わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

素朴な疑問 178 なぜ本の通りに出来ないのか1?

2015-09-18 14:30:57 | 素朴な疑問
陶芸の技術書が数多く販売されています。単に作品紹介から、作り方まで指導する本もあります。

ある程度、陶芸をかじっていると、この様な書籍を購入し、本に載っている写真付きの作品と同じ

様な作品を作ってみたいと思っている方も多い事でしょう。又、各種の公募展の入選作品の写真や

個展のカタログや広告に載せられた写真を見て、同じ様な作品を作ってみたいと思っている方も

多いと思われます。中には数十万円~数百万円の値が付いた物伊もあり、自分でも作ってみたいと

思うのは、自然な事です。更には、釉の調合のレシピを記載した書籍類も多く発行されています。

ネット上でも検索可能に成っています。この様な情報も有用な物かどうか疑問に思っている方も

多いと思われます。

1) 陶芸の技術を紹介する本は、どれほど役に立つのでしょうか? 

   (勿論、当ブログにも言える事ですが・・・。)

  本で紹介された技法を使えば、「同じ様な作品が、ご自分でも作れるものでしょうか?」と

  疑問を持っている方も多いはずです。その様な書籍を書店などで見掛ける程度であれば、単なる

  疑問ですが、その書籍を購入するとなると、実際に「ある程度は出来るのでは」と期待している

  はずです。

  当然、基本的な技術を教える場合と、かなり高度のテクニックを教える高度な技術書もあります

 ① 基本的な事項は技術書通りに行えば、巧く行く場合が多いでしょう。

  但し、書物に書かれている事が理解できる事と、その通りに実行できる事が条件になります。

  初心者の場合、書かれている事が「チンプンカンプン」の場合が多いです。即ち理解するには

  ある程度の知識や実際の手本を見ておく必要があります。いかに丁寧に書かれた本であっても、

  それらを理解する力が備わっていなければ、役に立ちません。

  ) 陶芸の基本事項として、土練があります。大抵は菊練の方法が記載されているはずです。

   但し注意したい点は、同じ菊練と言いながら、そのやり方には幾つかの方法がある事です。

   例えば、練る回数も100回必要と書かれた物から、30~40回程度で良い場合。更には

   土練機(特に真空土練機が良い)で代用する事もあります。

   練り方も左右逆の手を使う方法。右(時計)回転方向に回す方法と、左回転で行う方法。

   一度練った土の天地を逆さにしてもう一度練る方法。最後の練り上がりのやり方など、陶芸を

   行う人によって違いがあります。いくつもとは異なる方法が、紹介されているかもしれません

   その場合、惑わされずに自分にあった従来の方法で行う事を薦めます。

   新たな方法を取得するのは、時間の無駄になる事が多いです。

  ) 轆轤作業であれば、土殺しが出来ないと轆轤挽きは出来ません。初心者の場合には、

   ある程度他人の手助けが必要になります。単に力の入れ方だけでなく、手の使い方と手の

   位置や轆轤の回転速度も関係します。芸能人が轆轤の体験をしている映像を見ると、土殺し

   などの下準備が出来た状態から始めている様に思われます。

 ② 型紙が付いた作り方の本もあります。

   この場合、多くは手捻りが多いです。それ故、書籍で紹介された手順で作業を行えば、それに

   似た作品を作る事は可能です。

 ③ 高度なテクニックを紹介している場合。

   陶芸には色々な制作や装飾方法があります。素地に対する物として、土を削る、盛る

   (貼り付ける)、穴を開ける、白化土や色土を使う等の方法が主なものです。

   施釉時に行う方法では、蝋抜き、釉による掻き落とし、絵付け、片身掛け、釉の複数掛け等の

   方法があります。これらの基本的な作業はさほど難しいものでは有りませんので、比較的

   本に記載された様に行う事ができます。

  ) 色土を使った一般的な方法ではなく、複雑な練り込み技法や練上げ技法は、本に記載さ

    れた様には出来ないのが普通です。なぜなら、その著者が紹介しているやり方は、その人が

    長年の苦労して身につけた方法だからです。その技術を公開したからと言って、直ぐに真似

    のできるレベルではないからです。

以下次回に続きます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

素朴な疑問 177 指に怪我をした状態で轆轤作業は可能か?

