わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代の陶芸227(寺田康雄1)

2012-10-30 21:30:41 | 現代陶芸と工芸家達

寺田氏は、愛知県瀬戸市で、割烹食器を専門に製造する窯元の四代目として生まれます。

その様な環境の下ですが、伝統に囚われないオブジェや陶壁、そして、皿や花器などに新たな装飾

方法を取り入れ、新たな焼き物を創造します。更には古窯の復元などと、幅広い活動をています。

1) 寺田康雄(てらだ やすお): 1948年(昭和23) 〜

   〃侘

    1948年 愛知県瀬戸市で、窯元の四代目として生まれます。

    1967年 愛知県立瀬戸高校を卒業します。

    1972年 「朝日陶芸展」」(朝日新聞社主催)に初入選を果たします。

    1973年 多摩美術大学の彫刻科を卒業します。

    1976年 「現代工芸展」に入選します。

    1977〜1988年 愛知教育大学講師に就任します。

           (1988〜 豊橋短期大学講師、2009年〜愛知県淑徳大学教授)

    1982年 「朝日陶芸展」で、グランプリ賞を受賞します。

    1984年 「日中美術展」(台北竜門画廊)に出品します。

    1986年 「朝日陶芸グランプリ受賞作家新作展」(東京・池袋西武)に出品。

    1988年 「八木一夫賞展」に入選します。

    1989年 「セラミックアート展」に入選します。

      故宮博物院(台北)に、『金滴壺』が収蔵されます。

    1994年 「朝日現代クラフト展」に招待出品。

    2007年以降毎年「清豊寺窯展」(名古屋市民ギャラリー)開催。

  顱法仝津犬眤燭開催しています。

   ・ 国内: 日本橋三越、渋谷西武、萩・彩陶庵、神奈川・KSPギャラリー、長野・東急、名古屋・

     MOAギャラリー、新宿小田急など。

   ・ 外国: 英国、台湾、韓国などで開催しています。

  髻法‘壁やモニメントの製作も盛んに行っています。(他の陶芸家との共同制作が多い様です)

     古備NCモニメント(1983)、東陽中学・砂町中学・江戸川高校(1985)、アイコー本社ビル

     (1986)、森新空港陶壁(1987)、 東海大菅生高校陶壁(1989)、 日本競輪会館(前橋)

     モニュメント(1990)、三次風土記の丘モニュメント・(広島、1991)、2000年 建国寺陶壁

     「時の風」「日の風」(1991)など多数。

   鵝法ご本人は「築窯家」と呼んでほしいと言う程に、全国各地の日本古来の窯を復元し、

     新たに築いています。

   1996年 中京大学豊田学舎に、桃山時代の「大窯」を復元・焼成します。

   2002年 国指定史跡 元屋敷大窯復元。

   2004年 14連房元屋敷の登窯復元完成。(豊田中京大学キャンパス内) その他、多数

  ◆〇田康雄氏の陶芸。

    彼の作品は大きく分けて、手捻りによるオブジェ的な作品(陶壁やモノメントを含め)と、轆轤で

    制作した実用的な壷、甕(かめ)、皿、鉢、花器などに分かれます。

    最初に手掛けた作品は、オブジェを中心とした作品です。

以下次回に続きます。 

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現代の陶芸226(十四代 中里太郎右衛門)

2012-10-29 21:40:20 | 現代陶芸と工芸家達

唐津焼きは、16世紀に渡来した李朝(朝鮮)の陶工達によって発展した焼き物で、現在でも茶陶から

日常雑器まで、多くの種類の作品が作られています。中でも中里家は、江戸時代より続く由緒ある、

窯元で、多くの陶工や陶芸作家を輩出している、唐津焼を代表する家柄です。

1) 十四代 中里太郎右衛門(なかざと たろうえもん)本名 忠寛(ただひろ) : 1957年(昭和32)〜

  〃侘

   1957年 十三代 太郎右衛門の長男として、唐津の窯元の家に生まれます。

   1979年 武蔵野美術大学 造形学部彫刻学科を卒業し、1981年、同大大学院を修了します。

   1983年 多治見陶磁器意匠研究所の釉薬科を修了します。その後

          国立名古屋工業試験所の釉薬科を修了します。

          父の陶房(中里太郎右衛門陶房)で、作陶を始めます。

   1984年 日展で青唐津手付壷「貝緑」で、初入選を果たします。

   1990年 日展で「焼締壷」が特選に選ばれます。

   1999年、東京・日本橋高島屋で初の個展を開催し、好評を博します。

   2000年 第5回アジア工芸展で、文部大臣賞を受賞します。

   2002年 十四代 太郎右衛門を襲名します。

   2003年 日本伝統工芸展で「叩き唐津焼締壷」が入選します。

   2011年 襲名10周年記念の個展を開催します。(福島県いわき市平・小野美術)

