わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

騙しのテクニック38 よく有る贋作16(景徳鎮色絵磁器2)

2014-07-31 21:35:15 | 騙しのテクニック
2) 中国の色絵磁器の写しと贋作。 

  景徳鎮の官窯で作られた優れた作品類(南京赤絵)は、オランダの東インド会社により、17世紀

  に福建省南部の漳州の港から積み出され、現在のジャカルタ(当時のバタビア)を中継して、

  スマトラ、イランの他、ヨーロッパ各地に輸出されています。

 ① 我が国では、民窯系の窯で作られた、「古赤絵」や「呉須赤絵」が人気があります。

   我が国には、官窯の精巧で上手(じょうて)の作品ではなく、やや砕けた感じのする赤絵が

   多く渡来しています。これは我が国の好みにあっていた為と思われます。

  ) 古赤絵に付いては、前回紹介しましたので参考にして下さい。

  ) 呉須赤絵(赤呉須とも言います)に付いて。

    現在の中国福建省から広東省にかけての民窯で生産された、明中期~末期の色絵半磁器

    (または磁器)です。但し、下絵付けの呉須の意味ではありません。

   a) 素地は 灰白色です。厚手の造りで、砂高台が特徴です。

     注: 砂高台とは: 轆轤上に砂を撒いて、土離れを良くする方法で、作品の底に砂粒の

        跡が残っています。

   b) 濃い赤を主体として黄、緑、青の上絵付けされています。

     五彩の他に、染付、柿釉、瑠璃釉、白釉が施釉された作品も「呉須手」と呼ぶ事も

     あります。

   c) 図柄は奔放(粗雑と見る向きもあります)で、牡丹、椿、菊などの文様があります。

     我が国では特に茶人に好まれ、茶碗、皿、水指、鉢、香合、火入などが、輸入されました

     呉須赤絵の名品はほとんど日本に伝世しています。  

   d)茶道では赤玉香合、玉取獅子鉢、魁手鉢、呉須菊竹鉢、尾長鳥鉢、魚手鉢、骸麟手鉢、

     青呉須竜手鉢なの呉須赤絵が人気があり、大皿は人気が低い様です。

   e) 呉須赤絵の大皿には、よく「富貴栄華」とか「招財進宝」などの吉祥文字が配されている

    物も多いです。中皿の見込みに「福」の一字が描かれている場合もあります。

 ② 赤絵の贋作で多いのは、後絵と呼ばれる焼き物です。

   但し、同じ時期に作られた作品に、同じ窯での後絵を付けているのは、贋作とはいえません。

   異なる時代に後絵を付けすれば、例え本体が本物であっても、贋作と見なされる場合が多い

   です。

  ) 後絵を見分ける。

   a) 無地の状態の白磁に、時代を経て絵付けすると、白磁には少ないながらも使用傷や古色が

    付くのが普通です。しかし絵付けの部分には、傷や古色の跡はありません。但し古色を

    付ける偽装もありますので、必ずしも確かな見分け方法とはいえません。

   b) 染付などが施された磁器に後から、色絵を加筆した場合。

    全体の絵の構図から判断します。即ち、染付の状態で絵(文様)が完成しているはずです。

    後絵を施す事で、模様や構図に不自然さが出易いです。

   c) 磁器は陶器に比べ、汚れ難い性質がありますので、「かせ」等の釉肌の変化も少なく、

     古色も付き難いですので、当時の絵の具と同じ物を使うと、真偽の判定は難しくなります

 ③ 現代の写し。

  ) 現代の景徳鎮でも、明の赤絵磁器の写しが製造されています。 

    当然出来栄えの良い作品もあり、現代作として販売されているので、問題ではありませんが

    これが、贋作として紛れ込まないとは限りません。

  ) 我が国でも赤絵の写しが多く作られています。

   a) 明治以降に呉須赤絵の作品が、作られています。

   b) 著名な作家も、呉須赤絵等の写しを作っています。

    ・ 北大路魯山人: 呉須赤絵鉢。見込みに「福」の字が描かれています。

    ・ 加藤土師萌: 嘉靖写しの壷。

以下次回に続きます。
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騙しのテクニック37 よく有る贋作15(景徳鎮色絵磁器1)

