ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

ソハの地下水道

2013-02-10 12:23:00 | 映画
すっかり山にご無沙汰になっている最近、映画や美術館、寄席にと出かけている。2月2日には、映画「あの日 あの時 愛の記憶」を下高井戸シネマで見た後、上野まで行き、東京都美術館で「エルグレコ展」を観た。9日には「ソハの地下水道」を下高井戸シネマで見た後新宿末広亭で落語を聞いた。伯楽が「文七元結」を熱演していた。映画「あの日 あの時 愛の記憶」と「ソハの地下水道」は、両方とも第二次世界大戦のホロコーストを題材にしている。
「ソハの地下水道」はナチス支配下のポーランドを舞台に、地下水道に逃げ込んだユダヤ人たちをかくまった実在の男をモデルに描き、ポーランド人女性アグニェシュカ・ホランドが監督している。原作は、イギリスのBBCで、ドキュメント番組を多く制作したロバート・マーシャルの書いたノンフィクションである。
舞台は、現在のウクライナ共和国、1943年当時、ポーランド領だったルヴフである。ドイツが占領し、ユダヤ人を隔離して居住させるゲットーがある町であった。
アンジェイ・ワイダの「地下水道」で描かれた地下水道は、レジスタンスたちの、いわば逃げ道であったが、「ソハの地下水道」での地下水道は、ナチスに追われるユダヤ人たちの隠れ住む場所として描かれる。
貧しい労働者のソハが、空き巣泥棒に金銭目当てでユダヤ人を地下水道に匿うところから話は始まる。ネズミが住み着く地下水道に身を潜めて命を守ろうとしたユダヤ人のために、危険を冒しながらも良心に従って行動するさまをドラマチックに描き、当初は自分の利益のことだけを考えていたソハの心の変化、また仲間割れや男女の愛憎などユダヤ人たちの人間らしい生きざまも赤裸々に映し出している。
地下水道に14ヶ月間生活。映像は、ネズミがよく出てきて、悪臭と下水道の暗闇の恐怖を感じさせる。ソハが、幼い子供たちを抱き上げ、マンホールの蓋をのけて、外の空気を吸わせてやるシーンは子どもたちの驚きと解放感が伝わる。
原作となった「ソハの地下水道」(集英社・杉田七重訳)は、多くの人物を取材して、回想が散りばめられた構成になっているようである。映画では、人物の設定や年号なども変えているようであるが、内容の大枠は同じであるようだ。

レ・ミゼラブル

2012-12-21 21:06:51 | 映画
今年も残すところあと10日である。今年はよく映画を観た。昨年、TOHOシネマズの「十時の映画祭」もよくみていたので、思わずマイルがたまっていて、TOHOシネマズの一ケ月フリーパスが手に入った。そのため、特にこの一ケ月は休暇になるとよく映画館に足が向いた。普段は見ないワンピースも見た。今日は「レミゼラブル」。公開初日であるためか、平日にもかかわらずよく人が入っている。
「レミゼラブル」は、ビクトル・ユーゴーの同名小説を原作に、映画化。世界43カ国で上演されて大ヒットを記録した名作ミュージカルの映画。ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイら豪華なキャストである。監督は「英国王のスピーチ」でアカデミー監督賞を受賞したトム・フーパー。
パンを盗んだ罪で19年間服役したジャン・バルジャンは、仮出獄後に再び盗みを働いてしまうが、罪を見逃してくれた司教に感銘を受けて改心する。最近、さい銭10円盗んで、懲役1年の実刑が出たという判決がニュースにあった。再犯か何か厳しくなる状況はあるのかもしれないし、確かに盗むこと自体は悪いことであるが、もっと巨悪な形で、お金を動かしている人はたくさんいるのに、庶民や弱い人たちの処分は時に厳しすぎる気がする。
やがて運命的な出会いを果たした女性ファンテーヌから愛娘コゼットを託されたバルジャンは、執念深いジャベール警部の追跡を逃れ、パリへ。バルジャンとコゼットは親子として暮らすが、やがて激動の時代の波に飲まれていくのである。
無償の愛、罪と償い、精神の尊さ、生きる喜びなど考えさせられる映画である。ミュージカルなので、歌を通して、訴える力も強く、生きる意味や悲痛な心の叫びが胸に響いてくるようである。最後に映画館にしては、珍しく、拍手をする人がいた。