 ◆‖析艮Ρ厂膸瓩瞭芸

   顱法”霏¬酥術大学で、彫刻を学んだ関係で、襲名する二年程前までは、オブジェなどの前衛的

      な造形の作品を作り、各種の公募展で入選や入賞を重ねていました。

      「日展」でも特選を得ています。

   髻法)臣秀吉400年を記念した、名護屋城での献茶式に2000個の茶碗を制作したのを

      機会に、茶碗造りに取り組む様になり、以後オブジェの作品造りは封印し、伝統的な唐津焼

      に取り組む事になります。(注文は400個でしたが、2000個轆轤挽きしたそうです。)

    鵝法〜瀝遒靴虜酩福

       「十四代襲名記念展」には、茶碗、水指、壷、花器などの作品を発表しています。

       その中でも、白(又は緑)地黒掻落しの技法による作品が注目を集めます。

      a) 白と黒、又は緑と黒と明度差のある色合いが、強い存在感を表しています。

      b) 彼の掻落しの技法は、轆轤成形した器に白(又は緑)化粧土を掛け、更に鉄釉

        (黒釉)を掛けて、鉛筆などで、線などで下書き(当たり)を施してから、線の部分は

        竹へらで、小さな面は、 自作のカンナで掻落し、文様は陽刻にします。

        その後、透明釉を掛け焼成します。

        この技法は、中国・北宋時代に河北省の磁州で焼かれていた技法で、毎年の様に中国を

        旅行している太郎右衛門が、魅了した焼き物です。   

       ・ 現代ではこの技法を取り入れた作品は少ないそうで、太郎右衛門氏の独壇場となって

         います。

      c) 描く絵柄は、牡丹(ぼたん)、芙蓉(ふよう)、椿、雲など植物や、自然現象を題材にして

        います。中国の技法に日本的な絵柄を組み合わせています。

      d) 作品としては、唐津白地黒掻落し壷、唐津白地黒掻落し葉文瓶、唐津緑地黒掻落し

        芙蓉文壷、唐津緑地黒掻落し雲流文壷などがあります。

      ・ 茶碗は、唐津茶碗、唐津井戸茶碗、唐津井戸刷毛目茶碗、彫唐津茶碗などがあります。

次回(寺田康雄氏)に続きます。

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現代の陶芸225(三輪和彦2)

2012-10-27 21:46:02 | 現代陶芸と工芸家達

1946年に東京国立近代美術館(京橋)で開催されていた「現代国際陶芸展」で三輪氏は、世界

各国の陶芸作品に遭遇しす(当時中学1年生との事)。

その中で、ピーター・ヴォーカス(ギリシャ 系米国人、美術家)の白い皿に感激し、更に1971年

近代美術館(竹橋)での「現代陶芸展」で、ジョン・メイスンの真紅の直方体の作品を見て、米国の

焼き物に興味を抱く様になり、米国に留学する事になります。

  注:戦後のヴォーカスらによる米国の造形的な陶芸は、粘土を工芸素材から彫刻素材へ昇格させ、

    陶芸の伝統にこだわることなく、前衛的アートの作品を制作しています。

三輪和彦氏のデビュー作の「DEAD END」の作品は、米国留学からの帰国の3年後です。

この作品は、彼の留学中に受けた米国の前衛的現代アートに、大きく影響されたものと思われます。

即ち、偶然性と必然性によって作り出された、独創的世界の作品を目指すものです。

体に絵の具を塗りつけ、紙(カンバス)の上を転び回ったり、ターザン風にロープで飛び回り絵の具を

擦り付けたり、絵の具をカンパスに投げつけたりした作品で、一時流行したアートです。

この影響からか、土の上をバイクで走り、タイヤ痕(轍=わだち)を残す作品を作ったものと思われます

前置きが長くなりましたが、今回の本題に入ります。

  ◆〇偉慙舵Щ瓩瞭芸。

   ) 2007年 三輪氏は2006年度の日本陶磁協会賞を受賞しました。

      この賞は、その年度に最も優秀な陶芸作品を制作した作家に贈られる賞で、同協会賞

      記念展が、東京・銀座の和光ホールで開かれました。

    ・ 対象に成った作品は、「黒の遺構」と題する作品で、兵庫陶芸美術館開館記念特別展に

      出品した陶制の大型造形物です。約20トンもの陶土を使い、45cm四方、高さ2mの角柱

      25本で、ギリシャ神殿風の力強い巨大空間を構築した作品です。

      スケールの大きな焼き物は、これと格闘した作家の努力と自己表現の力強さが賞賛評価

      されたものです。

    ・ 三輪氏は「人間が持つ根源的な欲求や、大地が孕むエネルギーを大胆に造形表現し、

      その制作モチーフが理解された」と、受賞を喜んでいます。

   ) 近年、三輪氏はオブジェ的作品以外にも、萩焼の伝統的な作品も作っています。

      作品は主に茶陶で、茶碗、水指、懐石料用向付けなどの食器類や、花器等です。

      これらは、各地で行われる個展で発表しています。

     ・ 2000年の「三輪和彦の茶室・黎−REI−」展(山口県立美術館)

     ・ 2005年 「三輪和彦ー魔に入るー」(JR名古屋・高島屋)