2014-07-30 21:58:56 | 騙しのテクニック
一度焼成した陶磁器に、色絵の具で上絵付けを施し、再度低温で焼き付けた物、即ち、二度焼きした

物を色絵と呼びます。

二度焼きの色絵は、12~13世紀頃に中国の、宋の時代に完成された技術です。

尚、色が付けられた陶器は、古く唐三彩やペルシャ陶器にも見られますが、色絵とは区別されます。

宋赤絵と呼ばれるのが初期の色絵ですが、その後、明代の景徳鎮で、様々な色絵が作られます。

更に、安南(ベチナム)や我が国にも影響を与え、肥前有田でも、柿右衛門様式や鍋島様式、更には

京都の色絵陶器や色絵磁器を生み出し、幕末から明治に掛けて華やかな、色絵陶磁器が数多く作

られます。 当然人気があり、高価な焼き物ですので、「写し」も多く作られ、更に、贋作も数多く

出回っています。

1) 中国の色絵。

 ① 宋赤絵: 鉄分を含む灰色の陶土に、白化粧を施し透明釉を掛け、一度高温で焼成後、

   赤、緑、黄の絵の具で、文様を描き、再度低温で焼き付ける方法です。

  ) 白く暖か味のある釉に、上記三色の原色で、草花や魚、兎などが、簡素で伸びやかな

    筆で描かれています。

  ) 宋の赤絵は、磁洲窯系(中国河北省)の窯で焼かれいた事が次第に判明します。

 ② 明時代の景徳鎮の色絵。

   宋が陶器であるのに対し、景徳鎮では磁器で制作されています。

  ) 明初期の頃は、赤一色の作品が多いです。

  ) 成化期(1465~1488年)に成ると、色の数も増えます。

   a) 淡い緑青色を主体に、黄、紫が加わり、赤は極僅かに添えられる程度です。

   b) この色絵は、「成化豆彩」と称され、明代第一の色絵磁器と呼ばれる程です。

  ) 景徳鎮官窯で、青花五彩の装飾方法が行われる様になります。

    青花(コバルトによる染付)文様を施して、高温で焼成した後、色絵の具で上絵を付けた

    物です。

  ) 嘉靖期(1522~1566年)に成ると、銘の付いた官窯の作品が多く作られ、作品の種類も

    増大します。銘が付いたのは、民窯と区別する為と思われています。

    景徳鎮の作品も、色絵磁器の生産が本流になって行きます。

  ) 景徳鎮の民窯で焼かれた、無銘の色絵磁器。(15~16世紀)

   a) 下絵の染付けが無く、上絵のみの色絵磁器が多いです。尚、我が国では「古赤絵」と

     呼んでいる作品です。

   b) 赤色で輪郭を取り、その中に緑と黄で模様を描くのが特徴です。

   c) 文様は、花鳥文、魚藻文、その他物語図など多彩で、自由闊達に描かれています。

  )上記民窯では、「金襴手」と言われる金を用いた色絵磁器が現れます。

   a) 民窯で作られた五彩磁に、金彩を加えた技法です。

   b) 「古赤絵」の文様が具象的なのに対し、「金襴手」は細密画の様な幾何学文様を

     多用しています。

   c) 器の表面に緑、黄、赤などの五彩を施し、この上に金箔を焼付けた、大胆な文様です。

   d) 作品の種類は、碗や鉢の他、水注、瓢型瓶など特徴的な物が多いです。

  ) 万暦期(1572~1620年)の官窯の色絵磁器(万暦赤絵)。

    この時期の赤絵は、器全体に所狭しと青花と五彩が濃密に描き込まれているのが特徴です。

   a) 青花の藍色も五彩の脇役ではなく、主役級に扱われています。

   b) 古銅器の写した形や、大形な作品も多いです。

 ③ 明末期から清朝の景徳鎮の色絵磁器。

  一時期景徳鎮の官窯での生産は中止されますが、代わりに民窯が栄えます。

  天啓赤絵、南京赤絵、色絵祥瑞などの五彩磁器が生産されます。

  ) 清朝の官窯色絵磁器は、粉彩(洋彩)と呼ばれる、新しい色絵の技法が特徴です。

   ・ 康熙年間(1662~1722年)に御器廠(官窯)は復活し、景徳鎮で生産が再開されます。

   a) 粉彩(ふんさい)とは、石英質の物質に鉛粉を混ぜた物(琺瑯「ほうろう」といいます)

    を白磁の釉肌に塗り、この上に色絵で彩色する方法です。

   b) 吸着性がある琺瑯を塗る事で、光沢が失われ、微妙な濃淡を出す事が可能になります。

   c) この技法はヨーロッパの無線七宝を応用した方法です。

    この技法を使った清朝を代表する、最高色絵磁器の傑作品に、「古月軒」があります。

    これは、清朝の皇帝の座右に置かれる為に作られた、色絵磁器だそうです。

   d) 粉彩は、西洋の油絵の様に描く事ができますので、洋彩とも呼ばれています。

以下次回に続きます。
    
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騙しのテクニック36 よく有る贋作14(染付、景徳鎮2)