2015-09-10 21:43:33 | 素朴な疑問
手足に怪我(けが)を負ったり、いぼ、魚の目、かぶれ等の皮膚病に掛かった場合、何らかの方法で

轆轤作業を続ける事は可能でしょうか?

当然、怪我の程度や皮膚病の状態によって、可能の場合と不可能の場合があります。

1) 指や腕を骨折すると、ほとんど轆轤作業は不可能になると思われます。

  骨折すると、ギブスで固定され包帯でグルグル巻きに成りますので、指や腕を自由に使う事が

  出来なくなり、轆轤作業はほぼ不可能です。

2) 指先や掌(てのひら)に怪我を負った状態では、轆轤作業は難しくなります。

  但し、手の甲の部分の怪我ですと、絆創膏で処理すれば、轆轤作業に影響ない場合が多いです。

 ① 切り傷や擦り傷を負った場合は、傷口が小さくても轆轤作業が制限されます。

  轆轤作業は原則両手で行いますので、片手の傷であっても、轆轤作業は難しくなります。

  当然どの部分が傷を負ったかによって、作業の影響は違います。一般に傷を負った箇所には、

  絆創膏を貼り、傷口から粘土の泥が入り込まない様に処置します。傷口に泥が付いた場合、

  最悪病原菌に感染する恐れもあります。勿論、簡単に絆創膏が剥がれ無い様に、傷口より広範囲

  に貼りますが、水を使う轆轤作業では剥がれ易くなります。

  轆轤作業後には綺麗なみずで、傷口を洗い流し、消毒をしておく必要があります。

  ) 薄手の手袋を使う事も考えられますが、使ってみると判りますが、かなり難しいです。

  ) 両手又は片手に布切れを持ち、轆轤挽きする方法もあります。

    特に、小石(ハゼ石)混じりの土を使う場合、指を痛める事もある為、布切れを使う場合と

    水切れ防止の為、布切れを使う事もあります。この場合は指が直接土に触れませんので、

    絆創膏を貼った指でも、轆轤作業が出来る事になります。

    この事から、指が怪我してもやり方にによっては、轆轤作業が可能かも知れません。

 ② 指先の傷が一番影響します。

  左右どちらの指でっても、指先が負傷する事で作業がし難くなります。例え余り使用しない

  小指であっても、作業中は気に成る物です。指先は意識の有無に関わらず、常に作品の表面に

  触れながら、作品の形は勿論、肉厚や粘土の軟らかさ、作品の拠れや振れを感知しているセン

  サーです。それ故、感度の鈍ったセンサーでは、思うように行かないのは当然です。

 ③ 掌の怪我の場合。

  轆轤での土殺しの際には、掌を使う事が多いです。又筒状に挽き上げた土が振ら付きを直す

  場合にも、両手で抱え込みますので、掌を使う事になります。

  特に親指の付け根と、小指の付け根付近が多く使われますので、この部分の怪我は轆轤作業に

  大きく影響します。

 ④ スポーツ等で突き指をした場合にも影響がでます。

  突き指をした指には、力がはいりません。轆轤で指先に力を入れる行為は意外と多いものです。

  例えば、土の中央に穴を開ける場合には、主に親指を使いますし、土を薄く伸ばす場合には、

  中指や人差し指を使う事が多いです。それ故、親指、中指、人差し指を突き指すると、影響は

  大きいです。勿論、一本の指だけの突き指であれば、他の指やコテ類その他の用具で代用する

  事も可能ですので、必ずしも悲観する事はありません。

 ⑤ いぼ(疣)や魚の目、たこの場合には、それらが痛まないのであれば、ほとんど問題ありません

   これらの皮膚病であれば、必ずしも絆創膏を貼る必要もありません。それ故、轆轤作業に

   違和感がっても続ける事ができます。但し、痛みがある場合は轆轤作業は難しくばります。

 ⑥ 「かぶれ」や「発疹」などのある皮膚病の場合には、轆轤作業は控えた方が無難です。

   小さな傷口から、泥や細菌が入り込む恐れがあるからです。

2) 上記で片手での轆轤作業は難しいと述べましたが、電動轆轤が無かった時代では、小さな

 作品であれば、左手のみで制作していた人も多くいました。

 即ち、当時は手回し轆轤でしたので、小物ならば、右手に回し棒を持ち、左手一本で制作していた

 様です。それ故、電動轆轤であっても小物であれば、左手のみで作品を形作る事も、可能と思われ

 ます。

3) 足を怪我した場合。

  蹴轆轤(けろくろ)の様に足を使う轆轤もあります。基本的には片方の足が使えれば、蹴轆轤は

  曲がりなりにも使う事が可能です。当今は一般に電動轆轤を使う事が多いです。

  回転速度調整は足でペダルを踏んで行う轆轤も多いです。又、足を使わずに回転速度を調整する

  轆轤もあります。後者であれば、足の怪我はほとんど問題になりません。前者の場合、右足で

  操作するのが一般的ですので、左足の負傷であれば問題なく、轆轤作業は可能です。

  右足を負傷した場合でも、こまめに回転速度を変えなければ、轆轤作業は可能です。なぜならば

  足以外でも轆轤の回転速度を調整できる、手で操作するレバーが装備されているからです。

結論として、程度の差にもよりますが、手足の負傷は轆轤作業に悪い影響を与えます。

基本的には轆轤作業は中止した方が良いでしょう。どうしても轆轤作業をする必要がある場合には

実際に色々試してみる事です。試して轆轤作業が困難ならば止めるべきです。

但し、余り水を使わない手捻りの場合は、さほど問題に成らないと思われます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

素朴な疑問 176 粘土は不潔な物か?