        三輪家伝来の白萩釉で、茶碗の創作に取り組くんでいます。

        彼は「碗が持つ底知れぬ魔の世界」に引き込まれて行様だ、と述べています。

     ・ 2007年 「三輪和彦 春華を待つ展」(名古屋・松坂屋)

        春を待ち望む気持ちを込めた「花冠」・「花入」がずらりと展示されました。

     ・ 2010年 「三輪和彦 白い楔子展示」(松坂屋)

     ・ 2012年の「三輪和彦 淵淵(えんえん)の白供彭検陛豕・高島屋、名古屋・大丸、

        松坂屋など)。 刳り貫き(くりぬき)技法により制作した作品や、三輪家特有の

        白萩釉の掛かる、造形志向の強い花器や茶道具を展示しています。

次回(14代 中里太郎右衛門氏)に続きます。

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現代の陶芸224(三輪和彦1)

2012-10-26 22:22:23 | 現代陶芸と工芸家達

 萩焼の窯元の家に生まれますが、そのデビュー作品は衝撃的で、萩焼とは無関係な斬新な

巨大な「オブジェ」で、独自の表現を追求した作品と成っています。

以後も巨大なオブジェの作品を発表し続けているのが、三輪和彦氏です。

1) 三輪和彦(みわ かずひこ): 1951年(昭和26) 〜

   〃侘

   1951年 11代三輪休雪(人間国宝)の三男として、山口県萩市に生まれます。

   1975年 米国に留学、サンフランシスコ・アート・インステテュートに学びます。

   1981年 帰国し、「三輪窯」で作陶を開始します。

   1984年 現代の陶芸II「今、大きなやきものに何が見えるか」(山口県立美術館)に出品し、

          デビューします。

   1987年 「机上空間の為のオブジェ」展を開催します。(東京・渋谷西武)

         個展「恒久破壊」を開催(東京・ギャラリー上田)。

   1988年 「東西現代陶芸展」に出品します。(韓国・ソウル)

         中川幸夫・三輪和彦「ばけるほのお」展を開催します。(萩・ぎゃらりい彩陶庵)

   1989年 埼玉県立近代美術館(浦和)で「アート・エキサイティング」に出品。

   1990年 「土の発見・現代陶芸と原始土器」(滋賀県立陶芸の森陶芸館)に出品。

         西瀬戸現代美術展(愛媛県立美術館・松山)に出品。

   1991年 個展「白い夢」(東京・日本橋三越)を開催。

   1991〜1992年 「立体表現の流れ」展を、山口県立美術館で開催。

   1992年 日本の陶芸「今」百選展出品(パリ・三越エトワール、東京・日本橋三越)

         「陶芸の現在性」展出品(東京・池袋西武、神戸西武)

         個展「白い夢 '92」(東京・日本橋三越)

   1993年 素材の予感(東京・スダスタジオ) 

   1996年 松坂屋美術館「三輪窯・伝統と革新の歩み」展出品

   2000年 山口県立美術館「三輪和彦の茶室・黎−REI−」展出品

   2002年 岐阜県陶芸美術館「現代陶芸の100年」展出品

   2003年 茨城県陶芸美術館「現代陶芸の華−響き合う色と形」展出品

   2005年 第3回 京畿道 世界陶磁ビエンナーレ「横断する陶磁芸術の世界」(韓国)

   2006年 ceramic NOW+(兵庫陶芸美術館)。

   2007年 2006年度日本陶磁協会賞を受賞します。「黒の遺構」の大作が評価されます。

  ◆〇偉慙舵Щ瓩瞭芸。

   顱法“爐瞭芸界へのデビューは、1984年に発表した「今、大きなものに何が見えるか」で、

      会場に四十数トンの生土を持ち込み、その上をバイクやジープで走り回り、その轍

      (わだち)の作品「DEADEND]です。(当然焼き物ではありません。)

       作品の大きさは: 2000 x 8000 x 6000 cmです。

    髻法―蕕慮津検1987年)の「恒久破壊」の作品は、生土で作った円筒形の一端を切り開き、

      自然に亀裂を生じさせた物で、土が持つ生命観と、存在性を確認する作品と成っています。

    鵝法〕眷の個展では、直径1.5 m程のドーナツ状の形で、「Untitld '88−機銑后廚

       題された作品は、野焼きで制作されています。

       トラック数台分の薪を使い、畑の真ん中で焼成した作品です。作品の表面は熱でひび割れ

       が多数発生しています。

       大きさは: 高 370〜600、径 1180〜1400 cm。

    堯法1987年の「机上空間の為のオブジェ展」では、細い円柱形の針山状の作品「変奏曲」を

      発表しています。

    ) 1989年には「無想の地機銑此廚虜酩覆悗搬海ます。

      基本形は、ドーナツ状の作品を、1〜数個並べた物で、各所に大きな割れやひびが入った

      作品に成っています。

      大きさは:365〜1050 x 2260〜2400 x 620〜910 cmの大作です。

   ) 1993年には、上記の関連した作品の、「無想の地ー砦」が鳴門市の恰美術館に収蔵され

       ています。大きさ: 2000 x 4300 x 1600 cm。

   ) 1991年より、「白い夢」シリーズを制作しています。

      歪んだ円筒形や鼓状の土台の上に、白い円錐状の作品が載っている様に見える作品で、

     先の尖った先は、天に向かって伸びて行く様に表現されています。

     大きさは: 高 805 x 径 530 cm。高 464 x 径 367 cm。高 397 x 径 273 cm。

            170〜350 x 130〜340 x 126〜306 cm。

以下次回に続きます。

 