2014-07-29 20:42:13 | 騙しのテクニック
前回に引き続き、景徳鎮磁器に付いて話を進めます。

3) 磁器の素地、即ち陶石は産出する場所は数が少なく、それぞれの個性を持っています。

 ① 一般に染付磁器と言えば、青又は藍色の発色状態や、描かれた文様に注意が向きますが、

  陶芸作家や研究者は素地に注目するそうです。

 ② 中国産の陶石と、わが国の陶石とには大きな違いがあります。

  ) 中国産の陶石: 質の良い陶石が多く産出します。質が良いとは、以下の事柄の事です。

   a) 耐火度の高いカオリン分子を多く含んでいます。その為、高温で焼成しても、作品が

     「へたる」事がありません。

   b) 粘土質で、轆轤挽きがし易く、極端に薄く造る事ができ、成形時に歪む事が少ないです。

   c) 中国では、釉は全て生掛けで行っています。

   d) 民窯系の古染付や祥瑞(しょんずい)の作品は、厚手の物が多いですが、中国の様な、

     軟らかい良質な磁土は、わが国には無いとの事です。

  ) 我が国の陶石の特徴。

   a) 我が国での陶石の中で、最も良い土と言われているのは、有田(伊万里)の土です。

     上手と言われる作品のほとんどは、有田の土が使われています。

     有田で使われている胎土は、帰化人の李参平が泉山で発見した物で、後に天草陶石が

     使われるまでは、唯一の磁器の土でした。

   b) 有田の土は、粒子が細かく色が白いです。単味で使う事が出来るのが特徴です。

     但し、中国産と異なり、素焼きした後に絵付と施釉する必要があります。

   c) 磁土の粒子の細かい作品は、汚れに対して強いです。

     畳付の様に、素地が露出し釉の掛かっていない場所(露胎部分)は、汚れ易いですが

     粒子の細かい有田の土では、汚れが着き難く、例え着いたとしても、容易に汚れを落とす

     事ができます。 一方、他の磁器素地は粒子が粗い為、汚れが浸み込み、汚れが落とし

     難いと言われています。

    d) 天草陶石は可塑性に富み、成形がし易いのですが、焼き上がりが軟らかく力強さが

      不足していると感じられます。

4) 中国の焼き物にも、贋作は多いです。

  中国清朝時代に多くの写しが作られています。勿論贋作としてでは無く、先人の技術を再現する

  事が目的でしたが、結果的にはこれら模倣品が贋作として流通する事になります。

  ① 染付の最高位に置かれる、宣徳染付を始め、成化、嘉靖、万暦の染付は精巧に似せられ、

    真偽を見分けるのも困難との事です。

    ・ 但し、清代に成ると窯の改良が進み、更に呉須の品質が良くなり過ぎた為(不純物が

      少ない)「ダミ」と呼ばれる濃淡の「むら」が出せなく成り、真偽の見分けが付く

      と言われています。   

  ② 景徳鎮窯の中には、色の冴えない白磁や染付も多く生産されています。

    これらの焼き物は、現在でも発掘品として多く流通しています。

   ) 発掘品には逸品は存在しません。

     元染付や明の永楽、宣徳染付の優良品はほとんどありません。 

     香港などでは、中国の古陶磁が多く流通し、日本国内に持ち込まれる場合がありますが、

     先ず、贋作とした方が安全です。

   ) 明後期から末期に掛けての染付磁器は、上手(じょうて)ではないが、多く出回って

     います。一説には、本物の方が偽者より多いとも言われています。

   ) 明朝の頃、背の高い壷などの作品は、胴継ぎの方法が採られていました。

     それ故、本物は繋いだ跡(痕)が残ります。ここもチェックポイントになります。

  ③ 中国で作られた、古染付の偽者はほとんど存在しないとの事です。

    その多くは、我が国で作られた物です。

   ) 天啓染付や芙蓉手と呼ばれる皿類は、多く出回っていますが、ほとんどが本物との事

    で、偽者は少ないです。

   ) 日本からの発注品は日本にしか存在しません。

     茶碗、向付、香合などの茶道具は、我が国の茶人達が、景徳鎮に特注した物で、全数

     我が国に収められた品々ですので、これらは景徳鎮でも見る事は有りません。

以下次回に続きます。
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騙しのテクニック35 よく有る贋作13(染付、景徳鎮1)

2014-07-28 22:16:54 | 騙しのテクニック
染付の本家の景徳鎮の磁器の技術は、中国各地の窯場に伝わると同時に、時代を経るに従いその

時代特有の染付磁器が作られる様になります。即ち、永楽、宣徳、成化、嘉靖、万暦、天啓、崇禎、

乾隆と、元の時代から清朝染付と延々と続き、現在でもその流れは継続しています。

朝鮮半島の李朝の初期から、中国の染付磁器が伝わり、ベトナムでも15世紀頃に軟質の染付磁器が

作られる様になると、我が国の茶人の間で、「安南物」として、珍重される様になります。

更に、我が国でも有田(伊万里)で景徳鎮の模倣から、染付磁器が発展を遂げます。

1) 染付の色に付いて。

  染付の青は、コバルトによるもので、強固な発色剤となります。

  ① 呉須(ごす)を使う。

   呉須は、天然のコバルト混合土です。天然のコバルト鉱が風化し、水に溶けて沈殿し更に、

   鉄、銅、マンガン、ニッケルなどの化合物が自然に混ざった土状の物です。

   尚、19世紀以降では、人造呉須(化学コバルト)が使われる様に成ります。

   a) 染付の発色は以下の状態で変化します。

    ・ コバルト自体に含まれる不純物の種類と含有量。

    ・ 素地(胎土)と釉に含まれる他の鉱物の種類と量。

    ・ 窯の温度と酸化又は還元状態。

   b) 鮮やかな藍色に発色する条件は以下の状態の時です。

    ・ コバルトの純度が高い時(不純物が少ない)。

    ・ 素地に珪酸成分が少なく、マグネシウムも少ない時で、透明釉を掛けた時。

    ・ 高温で還元炎で焼成した時。

    尚、同じ呉須を使い、同じ窯で焼成しても色合いが異なるのは、日常茶飯時です。

  ② 染付磁器が作られた時代によっても、呉須の色合いが異なります。

   一つは呉須の産地の違い(当然、不純物の種類と量が異なります。)と、窯の構造と窯焚き

   技術の相違が原因です。 この発色の違いが、鑑定の重要な目安に成っています。

2) 時代の特定と発色の関係。

  ① 元(1271〜1368)の染付: コバルトの色はやや黒味を帯、器いっぱいに豪放的な文様が

    描かれています。

  ② 中国の染付磁器の最高級は、明初期の物と言われています。その中でも宣徳の染付は最高位

   に置かれています。

  ) 宣徳年間(1426~1435年): 落ち着いた渋みのある色調です。

    濃淡のある着色で、文様に強いコントラストが付いているのが特徴です。

  ) 成化時代(1465~1487年): コバルトの青色は薄く、上品で優雅な趣があります。

    作品は小品が多く、大物は滅多にありません。

  ) 弘治~正徳年間(1488~1521年): 特に個性的とは言えない、灰藍色又は藍色です。

  ) 嘉靖~万暦年間(1522年 ~1620年): 濃厚で派手な紫藍色です。

    酸化コバルトを4~6%溶かし込んだガラス(スマルト)を利用しています。

    この時代には、大量生産が行われていた為、品質は低下しています。

  ③ 明末~清初期: 染付の色調は、黒ずんでいます。

    自由奔放な器形の物が多くなります。祥瑞(しょんずい)手と呼ばれる、鮮やかな紫藍色を

    呈する焼き物は、日本からの注文で作られた物です。

  ④ 清朝の染付: 冴えた肌理の細かい藍色や、くすんだ藍色、明暗や濃淡を使い分けた

    技巧的で繊細な染付です。

  ⑤ 安南染付: 粗い灰白色の素地に、品質の悪い呉須で、色調は黒青色で明初期風の絵付が

    施され、乳白を帯びた釉が厚めに掛かっています。時代が下るに従い、呉須が流れて、

    文様がぼやけた物も多いです。

  ⑥ 李朝染付: 色調が薄く暗い青色で、優しい描絵が施されている物が多いです。

以下次回に続きます。
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騙しのテクニック34 よく有る贋作12(染付、古伊万里)