2015-09-08 17:13:09 | 素朴な疑問
陶芸で使用する粘土は、「不潔な物では?」と疑問に思った方もいると思います。

なぜなら、粘土を寝かせる事は推奨されている行為で、長年寝かせている作家達も多いからです。

土を寝かすとは、濡れた(湿った)状態の粘土を乾燥させない状態にして、長年放置し自然界にある

黴(かび)などの微生物を繁殖させる行為です。目的は自然に粘土に付いた黴や微生物が、発酵した

り繁殖過程で排出する有機物によって、粘土に粘り(ねばり)を与え、成形や成形後の作品の切れや

割れを防ぐ事ができるからです。即ち作り易くしたり、その後のトラブルを避け、無事に作品を

仕上げる狙いがあります。自然界には、人間に有害な微生物は多く存在します。その為、粘土に

含まれる有害な有機物が、人体に取り込まれた場合には、何らかの病気を引き起こす懸念があります

ご自分で粘土を採取した場合、採取した場所によっては、自然界や人工的な有害な有機物が含まれて

いる可能性もあります。

1) 陶芸材料店で購入した粘土類をそまま使用しても、何ら問題はありません。

 販売されている粘土は、色々な工程を経ていますので、病気を引き起こす物質は含まれていない

(除去されている)と、考えて間違い無いと思います。尚、殺菌消毒されているかどうかは不明で

ですが、ビニール袋に梱包されている市販の粘土でも、表面に黴(かび)が生えている物も見掛け

ますので、必ずしも、殺菌消毒はされていないかも知れません。

但し、短い期間ですが寝かされている可能性があります。

2) ご自分で採取した粘土の場合。

 ① 水に晒されていない環境で採取した粘土(硬く固まった状態)の場合。

  山中や崖っぷちなどで採取した粘土は、微生物が繁殖している可能性は少ないですので、

  比較的安全と思われます。この様な状態の粘土は無臭の事が多いです。

  但し、砂利や枯葉、ゴミやアルカリ成分の等の、粘土以外の物質が混入している場合が多い

  ですので、細かく砕いた後、水簸(すいひ)等を行い、篩(ふるい)に掛けて精製する必要が

  あります。

 ② 川岸や川底の様に水で濡れている場合。

  特に淀んだ場所で採取された粘土には、川に生息している魚や虫の死骸や、植物の腐敗した物、

  水生動物類の排泄物が含まれている事が多く、大腸菌などの病原菌が付いている可能性があり

  ます。勿論、流れている川であれば、常に新鮮な水で洗い流されていますので比較的安全です。

  特にドロドロの状態やヘドロ状態で採取した粘土は注意が必要です。ドロの中にはどの様な

  有機物があるか不明ですが、泥臭い異臭がする場合が多いです。この様な場合には、天日干し

  乾燥殺菌した後、水を入れた容器に浸し、数週間~数ヶ月間放置し、有機物が分解する程度

  放置し、時々水を交換し異臭を取り除きます。尚、夏場などでは蚊(ボウフラ)の発生に気を

  付ける必要があります。勿論ボウフラの死骸が粘土の質を左右する事はありません。