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現代の陶芸223(今千春)

2012-10-25 22:03:37 | 現代陶芸と工芸家達

雪の降る新潟県長岡市や、福島県石川郡で窖窯(あながま)や登窯による、信楽焼きの焼き締陶器の

作品を焼いているのが今千春氏です。

1) 今千春(こん ちはる):男性: 1951年(昭和26) 〜

     「木火窯」(長岡市宮本)及び、「陶工房千」(福島県石川郡平田村)にて、作陶しています。

   〃侘髻 А 幣椶靴し侘鬚蓮公表されていません。)

   1951年 新潟県長岡市に生まれます。

      武蔵野美術大学を卒業後、故辻清明氏(東京多摩に在住)に師事し、信楽焼を学びます。

        注: 辻清明氏(当ブログ現代陶芸37、38を参照の事)

            辻協氏(当ブログ現代陶芸82を参照の事)

   1980年 長岡に窖窯(あながま)を築き、独立します。

   1991年 「焼き締め陶公募展」に入選します。

   1992年 「淡交ビエンナーレ茶道美術公募展」で、家元賞(奨励賞)を受賞します。

   2003年 福島県石川郡平田村に登窯を築きます。

   2011年 「開窯30周年展」を朝日酒造の松籟閣(新潟県長岡市)で開催します。

   その他、作品の発表の場として、主に個展を活用し、グループ展も行っています。

  ・ 個展は、渋谷黒田陶苑、新宿伊勢丹本店、渋谷東急本店、銀座松屋(以上東京)

阪急梅田本店(大阪)、名古屋三越、新潟三越、新潟大和、金沢大和本店、斗々庵ギャラリー
 
(富山)など各地で開催しています。 

  ◆〆千春氏の陶芸。

    一般に雪の降る地方、即ち土が凍る様な土地では、陶芸は不向きと言われています。

    轆轤挽き(手捻りでも同じ)した作品は、凍る様な場所に放置して置くと、土の中の水分が凍り

    膨張する事で、作品が破裂する(又は割れる)と言われています。

    それ故、冬場は作陶を行わないか、作品が凍らない様な室(むろ)に収納する必要があります。

    即ち、余分な設備が必要になる訳です。

  顱法/楽の原土(白色で肌理の粗い土、黄の瀬土)を使って制作しています。

  髻法〆遒觝酩覆蓮茶道具(茶陶=抹茶々碗)、水指など)、食器類(皿、片口など)、酒器(徳利、

     ぐい呑など)、日用雑器(鉢、擂鉢など)、壷、花器等多肢に渡ります。

  鵝法\作方法は、轆轤挽き、手捻り、叩き技法、タタラなどで、作品に応じて使い分けています。

  堯法〆酩覆鰐去悗両討締めで、窖窯(あながま)で焼成し、緋色(火色)や窯変、薪の灰による

     自然釉や灰被りの作品が、代表的な作品に成っています。大きな豪快な作品も数多く制作

     しています。

    ・ 雪国である為、窯は屋内に築かれているそうです。

      1250℃以上の高温で数日間焼成する事で、原土に含まれる長石(ハゼ石)も土と灰と

      熔け合い、信楽焼きの独特の表情が現れます。

      又、灰が多く降掛った作品は灰被(はいかつぎ)と言い、炭化した部分や焦げた部分、

      「トンボの目」と呼ばれる、「ビードロの溜まり」が出現します。

      これらが渾然一体となって、施釉した作品とは異なる、焼き締めならではの表情を与える

     事になります。

   ) 今氏は焼き締め以外にも、粉引、瀬戸黒等施釉した作品も手掛けています。

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現代の陶芸222(松崎健)

2012-10-24 21:41:14 | 現代陶芸と工芸家達

栃木県益子町には、大小多くの窯元が有り、陶芸家や陶芸家を目指す人が数百人いるとも言われて

います。その中で、島岡達三氏(人間国宝)に師事し、独自の技法を確立したのが、松崎 健氏です。

1) 松崎健(まつざき けん): 1950年(昭和25) 〜 : 遊心窯

   〃侘

   1950年 日本画家の松脩己氏の三男として、東京に生まれます。

   1972年 玉川大学 芸術学科 陶芸専攻を卒業し、益子焼の島岡達三氏(後の人間国宝)の

       門に入り、師事します。

   1977年 栃木県益子町に窯を築き、独立して現在に至ります。

   1978年 京王百貨店(新宿店)にて個展を開催し、以後毎年開催いています。

   1980年 阪急百貨店(大阪うめだ本店)にて個展を開催します。

   1984年 国画会・会友優作賞受賞

   1993年 ニューヨークに於いて「近代日本陶芸展」にて師弟展を開催します。

   1997年 西武百貨店(池袋店)にて、日米陶芸4人展を開催します。

      (島岡達三、松崎健、ウォーレン・マッケンジー、ランディ・ジョンストン氏の4人です。)