2014-07-28 08:52:36 | 騙しのテクニック
中国元朝(1206~1368年)末期の景徳鎮で、染付磁器が完成されたと言われています。

染付は、コバルトによる藍色の下絵付の技法です。景徳鎮の染付磁器以前に、白と藍色との対比の

美は、ペルシャ陶器や唐の陶器で見られます。

尚、中国などの染付の贋作に付いては、後日お話する予定です。

1) 我が国の染付磁器。

 ① 秀吉の、朝鮮出兵(文禄、慶長の役)以前には、磁器は主に中国や朝鮮から輸入されていま

  した。朝鮮出兵は秀吉の死によって、幕を閉じますが、出兵した九州各地の大名達に従い、

  多くの朝鮮人の陶工が渡来(拉致)し、帰化する事になります。

 ② 李朝工人の李参平が、現在の有田町東南の泉山にて、白磁土を発見し、磁器製造に成功するの

   が1605年頃と言い伝えられています。

 ③ その後の磁器製法技術の発展は目覚しく、古伊万里や、色絵の柿右衛門様式、鍋島様式を

   生み出します。更に、有田で焼かれた磁器は、伊万里港より積み出され、伊万里焼と呼ばれ、

   日本以外の広くヨーロッパにまで、輸出される様になります。

 ④ 寛永~寛文頃(1624~1673年)までの初期伊万里を言い、古伊万里とも呼びます。

  ) 古伊万里は、ほとんどが染付磁器です。その他に、白磁、青磁、鉄釉の作品もあります。

  ) 作品の種類は、秋草文や網目文の小壷類、皿類、徳利などが多いです。

     古伊万里焼は陶片であっても人気が高く、本物であれば、高値で取引されているとの

     事です。当然、贋作も多く存在します。

  ) 絵柄や意匠には、李朝の影響が強く認められますが、次第に、中国の景徳鎮の古染付の

     影響が大きく成って行きます。代表的な染付である、吹墨の技法も、古染付の手法の

     一つです。

     注: 吹墨(ふくすみ)とは、型紙を作品の上に置き、呉須を吹き付けて、模様を浮き

      上がらせる技法です。

  ) 施釉方法は、素焼きをしない、生掛け方法ですので、釉肌に潤いが有ると言われて

    います。又、釉が「むら」に成る場合もあり、これも一つの特徴です。

  ) 中国より、陶磁の技法が導入されると、古伊万里は量産化が進みます。

    中国の影響は、明(1138~1368年)の様式から、次第に和様化し、装飾過度と思われる程に

    行きます。

2) 古伊万里の贋作。

  全国の古美術店や骨董店には、伊万里焼の無い店はほとんど存在しません。

  それ故、贋作の量も多く存在します。この時期の作品は、素朴な作風で、規格化されていない為

  写し易い作品も多く存在します。

  ① 初期の生掛けの特徴を生かした贋作。

    油壷、吹墨の中皿、徳利、地図皿などが多いです。特に吹墨による「月と兎図」の贋作は

    多いです。

  ② 上記作品類では、染付け色に深みが無く、素地が滑らか過ぎて「つるり」とした感じに

    成ります。その他、器肌に白っぽい粉が吹き出している物や、無釉の畳付き部分が細かい

    粒子の土で、「すべすべ」した物など古い感じの無い物も、贋作の可能性もあります。

  ③ 二度焼(窯)の古伊万里: 平凡な白磁に後絵で文様を描き、再度焼成した物です。

  ④ 明治頃制作された、伊万里染付の贋作が、「古伊万里」として流通しています。

    更に、砥部焼の伊万里写しの作品も多く存在します。特に地図を描いた皿などには、贋作が

    多いようです。

  ⑤ 古伊万里焼風の作品は、伊万里以外の地でも作られています。(当然贋作として作られた

    訳では有りませんが、贋作として紛れ込む場合もあります。)

    江戸幕末近くに成ると、有田が独占していた技術が他の藩に知れ渡る様になります。

   ) 加賀の「若杉」の銘のある古伊万里風の作品。

   ) 平戸焼染付磁器。伊万里焼とは若干作風や絵付けが異なりますが、伊万里焼と同じ

     様な作品も存在します。

   ) その他の染付。

    a) 各地の御用窯の染付: 各藩の厳しい管理の下、制作されている為、様式や品質面で

      安定した作品が多いです。

      能茶山(のうさやま)焼: 土佐二代藩主 山内忠義侯が、現在の高知市 鴨部 能茶山の

        裾野に、国内産業振興の一環として焼かせた物。承応2年(1653年)頃

      姫谷(ひめたに)焼: 備後福山藩国広瀬村姫谷(現・広島県福山市加茂町百 谷)で

        江戸時代(17世紀)に制作されていた色絵陶磁器。

      湖東(ことう)焼: 江戸 時代中期の彦根藩井伊掃部頭家(現・彦根市域)で生産され

         始めた焼き物です。

     b) 各地の染付雑器: 伊万里焼を手本として焼かれた染付雑器です。当初は伊万里風

      ですが、次第に各地の染付が作られる様になります。

      三田(さんだ)焼: 現在の兵庫県三田市。

      切込(きりこめ)焼: 現在の宮城県加美郡加美町。

  ⑥ 景徳鎮磁器と混同し易い。

    初期伊万里は、明代末の景徳鎮磁器を手本にしています。その為、よく似た作品が有るのは

    当然と言えます。景徳鎮磁器との違いは以下の事柄と言われています。

    ) 景徳鎮磁器の方が、薄造りである事が多いです。

    ) 景徳鎮には、虫食いの物が多いです。

以下次回に続きます。
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騙しのテクニック33 よく有る贋作11(施釉陶器5、唐津)