3) 再生土の場合。

 ① 底削り等で削りカス(滓)が発生します。当然これらの粘土も再利用する事ができます。

  ほとんどの場合、清潔な粘土ですので、水に漬けて軟らかくしてから使う事ができます。

  但し、一度成形した土の削りカスですので、使用前の土より、腰が無くなっています。

  その為、数週間寝かせる場合もあります。

 ② 泥(ドロ)の付いた手や用具を洗うと、汚れた水が発生します。又、掃除などを行うと

  砂埃(すなぼこり)が発生します。ほとんどは粘土の粉塵ですが、それ以外の汚れ物が入って

  いる可能性もあります。これらの泥水や砂埃の粘土は、直ぐに下水に放出しないで、再利用します

  但し、一度に発生する量は少量ですので、数日又は数週間以上貯めてから、再生作業に取り

  掛かる事になります。砂埃は水の入った容器に蓄えます。手を洗った際に出る泥水には、人の垢

 (あか)や石鹸などが入り込みますので、そのまま数日放置しておくと、異臭を発する事があり

  ます。

 ③ 下水槽に流れた泥水の処理。

  粘土の泥で汚れた水は、下水槽に蓄え沈殿させてから使います。この下水槽には色々な物が

  流れ込みます。人の髪(かみにけ)以外に、皮や竹べら、布切れなど陶芸用具も入っている事も

  稀ではありません。月に一度程度の割合で「どぶさらい」を行い、沈殿している泥を、容器に

  取り出します。各種の有機物なども含まれる為、特有の「ドロ臭い」臭いがします。

  色々な細菌類も含まれています。これを数ヶ月間放置し、水に晒して発酵させ臭いを取ります。

  (夏場なら1ヶ月、冬場なら数ヶ月)多種類の粘土を利用している場合には、混ざり合った粘土

  になります。このまま利用しても良いのですが、他の新鮮な粘土と混ぜて使用した方が良いで

  しょう。

話が横道に反れましたが、基本的には粘土は不潔な物ではありません。それなりの処理を行えば

安全に使う事が出来き、再利用する事も出来ます。但し、指などに傷が有った場合は要注意です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

現代陶芸 264 池田満寿夫 2

2015-09-05 17:57:14 | 現代陶芸と工芸家達
池田満寿夫(いけだ ますお): 1934年(昭和9年)2月23日 ~1997年(平成9年)3月8日

 旧満州、奉天市生まれ、長野県長野市で育ちます。長野県長野北高校卒。東京芸術大学への進学

 を希望し上京しますが、3度の入試失敗します。その後、当時の前衛美術の先駆者の一人の瑛九

 (えいきゅう、本名、杉田秀夫)が結成したデモクラート美術家協会に参加します。瑛九の助言を

 得て、版画制作に取り組む事になります。その後も、独学で銅版や木版の技法を修得します。

 尚、瑛九に付いては、後でお話します。

3) 作風が大きく変わる。(前回の続きです)