   2000年 栃木県立美術館にて、「栃木県美術の二十世紀鏡蘿の扉展」を開催。

   2003年 ニューヨーク・メトロポリタンミュージアムにて「織部−転換期の日本美術展」に出品

   2011年  銀座松屋 「松崎融・健兄弟師弟展」 (銀座松屋)(松崎融:木漆工芸家)を、

         宇都宮の青木ギャラリーにて個展を開催します。

   2912年 青木ギャラリーで東日本大震災復興支援特別企画「松崎健 大皿展」を開催。

      地元の復興活動を支援するこの展示の為に、 直径90cmの大皿など30点の大作を

      焼き上げています。 

    その他、英国、米国(ニューヨーク、ボストン、ロスアンゼルス等)で多数の個展やグループ展に

    出品しています。

  ◆‐昇蟷瓩瞭芸。

   顱法“爐蓮後に人間国宝となった島岡達三氏の門下として、陶芸の修練を積み、五年後に

      独立します。

   髻法‘販して15年間は、生活に結びついた食器器を中心に作陶しています。

      その後は、島岡氏の窯変に憧れ薪窯を作り、窯変を中心に作陶活動をしています。

      島岡氏から、灰被窯変の技法を学びますが、その技法を単に引き継ぐだけに終わらず、

      独自の作品へと発展させます。

   鵝法‐昇蟷瓩龍畴作る作品は、茶盌・鉢・徳利・ぐい呑・湯呑・扁壷・壷・大壷・方壷・水指・

       花器・香炉など多種類です。

   堯法ゞ畴新たに築いた登窯で焼成し、窯変灰被・灰被耀変志埜(ようへん しの)・耀変志埜・

       耀変金志埜・金志埜・窯変灰被刻文と名付けた作品を発表しています。

       尚、この登窯は、形は登窯ですが、実際は窖窯(あながま)に近く、焚口が一箇所との事

       です。

    a) 耀変志埜とは: 志野釉を掛けた作品を炭化焼成させた物で、「耀変」と命名し、松坂氏

      独自の「志埜(しの)」と成っています。

    b) 金志埜:やや赤味が掛かった金色に発色します。

       「金志埜は厄介の奴で、少しでも窯の中の雰囲気が違うと金にならない。」

       「灰被耀変志埜の鮮やかな紅の耀き、金志埜のやわらかい金色に微妙な耀きが

        それぞれに加わり耀変が雅の世界を繰り広げてくれる。」と松崎氏は述べています。

    c) 灰被耀変金志埜: 灰被窯変の技法を志野焼に用い、灰被耀変金志埜を生み出します。

      松崎の灰被耀変金志埜は、伝統的な志野からは、かなり異なる志野の作品にも見えます

      灰被耀変金志埜を作り出すには、登り窯の炎が不可欠との事です。

      7日間の焼成の末、炎よって生まれるのが灰被耀変金志埜との事です。

    d) 窯変灰被刻文の作品: 刻文は器面に平行の溝を、直線や斜線、曲線などで表現した

       作品で、彼の作品の特徴に成っています。

       ・  窯変灰被刻文花器・ 線刻文壷等。

   ) 釉にも工夫を凝らしています。

      織部、黒織部、黄瀬戸、志野などの作品を作っています。

     ・ 掛分織部大皿、鳴海織部扁壷、窯変織部水指

     ・ 織部黒茶盌     ・ 黄瀬戸扁壷などの作品があります。

   伝統に囚われず、伸びやかな創作活動で、感性溢れる造形を開拓し、独自の作風を作りあげて

   活動しているのが、松坂 健氏です。

次回(今千春氏)に続きます。

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現代の陶芸221(中里太亀)

