あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

安倍晋三元首相の暗殺について思う。(提言その5)

2022-07-12 12:47:00 | 思想
7月8日、安倍晋三元首相は、奈良市での街頭演説中に、山上徹也に銃撃され、死亡した。彼は、奈良県警の取り調べに対して、「特定の宗教団体に恨みがあり、当初は、その幹部を襲撃しようと考えていた。安倍晋三元首相とその団体が深く繋がっていると思い込んで、犯行に及んだ。政治信条に対する恨みではない。」と供述しているという。マスコミは最初はその宗教団体名を報じていなかったが、安倍元首相が深く関わり、山上容疑者の母親が信者となり多額の寄付金を強要され、一家が破産したことから、統一教会だと思われる。統一教会は、安い壺を高く売りつける霊感商法、集団見合いのような形で教会の代表者が結婚相手を決める合同結婚で知られているが、共産主義反対、夫婦別姓反対、同性婚反対、外国人参政権反対、専守防衛・非核三原則・武器輸出三原則の破棄を提唱している。まさしく、安倍晋三元首相と同じ考えである。安倍晋三元首相は、集団結婚を兼ねた統一教会に祝電を送ったこともある。それにしても、安倍晋三元首相の最期はあっけなかった。なぜならば、首相在任期間が歴代最長であり、退陣から1年10ヶ月経った現在も、党内最大派閥を率い、タカ派としての発言力は衰えていず、岸田文雄首相も助言を求めざるを得なかったからである。私は、生前、一貫として、安倍晋三首相に批判的であった。しかし、暗殺には反対である。人間は、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされて行動するようにできているから、誰しも罪を犯す可能性があるからである。だから、私は死刑廃止論者でもある。さて、安部晋三元首相は暴君であった。しかし、暴君と言っても、ヒットラーのような政権担当能力があったわけではない。安部晋三には政治的な才能は無い。それは、コロナウィルス騒動でのおたおたぶり、判断力の無さ、決断力の無さでも、十分に窺うことができる。しかし、首相としての才能が無くても、国民に見抜かなければ、思う存分、悪行を重ねることができるのである。暴君としての能力が発揮できるのである。安部晋三首相の悪行は数知れない。結果的には失敗したが、検察庁法改正案を強行採決し、安倍政権寄りの東京高検検事長の黒川弘務を、検査庁トップの検事長に就任させる道を開こうとした。イスラエルでは、イスラエル寄りの演説をし、イスラム国に、囚われていた後藤健二さんを殺させた。アメリカ軍の普天間基地を、沖縄県民の意向を無視して、普天間に移設しようと現在も工事を続けている。森友学園、加計学園、桜を見る会で、自らの知人、自らを崇拝している人、自らを支えてくれる人たちに、国税、国土を私物化し、便宜を図った。そのために、近畿財務局の赤木敏夫さんは、森友学園との土地取引をめぐって、麻生財務大臣、財務省の理財局長に、財務省の公文書の改竄を命じられ、反対したのに、加担させられ、それを苦にして自殺している。さらに、安倍晋三は、国会の短期間の審議で、強行採決をして、国家安全保障会議、集団的自衛権、特定秘密保護法を通し、内閣総理大臣の判断だけで、いつでも、アメリカに追随して、日本を、戦争ができる国にしたのである。韓国経済に打撃を与えようとして、徴用工問題に対抗して、半導体材料の輸出を規制したのである。しかし、安部晋三がこれだけの悪行を重ねつつも、政権を担っていられたのは、読売新聞、産経新聞、フジテレビ、日本テレビ、週刊新潮などの週刊誌、ネット右翼、官僚のおかげである。前民主党政権の野田佳彦、菅直人内閣は、官僚の軍門に降り、原発存続、消費税増税などを決め、自民党政権と同じことをするしかなかった。官僚の軍門に降らない鳩山由紀夫は、読売新聞、産経新聞記者に言い含められ、官僚に裏切られ、沖縄のアメリカ軍基地を県外に移転できず、政権を投げ出さざるを得なくなった。そのすぐ後、国会議員の活動も終えた。さらに、官僚たちは、公務員改革を行おうとしていた小沢一郎を、黒川弘務を中心とした検察庁によって、陸山会事件を捏造され、起訴した。後に、無罪となったが、政治に影響力を行使することはできなくなった。さらに、官僚たちは、書類を改竄して、安部晋三の悪行の証拠を消してきた。読売新聞、産経新聞、フジテレビ、日本テレビ、週刊新潮などの週刊誌は、「政権担当能力は自民党にしかない。」、「決められない政治から決められる政治へ。」、「短期の政権交代は、実行力に乏しいだけでなく、海外に向けても恥ずかしい。」などと繰り返し言い、国民にその意識を植え付けた。ネット右翼は、連日連夜、YouTubeを使い、野党議員のスキャンダルを捏造し、中国、韓国、北朝鮮そしてその国民を中傷し、安部晋三政権を援護射撃してきた。つまり、読売新聞、産経新聞、フジテレビ、日本テレビ、週刊新潮などの週刊誌、ネット右翼が国民を洗脳した上に、官僚が共犯者になっているから、世論調査での、安部晋三内閣の支持率が高く、安部晋三は、思う存分、悪行を重ねることができたのである。さて、安倍晋三は、日本の首相として、自我の欲望のままに行動しているのだが、その行動のしかたは、こどもの自我の欲望のままに行動するしかたと同じである。