 ③ 大物の制作方法は、ほとんど手捻りで、板状の粘土を使ったタタラ作り技法です。

  高さ1m以上のタタラ(陶板)を使う事も稀ではなかった様です。

  日本の文化に余り関心のなかった池田氏は、帰国後に次第に日本の伝統文化に関心が集まる様

  になります。縄文や弥生土器などの無釉の焼き物や、楽茶碗、織部等の茶器にも改めて関心を

  抱き始めます。日本の絵画を代表するの俵屋宗達や、尾形光琳の装飾技術の影響を受け、版画

  でも金色、銀色を使い出します。

 ④ 死の3年前(1994年)に制作した、「般若心経シリーズ」の作品は、池田の陶芸作品の最高傑作

  と言われています。この作品は、2年掛りの大作で、あの有名な「般若心経」を立体的に造形化

  したものです。高さ約1.5mもの大佛塔6体、佛塔24体、地蔵42体、心経碑34点、心経碗276点、

  心経陶板54点、佛画陶板30点、心経陶片828点と膨大な数で構成されています。

4) 作品発表と「池田満寿夫美術館」「池田満寿夫記念館」

 ① 平成 7年 (1995) 陶版による「Fuji 100展」開催。富士山の様々な景色を描いた陶板画です

    同年      「般若心経の世界展」(京都・大丸ミュージアム他、巡回展を開催)

 ② 「般若心経」シリーズ(三重県三重郡菰野町大羽根園松ヶ枝町、パラミタミュージアム蔵)

   「般若心経シリーズ」の全作品が、第1~第3展示室全室を埋めています。

   尚、「パラミタ」は、「般若波羅蜜多」の「波羅蜜多」の事です。 

 ③ 池田満寿夫記念館:長野市松代町(1997年 4月開館)

  「古代幻視」シリーズの作品群である。「土の迷宮」シリーズの作品群や「美貌の青空」、

  富士山の様々な景色を描いた陶板画を展示。

  1997年(平成9年)2月、最後の陶の作品「土の迷宮」をシリーズを焼成する。

  3月8日、急性心不全により 自宅玄関前で倒れ死去しました。(享年63年)

 ④ 池田満寿夫記念館: 静岡県熱海市下多賀(工房の隣接地)に2007年開館します。

  記念館は、池田氏と奥様の佐藤陽子氏の名前をとった工房「満陽工房」で作られた陶の作品を

  中心に 版画、書、ブロンズなど常時約60点を展示しています。

5) 師の瑛九とは:1911年4月28日 ~1960年3月10日 本名、杉田秀夫:宮崎県生まれ。

  画家、版画家、写真 家。戦前より抽象作品を 始め、フォトデッサンやエッチングを創始する。

  近年、日本の前衛美術の先駆者の一人として、再評価がされる様になりました。

  戦後は、リトグラフ(石版画)などによる版画作品や抽象的な作品(抽象絵画)も多いです。

  「フォトデッサン」とは、写真の印画紙に光によってイメージを描き出す技法で、瑛九が

  1936年(昭和11年)に命名します。 その他、 油絵、水彩、ガラス絵、 コラージュなどの

  多彩なジャンルで活躍しています。この事は池田しにも、多大に影響していると思われます。

  1960年(昭和35年)、病気の為48歳の若さで急逝します。

  尚、「瑛九(えいきゅう)」とは、「水晶珠がたくさん集まってキラキラ輝く」という意味だ

  そうです。

以上で池田満寿夫氏の話を終わります。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

現代陶芸 263 池田満寿夫 1

2015-09-04 16:43:17 | 現代陶芸と工芸家達
池田満寿夫(いけだ ますお): 1934年(昭和9年)2月23日 ~1997年(平成9年)3月8日