2012-10-22 21:50:07 | 現代陶芸と工芸家達

東京で大学生活をしていた頃、唐津に帰省中に、何時もと違う酒の旨さを感じます。

その理由が、家で作った土物の酒器の為と解かり、焼き物の良さに目覚めます。

1) 中里太亀(なかざと たき): 1965年(昭和41) 〜 : 隆太窯

  〃侘

   1965年 唐津の陶芸家の中里隆氏の長男として生まれます。

   1988年 父隆氏の下で陶芸を始めます。

   1993年 柿傳ギャラリー(東京・新宿)にて、中里隆、奥三十郎、 三人展を開催します。

   1994年 万葉洞みゆき店(東京・銀座)で、父子展を開催します。

   1995年 伊勢丹新宿店で初の個展を開催します。

   2000年以降、GALLERY一番館(福岡店)にて、個展を5回開催しています。

     以後も各地で個展を開催しています。

   2006年、新しく登り窯を設計、築窯します。

 ◆|耄ぢ正技瓩瞭芸

   大学卒業後、父中里隆氏の下で、本格的に陶芸の修行に入ります。

   作品は主に、茶道具類や、鉢や片口などの食器類と、花器(花入)などが多いです。

   顱法“爐蓮唐津特有の鉄分が多い赤土を使用しています。

   髻法〇嫋△領柑瓩茲蝓轆轤挽きの要領を学んだ事は、「土の中心を出す」と言う事です。

      土殺しによって土の中心を出しますが、この技術をしっかり身に付ける事で、初めて轆轤を

      自由に制御できると教わります。

     更に、轆轤で多くの作品を作る事で、体や指の動きに無駄が生ぜず、轆轤のスピードも

     早くなり、作品にも勢いが出て来ると言われています。

   鵝法″橄發蓮桃山時代に、朝鮮の陶工達が我が国へ持ち込んだ、足で蹴って回す蹴轆轤

      (けろくろ)を用いて成形しています。

      (美濃や瀬戸などでは、手回し轆轤を使っていました。唐津が後発の窯であった為、抵抗が

      少なかったのも、大きな原因の一つです。)

    ・ 蹴轆轤は、一般に右足で蹴って、左回転(反時計回転)で使いますが、左足で蹴ったり、

      右足を引く様に使えば、右回転(時計方向回転)になります。即ち、臨機応変に回転方向を

      変える事が出来る事と、回転速度も微妙に変化できる利点があります。

      彼の場合は、成型時には右回転で、底削りの際には、左回転で使用しています。

    ・ 更に、「牛べら」と呼ばれる、独特の道具を使い見込み(内側)部分を一気に、形作るのも

     特徴の一つです。

    ・ 釉や窯焚きなども、回数が多い事が大切で、「数は質を凌駕する」事を学びます。

    ・ 窯は登窯と窖窯(あながま)を使い分けている様です。

      窖窯は焚き口が長く、勾配も緩やかで、意図的に温度上昇が遅い窯を使用しています。

  鵝法‥眥兎酥擇砲弔い董

    父隆氏より引き継いだ、唐津南蛮の技法は、父に劣らない出来栄えになっています。

    薄作りで非常に軽く作られた、片口、鉢や壷、花入等の作品は、無釉で焼締られています

    くすんだ黒色の下には、強い緋色が器の見込み部分等に発色しています。

次回(松崎健氏)に続きます。

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現代の陶芸220(佐藤和彦)

