硬めの白泥や色泥を、埋めます。

  ) 泥の収縮率は、胎土と同じように調整します。収縮率に違いがあると、乾燥時や焼成時に、

     文様との間に、「ひび」が入ります。

  ) 文様を引き立てる為には、素地の色と、泥の色の対比が大切です。

     なるべく、差を大きくして、鮮明差をだします。

  ) 泥はスポイトなどを使い、搾り出す様にして、塗り込みます。溝から「はみ出す」様にします。

     しばらくすると、泥が固まり、溝が現れますので、再度泥を塗り込め、盛り上がる様にします。

    場合によっては、この行為を数度繰り返す事も、稀ではありません。

 ④ 水気が引いたならば、竹へらで摺りこむ様にします。圧を掛ける事により、溝の中まで、隙間無く

   泥で埋める為と、文様自体に「ひび」が入らない様にする為です。

 ⑤ 表面をカンナで削り、文様を出します。

   文様の彫に、逆らわずに、丁寧に削らないと、文様が崩れます。

   轆轤では、綺麗に削れない場合も有りますので、その際には手作業で削ります。

2) 雲鶴(うんかく)青磁

  象嵌青磁の中でも、雲鶴文様は、好んで用いられていました。

  鶴は鳥類の長として、長寿の象徴であると供に、栄耀栄華と富貴を願う、図でもあります。

 ① 初期には、雲と鶴が斑(まだら)に配置され、余白を多く残していましたが、次第に一定の図案に

  成っていきます。

  即ち、上昇(飛翔)する鶴、水平飛行する鶴、下降する鶴が適宜配置され、その間に雲が描かれて

  います。

 ② 雲鶴青磁では、白泥と黒泥が使われています。

   即ち、雲と鶴の本体(頭、頸、翼)は白泥を使い、嘴(くちばし)と脚は黒泥を使っています。

   又、丸い円内に鶴が描かれている場合には、白い丸の内側に黒い線の丸が、描かれています。

 ③ 作品としては、梅瓶(めいぴん)が、有名で、年号など、銘文が記された物も多いです。

   この為、製作年代が判明し、技術史など、大いに参考になっています。

  (口縁が短く細く、その真下より大きく膨らみ、球形になり、下部に行くに従い細く、更に裾が

   やや広く成た形をしています。)

3) 青磁釉の調合は、長石系の釉で、暗緑色、緑色、黄褐色、緑褐色など、色の数は多いですが、

   釉薬に、3%程度の鉄分と、少量のマンガンとチタンを、添加しています。

   翡青磁は、マンガン>チタンの時、現れ易いとの事で、緑青磁では、マンガン<チタンと

   成るそうです。

4) その他の青磁

  ① 象嵌青磁は、雲鶴文様以外にも、色々な文様があります。

    牡丹(ぼたん)文、鳳凰文、唐草文、葡萄文、柳文、柳蓮文、柳蓮花文その他です。

  ② 青磁瓦(屋根瓦): 窯址から発掘される瓦片は、完成期の翡色釉よりも、明るくなっていました。

  ③ 金彩青磁:13世紀後半に成ると、作品は大型化し、図案も複雑化して、派手に成ってきます。

    金彩青磁は、象嵌文の外郭線を、鋭利に彫り込み、そこに金を挿入した物と、思われています。

以下次回に続きます。
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朝鮮の青磁1(高麗青磁)

2011-08-19 22:13:22 | 各種の釉(鉄、銅、その他)
中国の青磁は、近隣諸国に、大きな影響を与えます。特に朝鮮に於いては、中国の青磁を模倣しながら、

独自の青磁を作り上げて行きます。

 10世紀頃、龍泉寺窯の青磁が、黄海を渡って、朝鮮の高麗朝の、全羅南道康津郡大口面に、

 もたらせられ、ここに、中央政府が直接支配する、青磁を焼く窯が築かれます。

1) 高麗(こうらい)朝(918~1391年)

 ① 三国時代(新羅、高句麗、百済)には、1200℃以上に焼成できる窯が、存在していたそうです。

   中国六朝時代(439~589年)の青磁や黒釉が流入してきます。

   この初期の青磁は、胎土も不純物が多く、釉薬も滑らかではなく、緑褐色を帯びています。

 ② 作品も中国風(唐風)で、広口長頸瓶、広口長頸裳形瓶、口縁が内側に巻き込んだ大鉢や、

  外側に反った皿など、これ以降に見受けられない、作品も多いです。

 ③ 918年太祖によって、高麗は建国されます。政変も少なく、比較的安定し、文化水準も

   高かった様です。

 ④ 6代の成宗(981~997年)に、中央集権体制が完成し、地方豪族は新しい支配階級に成ります。

  宗と交易しながら、宋の北方の遼(りよう)とも、友好関係を保持します。

  宋の青磁を手本に、12世紀以降、翡色(ひしょく)青磁や、象嵌(ぞうがん)青磁など、

  独自の高麗青磁を、発展させていきます。

2) 高麗陶磁器

   高麗陶磁器の種類は、青磁、白磁、黒釉磁、鉄釉磁などに、分類されます。

  ① 高麗青磁は、世界に比類の無い青磁とされ、特に翡色青磁は、宋の青磁を、押さえて、
   
    天下一品とも、賞される程に成ります。

    青磁では、無文青磁、象嵌青磁、鉄画青磁、銅画青磁などに、区分されます。

    その他、青磁瓦や、青磁のタイルなどの、建築材料も焼かれています。

  ② 翡色青磁

    翡色青磁の胎土は、地元、全羅南道康津郡産で、濃い褐色の土で、適度に鉄分を除く事により、

    粘りの強い、やや白い土に成ります。焼成温度は1200℃以上です。

   ) 翡色青磁には、無文、陰刻、陽刻、透刻(透かし彫り)、及び、象形青磁(人物、動物、

    植物の形)があります。

     a) 無文青磁: 表面に特別装飾を、施していない青磁で、安定した落ち着いた形で、

      格調ある青磁です。

     b) 陰刻青磁: 表面を鋭利な刃物で、細く繊細に彫る技法で、表面の凹凸により、

       釉に濃淡が出て、立体感を出しています。

     c) 陽刻青磁: 文様を器面より、浮き上げて、表現する技法です。

       文様の周囲を削り落とし、文様を浮き上がらせる方法と、切り取った文様を、貼り付ける

       方法、更には、型に押し当てたり、型に流し込んだりする方法も在ります。

       押出陽刻文青磁は、土で作った型を利用して一定の文様を付ける方法で、11世紀後半から

       現れる技法です。

       牡丹文、唐草文などの、文様が多いです。

     d) 象形青磁: 人形形の水注、鴨形の硯滴、猿形の硯滴、獅子形香炉、瓜形青磁などが

       あり、どこか遊び心を持った、作品が多いです。

     e) 透刻青磁: 有名な作品に「青磁透刻蓮花七宝文香炉」(韓国の国宝)があります。

       丁寧に透かし彫を施し、作品の軽さや、繊細さを表現し、更には高度の技術が、

       見て取れます。

  ③ 翡色青磁の全盛期は、12~13世紀で、13世紀に成ると、社会変化に合わせ、象嵌青磁に

    移っていきます。

 以下次回に続きます。

 参考資料: 「韓国美術五千年展」(東京国立博物館他)カタログ 1976年

       「韓国のやきもの」山田貞夫訳 (株)淡交社 発行 2010年
        
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