ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

スピード違反

2009-04-24 22:39:01 | Weblog
仕事で入院をしている子の迎えに行く途中、宮ヶ瀬湖のやまびこ大橋を渡って、右に曲がって、しばらくいくと、警察の方がたくさんいて、私の車を誘導する。何か取調べでもしているのかなと思っていたら、スピード違反だと言われる。そんなにスピードを出した覚えがないので、何かの間違いではないかと思ったが、たくさんの車が捕まっている。これは尋常ではない感じ。そんなに車の通りが多くない平日の道なのに、反則切符を切る人の机がたくさん並び、たくさんの人が座って反則の切符をきられている。私の右となりに座った人も釈然としなく、警察に食って掛かっていた。警察ももっとやるべき仕事があるのではないかと苦情を言っていたが、どうしようもない。これだけ取り締まるには神奈川県警の数も半端ではない。いかにも大量取締りのために用意されていて、どんどん反則切符を切っていく感じ。私の場合。40km制限の道を63kmで23kmオーバーである。2点減点、一万5千円の罰金で青切符である。これでも痛い。
スピード違反をしたのは誘導されたところより、手前であるといわれて、どこでスピード違反となったか、帰りにチェックをしたら、見晴らしがよくて、一直線の道で、車の通りも少なく、いかにもスピードの出やすいところで、ちょうど警察が片づけをしていた。いくらでも取締りが出来る感じ。つかまりやすいところで何台も何台も短時間で集中的に取り締まって、たくさん摘発したためか、もう解散をしているのをみると、点数稼ぎをこういうところでしていたのかと思ってしまうのは自分が捕まった被害妄想か。警察の不祥事は多いし、大々的にやるなら警察はもっと力を入れるべきことはあるような気もするが、とにかくこれからは気をつけよう。

2008-12-21 22:40:40 | Weblog
山野井泰史・妙子夫婦は2002年に中国・ネパール国境にあるヒマラヤの難峰ギャチュンカン(7952メートル)北壁に挑戦し、泰史は単独登頂に成功。山野井夫婦は帰路に雪崩に遭い、泰史は重度の凍傷で手足の指11本、妙子は18本を失いながら生還した。その壮絶な記録であるノンフィクション小説である「凍」を読んだ。わずかに8千メートルに至らないので、あまり注目されない山であるかもしれないが、難峰であることは間違いない。この山に極地法ではなく、アルパインスタイルで山野井夫妻は登った山野井泰史はK2など8000メートル峰の未踏ルートや世界各地の困難な未登攀氷壁を単独踏破をしている。凍傷を負った後も、中国ポタラ北壁やハリラプチャ北壁を単独登頂しているし、アルパイン・ソロクライマーとしては世界屈指であるが、実際には、名声や名誉からは自由で、純粋に山が好きなクライマーであることを読むとよくわかる。限界に挑んだ夫婦のクライマーの描き方も見事である。読み応えがあって、沢木耕太郎の文章も上手く、ぐいぐい魅かれる。
この世界的クライマーが最近、奥多摩でクマに襲われ、重症を負ったのは記憶に新しい。一方で、テレビ受けし、バラエティにもよく出て、活躍している登山家もいて、それはそれで山の素晴らしさを広げていると思うのだが、同じ登山家でも、生き様は違うように感じられた。

山野井泰史 熊に襲われる

2008-09-19 22:11:14 | Weblog
日本のトップクライマーである山野井泰史が熊に襲われたという記事があった。びっくりでもあり、ショックである。
彼は、高所における高難度のクライミング実績と技術があり、世界屈指のクライマーと言われている。たとえば、K2に南南東陵からアルパインスタイルでソロ、しかも無酸素で登った人である。世界のトップクライマーであるにもかかわらず、スポンサーをつけずに、奥多摩で質素に生活し、クライミングにはいくらでもお金をかけてでも登る人である。生活の全ては、山のためにあるとも言われている。
彼は、2002年秋、ヒマラヤのギャチュンカン北壁の単独登頂に成功したが、帰路に雪崩に遭い壮絶な生還劇の末に脱出。しかし、そこで両手及び右足の指を計10本を失った。それでも徐々に体を慣らして、クライミングを開始し、新たな挑戦をして、とにかく偉大さを感じる。