2012-10-21 22:20:55 | 現代陶芸と工芸家達

手捻りの実力者で、食器類の作品は電動轆轤と同程度に、薄く綺麗な形に作られています。

1) 佐藤和彦(かとう かずひこ): 1947年(昭和22) 〜

  〃侘

   1947年 神奈川県藤沢市に生まれる。

   1970年 東京芸術大学美術学部工芸科を卒業します。

   1972年 同大学院陶芸専攻を修了。在学中に藤本能道、田村耕一氏に師事します。

      修了作品「彩文Т錙廚紡个靴謄汽蹈鵝Ε鼻Ε廛薀鵐織鷯泙鮗賞。 自宅に窯を築きます。

   1973年 東京セントラルにて個展。

   1976年 新宿京王百貨店にて「朝陶会展」に出品。

   1979年 ニューヨーク「ブルーミングデール」にて「ジャパンセラミック展」に出品。

   1982年 西武池袋店にて「彩道会展」に出品。

   1983年 「現代日本陶芸展」ワシントン、ロンドン巡回展に出品。

   1984年 「小原流研美会花展」のための花器を製作します。

   1996年 新宿京王百貨店にて個展を開催します。

   1999年 誠文堂新光社より「手びねり陶芸塾」を出版。  NHK「やきもの探訪」出演。

   2001年 韓国「陶磁エクスポ2001」に招待。

   2004年 信楽「陶芸の森」招待講師になります。

  ◆〆監O舵Щ瓩瞭芸

    顱法〆酩覆麓腓法玉造り、紐造りや、タタラなどの手捻りで、轆轤で作った様に綺麗な形の

       物が多いです。

      a) 玉造り(塊造り)の利点は、一個一個土の量を秤で計り、同じ分量にする事が出来る

         点にあります。その結果、作品の大きさを揃え易くなります。

      b) 紐造りは、どの様な作品にも対応出来る事です。

         一般に、輪積みの方法と、螺旋状に巻き上げて積む方法があります。

       ・ 丁寧に且つ綺麗に積み上げるのでしたら、輪積みの方法が良く、初心者向けとなります

       ・ 巻き上げ方は、紐の太さが均一に出来る様になれば、安定して積み上げる事が可能

         です。いずれにしても、紐同士はしっかり接着し、繋ぎ目が見えない様に滑らかにします

         数段積み上げたら、ある程度乾燥させてから、上部に土を積み重ねます。

       ・ 玉造りや紐造りでは、肉厚が厚く成りますので、作りながら指で摘んだり、土を外側から

         叩いて、肉薄にします。更に、「カンナ」や「彫塑へら」などで、作品を削り形を整えると

         共に作品を軽くする必要があります。

      c) タタラ(板状の土)では、角皿、方形の花器等、大きな作品を軽く作る事が出来ます。    

    髻法“爐虜酩覆箸靴討蓮湯呑み、ご飯茶碗、中小の鉢などの食器類や蓋物、壷、花器などが

       多い様です。

    鵝法〇藩僂靴討い訶擇蓮美濃と信楽土8種類ほどを「ブレンド」したものです。

       「ハゼ石」の混じる鉄分の多い赤土で、味のある焼き物となっています。

       土鍋の場合には、市販の鍋土や急熱急冷用の土を使います。

       又は、耐熱度の高い道具土を3〜4割混ぜて使用しても良い様です。

    堯法〜飾方法は、化粧掛け(刷毛目、スポンジ塗り)や粉引き等が多い様です。

    ) 焼成は電気窯を使い、冷却還元(還元冷却)の技法を取っています。

        即ち、900℃〜1280℃まで還元焼成で温度上昇し、その後、800℃まで還元のまま

        徐々に冷却します。焼き上がった作品は、錆びた金属色やグレー色になります。

次回(中里太亀氏)に続きます。

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現代の陶芸219(鈴木徹)

2012-10-20 22:13:47 | 現代陶芸と工芸家達

釉の専門家である、祖父鈴木道雄氏と、織部に大胆なデザイン化を施した、人間国宝の父鈴木藏氏の

家系に生まれ、地元美濃の織部に拘りながらも、新たな織部を目指して活動しているのが、鈴木徹氏

です。

1) 鈴木徹(すずき てつ): 1964年(昭和39) 〜

  〃侘

  1964年 岐阜県多治見市に、鈴木藏氏(人間国宝)の長男として生まれます。

  1987年 龍谷大学文学部史学科を卒業します。

  1988年 京都府陶工職業訓練校成形科を卒業します。

  1991年 「日本伝統工芸展」で初入選を果たし、以後も入選を繰り返しなす。

  1994年 「東海伝統工芸展」に入選し、以後連続入選。

  1997年 日本工芸会正会員になります。同年 黒田陶苑(東京銀座)で個展を開催します。

  1999年 「東海伝統工芸展」で岐阜県教育委員会賞を受賞します。

  2001年 「東海伝統工芸展」で東海伝統工芸展賞を受賞します。

  2002年 東京日本橋三越本店で個展を開催します。

  2003年 「日本伝統工芸展」で新人賞を受賞。「日本工芸展」(毎日新聞社主催)に入選します。

  現在、名古屋芸術大学陶芸コースの非常勤講師を務めています。

 ◆[詭敕飴瓩瞭芸

   京都府陶工職業訓練校を卒業後、父の仕事を手伝いながら、訓練校で知り合った仲間とともに

   グループ展や個展で作品を発表しています。更にグループ展に参加する度に、新しい技法を発表

   しています。

   顱法〆遒觝酩覆麓腓法∋や鉢や湯呑などの食器類が多い様です。

   髻法“爐了箸ε擇蓮◆屮競奪リ」した、美濃の五斗蒔(ごとまき)土の単味です。

   鵝法“爐虜酩覆瞭団Г琉譴弔法櫛目と箆目(へらめ)の作品が多い事です。

      平面的な皿には、数十本の力強い櫛目と、数本の箆目が施されています。

     a) 櫛は自作のもので、合板(ベニヤ板)を折って「ぎざぎざ」の切断面を使っています。

        当然、櫛目の間隔もばらばらで、櫛部の長さもばらばらです。

        この櫛を強く押し当てると、幅や深さに強弱のある筋となります。

        この様な櫛を多数準備してあり、適宜使い分けています。

     b) 箆(へら)も手製の合板による箆になっています。

        幅の広い箆や、湾曲した箆など多種類の箆を自作しています。

     c) 櫛目や箆を動かす方向は、その場その場で、瞬時に判断して施している様にも見えます

   堯法ゞ目や箆目の他に、美濃伝統の「そぎ目」の技法も取り入れています。

      自家製の松の木を削った箆や、合板で作った切れ味の悪い刀状の箆を使っています。

     a) 「そぎ目」を入れる場所は、皿などの底削りの際や、口縁周辺部に施します。

     b) あえて切れ味の悪い箆を使う理由は、器の表面を「ささくれ」させ、作品に力強さを与え、

       施釉して焼成するとその装飾的効果が、一段と発揮されるとの事です。

   ) 鈴木徹氏の使用する釉薬は、「緑釉」と「灰釉」があります。

      「緑釉」は一般に織部釉と呼ばれる釉ですが、あえて「緑釉」と呼ぶ事で、今までの織部とは

      異なる釉を目指しているからです。施釉は素焼き後に行います。

     a) 施釉の方法は、浸し掛けでは無く、筆で2〜4回重ね塗りをしています。

       釉n厚みを確認しながら施釉できるとの事です。又濃目の釉と、薄目の釉を塗り分けている

       そうです。焼成すると、濃目の釉が薄目の釉の中に溶け込み、櫛目や箆目とは異なる

       効果が出るそうです。

    b) 櫛目を入れた際の「毛羽立」ちや、削り作業の「ささくれ」等の表面の「バリ」には釉が

      濃目に付くそうです。

 尚、彼の作品は自身のホームページの「 陶藝 鈴木徹」 で見ることが出来ます。

   (福島県で同姓同名の陶芸家がおりますので、間違わないようにして下さい。)

