3) 英国の「スリップウェア」の制作方法。
① タタラ(粘土の板)状態の土を型に押し当てて形を作っています。
以上までが前回までの話です。
② 施釉と焼成。
) 英国の「スリップウェア」は、1000℃程度の低温で焼成されています。それ故釉は鉛を
含む透明釉と成っています。尚、現在では、食器類に鉛を含む釉は、健康を害しますので禁止
されています。
) 施釉する範囲は、器の内側のみで、外側(底)は施釉されていません。又、鋸歯状の特徴
ある器の縁も施釉されていません。これは、窯の中で重ね焼きをする為です。即ち上部の器を
縁で受け止める形に成っている為、施釉されていません。
4) 変わった形の英国の「スリップウェア」。
一般に「スリップウェア」の器は、日常使う皿類が多いのですが、特殊な皿や蓋物、「ポセット」
(両手付きのミルクや蜂蜜等入れる容器)、酒瓶、壷、水差し(ピチャー)、置物などのより
立体的な作品にも、「スリップウェア」で飾られた物があります。
① 特殊な皿の例として、水切り用の皿があります。
これは皿の中央に複数個の孔(あな)が開けられた物です。丁度笊(ざる)の様に使われたと
思われ、スリップの加飾後に、棒状又は筒状の物で孔を開けた物と思われます。
② 立体的な作品に「スリップウェア」を施すには、スリップ(化粧土)の濃度が大切です。
適度の濃さでないと、流れ落ちたり、ひび割れしたります。
5) 英国の「スリップウェア」の技法は我が国を始め、アメリカ等でも継承され、新たな作品を
作り上げています。20世紀に入ると、一時廃れた「スリップウェア」は我が国の民藝の担い手
によって見直され新たな創造がなされる様に成ります。
① 我が国の「スリップウェア」の技法。
当然ですが、英国から伝えられた技法を下敷きにして、我が国でも民藝作家などを中心に
類似の焼き物が試作されたり、新たな技法も開発される様になります。
) 最初に試作を試みたのが、バーナードリーチ達です。
「スリップウェア」の技法の情報が乏しく、手探り状態の中で試作を試みたのが、日本に
留学中のリーチや、富本憲吉氏達で1920年代には盛んに作られる様になります。
主に楽焼で、筒描きの技法で行われていました。その他、白化粧の掻き落しや線彫りなどの
作品もあります。
当時の作品類は濱田庄司記念益子参考館や日登美美術館などで展示されています。
注: 日登美美術館 : 所在地 滋賀県東近江市 山上町2083
主に民藝運動に関わる作家の作品が多く、特にバーナード・リーチの作品は300点を超え、
国内外屈指のコレクションを誇る美術館です。
) 濱田庄司氏も益子の土と釉を使い、作品を作っています。
1920~30年代益子の工房で、「スリップウェア」の作品を作ります。当然英国の作品よりも
高温で焼成しています。施釉の技法は流し掛けで行っています。これらの経験が後の彼の
代表的な技法と成って人間国宝まで上り詰める事になります。
) 河井寛次郎氏も「スリップウェア」に魅せられます。
彼も1920~30年代に掛けて、試行錯誤の末化粧土の流し掛けによる表現方法に辿りつきます。
作品は定番の皿の他、鉢、花瓶、蓋物(小筥、盒子=ごうす)などがあります。
全体に飴釉が掛けられ、白い化粧土で流し掛けしたり、象嵌(ぞうがん)の作品も残して
います。尚、彼の作品は河井寛次郎記念館(京都市東山氏五条坂)で見る事ができます。
民藝の作品を集めた美術館では、日本民藝館(東京都目黒区駒場)が著名です。
以下次回に続きます。
① タタラ(粘土の板)状態の土を型に押し当てて形を作っています。
以上までが前回までの話です。
② 施釉と焼成。
) 英国の「スリップウェア」は、1000℃程度の低温で焼成されています。それ故釉は鉛を
含む透明釉と成っています。尚、現在では、食器類に鉛を含む釉は、健康を害しますので禁止
されています。
) 施釉する範囲は、器の内側のみで、外側(底)は施釉されていません。又、鋸歯状の特徴
ある器の縁も施釉されていません。これは、窯の中で重ね焼きをする為です。即ち上部の器を
縁で受け止める形に成っている為、施釉されていません。
4) 変わった形の英国の「スリップウェア」。
一般に「スリップウェア」の器は、日常使う皿類が多いのですが、特殊な皿や蓋物、「ポセット」
(両手付きのミルクや蜂蜜等入れる容器)、酒瓶、壷、水差し(ピチャー)、置物などのより
立体的な作品にも、「スリップウェア」で飾られた物があります。
① 特殊な皿の例として、水切り用の皿があります。
これは皿の中央に複数個の孔(あな)が開けられた物です。丁度笊(ざる)の様に使われたと
思われ、スリップの加飾後に、棒状又は筒状の物で孔を開けた物と思われます。
② 立体的な作品に「スリップウェア」を施すには、スリップ(化粧土)の濃度が大切です。
適度の濃さでないと、流れ落ちたり、ひび割れしたります。
5) 英国の「スリップウェア」の技法は我が国を始め、アメリカ等でも継承され、新たな作品を
作り上げています。20世紀に入ると、一時廃れた「スリップウェア」は我が国の民藝の担い手
によって見直され新たな創造がなされる様に成ります。
① 我が国の「スリップウェア」の技法。
当然ですが、英国から伝えられた技法を下敷きにして、我が国でも民藝作家などを中心に
類似の焼き物が試作されたり、新たな技法も開発される様になります。
) 最初に試作を試みたのが、バーナードリーチ達です。
「スリップウェア」の技法の情報が乏しく、手探り状態の中で試作を試みたのが、日本に
留学中のリーチや、富本憲吉氏達で1920年代には盛んに作られる様になります。
主に楽焼で、筒描きの技法で行われていました。その他、白化粧の掻き落しや線彫りなどの
作品もあります。
当時の作品類は濱田庄司記念益子参考館や日登美美術館などで展示されています。
注: 日登美美術館 : 所在地 滋賀県東近江市 山上町2083
主に民藝運動に関わる作家の作品が多く、特にバーナード・リーチの作品は300点を超え、
国内外屈指のコレクションを誇る美術館です。
) 濱田庄司氏も益子の土と釉を使い、作品を作っています。
1920~30年代益子の工房で、「スリップウェア」の作品を作ります。当然英国の作品よりも
高温で焼成しています。施釉の技法は流し掛けで行っています。これらの経験が後の彼の
代表的な技法と成って人間国宝まで上り詰める事になります。
) 河井寛次郎氏も「スリップウェア」に魅せられます。
彼も1920~30年代に掛けて、試行錯誤の末化粧土の流し掛けによる表現方法に辿りつきます。
作品は定番の皿の他、鉢、花瓶、蓋物(小筥、盒子=ごうす)などがあります。
全体に飴釉が掛けられ、白い化粧土で流し掛けしたり、象嵌(ぞうがん)の作品も残して
います。尚、彼の作品は河井寛次郎記念館(京都市東山氏五条坂)で見る事ができます。
民藝の作品を集めた美術館では、日本民藝館(東京都目黒区駒場)が著名です。
以下次回に続きます。