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ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

シザーハンズ

2011-11-05 14:16:39 | 映画
今回の「午前10時の映画祭」の作品は「シザーハンズ」。監督は、ティム・バートン。主演のエドワードをジョニー・ディップが演じる。発明家の博士によって生み出された、人造人間エドワード。だが完成直前に博士が急死。彼は、両手がハサミのまま、この世に残される。城に一人寂しく住んでいた彼は、親切な化粧品販売員のペグに家に連れて行かれる。エドワードはハサミを使った特技で植木をきれいに整えたり、ペットや人間の髪の毛を切ったりと町の人気者になる。繊細な心を持つエドワードは、ボッグス家の娘キムに恋する。だが、両手がハサミのために彼女を抱くこともできない。人間社会の辛く悲しい現実も彼を待ち受けていた。監督自身がエドワードと同じように人と上手く接触できなかったという。「孤独」が監督のテーマにもなっているようである。
また、プログラムにこの映画の冒頭に20世紀フォックス映画のロゴにまで雪を降らせている「お遊び」についての説明がある。もちろんこの映画の重要な要素と関わってくる「お遊び」である。これは映画会社との交渉が必要である。余分の手間をかけてまで、作られるので、結果的に作品への深い愛情につながるので、「お遊び」のある作品は傑作が多いと述べている。また、発明家役のヴィンセント・プライスは、この作品が遺作となった。

ヒマラヤ 運命の山

2011-08-24 17:19:46 | 映画
 実話に基づく山岳ドラマ。1970年6月にメスナー兄弟は、「裸の山」と呼ばれるヒマラヤ山脈のナンガ・パルバート(標高8,125m)のルパール壁初登頂を目指すカール・マリア・ヘルリヒコッファー博士の遠征隊に参加する。兄弟は登頂を果たしたが、弟ギュンターは下山途中に遭難死。兄のラインホルトは生還する。また、この山はドイツでは「運命の山」として知られ、多くの登山家が挑戦し、命を落としている。ヘルリヒコッファーの異父兄も実はここで命を落としている。そのためヘルリヒコッファーも遠征隊を組み、この山の登頂に躍起になっていた。しかし、計画を重んじるヘルリヒコッファーと征服欲旺盛なラインホルトとは衝突する。遠征隊では、もう一班が兄弟の後に登攀に成功している。これが初登攀として発表される。下山途中の兄弟に起こった悲劇が、ドイツの国中を騒がすスキャンダルへと発展していく。ナンガ・パルバット初登頂者をめぐる裁判のためこれまで語られていなかった事実を、メスナー本人の協力により映画化したともいえる。2005年にラインホルトの証言を裏付けるようにギュンターの遺骨が西方の氷壁で発見された。
 この1970年を境に、メスナーは、登山スタイルを変えて、無酸素で、装備も出来るだけ軽くし、単独にこだわっていった。17年の歳月をかけて1986年に、8000m峰14座完全登頂で人類史上初となる偉業を成し遂げている。そういう意味で、登山史に名を残す登山家の原点になったとも思える「運命の山」の映画なのである。山の大自然の風景もあわせて見応えがあった。

木漏れ日の家で

2011-08-09 10:15:57 | 映画
最近、休日となると、天気が不順の予報のため、いくつか映画を見に行ったり、「空海と密教美術展」を観にいったりして、過ごしている。
昨日見たのは、「木漏れ日の家で」というポーランド映画である。岩波ホールで上映されていたようだが、今回、下高井戸シネマでも上映されていたので観にいってきた。白黒のモノクローム映画である。
主人公アニュラは91歳の老女である。主演女優自身、この撮影の時に91歳だったという。この年齢で老いの姿を魅力的に演じるのは見事である。
家は田舎の古い屋敷に住んでいるがこの家も大きく映画に関わってくる。都会に住む息子の家族は家と老女に見向きもしない。アニュラの毎日の話相手はフィラデルフィアという名の犬である。この犬がまた愛くるしい。アニュラはあることでショックを受け、「なんてこと、あんまりよ、私にこんな試練を与えるなんて」という叫びが印象に残った。老いても生きていると容赦なく過酷なことも含めていろいろなことが起きてくる。それでも跳ね返すエネルギーも持っている。監督、脚本はドロタ・ケンジェジャフスカ。主人公アニェラにダヌタ・シャフラルスカ。原題は「死んだ方がまし」だが、「木漏れ日の家で」が邦題となっている。

