あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

徴兵制を前にして死ぬか狂うか戦うか(自我その31)

2019-02-14 14:42:28 | 思想
このままでは、日本は、早晩、戦争をすることになるであろう。日本が、戦争を仕掛けるのではない。アメリカの戦争に巻き込まれるのである。正確に言えば、アメリカは自らが引き起こした戦争に日本を引きずり込んで、自衛隊を前線に立たせて戦わせるのである。アメリカ政府は、自国の兵士が亡くなるのを極端に嫌がる。自国の兵士が亡くなると、途端に支持率が下がり、政権交代の可能性が出てくるからである。ドローンが開発されたのも、自国兵士を殺させたくないからである。しかし、ドローン攻撃は、一点集中攻撃であり、一人の敵兵の暗殺や一つの建物の破壊は可能だが、占領地の拡充には効果が薄い。どうしても、兵士による占領地の制圧・拡充が必要になってくる。そのために、駆り出されるのが自衛隊である。アメリカにとって都合の良いことに、安倍晋三首相は、国会での強行採決によって、集団的自衛権を確保した。アメリカの戦争に、自衛隊を使うことに何の支障もない。さらに、吉田茂首相の時に、密約を結んで、アメリカと日本の兵隊が共同で戦う場合、日本の軍隊はアメリカの指揮の下で動くことになっている。かてて加えて、日頃から、実際に、アメリカ軍の指揮官の下で、アメリカの軍隊と日本の自衛隊の連合軍が訓練を行っている。アメリカは、理由をでっち上げて、簡単に攻め込む国である。イラクは、実際には存在しない大量破壊兵器を理由に攻め込まれ、フセイン大統領が殺された。北朝鮮が、核兵器を開発し、なかなか手放そうとしないのは、イラクの二の舞になるのを恐れているからである。アメリカが容易に戦争する国だということは、集団的自衛権によって、日本も容易に戦争をする国になったということだ。つまり、自衛隊員が、アメリカの戦争に巻き込まれて、戦死する可能性が高くなったということだ。自衛隊員が戦死すれば、日本は、必ず、徴兵制を導入する。なぜならば、国会議員では自民党を中心に、マスコミでは日本テレビ、フジテレビ、読売新聞、産経新聞、週刊新潮、週刊文春を中心に、「自衛隊員だけ死なせて良いのか。」という大々的なキャンペーンを張り、短時間の国会の審議で採決され、圧倒的な多数によって、徴兵制が決定されるのは確実だからだ。日本人は幼稚な国民だ。太平洋戦争で、あれだけ大きな被害をアジア諸国を中心に与え、あれだけ大きな被害を被っているのに、全く反省していない。靖国神社で祀られている戦死者に対して、「日本のために良く戦った。」と褒め称えている。誰でも、兵士になって戦地に行くと、死にたくないから、良く戦うのである。戦地に行く前に、戦争を起こさないように、自分が戦地に行かなくても良いように、体制当局と戦うのが大切なのである。特攻隊員に対しても、「特攻隊員の死があったから、現在の日本の繁栄があるのだ。」と感謝の念を吐露する。しかし、特攻死した人のほとんどが二十歳前後の若者であったが、彼らが生き残っていたならば、もっと日本は繁栄したはずである。特攻隊員の死に対しては、彼らを死に追いやった軍部を批判すべきなのである。大岡昇平は、『俘虜記』で、「戦いは嫌だが、この戦争の反対しなかった自分には、批判する資格がない。」と言っている。その通りである。日本人にとってこの戦争は自業自得なのである。それでも、共産主義者、共産党、自由主義者、一部の作家、一部の政治評論家、一部の宗教者は戦争に反対した。しかし、彼らは警察や憲兵に拘束され、その多くは拷問死、リンチ死、獄死などに遭った。現代でも、このように、国民の一部は反対するだろう。そして、その運命は、やはり、拷問死、リンチ死、獄死だろう。戦前、戦中、ほとんどの国民は、幼稚だった。天皇陛下のために生きそして死ぬことを良しと考えていた。だから、戦時中、軍人が自らの背後に天皇がいるとにおわせ、軍人勅諭で捕虜になることを許さず、軍人の病人や怪我人を自決に追い込み、沖縄では、母親に我が子を殺させ、中国やサイパンなどの各地で、民間人を老若男女を問わず、毒薬や手榴弾で自決させたのである。さて、問題は、徴兵制が導入されたならば、自分自身がどのように行動するかである。もちろん、徴兵制の動きがあったら、反対運動に加わるだろう。しかし、先に述べたように、自民党、日本テレビ、フジテレビ、読売新聞、産経新聞、週刊新潮、週刊文春によって、かき消されるだろう。戦後の国民も、太平戦争を正当化している自民党が政権を担当しているのを見てもわかるように、幼稚だからである。徴兵制が導入されれば、早晩、全成人に徴兵検査の案内が来るだろう。それに行かなかったならばどうなるだろう。まず、警察が逮捕に来るだろう。その時、私はそれに従うことはどうしてもできない。死ぬか狂うか戦うかするだろう。まず、死ぬということであるが、死ぬとは自殺することである。私の場合、徴兵検査という体制に屈するより楽なような気がする。次に、狂うということであるが、狂うとは精神疾患に陥るということである。精神疾患に陥るのは、徴兵検査、戦地、殺す殺されるという現実から逃避するためである。しかし、徴兵検査、戦地、殺す殺されるという恐怖の念が強すぎるあまり、深層心理が精神疾患を招き入れることは大いに考えられる。しかし、深層心理は自分の意志ではないから、実際に精神疾患に陥るかどうかは誰にもわからないことである。そして、戦うということであるが、警察と一人向き合って戦うということではない。逃げることも戦いの一つだと考えられる。しかし、狭い日本のこと、国内逃亡はすぐに見つかるから、実現性は乏しい。もっとも、国内逃亡して、警察に逮捕されるような事態になったら、自殺するのも一計だろう。もっと良いのは、日本が戦争に巻き込まれた時点で、徴兵制が導入される前に、海外に移住することである。それには、お金や国選びとともにさまざまな準備が必要だろう。また、わざと、徴兵検査に合格しないために、自傷や仮病を起こすことも考えられるが、それはすぐに見破られるだろう。それならば、持病を悪化させた方が良いだろう。だから、持病がない人には、実現性は乏しいだろう。最後の方法として、文字取り、体制と戦うのである。もちろん、一人では戦えない。だから、同士を募り、若しくは、同意見の集団に参加して戦うのである。もちろん、敗北死をする可能性が高い。しかし、おめおめ、徴兵検査を受け、戦地に行かされ、したくもない戦争で死ぬよりは良いと思う。さて、国民の選挙によって選ばれた国会議員であり、その国会によって決まった徴兵制、戦争なのだから、国民はそれに従うのは当然だという人は多いが、私は、内閣や国会は戦争を回避する義務があり、国民を戦争に強制する権利は無いと思っている。鶴見俊輔は、「戦地で銃を持たせられたら、自殺するつもりだった。」と言い、戦地では通信係だったから、自殺しなかった。鶴見俊輔の考えも、一考に値すると思う。

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