2014-07-24 22:19:30 | 騙しのテクニック
唐津焼の起源は、はっきりしていませんが、室町末期には、現在の唐津市の岸岳の山麓に、岸岳

八窯と呼ばれる、古窯址群が存在し、ここが古唐津の発祥地と思われています。

尚、古唐津と呼ばれる焼き物は、17世紀前半までに作られた作品です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の文禄の役以後、朝鮮の陶工が多数移住(拉致)し、朝鮮の陶芸技術が伝わり、

唐津焼は隆盛を極めます。

1)唐津焼の特徴。

 ① 唐津の土は一様では無く、種類も多い。

  唐津焼は、東松浦郡(現在の唐津市の南)、伊万里市、武雄市、有田市、佐世保市一帯の広い

  範囲で焼成された焼き物です。それ故、土地土地によって土の種類も異なります。

  即ち、砂目の土、粘りの有る土、褐色の鉄分を含む土、灰色や白色の土、肌理の粗い土、細かい

  土のなど、種類は豊富ですが、各々の埋蔵量は少なく、枯渇し易い為窯の移動が多くなって

  います。

 ② 土の種類や性質に応じて、成形方法も異なります。

  即ち、叩き造り、板起し、蹴轆轤(けろくろ)などで、型抜き制法は見られません。

  尚、蹴轆轤は、左回転(逆時計方向回転)で水挽きします。高台も全て削り出しで、美濃の様な

  付け高台はありません。

 ③ 唐津の釉の色調は、くすんだ色が多いです。

  これは、釉の成分に由来するのでは無く、唐津の土は、一般に鉄分の多い土の為です。

 ④ 唐津の絵は志野や織部に比べ、簡単で素朴のな絵柄が多いです。

  鬼板などを用いた鉄絵が中心ですが、筆や藁(わら)に浸して、一気に描いている物が多いです

 ⑤ 我が国で最初の連房式の登窯が築かれ、この窯は渡来朝鮮人によってもたらされ物で、

   量産体制が整います。この技術は瞬く間に、美濃の他多くの窯場に伝わります。

2) 古唐津の作品の種類。

 ① 絵唐津: 唐津のほとんどの窯で、鉄絵が描かれています。作品の種類も多く、茶碗、皿、

   壷、花瓶など全ての種類の作品に描かれています。

 ② 斑(まだら)唐津、斑絵唐津: 白濁する藁灰釉を利用した焼き物です。

 ③ 奥高麗茶碗: 日本に渡来した朝鮮の陶工達によって作りだされて茶碗で、本場朝鮮の

   高麗茶碗との区別は困難との事です。

 ④ 彫唐津: 茶碗の胴部などに、箆(へら)を使い、大胆に陰刻線を巡らし、装飾する焼き

   物です。

 ⑤ 黒唐津: 釉に鉄分を多く配合すると黒色に発色し、少ないと褐色や飴(あめ)色になります

3) 唐津焼の贋作。

  古唐津は、特に人気のある焼き物で、経済的にも高価の物が多いです。更に、「くだけた」

  作風や絵柄などから、写しがし易く、贋作が非常に多い焼き物です。

 ① 贋作を見分ける: 良く言われている、高台脇の土見せ、三日月高台(片薄高台)、高台内の

   縮緬皺(ちりめんじわ)などは、当てに成りません。

  ) 土見せは、この部分に釉が掛けられていない事を意味しますが、本物には高台内まで、

    釉の掛かった総釉の物もあります。

  ) 本物の三日月高台は、非常に稀な事の様です。逆に、贋作には必ず三日月高台があります

  ) 高台内の縮緬皺は容易に真似をする事が出来るとの事です。

 ② 贋作では斑唐津が一番多い様です。

   釉が派手で一般受けするからです。古唐津の白い釉の中に、青い斑点が有るものがありますが

   この斑点を自然に出す事は困難との事です。贋作では、コバルト(呉須)などを添加して

   青い斑点をだしている物も多い様です。

   特に斑唐津の「ぐい呑み」、「立ちぐい呑み」の贋作が多く出回っています。

 ③ その他の贋作。

  ) 碗形の酒盃などは、容易に贋作を作る事が出来、更に極めて高価の為、贋作を手掛ける

     人も多い様です。

  ) 徳利、茶碗、皿: 特別高度の技術が無くても、容易に贋作を作る事の出来る作品です。

    これらの本物の作品は、書籍や図版で多く取り上げられていますので、沢山存在すると

    思われますが、実際には極めて稀で、一般に出回る事はありません。

 ④ 絵唐津の絵が、「かすれている物」には、贋作が多い。

   本物には「かすれ」がほとんど見当たらない様です。

   絵の無い、無地唐津の場合は、手掛かりが少なく判定は難しい様です。

   奥高麗茶碗は、とても高価で贋作が多く出回っていますが、掘り出し物は皆無です。

 ⑤ 類似の他の陶器に注意。

  ) 上野(あがの)、高取、萩などの窯場でも、唐津と同様な焼き物が焼かれています。

  ) 唐津写しの作品に注意。

   ・ 美濃唐津: 胎土と絵の雰囲気が本物とは異なる。

   ・ 京唐津: 轆轤の回転方向が逆(右回転)です。

   尚、瀬戸唐津、本手瀬戸唐津と呼ばれる焼き物は、瀬戸風の釉の意味で、瀬戸で焼かれた

   物では有りません。

 ⑤ 二度焼や、後鉄絵の作品に注意。

   発掘品を焼き直した作品も出回っています。

以下次回に続きます。
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騙しのテクニック32 よく有る贋作10(施釉陶器4、美濃2)