山野井通信に次のような報告が載せられていた。少し安心をした。

山野井氏熊に遭遇重傷。命に別状はありません。
9月17日朝、自宅近くをジョギング中に曲がり角で子連れの熊と鉢合わせになり、すぐに逃げましたが右腕をかまれました。そのあと覆い被されて顔をかまれ、けとばすなどしたためようやく熊は離れて逃走しました。
山野井氏は意識がうすれるなか近くの民家に助けを求め、ヘリで青梅市内の病院に搬送されました。鼻の縫合など90針を縫う大怪我を負いましたが、意識はしっかりしており、話しはできてまた食欲もあります。
山野井氏は顔の傷よりクライミングに関係する右腕のほうを気にしています。さすが‘山野井泰史’です。
17日は感染予防のため集中治療室で過ごしましたが、18日以降は一般病室に移る予定です。熊と遭遇した場所は山奥ではなく日常の生活圏であり、再発防止のため熊狩りがおこなわれましたが見つかっておりません。
皆様にはご心配をお掛けしましたがご安心ください。

うなぎの串焼き

2008-08-07 09:15:10 | Weblog
また行ってしまった。末廣亭である。この時期、休みは北アルプスとかに登りたいところなのだが、夏の連休が愛知の実家に帰ることになっていて、他はなかなか連休がとれない。結局、落語に足が向いた。桂花ラーメンで昼を食べて、始まる時間に行くと、団体さんが列をなしていた。夏休みのためか中は子どもも何人かいて、話し手もいろいろと子ども対象に話しかけたり、小話を紹介したりしていた。今回はいっ平が出てきたり、正蔵が昼の主任を務め、さすが、三平の息子である。話も笑わせて面白いが、表情やしぐさの芸がうまいと思った。正蔵は皿屋敷を披露。怪談話である。途中でお菊には三平という情夫がいたと話を展開したり、お菊ときくぞうラーメンをかけたりとオリジナルな話題も盛り込みながらぐいぐい引き込まれてしまった。
今回は昼の部で終わらせて、久しぶりに思いで横丁に行き、「カブト」でうなぎの串焼きを食べた。「カブト」は昭和23年からやっており、今は2代目が切り盛りをしている。70代半ばの店主で、さすがに以前より老いを感じさせるところもあったが、元気である。焼き台の上にある電球の笠は、長年の炭火で鰻を焼いた時に発生する煤と脂分がこびりついて黒くなっている。ここの名物にもなっている。串焼きの7本セットの一通り以外にも蒲塩なども頼んだりして、ついつい食べ過ぎた。れば焼きはちょうどなくなった後で、残念。5時前には、ればはなくなってしまうのである。飲み物もビールだけで終わらなくて、焼酎も飲んだ。ここの焼酎はストレートである。串焼きに冷えた焼酎も合うらしく、美味しい。末廣亭のクーラーが効きすぎたのか、飲みすぎ食べすぎなのか、帰ってからお腹の調子も少し悪くなったが、懲りないだろう。落語を聴いて、美味しいものを食べて贅沢な一日である。