「子供は正直である。」と言われる。この言葉の意味は、大人は嘘をつくことがあるので言ったことの全部を信用することはできないが、子供は嘘を言わないから言ったことの全部を信用できるというものである。言うまでもなく、子供に対して好意的な言葉である。しかし、「子供は正直である。」ということの真意は、子供は自分の欲望に正直に行動するということなのである。子供は自分の欲望に正直であるからこそ、些細なことでも喧嘩するのである。子供は、お互いに、相手の気持ちを考えることなく、自分の欲望を強く主張するから、簡単に喧嘩が始まり、喧嘩が絶えないのである。そこで、大人の仲裁が必要になってくるのである。諸悪の原因は、子供が自らの欲望に忠実であることである。だから、子供の欲望を止めるのためには、欲望を実行しないように大人が諫めることである。子供をしつけるとは、大人が子供を監視し、批判し、大人の観点から見て正しいと思う行動をするように仕向けることなのである。大人の監視や批判が緩んだ時、子供の欲望のままの暴走が始まり、反社会的な行動を取りさえするようになるのである。安部晋三も子供のように自我の欲望に忠実であった。それが可能だったのは、国民の監視や批判が緩かったからである。国民の監視や批判が緩んだ証拠は、世論調査での、内閣支持率、自民党支持率の高さに現れた。内閣支持率、自民党支持率が高いから、安部晋三は自我の欲望に忠実に行動できたのである。その暴走、その社会的な行動は目に余るものがあったが、誰も止めることはできなかった。しかし、安部晋三元首相は異常な人間ではない。もちろん、偉大な人間でもない。人間とはこういうものなのである。人間は、深層心理によって動かされている動物だからである。深層心理が、自我を主体に立てて、ある気分の下で、欲動によって快感原則に基づいて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。深層心理とは、一般に、無意識と言われている。しかし、無意識と言っても、単に意識されていないというだけで、人間は無意識のうちに思考しているのである。それが深層心理の思考である。しかし、多くの人は、思考とは意識しての思考であると思い込んでいる。確かに、人間には、自らを意識して思考することがある。それが表層心理での思考である。しかし、人間の思考は、深層心理の思考から始まるのである。そして、時おり、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した感情と行動の指令という自我の欲望を意識して、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令を実行するか拒否するかを審議することがあるのである。しかし、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否することを決定し、意志で、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧しようとしても、深層心理が生み出した怒りなどの感情が強ければ、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動してしまうのである。しかも、人間は、表層心理で意識することなく、深層心理の結果のままに行動することが多いのである。これが無意識の行動である。フランスの心理学者のラカンも「無意識は言語によって構造化されている。」と言う。無意識とは、言うまでもなく、深層心理を意味する。ラカンは、深層心理は言語を使って論理的に思考していると言うのである。深層心理は、人間の無意識のうちに思考するが、決して、恣意的に思考しているのではなく、論理的に思考しているのである。つまり、人間は、構造体の中で、まず、深層心理が、人間の無意識のうちに、自我を主体に立てて、ある気分の下で、欲動によって快感原則に基づいて言葉を使って論理的に思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。自我とは、構造体における、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。構造体とは、国、家族、学校、会社、仲間、カップルなどの人間の組織・集合体である。人間は、いついかなる時でも、ある構造体に所属し、ある自我を持して行動しているのである。安部晋三は、日本という構造体で、総理大臣という自我を持って行動していたのである。次に、気分についてであるが、深層心理は、常に、ある気分の下にある。気分は、感情と同じく、心の状態を表す。気分は、爽快、陰鬱など、比較的長期に持続する心の状態である。感情は、喜怒哀楽や好悪など、突発的に生まれる心の状態である。人間は、気分や感情によって、自分が得意の状態にあるか不得意の状態にあるかを自覚するのである。人間は自分を意識する時は、常に、ある気分の状態にある自分やある感情の状態にある自分として意識するのである。人間は気分や感情を意識しようと思って意識するのでは無く、ある気分やある感情が常に深層心理を覆っているから、人間は自分を意識する時には、常に、ある気分の状態にある自分やある感情の状態にある自分として意識せざるを得ないのである。