大いなる西部

2011-07-31 16:29:42 | 映画
最近良く観ている、「午前十時の映画祭Part2」。今回は「大いなる西部」を観た。
「ビッグマディ」と呼ばれる水源地を巡って、地元の二大勢力であるテリル家とヘネシー家が激しく対立している。きっかけさえあれば、些細なことで相手に報復と復讐を吹っかける両家。暴力を正当化するために、事実をすり替え、強引に理由付けしていく2人の老人。そこに、テリル少佐の娘パットと結婚するために東部からジム・マッケイがやって来る。ジムは否応無しにその争いに巻き込まれていく。全編でで映し出される映像は、西部の雄大さを表現している。監督は「ローマンの休日」のウィリアム・ワイラー。月夜の夜、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いは、ロングショットで演じている。
二人の老人が共同体内で絶対的な“法”となっている。また、決闘と暴力が蔓延している場所でもあり、そこからはずれれば腰抜けで臆病者だと罵られる場所である。したがって立場によって、正義は違ってくる。見方が変われば敵も変わる。登場人物の立ち居地も変化してきて、味方が敵になったり、逆に敵の行動も理解できるようになったりもする。現実社会の矛盾に通じるこの曖昧さを問題提議している。また、銃や武器に頼らない平和的な解決を目指していることや表面的な力にとらわれない強さも描かれている。現実のアメリカ社会は未だに、“力が全てだ”とばかりに無用の流血をするこの二人の老牧場主に支配されているような状況になっているのかもしれない。そういう意味でも今でも通じる映画である。

127時間

2011-06-18 18:45:11 | 映画
府中の映画館で、「華麗なる賭け」と「127時間」と続けてみた。
「127時間」は誰一人周りにいない断崖で右腕を挟まれ、身動きができない状態から生還した実在の登山家アーロン・ラルストンの実話を基にした映画である。『スラムドッグ$ミリオネア』のダニー・ボイル監督が映画化した。山中で断崖に腕を挟まれた状態のまま、生と死のはざまで127時間を過ごした登山家を襲う絶望と希望を描いている。ジェームズ・フランコが、迫真の演技でアーロンを熱演。主人公が見せる生命力の強さに胸を打たれる。
目的地はブルー・ジョン・キャニオン。途中で、断崖で右腕を挟まれ、どうあがいても身動きができなくなってしまったアーロンは、そのうち持っていたビデオカメラで、現場の様子や家族をはじめとする親しい人々への別れのメッセージを収録する。本物の映像を見せてもらったという主演のジェームズは、「言葉では言い表せない」とコメントし、死の覚悟を受け入れた人間の映像は、よっぽど強烈だったようである。また、このカメラの存在が、アーロンと外の世界をつなぎ、彼に生きることをあきらめさせなかった、原動力ともなっていると語る。いわく「誰にも発見されず、死ぬかもしれないという本物の恐怖」と共に、1人ぼっちの絶望の状況で、人間は自分だけでは生きていけないことに思いに至っている。
アーロンはクライマーとして何でも一人で出来てしまう。それがある意味、致命傷になってしまった。つまり、行き先を誰にも告げていなかった。しかし、結果的には、アーロンを支えたのは、仲間や恋人、家族のつながりでもある。物語としては登場人物も少なく、単純ではあるはずなのだが、内容的には深みがあって、生きることへのあくなき追求が感じられ、ドラマチックである。まさしく、言葉では上手く言い表すことができないが、見応えのある映像であり、引込まれた。