2014-07-22 20:34:54 | 騙しのテクニック
3) 見所と贋作。

 ③ 織部: 織部の種類は多く、青織部、総織部、鳴海織部、赤織部、絵織部などがあります。

  ・ 岐阜県土岐市の元屋敷窯は美濃窯最古の連房式登窯で、慶長から寛文(江戸初期)の期間に

   主に織部が焼かれていました。 登窯が築かれてからは、熱効率も良く高温になり、鉄絵が

   鮮明に出る様になります。尚、元屋敷一帯は昭和42年に国指定史跡となっています。

  ・ 織部の見所は、その器形と絵付の多様性とデザインの面白味にあります。

  ・ 織部の贋作は多く作られています。更に、釉から贋作を見破る事は困難の様です。

  ・ 古い織部は志野の焼き物と同様に人気が高く、蓋物や茶碗などは高価である為、ほとんど

    流通していない状態との事です。

  ) 織部の贋作の見分けは器形と、絵付にあります。

    特に、絵は現代人の感覚では、真似する事が出来ず、「わざとらしい」線や、伸びの無い

    「いじけた」線になっていまいがちです。

  ) 織部の絵付は、使用目的を持ってある意図で描かれ、筆には「ためらい」の無い自信に

     溢れ、更に勢いがあります。

  ) 慶長から江戸時代初期の青織部の水指は、ほとんど存在していません。

    しかし、写し物(織部風)は美濃は勿論、美濃以外の各地の窯場でも、盛んに作られて

    います。

  ) 再興織部に付いて。

    幕末の瀬戸で、再興の試みがなされています。しかし古織部と復興織部では、その評価に

    格段の相違があります。即ち、その品格に差がると言う事のようです。

  ) 黒織部と織部黒。

    低い付け高台が特徴で、高台の形も歪んだ茶碗が多いです。

   a) 黒織部は全体に黒一色の釉を塗ります。それ故、釉よりも造詣の面白味が勝負です。

     黒織部の贋作は、かなり真作に近い物が出回っています。

   b) 織部黒は黒織部の胴の一部の釉を抜いて、そこに鉄絵を施し、更に長石釉を掛けて焼成

     します。窓絵や白釉部分の雰囲気を当時の様に写す事は、かなり難しい様です。

   c) 贋作の釉は単調で、「焦げ茶」や「黒」色が出ていないそうです。   

 ④ 志野。

  昭和五年に荒川豊蔵氏によって、志野は大萱や久尻の諸窯で焼かれていた事が判明します。

  ) 志野には、無地志野(白一色)、絵志野、紅志野、鼠志野、赤志野、練上志野などの

   種類があります。

   古陶の白釉は、現在の技術であっても同じ色調を出すには、それなりの困難が有る様です。

  ) 古陶の白釉は、粒子が不揃いの長石を使用している為、光が乱反射し、しっとりとした

   光沢のある、クリーム色に成りましが、新作では、粒子が均一になる為、鮮やかな光沢と、

   単調な純白になります。

  ) 現在ではピンク調の色を出す為に、生焼けの状態で火を止めると言います。

   その為、桃山期の焼き抜いた作品では、使用中に汚れが付かないのに対し、生焼けの状態の

   作品は、直ぐに貫入に汚れが溜まると言われています。

   この短い時間で焼成を完了させる現象は、志野特有と言う訳ではなく、現在の他の諸窯でも

   普通に見られる事です。

  ) 古志野は、半地上式窖窯(あながま)で焼成されています。

    (現在の志野は「ガス窯」で焼く作家さんもいます。)

  )桃山以来四百数十年を経た古志野は、空気中の酸素や、使用による汚れ、更には地中に

   埋没していた為、器の表面に艶が無く、更に厚掛けの釉独特の深みの有る色になります。

以下次回に続きます。
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騙しのテクニック31 よく有る贋作9(施釉陶器3、美濃1)

2014-07-21 20:25:29 | 騙しのテクニック
現在の岐阜県多治見市北部から土岐市にかけて、美濃古窯と呼ばれる諸窯では、黄瀬戸、瀬戸黒、

志野、織部などの製品が焼かれていました。これらは、茶の湯の隆盛に伴い、茶道具や懐石料理の

器として使用される他、美術品としても認められている作品も多いです。

1) 作られた時代。

  美濃古陶の最盛期は室町末期から江戸初期にかけての短い期間です。

  更に、作品の種類によって、その最盛期も異なります。

 ① 黄瀬戸、瀬戸黒 : 永禄頃から天正にかけてです。(1558~1592年)

 ② 志野 : 天正から元和にかけてです。(1573~1624年)