つまり、否応なく、気分や感情の存在が、自分がこの世に存在していることの証になっているのである。すなわち、人間は、ある気分の状態にある自分やある感情の状態にある自分に気付くことによって、自分の存在に気付くのである。つまり、自分が意識する気分や感情が自分に存在していることが、人間にとって、自分がこの世に存在していることの証なのである。そして、気分は、深層心理が自らの気分に飽きた時、そして、深層心理がある感情を生み出した時に、変化する。感情は、深層心理が自我を主体に立ててある気分の下で快感原則に基づいて欲動によって言葉を使って論理的に思考して自我の欲望を生み出す時、行動の指令ととともに誕生する。だから、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、気分も感情も、生み出すこともできず、変えることもできないのである。すなわち、人間は、表層心理では、気分も感情も、生み出すことも変えることもできないのである。人間は、表情に、その時の気分や感情が表れる。だから、安部晋三が記者会見をしている時、その表情から、その時の気分や感情を窺い知ることができる。記者に追及されるのが苦手な様子がありありと窺われる。それは、心にやましさを持っているからである。さて、人間には、深層心理の思考のほかに、表層心理で思考という自らを意識しての思考がある。表層心理での思考の結果が意志である。しかし、人間は、自らの意志によって、気分も感情も、生み出すことも変えることもできないのである。それは、気分は深層心理を覆っていて、感情は深層心理によって生み出されるからである。気分は深層心理の中で変わり、感情は深層心理によって行動の指令とともにに生み出されるのである。しかも、人間は、他者に面した時や他者を意識した時や一人でいてふとした時などに、自らを意識し、何かをしている自分や何もしていない自分の状態に気付くのであるが、その時は、同時に、必ず、自分の心を覆っている気分や感情にも気付くるのである。しかし、自分が今行っている行為や行動は他者が代替できるが、気分や感情は掛け替えのない自分なのである。つまり、気分や感情こそ、他者が代替できない、自分の存在なのである。また、人間は、気分や感情によって、自分が得意の状態にあるか不得意の状態にあるかを自覚しつつ、行為や行動を行ったり、何もしていない状態にあったりする。つまり、気分や感情が、自分が行っている行為や行動や何もしていない状態の価値判断になっているのである。次に、欲動についてあるが、深層心理は、欲動という志向性(観点・視点)に基づいて、論理的に思考している。欲動という志向性は四つの欲望によって成り立っている。それは、第一の欲望として自我を存続・発展させたいという欲望がある。自我の保身化である。安部晋三は、悪行を重ねつつも、策略を駆使して、自民党議員、公明党議員、官僚を動かし、読売新聞、産経新聞、フジテレビ、日本テレビなどのマスコミを使って、首相の座を守ったのである。官僚は、安部晋三首相に加担して、嘘の国会証言や公文書を改竄したのは、エリーという自我を守りたいためである。第二の欲望として自我が他者に認められたいという欲望がある。自我の対他化である。安部晋三は、悪行を重ねつつも、策略を駆使して、自民党議員、公明党議員、官僚を動かし、読売新聞、産経新聞、フジテレビ、日本テレビなどのマスコミを使って、首相の座を守ったのは、首相として、国民から尊敬を受けたいからである。第三の欲望として自我で他者・物・現象という対象の支配したいという欲望がある。対象の対自化である。国会議員が総理大臣になりたいのは、日本という国を支配したいためである。第四の欲望として自我と他者の心の交流を図りたいという欲望がある。自我と他者の共感化である。安部晋三が、森友学園、加計学園、桜を見る会で、自らの知人、自らを崇拝している人、自らを支えてくれたたちに、国税、国土を私物化し、便宜を図ったのは、彼らと共感化し、快楽を得たいがためである。次に、快感原則についてであるが、快感原則とは、フロイトの用語であり、ひたすらその時その場での快楽を求め不快を避けようとする欲望である。快感原則には、道徳観や社会規約は存在しない。深層心理の思考は、道徳観や社会規約に縛られず、ひたすらその場での瞬間的な快楽を求め不快を避けることを、目的・目標としているのである。もちろん、人間は、快感原則に基づいて行動すれば、他者から顰蹙を買うどころか、犯罪者になる可能性が十分いある。だから、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令の諾否について思考する必要があるのである。しかし、安部晋三は、世論調査での内閣支持率、自民党支持率が高いから、他者の思惑を考慮することなく、快感原則に基づいて、行動できたのである。そうして、悪行を重ねたのである。さて、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した自我の欲望を受けて、現実原則に基づいて、自ら意識して、深層心理が生み出した行動の指令の諾否について思考する。現実原則も、フロイトの用語であり、自我に利益をもたらし不利益を避けるという欲望である。