 画家、版画家、 挿絵画家、彫刻家、陶芸家、小説家、映画監督など多彩な分野で活躍した芸術家で

 作家でもあります。尚、「エーゲ海に捧ぐ」で、第77回芥川賞(昭和52年/1977年上期)を受賞され

 ています。 43歳4ヵ月での受賞です。

 特に、二十代中頃から、版画家として世界の公募展で多くの大賞を獲得し、活躍した世界的にも

 著名な人物です。

1) 陶芸を始める。

 ① 陶芸は、米国に滞在中の38歳から始めます。平面的な絵画や版画等の他、立地的な彫刻を

  手掛けていた池田氏にとって、立体を取り扱う陶芸を行う事はある意味、必然性が有ったとも

  思われます。 陶芸に興味を覚えたのは、周囲に陶芸を行っている外国人もいて、その影響も

  あり、「好奇心があった」とも述べています。

  但し、当時小さな電気窯を買って、アトリエに設置したとの事ですが、一度も使う事がなかった

  様です。 興味はあったが、陶芸に時間を割く事が少なかった様です。

 ② 陶芸は一時中断しますが、米国より帰国後の1983年49歳の時、陶芸を再開します。

  切っ掛けは同年、誘われて静岡県南伊豆町の、日本クラフトの岩殿寺窯で轆轤を回した事で、

  一気に陶芸の虜になります。それ以来本格的に作品作りに励んでいます。

  岩殿寺窯では、約2年間の作陶生活を送っています。池田氏は陶芸について「なんといっても

  インスピレーションと成り行きだけで、どんどん形を作っていけるシステムが私を興奮させた」

  とその魅力を語っています。(1992年8月24日付読売新聞夕刊)

 ③ 岩殿寺窯での成果は、日本橋高島屋で発表しています。(1984年)

2) 最初は若いスタッフ達に、轆轤で壷や皿を形作らせ、それを彼なりに変形させて作品を作って

  いました。陶芸以外に多くのジャンルで作品を手掛けていた為、十分時間が取れなかったのも、

  一つの原因ですし、誰かに正式に陶芸を学ぶ機会や時間が、なかったからとも思われます。

  窯はガス窯(2立米)と電気窯(0.3立米)を使用して焼成しています。

  これらの窯は、釉の色や形(造形)を表現するのに向いた窯と言えます。

3) 作風が大きく変わる。

 ① 1993年、山梨県増穂町(現、富士川町)に野焼き風の焼成が可能な薪窯(まきがま)の

 「満寿夫八方窯」を造ってから、本格的に自分で制作する様になります。この窯では、「縄文焼」

  「古代幻視」「般若心経」などのシリーズ物を含め、約2千点程の作品を制作しています。

  制作方法は主に陶板のタタラによる、オブジェの作品です。その他、塊(かたまり)作りによる

  抹茶々碗、小さな地蔵様、更には、叩き技法による花瓶などを制作しています。尚、「八方窯」

  の名前は、焚き口が八つある事から来ています。これは、裏表の無い焼き物を作りたいとの願い

  があります。内壁の高さは180cm以上ある大きな窯ですので、高さ1m程度の作品は楽々

  焼く事ができます。薪(まき)窯は土の色(味)を如実に反映し、炎の行方で千差万別の表情を

  作るのが魅力に成っています。

 ② 自分に適した陶土を求め、日本の土を試し適した陶土を見出す。

  大物の作品には、瀬戸で作られていた土を見出します。信楽土にシャモット(焼粉)を混ぜ、

  切れや収縮を抑えた耐火度が強い土です。尚、抹茶々碗や小地蔵、花瓶などは唐津の粘土を

  使っています。

 ③ 大物の制作方法は、ほとんど手捻りで、板状の粘土を使ったタタラ作り技法です。

以下次回に続きます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

現代陶芸 262 俵萠子(五十の手習い)3

2015-09-03 15:02:56 | 現代陶芸と工芸家達
俵萠子(たわら もえこ): 昭和5年(1930年)12月7日 ~ 平成20年(2008年)11月27日