 ③ 織部 : 慶長(1596~1615年)から寛永(1624~1644年)頃まで。

2) 桃山から江戸前期に掛けての、美濃の焼き物の真贋の判定は、国内の陶器の中でも最も微妙で

  難しいとされています。

 ) 優れた美濃陶の作品の種類は、茶碗、水指、向付、香合など、茶陶が占めています。

   これらの作品は高い評価を得ている物も多く、その為、贋作も多く出回っています。

 ) 贋作が出回る別の要因として、現在でも、当時と同様な土や制法、焼き方等があります。

   従来と同じ伝統的な手法が取られて入る為に、判別し難い点が挙げられます。

 ) 絵の描写も複雑の物ではなく、造詣や装飾も簡単で、本物の近い写しや贋作がし易い事も

   挙げられます。

 ) 志野や織部などの真作であっても、基準と成る物が少なく、「振れ」の範囲が大きい為、

   真作と贋作の区別も難しい為に、自然と贋作も多くなります。

 ) 美濃の古陶は人気が高く、高価である為、手間隙をかけて、贋作が見破られない様に精巧に

   作られている物が多いです。それ故、真贋は更に難しくなります。

3) 世に出回っている贋作。

  ① 真作はまず無いと思われる物で、贋作として出回っている物。

   ) 黄瀬戸の鉦鉢(どらばち)、黄瀬戸の六角猪口(盃)。

     いずれも、色々な書物や図版に登場する作品です。それ故、世の中に多く存在し、出回っ

     ている感じがしますが、真作は極めて稀な存在ですので、多く出回っているのは、

     ほとんど贋作です。

   ) 瀬戸黒、志野、織部の茶碗、水指、向付、香合などで、状態の良い物。

     多くの伝世品の様に、状態の良い真作の作品は出回っていません。 

   ) みみづくの香炉、南蛮人の蜀台 もよく見かける贋作です。  

  ② 時々見られる真作として、以下の物があります。

   ) 志野や織部の向付。

   ) 瀬戸黒や志野、織部の大傷(キズ)物、呼び継ぎの物、発掘品で生焼の茶碗など。

   ) 鉄釉や志野釉の水滴、小水注などがあります。

  ③ よく見る贋作。

   志野向付類、盃、黄瀬戸六角盃、総織部盃、笹文小皿など。

  ④ 他時代の釉と混同しない事。

   ) 古黄瀬戸釉と、江戸中期以降の瀬戸の黄色釉(灰釉)とは似ています。

   ) 瀬戸黒と幕末の瀬戸焼との混同し易いです。     

3) 見所と贋作。

 ① 黄瀬戸 : 備長炭など堅木の木灰を釉として使い、高温で焼成し、落ち着いた淡黄色に

   見所があります。黄釉には梨地の様に、細かい貫入が入っています。

   器形は、注文主に合わせて、嗜好性の強い物もあります。

   a) 贋作で有っても、釉を古黄瀬戸に似せて貫入を付ける事は可能との事で、釉から贋作を

    見破るのは困難との事です。黄瀬戸では「油揚手」が理想な釉とされていますが、現在では

    再現されている様です。

   b) 贋作の鑑定は、器形と絵付けから判断する必要があります。

    贋作は完全に真作模倣できず、小細工を施し多様に見えるそうです。

 ② 瀬戸黒 : 瀬戸黒特有の艶のある漆黒釉です。マンガンを多量含む、「鬼板」を調合して

   いる為、紫紺色に発色する事もあります。

   全体に薄造りで、幅広く低い高台が、箆(へら)で削り取られています。

   ) 但し、釉のみで、真贋を判定するのは危険です。

   ) 瀬戸黒の茶碗には、真作を装った贋作が出回っています。

   ) 真作の瀬戸黒の中には、虹色のラスター彩を持つ物があります。

     (無い真作も多いです。)贋作にはラスター彩はありません。

 ③ 織部: 織部の種類は多く、青織部、総織部、鳴海織部、赤織部、絵織部などがあります。

以下次回に続きます。
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騙しのテクニック30 よく有る贋作8(施釉陶器2、古瀬戸)