夏の球技大会

2008-08-06 09:39:18 | Weblog
施設対抗の夏の球技大会が終わった。ドッチボール、バレーボール、野球とそれぞれ1勝して、2回戦で敗れている。時間が少ないながらも一生懸命練習をして、大会に挑んで、それぞれのドラマがあった。負けて悔しい思いも出てきてはいるが、苦しくなっても、踏ん張ることの大切さをこういう試合で身につけていくのかなと思った。昨日の野球、最初、打たれても、こちらでも打って、いい試合になってきたが、後半、ばて気味で、ピッチャーのコントロールがなかなか入らず、きわどいところでボールとなる。打ち取ったと思ったらエラー。あと一人がなかなかアウトにできない。結果的に大量点を取られてしまう。今にもふてくされてしまいそう。それでも最後まで投げきることができた。午後大雨が降って、3位決定戦ができなくなり、2チームが同時3位となり、子ども達にとっては3位というのは久しくなかったので、励みになったと思う。
とにかく、みんな泥んこになって、汗まみれで一生懸命プレーをしている姿は心打たれる。確かになかなかうまくいかないと、きれそうになったり、雑になりがちなプレーもあった。しかし、それでも立ち直って最後までがんばっていた。人生においてもうまくいかないことは多い。こういう経験がどこかで生きてほしいと思う。

夏の大島

2008-07-30 11:21:05 | Weblog
夜発舟泊を含めて4泊5日で、職場の夏季行事で大島に行く。初日夜、竹芝桟橋11時発の舟に乗り、次の日、大島岡田に5時頃着く。9時半頃に三原山山頂口から三原山に登り、火口のお鉢周りをしながら、テキサスコースへの分岐に出て、テキサスコースを下りて、大島公園に着く。登り自体は30分ぐらいで登れて、火口の周りを歩く感じであったが、下りは海沿いまで歩くので、標高差があって、下りの距離の方がずっと長い。全体で歩いた距離は約10キロぐらいである。昼には大島公園に着き、そこでお昼を食べて、キャンプ場に向かう。子ども達は元気で、キャンプ場に着いてからもプールに入ったりして楽しむ。今回はずっとキャンプ場のデッキテントで泊ることになった。2日間は自転車を借りて、野田浜まで行き、海に入ったり、秋の浜に行き、みんなで飛び込みをしたりする。秋の浜の日は、土曜日であったので、ダイバーも多かった。最終日は片づけをして、キャンプ場のバスで、元町まで送ってもらって、竹芝桟橋まで舟で帰路に着く。キャンプの最中、朝早く起きて、釣りをしたり、男の子達は船の中やキャンプ場でも暇があるとトランプをしたりしていた。今回はずっと天気がよくて、帰るときに曇っていてぱらついたりしたが、本当に天気に恵まれた行事となった。夜は夜で、肝試しや花火をしたり、満点の星空で流れ星を見たりすることもできた。こうして、子ども達は大島の山や海を満喫し、無事、船泊含めて4泊5日の行事を終える。私が寝たデッキテントは、チャックをあけていて、たくさんの蚊に刺されたりして、寝不足になったりしながら、私自身は、海で体力を使い、急坂のある大島の道をサイクリングするにはとてもハードであったことも確かである。家に着いてからは、ぐったりで、ビールやお酒を飲んで、ぐっすり眠ることができた。次の日は休みだったのでゆっくり起きて、洗濯をしたり、片付けしたりして、用事を済ませたりしたら、1日が過ぎた。2日連続で休みが取れたので、2日目はやっと元気が出てきて、映画「ランジェ公爵夫人」を見たり、末廣亭で落語を聞きに行ったりした。