終の信託

2012-10-29 11:17:49 | 映画
一昨日、「終の信託」をみた。
「終の信託」は、周防正行監督作品で、草刈民代と役所広司が共演している。原作は朔立木の同名小説を基に終末医療の問題を扱っている。この映画で描かれるように、実際には尊厳死なのか殺人なのか境界が厳しい場合がある。時として、人は思わぬことが起きた時、気が動転する。その時、判断に揺れが生じる。そういったことも描いていると思われた。その結果、法の下で裁かれる様子が検事の取り調べにつながっている。この映画は、「愛」のストーリーであると監督は強調しているが、それよりも、医療現場での医師の判断の揺れなども扱っていることをより強く感じた。後半の迫力ある取り調べは、逆に今の検察の状態や手法を浮き彫りにしているようで、圧巻であった。大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件以降「取調べの可視化」の必要性が言われているが、この検事室での攻防はまさに「取調べの可視化」そのものだともいえる。
このように、この映画は、終末医療の課題や検事の手法など難しいテーマを問題提起もしているように思われた。

少年と自転車

2012-09-03 09:58:01 | 映画
下高井戸シネマで、「少年と自転車」を見た。ベルギーの映画監督ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ兄弟が、第64回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した感動作。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督は以前、日本で聞いた、石井小夜子弁護士の「帰ってこない親を施設で待ち続ける子どもの話」をもとに、この映画は生まれたと語っている。児童養護施設に預けられた少年が毎日屋根に上って父親を待ったという話に着想を得て作られたのである。
児童養護施設に預けられた11歳のシリルは、父と暮らすことだけを希望に過ごしていた。そうした中、週末だけの里親になった美容院を営むサマンサとの交流を描いている。親から虐待を受けた子どもは心に深い傷を負っている。自己肯定感を持ちにくく、怒りのコップがいっぱいであり、ちょっとしたことで怒りが爆発する。一方で、シリルに犯罪をそそのかす少年も優しい面があり、人間は一面的ではなく、複雑であることを示唆している。シリルも優しさに飢えていたので、そそのかされてしまうのである。石井弁護士はサマンサのことを次のように述べている。「サマンサは導くわけでも親代わりをするわけでもない。特別な構えもない。ただ、シリルの傍らにいて、心配する.怒るときは怒る。伝えるべきは伝える。大人の手助けが必要なときはおとなの役割を果たす。こういう存在です。」シリルには傍らにこういう存在が必要なのである。
また、表題にあるように自転車が多くのことを象徴しているように思われる。少年の人との繋がりや成長までも意味している。自転車が少年にとって生きる糧になっていて、自転車に乗るシリルのしぐさや表情をカメラはとらえていて、少年の心境も伝わってくる。


ポエトリー アグネスの詩

2012-06-17 11:17:21 | 映画
監督はイ・チャンドン。この映画は2010年のカンヌ国際映画祭で、脚本賞(イ・チャンドン)を受賞。静かな地方都市。66歳のミジャ(ユン・ジョンヒ)は、釜山で働く娘の代わりに中学3年生の孫ジョンウク(イ・デヴィッド)を育てている。生活保護と介護ヘルパーの仕事で生計を成り立たせている。「おしゃれなひと」と呼ばれていた。ミジャは、近頃めっきり物忘れが激しくなってきたことが気にかかりはするけれど、偶然目にした広告をきっかけに、小さいころに「将来詩人になるだろう」と言われたことを覚えていたので、詩作教室を受講することにする。講師の「詩は、見て書くものです。人生で一番大事なのは見ること。世界を見ることが大事です」という言葉に従って、ミジャはリンゴを眺め、木を見つめ、感じたことを手帳に記していく。
 そんなとき、ジョンウクの友人ギボムの父親(アン・ネサン)から連絡が入り、孫の仲の良い6人組の保護者の集まりに連れて行かれる。そこで知る、驚愕の事実。先日自殺した少女ヒジンの死に、その6人組が関わっていたというのだ。アグネスという洗礼名を持つヒジンの慰霊ミサに出向いたミジャは、入口にあったアグネスの写真を持ち去る。小さな遺影を目の前に置いてみても、平然としている孫。自分が犯した罪に、知らぬぞぶりを見せ、ゲームセンターに入り浸ったり。祖母には悪態をついたり、祖母の気苦労までは理解できていない。いつしかミジャはアグネスに心寄せるようになり、彼女の足跡を辿っていく。ミジャは少女の軌跡を追いながら、感情移入をしていったとも思われる。その中で、孫に愛情を持ちつつも、取り返しのつかないことをしたことに対し、ミジャ自身も罪の意識が浸透し、詩も生まれてくる。この映画は、登場人物が具体的にどうなったかを説明するような設定はなく、結末は直接示されていない。しかしどうなったかの予測はわかりやいが、見る側にゆだねられている。監督を本作に導いたのは、韓国中を震撼させた女子中学生集団性暴行事件の衝撃であったとのこと。いろいろと考えさせられる映画であり、まさに人間の中の光と影、美しさと醜さ、善良さと邪悪さ、賢さと愚かさを混在させ、人間を真摯に見つめた映画になっている。