2014-07-19 18:02:14 | 騙しのテクニック
現在でも焼き物を生産している愛知県の瀬戸市は、鎌倉時代初期から凡そ1000年の歴史を誇る、

一大焼き物の産地です。

古瀬戸とは、鎌倉、室町時代から中世までの間、我が国唯一の施釉陶器が生産された焼き物を言い

ます。当時は宋(中国)や高麗(朝鮮)の青磁や白磁を模倣した、高級陶器を生産していました。

1) 古瀬戸の特徴。

  古瀬戸の釉は、伝統的な灰釉(かいゆ、はいゆ)と、鎌倉後期に登場する鉄釉に二分されます。

  ① 灰釉: 猿投の釉が灰の単味なのに対し、瀬戸の灰釉は灰に長石を混入させて作っています

   a) 長石と混ぜる事で、灰中のアルカリと長石中の珪酸とアルカリ成分とで、よりガラス質を

    増大させ、熔解し易くなります。更に、作品に密着させる事が出来、器全体を強固な物に

    する事が出来ます。

   b) 長石の含有量によって、異なる性質の釉を作る事が可能になります。

    即ち、長石分が少ないと、釉は流れ易く不透明に成ります。逆に長石分が七割を超えると

    釉は流れ難くなり、透明度も上がります。更にガラス質も平坦で厚くなります。

   c) 鎌倉時代までの古瀬戸釉は、長石が少なく流れ易いですので、焼成中に流れ落ちるのが

    特徴です。しかも、その流れも規則性に乏しく、温度が上昇するに従い、珪酸特有の結晶の

    影響で、不規則な流れと成っています。

   d) 鎌倉時代に使用されていた長石は、アルカリ成分の多い風化した物で、焼成中に灰の成分

    と複雑な化学変化を起こし、独特の釉の流れと貫入を起こします。

    現在の長石では、当時の様に釉の流れ、貫入、光沢を出すのは、困難と思われています。

   e) 鎌倉時代の灰釉の焼き物の多くは出土品で、地中に長く埋没していた為、アルカリ

    成分が水に溶け、作品から抜け出し、貫入が大きくなったり深く成りします。

    更に、釉の透明度が失われ、くすんだ色に成っている物が多いです。

  ② 鉄釉; 主に光沢のある茶褐色の釉で、一般に「飴釉(あめゆ)」と言われている釉です。

   a) 当時の鉄釉は、濃淡の「むら」のあるのが特徴です。

   b) 器の表面に、印花文や貼り付け文(貼花文=ちょうかもん)が施され、鉄釉が薄く掛かる

     事で、文様を浮かび上がらせています。

   c) 古瀬戸釉と呼ばれる鉄釉は、鉄分に「鬼板」を使い、赤味を帯びた釉に成っているのが

     特徴です。

   d) 室町時代に成ると、灰釉や鉄釉ともに、長石の割合が増え、ガラス質が厚くなる結果

     印花文や貼花文の装飾模様は、消滅してしまいます。

2) 古瀬戸の成形方法。

  鎌倉時代の力強い形の焼き物は、紐造りの成果と言われています。

  ① 小さな作品は轆轤挽により、大型の壷や瓶子(へいし)等は、紐土の巻上げ又は、輪積み

    の方法で制作しています。但し表面のみを轆轤挽きした作品に成っています。

    肩の張った作品を造るには、轆轤水挽き制法では無理が有り、やむなく、紐造りで成形して

    います。

  ② 室町時代に成ると、轆轤技術も向上し、壷や瓶子も轆轤挽と成ります。

3) 「永仁の壷」事件。

  名高い贋作騒動の「永仁の壷」は、1960年に発覚した事件です。

  加藤唐九郎氏の関与が認定され、贋作として決着が付いています。

  ① 鎌倉末期の「永仁」の年銘のある古瀬戸とされた壷は、以下の疑問点が指摘されていました

   ) 釉の流れが作為的で、不自然である。

   ) 釉面に傷や風化の痕が無い。更に、永年の歴史を示す凹凸が無い。

   ) 釉の剥落がわざとらしく、不自然である。

   ) 年号や表記の仕方が当時の方法と異なる。

   ) 肩の張り具合や胴の膨らみにアクセントが少ない。

  ② 小山富士夫氏(文部技官 ・文化財専門審議会委員、重要文化財への推薦者)が騙された手口

    小山氏は、上記疑問点は当然認識していました。しかし本物と見誤るには以下の事情が

    あったと言われています。

   ) 鑑定に当たり、その拠り所としたのは、根津美術館所蔵の「松留窯」出土の数百の

     陶片との事です。

   ) この陶片群は、当時、鎌倉時代の古瀬戸を鑑定する際の基準と成っていました。

     それ故、これらを利用して、鑑定しても問題は無いはずです。

     実際に、陶片と照合すると、「永仁の壷」は本物になります。

   ) ところが、「松留窯」が架空の古窯址である事が判明します。

     出土された陶片は、実は唐九郎氏が、焼いた物である事が、贋作騒動の中で発覚します。

   ) 即ち、基準となる陶片が贋作である為、これを拠り所として鑑定した「永仁の壷」は

     贋作とみなされる事になります。

   注: 上記記事は「やきもの鑑定入門」新潮社出版 出川直樹監修 芸術新潮編集部編 を

   参考(引用)にしました。

以下次回に続きます。
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騙しのテクニック29 よく有る贋作7(施釉陶器1、猿投)

2014-07-17 22:09:04 | 騙しのテクニック
尾張地方(愛知県)の南部に位置する、猿投山西南麓古窯址群(猿投窯)は、奈良時代~鎌倉時代

に掛け、須恵器から山茶碗までを製造していました。その間約900年の歴史を持つ日本屈指の窯場

です。その窯址の数は1000基を超えると言われています。

1) 猿投窯(さなげよう)。

  奈良、平安時代は、猿投の最盛期と言われ、灰釉を施釉した、多種類の焼き物を生産しています

  ① 焼き物の種類。

    当時の貴族や寺院を中心とした、支配層の需要に支えられ発展を遂げています。

    主に、中国や朝鮮などの大陸からもたらされた陶磁や、金属器の精巧な模倣作品が多く、

    白瓷(しらし)と呼ばれる施釉陶器です。

  ② 猿投の灰釉(かいゆ)。

   ) 猿投の灰釉は、植物の灰を単味で使用する為、釉の層が薄く剥れ易いです。

     その為、出土品は長らく地中に埋没されているので、釉が剥げ落ちる場合が多い様です。

   ) 土と制作、焼成方法。

    a) 粒子の細かい白色陶土が使われています。耐火度が高く、1250℃以上ありす。

     この頃すでにす水簸(すいひ)が行われていた可能性があります。

    b) 制作方法は、轆轤上の土を一気に挽き揚げる、巧みな水挽き技法で、厚さ数ミリの物

     から高さや直径が30cm以上の作品も作られています。

    c) 焼成方法は、須恵器と同様に窖窯(あながま)です。

   ) 施釉方法と釉の色。

     初期の頃は、刷毛塗りでしたが、後に漬け掛けとなります。

     釉の色は、淡緑色や淡黄色になります。

   ) 猿投の生産品。

    a) 施釉陶器以前の須恵器の伝統を受け継ぎ、長頸壷、広口短頸壷や、中国陶磁の影響で

     その写しや唐三彩などの他、寺院で使われていた金属製の仏具である浄瓶(肩に注口の

     ある瓶)や、水瓶(楕円形の胴部に細長い首を持つ容器)が作られています。

    b) 陶製の硯(すずり)も多く作られています。

     円面硯、宝珠硯、風字硯が代表的な種類です。

    c) 灰釉短頸壺(玉垂れの壷、又は玉簾の壷): 猿投窯 (奈良時代)

     丸みを帯びた薄茶色の壺で、緑色の灰釉が多めに肩に掛けられ、肩から胴にいく筋も

     流れ落ち、先端は玉の様に溜まる形で途中で止まっています。

  ) 猿投の贋作と思われている作品。

    御酒瓶子: 器高22㎝、口径10cm、底径10㎝の短頚壷。

     肩部にヘラで「藤井宮 大明神 御酒瓶子」と刻まれています。

       注: 藤井神社 現在の大府市横根地区にある神社(室町後期に再建と推定)。

     先日、この壷は後世の贋作ではないかとの疑問を提起されています。

     出所が曖昧な事、器壁が厚くて重い事、色が黄色味を帯びている事など、疑問が出た

     様です。

  ) 猿投窯の衰退。

    鎌倉時代には、施釉陶器の技法が廃れ、無釉の雑器が生産される様になります。

    以後、段々衰退してゆきますが、多くの技術は、次の古瀬戸に引き継がれていきます。

以下次回に続きます。
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