あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人間は自由へと呪われている(自我その30)

2019-02-13 16:43:17 | 思想
「人間は自由へと呪われている。」とはサルトルの言葉である。人間は、自ら、自由に決断できる。そして、その行動の結果を自ら責任を取らなければいけない。人間は、その運命から逃れることはできない。これがこの言葉の意味である。また、サルトルは、「実存は本質に先立つ。」とも言っている。実存とは、自ら、主体的に考え、行動する生き方である。本質とは、人間本来の生き方や考え方である。つまり、サルトルは、人間には、本来の生き方や考え方はなく、自分で考え、行動しなければいけないと言っているのである。これが実存主義の思想である。さらに、サルトルは、「私には、神が存在しようと存在しまいと関係がない。」とも言っている。サルトルは、自分の行動規範は自分が決めることであり、神を恐れることもなく、神を頼ることもしないと言っているのである。これが無神論的実存主義である。サルトルの覚悟は潔い。また、自分の言葉取り、行動した。ノーベル文学賞に選出されたが、「作家は自分を生きた制度にすることを拒絶しなければならない。」として、受賞を拒否した。サルトルは、フランス人でありながら、アルジェリアのフランスからの独立闘争を支持した。晩年は不遇だったが、それでも、葬儀には、5万人を越える市民が追悼をするために集まった。サルトルは、自我にとらわれなかった。だから、自らはフランス人であるという自我にとらわれることなく、アルジェリアを支持したのである。サルトルは、無意識(深層心理)の力動を認めなかった。人間は、最初に感情と具体的な行動への深層心理の力動があり、後発に、深層心理の言うように行動したらどのような結果が生じるかという表層心理の思い測りがあり、その後で行動が決まってくるということを認めなかった。なぜならば、サルトルには、深層心理と表層心理の葛藤がなかったからである。サルトルは、自分の思うままに行動したのである。もちろん、それが深層心理の言うままの行動だとは考えなかった。サルトルは、マルクス主義に傾倒した。それは、自ら主体的に考え行動すると言っても、自分の思考だけでは、方向性が見いだされなかったからだ。マルクス主義に歴史の必然的な動きを感じ取り、自らの思考の方向性を見いだそうとしたのである。そこに、サルトルの実存主義の限界があった。レヴィ=ストロースは、南米の未開と言われているさまざまな閉じた民族と暮らすことによって、歴史の変遷はなく、同じことを繰り返しながら生きる穏やかな生き方を知った。それが、構造主義である。そして、サルトルの主体的な思考や歴史の必然的な動きの尊重を、先進国に生きる人々の自己中心的な考え方だと批判した。そこから、サルトルの社会的な影響力の消滅が始まった。さて、サルトルは、意志の人、戦う人であった。だから、人から見られた場合、見られる存在としての対他存在の弱みを感じた場合、その人を見ることによって、見る存在としての対自存在の強みをもって対抗することを提案した。おそらく、現代において、サルトルに師事して、その思想をそのまます実行する人はほとんどいないと思う。しかし、自分の考え方や生き方を反省する糧になると思う。

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