オレンジと太陽

2012-05-10 22:20:42 | 映画
 マーガレット・ハンフリーズの手記「からのゆりかご 大英帝国の迷い子たち」を、ケン・ローチ監督の息子ジム・ローチが映画化。英国が19世紀から1970年まで密かに行っていた強制児童移民の実態と、彼らの家族を探すハンフリーズ本人を描いている。児童養護施設の子どもたちが「児童移民」として密かにイギリスからオーストラリアに送られ、オレンジと太陽がある国といわれながら、実際に子ども達を待っていたのは過酷な労働や児童虐待などである。それを主導したのは、教会や慈善団体で、イギリス政府も公認していた。しかし、一般の人たちもほとんど知らなかったとのことである。そして、このような親の許可のないまま移民された子ども達は15万人を超えるといわれる。これが明らかになり、本作が制作されている中、イギリスとオーストラリア政府が認めて、公式に謝罪をしている。それにしても先進国といわれているイギリスでも戦後までこんな非人道的なことが行われていたのかと驚く。
主演のハンフリーズ役はエミリー・ワトソンが演じる。ソーシャルワーカーであるハンフリーズのところに、児童養護施設育ちの人たちから自分の親は誰か調べてもらえないかと頼まれる。それは自分が何者であるかのルーツを調べたいのである。仕事で関わった児童養護施設育ちの子ども達の多くが、自分の親が誰だかわからないまま大人になって、自分というものがつかめなくて、苦しんでいるのである。親の存在の大きさを感じさせる。彼らの訴えに応じて調べていくうちにイギリスとオーストラリアを行き来し、様々な関係者と出会い、過去に起きた出来事を探るとともに、オーストラリアに送られた子供たちの母親探しを続ける。その中で、教会や国が行ってきた実態がわかってきて、妨害に会ったり予期もしないできごともおきたりするのである。こうして親探しの仕事をして、自分の子どもとの生活は離れてしまうのである。また、マーガレットの行動からソーシャルワーカーとしての高い専門性が随所に現れている。虐待した親から子どもを分離させる時に無理やり引き離すのではなく、一旦ベッドに置かせてひきとったり、クライエントとの面談での方法などは訓練を受けているのを感じさせる。ソーシャルワーカーとしての専門性の必要性を問うている気がする。
 




ヘルプ 心がつなぐストーリー

2012-04-23 10:56:25 | 映画
映画、『ヘルプ』と『サラの鍵』と二日続けて観た。『ヘルプ』は人種差別を扱い、『サラの鍵』は第2次大戦におけるホロコースト、フランス人のユダヤ人への迫害をテーマにした映画である。共に差別という社会問題をテーマにしている。
ヘルプについてふれてみる。
1960年代、人種差別が激しかったアメリカ南部のミシシッピ州ジャクソン。黒人メイドに育てられた作家志望の白人女性スキーター(エマ・ストーン)は、地元の新聞社で家事に関するコラムの代筆を担当することになった。友人宅のベテラン黒人メイド、エイビリーン(ヴィオラ・デイヴィス)に相談したことにより、メイドたちが置かれた立場に疑問を持ち始め、その証言を集めて本にしようとした。メイドたちを雇う白人女性たちが、自分たちはさも進歩的であるかのように振舞っているが、それでもトイレを別にしようとするなどの差別的行動を取る。しかし、食事はメイドに作らせたり、子どもの世話をさせて抱くことは平気であるといった矛盾である。この差別的な感覚は、人種問題をかかえるアメリカ独特な歴史から来る根深さもある気もするが、誰でも持ちやすい差別や偏見の問題を提議している様にも思われる。オクタヴィア・スペンサーが演じる黒人メイドやジェスカ・チャスティン演じる天然ボケの女性も魅力的である。深刻な社会問題を扱っているが、どこかユーモアがあって、楽しめる作品でもある。