現実原則とは、現実的な利益を自我にもたらそうという欲望である。人間の表層心理での思考は、自我に利益をもたらそうという長期的な展望に立って行っているので、深層心理の瞬間的に快楽を求める思考とは著しい対照を成している。しかし、人間の表層心理での自ら意識しての思考は、常に、深層心理が思考して生み出した自我の欲望を受けて、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について許諾するか拒否するかを決めるために行うのである。人間は、深層心理から離れて、表層心理独自で思考することはできないのである。もちろん、世論調査での支持率の高いので、安部晋三首相は、深層心理が生み出した欲望のままに行動することが多く、表層心理で思考して、意志によって抑圧することはごく稀れだったのである。人間の表層心理での思考が理性であり、人間の表層心理での思考による行動、すなわち、理性による行動が意志の行動であるが、安部晋三首相の理性も意志も極めて弱かったと言わざるを得ないのである。すなわち、思考力が乏しかったのである。さて、人間は、日常生活において、異常なことが起こると、深層心理は、道徳観や社会的規約を有さず、快感原則というその時その場での快楽を求め不快を避けるという欲望に基づいて、瞬間的に思考し、不安などの過小な感情と過小な行動の指令もしくは怒りなどの過激な感情と過激な行動の指令という自我の欲望を生み出すので、人間は、表層心理で、道徳観や社会的規約を考慮し、現実原則という後に自我に利益をもたらし不利益を避けるという欲望に基づいて、長期的な展望に立って、深層心理が生み出した行動の指令について、許諾するか拒否するか、意識して思考する必要があるのである。しかし、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した感情の下で、意識して思考して、深層心理が生み出した行動の指令を拒否して、行動の指令を抑圧することを決め、実際に、行動の指令のままに行動しなかった場合、深層心理が納得するような、代替の行動を考え出さなければならない。なぜならば、心の中には、まだ、深層心理が生み出した不安などの過小な感情もしくは怒りなどの過激な感情がまだ残っているからである。その感情が消えない限り、心に安らぎは訪れないのである。その感情が弱ければ、時間とともに、その感情は消滅していく。しかし、それが強ければ、表層心理で考え出した代替の行動で行動しない限り、その感情は、なかなか、消えないのである。しかし、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否することを決定し、意志で、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧しようとしても、深層心理が生み出した不安などの過小な感情もしくは怒りなどの過激な感情が強ければ、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動してしまうのである。特に、怒りなどの過激な感情が強い時は注意しなければいけない。その感情によってもたらされた行動が、感情的な行動であり、他者に惨劇をもたらし、自我に悲劇をもたらすことが多いのである。犯罪はほとんどがこれが原因である。だから、誰でも犯罪者になる可能性があるが、特に、深層心理が敏感で、深層心理が生み出す感情の強い人は、その傾向が強いのである。ところで、安部晋三首相は、新型コロナウィルス感染症が日本に蔓延し始め、総理大臣という日常生活において、異常な出来事に出会った時、深層心理は、どのような反応を示したのだろうか。安部晋三の深層心理は、不安という過小な感情と傍観という過小な行動の指令という自我の欲望を生み出したと考えられる。それは、おたおたぶり、判断力の無さ、決断力の無さから、窺うことができる。深層心理が、不安という過小な感情と傍観という過小な行動の指令という自我の欲望を生み出したから、新型コロナウィルス感染症に対する対策が考えられなかったのである。人間は、表層心理で、道徳観や社会的規約を考慮し、現実原則という後に自我に利益をもたらし不利益を避けるという欲望に基づいて、長期的な展望に立って、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について、許諾するか拒否するか、意識して思考するからである。深層心理が生み出した感情が不安という過小な感情であり、深層心理が生み出した行動の指令が傍観という過小な行動の指令であるから、表層心理で有効な対策が出すことができず、安倍首相は、おたおたし、判断できず、決断できないのである。安部晋三は、本来、総理大臣の器の人ではないのである。しかし、世論調査での、内閣支持率、自民党支持率が高いから、安部晋三は自分の欲望に忠実に行動できたのである。その暴走、その反社会的な行動は目に余るものであったが、誰も止めることができなかったのである。安部晋三が首相の時代は、ニーチェの「大衆は馬鹿だ」という声が大きく聞こえてきた時代であった。そして、現在も、それが続いているのである。







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