巨匠たちの対決

2008-07-17 11:00:32 | Weblog
東京国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た。
中世から近代までの日本美術巨匠の中から関連性に着目し、2人を選び出し、「対決」形式で紹介するところに特色がある。対戦リストは以下のとおりである。
運慶 vs 快慶、 雪舟等楊 vs 雪村周継、 狩野永徳 vs 長谷川等伯、 本阿弥光悦 vs 長次郎、 俵屋宗達 vs 尾形光琳、 野々村仁清 vs 尾形乾山、 円空 vs 木喰、 池大雅 vs 与謝蕪村、 伊藤若冲 vs 曽我蕭白、 円山応挙 vs 長沢芦雪、 喜多川歌麿 vs 東洲斎写楽、 富岡鉄斎 vs 横山大観
非常に豪華な顔ぶれである。一人一人だけでも展覧会が成り立つといってもよい。滅多にない企画と言われているので、混むのを予想して、夏休み前の平日に駆け込みで出かけた。それでも非常に人が多い。この人の多さだけで、見るのに時間がかかり、疲れてしまうが、音声ガイドを聞きながら、見てまわった。結局2時間以上もかかった。
雪舟と雪村の絵はなんとなくユーモラスが漂う。二人の接点はなかったようではあるが、後で生まれた雪村は禅僧の先輩である雪舟の雪という字を名前に使っている。応仁の乱から戦国へと向かう激動の時代の前半と後半で雪舟と雪村は生きて、禅僧画家の二人は、時代や権力者の価値観に影響されていて、それぞれの生き方が絵にも現れているのではないだろうか。雪舟には強さと自己主張を感じ、雪村には気負いはなく、のびのび描いているのではないかと言われている。
大雅vs蕪村は、同時代の好敵手であったらしく、大雅の「十便帖」と蕪村の「十宜帖」は好対照で見ごたえがあるが、大河は、“浅間山真景図”など山を描いているのにも目に付いた。画面手前に浅間山があり、左手奥に筑波山、右手奥に富士山があり、山岳風景画が、前掲の岩から中景、遠景の山に至るまで遠近感が自然に描かれている浅間山からの風景を見て、再構築して作られたのではないかと言われる。大雅は山好きであったらしく、自然や山を描く作品が多い。
 見ごたえのある作品ばかりを駆け足でみて、会場を出たら、炎天下の暑さで現実に戻る。昼食で入った店で生ビールをグィッと飲むとなんともいえない心地よさ。絵のことはあまり良くわからないが、とにかく、昔から巨匠達はいて、偉大な作品を数多く残していて、自分の目で触れることができたこと自体、満足である。

涼を求めて西沢渓谷

2008-07-14 10:18:55 | Weblog
非常に暑くなりそうであったので、涼を求めて、西沢渓谷に行った。最近、高い山に登っていないので、少しハードな山行もしたかったのであるが、心身とも疲れ気味なのか、手ごろな渓谷歩きになってしまった。西沢渓谷は奥秩父の国師ヶ岳 ( 2592m) にその源流がある笛吹川の上流に位置する渓谷である。一周、約9kmのコースである。往路は沢をすぐ横に見ながら上流へ上流へと登って行く。「三重の滝」から「人面洞」「龍神の滝」「恋糸の滝」「貞泉の滝」「母胎淵」「カエル岩」などの名前が付けられた滝や淵が有り、バラエティーに富んでいる。「七ツ釜五段の滝」からきつい登りを登りきったところが、西沢渓谷の終着点である。復路は古いトロッコ軌道が残っている緩かな坂道を景色を楽しみながら歩く。トロッコ軌道は昭和8年から昭和43年まで、馬に引かれたトロッコが木材搬出のため行き来した名残である。また、この渓谷は全国で24箇所選ばれている森林セラピー基地にも認定されている。
帰りは、「花かげの湯」に入って、恵林寺にも寄ってみた。恵林寺は1330年、夢窓国師(むそうこくし)によって開かれ、臨済宗妙心寺派の寺で、戦国武将・武田信玄の菩提寺でもある。武田信玄や柳沢吉保の墓所もある。観光スポットになっているようで、観光バスなどの団体さんも訪れていた。快川国師の遺偈(いげ)「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)で有名な三門もある。広い境内は見て楽しむところがたくさんあった。本堂拝観料300円を払って、見学をした。本堂の回廊を歩き、鳥が鳴いているようなうぐいす廊下があったり、庭に出て、武田信玄公や柳沢吉保の墓所をみて、夢窓国師の築庭があったりした。