1) 陶芸に興味を持った切っ掛け。

2) 念願の弟子入り。(以上が前回までお話した事です。)

3) 各地の工房を訪問し、工房の作り方を研究する。

 ① 最初は赤城の自宅の居間で、新聞紙を敷いて作品を作っていましたが、部屋が汚れる事が

   問題となります。

 ② 狭い庭に三畳程の工房(市販のサンルームを利用、80万円との事です)を作り、小さな

   洗い場と念願の電動轆轤と、より大きめの窯を購入します。ここまでで150万円程かかった

   との事です。冬場にはお湯が必要と実感し、給湯器も備えなければ成りませんでした。

   「焼き物にお金がかかるのではない。焼き物をする場所と設備に金がかかる」事を悟ります。

 ③ 更に良い工房を充実させる為、講演の為各地を旅行した際には、各地の工房を訪問し工房の

   作りや環境等を見て周ります。工房訪問が趣味となり、「工房評論家」になろうとする程に

   なります。

4) 1990年、銀座三越で初の個展を開催する。

  1992年、群馬県高崎スズランデパートで個展を開催。以後個展多数。

  個展を開催しようと思い立ったのは、陶芸の師匠である、熊本高田焼の窯元の酒井雅女氏から

  「売れる様な焼き物を作りなさい」と言われた事も大きく関係している様です。

  売れる作品を意識する様になると、陶芸の技術も「メキメキ」と上達したと述べています。

  一般に、ほとんど無名な陶芸家が、有名なデパートで個展を開く事は不可能です。

  勿論、俵さんは、著名人ではありますが、陶芸家としては、ほとんど無名な方ですので、銀座

  三越で個展を開催できたのは、有力者の紹介があった為と思われます。

  尚、高崎は地元ですので、地元デパートでの個展開催は、他人の力を借りなくても、スムーズ

  に行ったと思われます。

  1995年、「がんばれ!阪神ー俵萠子展」 阪神大震災チャリチー個展開催。

  七日間の入場者数は、2千人との事でした。
  

5) 1991年、陶芸教室をオープンする。

  地域お越しと、陶芸の楽しさを人々に伝え様と思い、陶芸教室を開催する事にします。

  募集を掛けた処、辺鄙な土地柄にも関わらす、予想に反し数百人の応募があったそうです。

  当時は焼き物が大変なブームであった事と、俵さんが有名人で有った事も大きく関係している

  かもしれません。その中から数十名の人を選択し生徒にします。選に漏れた方は、空き待ちの

  状態でした。当初予定した部屋では、入りきれず新たな部屋を建てる事にもなります。

  数十人の生徒と十人程度のスタッフを抱え、陶芸教室は順調に発展して行きます。

  窯も三つ持つようになります。

6) 1995年、俵萠子美術館オープン:館長を務める。

  ご自分の美術館を持つ事は、若い頃からの夢であった様です。勿論、ご自分の作った作品を

  展示したり、作品を販売する事も行っています。尚、個展などで販売する場合、その会場に

  支払う、マージンが意外に高く(数十%)、それを作品に上乗せする為、販売価格が高くなって

  しまう事にも、不満が有ったようです。現地販売する事で少しでも安く作品を提供したいと、

  思っていました。美術館は、当初予定していた陶芸教室を利用する事にします。

7) 赤城山の麓に工房と美術館を持ち、色々なイベントを執り行い、陶芸三昧の晩年でしたが

  2008年11月末、死去(病死)されます。それに伴い、美術館と陶芸工房は閉館する事になります。

  俵さんの代表的た作品は、原点である葉皿です。その他師匠が象嵌の作品を得意にしていました

  ので、その技術を生かした、象嵌の作品も代表的な作品になっています。

以上にて、俵萠子さんの話を終わります。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加