「ドクトルジバゴ」と「岳」

2011-05-07 21:50:32 | 映画
 府中の映画館で、午前中に「ドクトルジバゴ」を見て、午後に、今日からロードショーが始まった「岳」を見た。
 「ドクトルジバゴ」は、デビッドリーン監督によるロシア革命に運命を翻弄される男女の愛と苦悩を描いた大作。3時間を越える時間であったが、この時間と共に映像を通して大いなるうねりの中で翻弄される姿が描かれる。映像の中で、血はよく流れており、血にも色々あって、血が一つのテーマにもなっていると思われる。物語同様、この原作も苦難の道を歩んだようである。1958年のノーベル文学賞は、原作者であるパステルナークが受賞することになったが、ロシア革命を批判する反革命文学者とみなされていたので、ソビエトから受賞の事態を強要されていたのである。受賞すればそのまま亡命ということになり、やむなくパステルナークは受賞を辞退した。キャストととしては、「ダーリング」でアカデミー主演女優小を受賞したジュリー・クリスティの美しさは魅力的である。また、ジバゴの妻役のジェラルディン・チャップリンはチャップリンの娘である。また、全編に流れる名曲「ラーラのテーマ」は、よかった。
「岳」は石塚真一の人気コミックの実写映画化。山岳救助ボランティアの主人公三歩とヒロインの新人山岳救助隊員久美を中心に、北アルプスで起こる事故に立ち向かう姿を描く。ちょっとありえないかなと思われる場面もみられ、突っ込みどころがいくつかあったが、原作が漫画で、あまり考えすぎない方が良いとも思った。穂高に入れる4月末までは他の山で撮影していたというが、山の映像は素晴らしい。人間ドラマとしても上手く出来ている。山のよさが伝わってくるようだ。久しぶりに映画を一日に2本も見た。

ブラックサンデー

2011-02-06 19:25:32 | 映画
 府中で、第二回「午前十時の映画祭」が始まり、上映された「ブラック・サンデー」を見てきた。映画文化協会主催の「第二回午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」で、新たに選ばれた50作品「Series2/青の50本」の目玉作品として上映されることになった。
この映画は、本来、日本では1977年夏に劇場公開する予定だったのが、公開直前に「上映する映画館を爆破する」と脅迫があった関係で中止となってしまった。つまり、公開直前に中止となったいわくつきの作品である。府中での今回の映画祭の開幕作品でもあり、同劇場で最大の「スクリーン2」(499席)で上映されていた。
映画の原作は『羊たちの沈黙』(1991)や『ハンニバル』(2001)でも有名なトマス・ハリスのベストセラー小説。監督は、ジョン・フランケンハイマー。主演はロバート・ショウが冷静なムサドの幹部を演じ、マルト・ケラーが女性テロリストを熱演している。
1970年代のアメリカで、ベトナム戦争で戦った軍人が祖国に裏切られた復讐からアラブの女性テロリストと手を結び、大量殺戮に着手する。マイアミで開催されるスーパーボールのスタジアムの観客8万人を一挙に殺害するというテロ計画を立てていたのである。その阻止に動き出すイスラエル特殊部隊の殺し屋、カバコフ少佐とFBI。彼らの息詰まる戦いを描いたサスペンス・アクション映画である。
ブラック・サンデーのブラックとは復讐者のランダーが手を組む実在のテロリストグループ「黒い九月」をさしているとのこと。1972年のミュンヘン五輪の時にテロ事件を引き起こしたテロ組織でもある。当時アメリカ国内でのテロ活動がされていない時期に、来たるべき恐怖を予見しているかのようである。また、サンデーとは休息日のテレビに映らない社会の影となった人間たちの怨念を表しているらしい。背景に今なお続くアラブ人(パレスチナ人)と、ユダヤ人(イスラエル)のいわゆるパレスチナ問題の根深さが垣間見れるが、アクション映画として、手に汗握る!といった表現がピッタリの映画ならではのスリルにも満ちていた。映画の終わりには場内で拍手が沸いていた。映画の内容も良かったが、未公開作品を上映するという意気込みもかわれて、今やっと上映されたことに対して、思わず拍手した人もいたのでしょう。