たてもの園

2008-07-07 11:56:38 | Weblog
小金井公園の中にある「たてもの園」の見学の企画があり、参加した。現地保存が、難しくなった文化的、歴史的に価値がある建物が移築復元され、一般公開されている。建物のほとんどが中に入って見学できるので、いくつか入ってみた。中に入ると、ボランティアのガイドの方がいて、その説明を聞いているだけで楽しいし、勉強になる。今回、建築に詳しい福祉士も同行した。
建築家の建物もあって、本当に細かいところで、工夫をして作っているのを聞いて、驚く。なかでも注目は『前川國男邸』である。昭和17年の戦時中に建てられており、建築資材を制限され、その他にも100平方メートル以内などいろいろな法律で非常に困難な状況の中建てられている。玄関を入って、中央のリビングは、吹き抜けになっており、機能的に作られた家である。南側の採光も大きく、かなり広く感じる。テーブルは台形になっていて、その理由は4人が座った時に全員がちゃんと重ならずに立派な庭を眺められるようにとのことらしい。書斎をのぞくと、窓を広くとり、窓の雨戸・障子などが綺麗に組み合わせができて、すっきり見えるようになっており、さりげなく細かいところでこだわっている。床と壁の境目にある壁の下の巾気は、汚れたり、壊れやすい壁の下部を保護するのが目的であるが、さらに目立たないように巾気の下部の部分を削って作られていたりと、遊び心なのか、かなり細かく工夫して作られていることが説明された。ガイドの方はこういったことは普通のガイドブックには書かれていなくて、裏本があるともいわれた。こうして説明を聞いていると時間がたつのも早い。家の設計自体も建築家の学生にとっては学ぶことが多くて、学生がよく設計図やメジャーを持って、見学に来るとのことである。
その後は、常盤台写真場や茅葺の家の中に入ったりしながら、見学し、宮崎 駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」のモデルになった「子宝湯(昭和4年)」という銭湯等もいろいろと見学をして、最後に高橋是清邸をみた。高橋是清は、港区赤坂にあったこの邸宅二階書斎で暗殺(2・26事件)される。現在、ここに復元されているのである。政治家は透明性が必要だと2階の窓を大きくとってあったり、自由の発想を持たなければと、あえて、畳の大きさも自由に変えてつくられていたりした。思想が建物に反映されているのだと思った。狙われやすい立場にもあったので、暗殺者の出入りを意識したような作りもあった。結果的にここで発想の自由がきかない軍部に暗殺されることになったと説明を受ける。
外に出てからは、小金井公園で、ビールを飲みながら、お昼を食べた。その後は室内展示をみてから、吉祥寺に移動し、飲み会から参加の人と合流し、焼き鳥で有名な「いせや」で二次会、さらに他の店で三次会だった。「たけおか」の仲間とよく歩き、よく学び、よく飲んだ一日であった。日ごろの疲れが出たのか、うとうとしたりしたが、リフレッシュできた。

クルージング

2008-05-25 20:04:27 | Weblog
職場の子どもたちにクルージングの招待があった。夢の島マリーナ内の東京ヨットクラブ主催で行ってくれた。今年で16回目である。長い間続けていただいて、子ども達も素敵な体験ができて、楽しみにしている。久しぶりに私も付き添いで参加した。
まず、子ども達はライフジャケットを借りて船内に乗り込んだ。雨もぱらついていたので、合羽も貸していただいて出発。夢の島マリーナを出発してお台場までの往復のクルージングである。船がスピードが出るとみんな興奮をして、落ちないかと大人がひやひやする。風を切って、波を乗り越えていく船上の旅にみんな大はしゃぎである。船からは、レインボーブリッジやお台場、ディズニーランドも眺めることができて、これまた子ども達も嬉しい。東京湾の潮風に吹かれて、海の魅力をいっぱい味わうことができた。 クルージング終了後は、マリーナ内で、つきたての餅や美味しいカレーライスなどを食べたりゲームなどをして、子ども達は思いっきり楽しい一時を過ごした。ありがたい。