アーティスト

2012-04-09 11:32:25 | 映画
「アーティスト」をみた。『サイレント映画には、セリフがない。観客は、生きた感情を心で感じる。そんな経験を贈りたかった。』と監督、ミシェル・アザナヴィシウスの言葉である。1927年、ワーナー映画社が史上初のトーキー映画を製作した。この時代は映画もサイレントからトーキーに確実に移動しつつあった。この大転換期のハリウッド映画界を舞台に音楽を入れたサイレント映画がフランスの監督によって作られたのである。過去の栄光が忘れられないジョージは新しいトーキーに組みすることは良しとはせずに自ら監督、主演してサイレント映画で活劇を作る。そして失敗する。時代の変化に置いてきぼりを食らった無声映画のスターとは逆に、ジョージに「黒子をつけて売り出せば」と助言されたぺピーは新しい女性を象徴したスターになっていく。そのぺピーがジョージを救援する。名犬アギーもジョージの守護神である。サイレント映画は俳優の身体表現が重要となる。ラブストーリーであるこの作品は、俳優の顔の表現や手指の動きで恋愛表情を表現していて、名シーンも登場。今のこの時代にサイレント映画を製作するとは勇気ある挑戦でもある。そして、内容は過去の名作へのオマージュを数多くちりばめているようにも思われ、映画愛に満ちた作品でもある。昨年、『午前十時の映画祭』で、過去の名作を40本以上見てきて、映画の魅力や深さを感じた。そういう意味では、この作品のように、映画愛に満ちた作品は、映画好きにはたまらない。この映画は、言葉で表現できない映像だけで想像力をかきたてる映画の原点に立ち戻っているともいわれている。

50/50 フィフティ・フィフティ

2011-12-15 10:49:32 | 映画
酒もたばこもやらない27歳のアダム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が、ある日突然、5年後の生存率が50パーセントのがんであることを宣告される。戸惑いながらも、前向きに闘病生活に向かう姿を描いたヒューマンドラマ。新鋭ジョナサン・レヴィン監督がユーモラスに描き出す。脚本家のウィル・ライザーの実体験がもとになっていて、アダムの悪友役はコメディ俳優のセス・ローゲンが演じ、実際に脚本家の友人として同じ苦難を共にした人物である。そういうわけで描かれる幾多の心情は、きわめて高いリアリティーを持っているともいえる。闘病映画ではあるが、優れたコメディーになっている点はさすが、映画大国アメリカである。日本では難病物のお涙頂戴式の映画が多く、それとは違っている。実際、癌は辛いが、奇妙でおかしいこともつきまとうと脚本を書いたウィルは語っている。同僚や恋人、家族は病気を気づかってどこかよそよそしくなっていくなか、悪友カイルだけはガンをネタにナンパに連れ出すなど、いつも通りに接してくれていた。のっぴきならない悲劇の中だというのに、それを笑い飛ばす不謹慎さがありながら、病気も悪くないといったように、ポジティブな考え方にもさせてくれる。そして、寄り添うだけでも勇気付けられるのである。病気は苦しいが、マイナスだけではなく、命の尊さ、人との関係を大切にしたり、生きる気づきも与えてくれる。もちろん、不条理な病への憎しみや葛藤なども描かれているが、悲壮感を漂わせるだけではなく、あくまで楽しんで、笑いのある生き方も大切であると訴えているようにも思えた。観終わったあと元気が出てくる映画でもある。

がんばっぺ フラガール

2011-11-06 15:08:23 | 映画
ドキュメンタリー映画「がんばっぺ フラガール!〜フクシマに生きる。彼女たちのいま〜」をみた。2011年3月11日に発生した東日本大震災により甚大な被害を受けた福島県いわき市の大型レジャー施設、スパリゾートハワイアンズ。フラガールたちの震災後を追った映画である。震災後休館となってしまったことから、フラガールたちは施設開業前年に行った全国キャラバンを46年ぶりに復活させた。避難住民に一部の施設を提供しながら、営業再開に向けて動き出すスパリゾートハワイアンズ。自らが被災しながらも踊り続けることを決意し全国キャラバンへと向かうフラガールたち。「笑顔を街へとどけよう。私たちの原点に戻るんだ」。カメラは4カ月に渡って追い続けた。奇しくも映画「フラガール」にも描かれた、常磐ハワイアンセンター創設時の危機的状況と重なるものでもあった。日本のエネルギー政策に翻弄されてきた街「いわき」で、もう一度楽園を作る人たちの物語である。やはりどんな事態で笑顔を絶やさずに復活に向けて踊り続ける彼女らのひたむきな姿に元気づけられる。色々とあっても、いつまでも落ち込んでいられない。監督はたくさんのドキュメンタリー作品や映画に携わってきた小林正樹。音楽を担当したのは、映画「フラガール」に引き続きジェイク・シマブクロ。そしてナレーションも「フラガール」で主演した蒼井優が担当。