 

ライムライト

2010-12-27 10:09:43 | 映画
全国の東宝系の映画館25館で現在、「午前10時の映画祭」が行われている。1950年代から70年代にかけての名画50本を毎週1本ずつ午前10時から1週間上映するという企画。来年2月から第二回目が開催されることが決まっている。入場料は1000円と安い。最近、府中のTOHOシネマズでよく観に出かける。ヒッチコック作品なども上映され、観ている。今回は喜劇王チャールズ・チャップリンの晩年の傑作「ライムライト」を観る。制作・監督・原作・脚本・音楽はすべてチャップリンである。ロンドンのスラム街で育ち、アメリカにわたって、40年。アメリカで製作した最後の作品となった。戦後、アメリカが戦勝に沸く中、「殺人狂時代」で反戦を訴えたチャップリンは、やがてハリウッドを追われたのである。
老芸人カルヴェロ(チャップリン)の最後の舞台。チャップリンと競演するのはバスター・キートン。無声映画時代の喜劇俳優である。トーキーの時代になって出番の少なくなったかつての名優を登場させたのである。チャップリンはヴァイオリン、キートンはピアノ。二人は言葉を話さずに掛け合いの演技をする。サイレント時代そのままの名人芸。チャップリンとキートン、芸を極めた二人の名シーンでもある。テリー役のクレア・ブルームはこの映画でデビューしたバレリーナ。テリーに思いを寄せる作曲家ネヴィルを演じたのはチャップリンの実の息子シドニー・チャップリン。
この作品は、チャップリン自身の自叙伝的な映画であるとも言われている。この時チャップリンは63歳で、年齢の差を超えた純愛を描きながら、喜劇役者の名演技が笑いを誘うが、表情や奥深い目にはそこはかとなく寂しさが漂っていて、哀愁も感じられる。道化師カルヴェロはチャップリン自身の投影とも思われるし、うまさでもある。
ラスト直前のカルヴェロがステージに立つ直前の楽屋のシーン、笑いがとれなく、劇場を避けるようにして生きてきたカルヴェロに対してテリーは「劇場はお嫌いなんでしょ?」と問いかける。それに対し、カルヴェロ「血も嫌いだがでもわたしの体を流れている」と答える。好きだとか嫌いだとかそういったこととは関係なく、舞台に立つこと自体が求められていることを言っているのだろうか。人生も同じところがあるかもしれない。全編を流れる「ライムライト」の音楽も惹かれる。
 私自身、段々、年をとってきて、改めて、この作品を見たときに、若い時にみたのを忘れているのもあるかもしれないが、何となく、強く共感できる部分もあって、年をとってきたわが身を振り返る場面もあった。