次回(佐藤和彦氏)に続きます。

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現代の陶芸218(滝口和男2)

2012-10-18 21:54:23 | 現代陶芸と工芸家達

 ◆‖豸和男氏の陶芸

    滝口氏と言えば、手捻りの作品が有名ですが、轆轤と手捻りの作品は半分半分との事です。

    但し、轆轤では余り綺麗な形にするのでは無く、手捻り風に細工してある為、轆轤で作った

    様には見えないそうです。

  髻法〆酩福嵬蟻蝓廚寮作方法について。

    a) 土は古信楽土の粗目の様な土を使っている様です。「ハゼ石」の様に、土の表面全体に

      石の粒子状の物が見えます。

    b) 初期の作品は数枚の板(タタラ)を張り合わせていましたが、やがて1枚の板から作り出す

       方法で行っています。次は一枚のタタラ(土板)を床から立ち上げ、端面を繋ぎ合わせて

       作品に仕上げましたが、この方法には、作品の大きさや、乾燥の速さなどで、素早く制作

       する必要があるなどで限界があり、やがて簡易な型を使う方法になります。

    c) 「無題」と題する作品の大きさは、作品にもよりますが、60 X 40 X 30 cm近い物が

       多いです。これだけの大きさの立体形を、一枚の板(タタラ)から作るのですから、畳1〜2

       枚程の広さにする必要があります。しかも作品を軽くする為に、板厚は5mmにしています

       更に、軟らかい土の状態でなければ、綺麗な滑らかな曲線や布目が付きません。

    d) 大きな作品では、簡易な型を使い、その型にタタラを被せる様にし、下に垂らす事に

      よって、作品の形を造ります。即ち、上下を逆にして作ります。

      この作業は以下の様に行われると思われます。

      イ) 大きく軟らかいタタラを、平らな板の上に載せます。

        (最初から、平らな板の上でタタラを作っている可能性もあります。)

      ロ) タタラの上に軽い素材の簡易型を載せ、型を支えながら板ごとひっくり返し、型にタタラ

         を被せます。

      ハ) 簡易型は細い紐で宙に浮かせたり、型の下部を狭い面積の台で支えてます。

         被せたタタラの下部を型に沿わせて、端面を繋げます。余分な土は切り取り、繋ぎ面は

         合わせ目が見えない様に傷痕を消します。

         肉厚が5mmのタタラは、乾燥が早いですので、作業は素早く行わなければ成りません

         または、型を横倒ししてタタラを巻き取る方法も考えられます。

      ニ) いずれにしても、作品を形作ったあと、早急に型を取り除く必要があります。

         さもないと、タタラが縮み型に妨害され、「ひびや割れ」が発生します。

         勿論、型が伸び縮みしてくれれば良いのですが、その様な型があるかは不明です。

       ・ 考えられる事は、「発泡スチロール」で簡易型を作る事です。電熱線を利用した市販の

         「スチロールカッター」を使えば、大きな塊から容易に曲線のある、型を作る事も

         可能です。

       ・ タタラで作品が出来上がった直後に、作品の一部に開けられた穴から、ガスバーナーの

        様な熱源(炎)で、作品内部の「スチロール」溶かす事も可能です。

    e) 作品には土灰釉を薄く掛け、布目を出しながら、ざらついた艶消しの作品や、土に赤土を

       混入し土灰釉をやや厚めに掛けて、光沢のある焦げ茶色の肌に焼き上げた作品も

       あります。焼成も酸化炎や還元炎を使い分け、器肌の色も変化させている様に見えます。

  鵝法″橄發任虜酩福0豸轆轤挽きで作った様に見えない作品です。

     滝口氏は形が整い綺麗過ぎる作品は好まず、あえて手捻り風に変形させています。

     作品としては、小鉢や飯茶碗などの食器類、徳利などの酒器、酒瓶、ぐい呑などがあります。

    a) 彼の作る器には、パステル調の色絵が描かれています。図柄は幾何学文様や、動物や

      宇宙(星や星座)、童話の世界でのストーリー性のある出来事の描写など、遊び心を持って

      描かれています。 ・ 色絵酒瓶、ぐい呑:(高 6 、径 6 cm)

    b) 時には、「言葉少なに(絵付けなしに)土と親しく語り合う」、茶碗を作る事もあります。

次回(鈴木徹氏)に続きます。    

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