冬の小鳥

2010-10-21 22:01:18 | 映画
岩波ホールで、「冬の小鳥」を見た。
昨年のカンヌ国際映画祭で特別招待作品として上映され、同年10月の東京国際映画祭ではアジアの風部門で最優秀アジア映画賞を受賞した。韓国・フランスの合作映画で、大好きな父親に置き去りにされた事実を受け入れられない少女の悲しくも切ない失意の日々と、そこからの再生のドラマを力強く描く。
舞台は1975年のソウル郊外。9歳の少女ジニ(キム・セロン)は父親に連れられ、カトリック系の児童養護施設に預けられてしまう。いずれ父親が迎えにくると信じながら過ごすジニだったが、周囲になじむことなく反発を繰り返す。そんなジニを気にかけるのは年上のスッキだった。2人は庭で傷ついた小鳥の世話を始める。スッキはアメリカや遠い国への憧れをジニに語り、一緒に外国へ行こうと誘う。かたくなだったジニの心も、ようやく開いていくが、しかし、ズッキも養女として一人で外国へ行く。そこでまた、ジニは喪失感を味わうことになる。
ウニー・ルコント(44)監督自身が、実際に少女時代、1970年代に韓国のカトリック系児童養護施設に預けられ、その後、フランスのプロテスタント系一家に養子として引き取られた。「韓国文化から別れてフランス文化に入ったとき、葛藤(かっとう)や苦痛を感じました。カトリックのシスターたちによく面倒をみてもらったので、プロテスタントの家庭に入ったのも一種の別離でしたから苦痛で悲しかったですよ」と語る。
この映画は喪失体験というのがテーマの一つであり、子どもの心の孤独と葛藤も描かれている。しかし、その中で、子ども心に秘められた思いと生きる力も示唆している。まさに新しい命を自ら与えたのである。主演は、これが映画初出演となるキム・セロン。彼女の存在感と情感あふれる演技が、観客の心をつかむ。
映画は監督の実体験ではなく、あくまでフィクションであるが、当時感じた「心の痛み」が投影されているといわれる。監督は9歳だった頃の気持ちで脚本を書いたと振り返っている。子どもが厳しい現実にぶつかって葛藤する姿を描きたかったということで、9歳のジニの気持ちに寄り添って描かれているともいえる。監督は次のようなことも述べている。「過去に捨てられたことは確かに大きな傷跡になっていて、それに向き合うことをずっと避けてきた。ですが、今回このテーマで映画を作ることによって、真剣に正面から傷跡に向き合ってみようという決意で取りかかりました」



春との旅

2010-10-02 21:18:55 | 映画
 北海道で漁師をしていた忠男(仲代達矢)は、足を痛め、19歳の孫娘の春(徳永えり)と二人で暮らしていた。春の勤めていた小学校が廃校となり、失職した事から、春は東京に出て仕事を探そうとするが、足の不自由な忠男を一人には出来ない。忠男も、若い春の将来を考え、悩んだ末に二人は、忠男の世話を頼むべく、疎遠だった姉兄弟を訪ねる旅に出る。今更、兄弟に頼りたくはなかったに違いないが、東京へ働きに出たいと言う孫娘の将来を考えての、やむにやまれぬ選択であったのである。
 「バッシング」(05)、「愛の予感」(07)で知られる小林政広監督が、10年前から企画を温め、8年かけて脚本を仕上げた執念の力作といわれる。主演の仲代達矢は、「約150本の出演作品の中で、5本の指に入る脚本」と絶賛したと言う。
 男が何となく体裁があがらなく、だらしなくみえ、女性陣が気丈で、魅力的に描かれている。刑務所に入っている三男の内縁の妻・愛子(田中裕子)は、流行らない食堂をずっと守って、夫の出所を待ち続けている。その夫は、自ら他人を助けるために、犠牲になっているが、結局、身近の人を犠牲にして巻き込んでいる。忠男は感心しているが、春は首をかしげるところである。長女・茂子も、一人で旅館を切り盛りし、信念を持って毅然とした生き方を貫いている。茂子はつらさをたくさん経験し、辛いのが当たり前で、それを楽しむようにしたら、生きるのが楽になったような表現をしている。兄弟達の出会いを通じて、愛憎半ばする微妙な心の葛藤が描かれている。人生とは、親子とは、家族の絆の危うさと情、老いる事とは、さまざまな事を考えさせてくれる。
 また、出演している俳優が豪華である。主演の仲代達矢に、大滝秀治、菅井きん、淡島千景、田中裕子、柄本明、香川照之、小林薫、戸田菜穂などが脇を固めている。