ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

東山魁夷展

2008-05-15 10:49:24 | Weblog
 久しぶりに山歩きでもしようと思ったら、雨模様の天気。そこで、生誕100年を迎える東山魁夷の記念展が東京国立近代美術館で開催されていたので、観に行った。
5月18日までとあとわずかなので、平日なのに、たくさんの人で賑わっていた。代表作の一つである《道》、東山自身が画業の転機とみとめる《残照》や人気の高い《花明り》などの重要な作品等含めて、本制作約100点、スケッチ・習作約50点を数える絵が展示され、これまでの東山の回顧展で最大規模であるといわれる。私は、音声ガイドを借りて、聞きながら見て回った。東山魁夷本人の声による作品の解説を聴きながら鑑賞することができた。「生かされている」を信条とした東山魁夷は自然との調和をはかり、描写が見事である。
《道》は、緑の草原に、一本の道が奥に向かって延び、消えていく。構図的にはきわめて明瞭、簡潔である。《道》について、東山は、「過去への郷愁に牽かれながらも、未来へと歩みだそうとした心の状態」と回想している。いわゆる心象風景である。この作品は戦前のスケッチに、最初のイメージを得たという。戦前の不遇などの遍歴を経て、新しく始まる道に希望への憧憬と強い意志を見出そうとしていたのである。先は見えない道ではあるが、何処までも続く道は、先の遍歴の旅を暗示しているともいえる。
《残照》は寂寥とした夕暮れの中で山肌が見せる微妙な変化を描いている。1947年(昭和22)年に、最後の肉親である母と弟を失い、初の日展にも落選した39歳の東山は失意の中で房総の鹿野山に登った。そこで、はじめて自然とひとつになった実感を抱く。自らも大自然の一部として、あるがままの世界を受け入れることができたという。山々の姿の下から上に行くにしたがって、次第に明るさを増していく色調が無限の広がりを感じさせる。この色彩の変化が東山の憂いとかげりを含んだ内面と明るさの残る夕映えが微かな救いを見通しているといわれる。自然を描きながら内面描写を描いているといわれるゆえんである。
また、11年あまりにも及ぶ、奈良・唐招提寺の御影堂障壁画の制作は、東山の画業における一大プロジェクトであって、この展覧会では、《濤声》の一部と《揚州薫風》を、ギャラリー4を御影堂内部に見立てて展示してあり、圧巻である。
素晴らしい作品ばかりが並び、人も多い中で、音声ガイドを聞きながら鑑賞したので、思ったより時間がかかったが、見応えがあって、充実感に浸った時間であった。山の絵も多く、何か共感するところも多かった。
帰りは、新宿に寄り、末廣亭で落語を楽しんだ。午後の部は、日ごろの疲れと午前中の鑑賞の疲れもあってか、うとうとしてしまったこともあるが、夜の部では最後まで聴くことができた。ここでは、入れ替わり立ち代りの演芸を本当によく笑わせてもらった。そして最後のとりは一朝で、名前の通り「いっちょう懸命」演じていて、満足して寄席を出た。



タカオスミレ

2008-04-20 21:32:33 | Weblog
高尾山は自然の宝庫といわれている。高尾山で最初に見つかったといわれるタカオスミレという花がある。ヒカゲスミレの品種であり、沢沿いに咲き、開花時の葉が焦げ茶色から黒紫色になったものである。最初に記録されたのは昭和3年である。その花を探しに出かけた。
日影沢や一号路に咲くといわれているので、まず、高尾からバスに乗り、日影で下りて、日影沢林道を歩いた。新緑のフィトンチッドを浴びながら、気分よく歩き出した。途中、写真を撮っている人がいたので、よく見ると、タカオスミレであった。私も撮ろうとすると、後からグループの方たちが来たので、ゆっくりは見ていられなくなった。そのまま林道を歩きながら、城山に登った。途中の景色で、高尾から城山への稜線が見え、一丁平などの桜が綺麗だった。城山からそのまま影信山に行って、天ぷらを食べて、ビールを飲むか、城山でそのままビールを飲むか迷い、やはり、桜がぎりぎり終わりになるので、高尾山に足を延ばそうと、城山でビールを飲むことにした。なめこ汁も美味しかった。城山では桃の花も満開で、見た人たちは感嘆の声をあげていた。城山から相模湖方面に眺める山々も緑がかってきていて、新鮮さを覚えた。そして、高尾山に登り、下りは、タカオスミレが咲いているといわれている1号路を歩いた。下の方に下りていったところで、タカオスミレの群落があった。こちらは日曜日で人はいっぱい歩いていたが、タカオスミレに気づく人はほとんどいなくて、一人だけ写真を撮ったりしていたので、タカオスミレがたくさん咲いていますねと声を掛け合った。

花見

2008-04-06 19:01:27 | Weblog
子ども達は成人になったり、大きくなってしまったが、学童クラブのOBの保護者が集まって、多摩川で花見をした。
多摩川は、桜は散り気味であったが、まだ残っていた。天気がよかったので、人は結構にぎわっていたのである。娘もすぐ近くで、地域サークルの集まりで花見をしていたようである。
朝10時にスーパーの前に集まって、皆で買出しをして、多摩川に向かった。4時頃まで飲み続けた。おかずも結構あって、お腹も満足。年に何回か集まって、長年続いてきている。私も時々顔を出している。今回はいつもより人が少なかったが、いろいろな話題が出てくる。年齢も上になってきたためか、以前のように騒ぐことは減ったが、静かに飲みながらいろいろな話をする。だんだん健康や仕事の不安などの話題が多くなる。
その中で、団塊の世代の方もいて、会社をリストラされて、派遣社員の厳しい状況が話されたり、会社を辞めてタクシーの運転手になった人などもがんばっている。現在、若い人もフリーターなどが増えてきて、話を聞いていると、50過ぎての職探しは大変だと思った。景気は上向いているといいながら、現実の雇用状況は厳しいと思った。大きい会社や幹部社員はそれなりに状況はよくなってきているかもしれないが、一般の社員は厳しい。格差は広がっていると思う。それにしてもいろいろな仕事の人たちが集まって、こうして話ができるのはいいなと思った。私も職場内で移動し、大変な状況で、不安を抱えながらの仕事がスタートしたが、正規の仕事が続けられるのはまだ恵まれている。

幕山から南郷山

2008-03-13 18:16:20 | Weblog
梅が見ごろかなと思い、湯河原梅林から幕山に登った。ちょうど梅がよく咲いていた。この時期だと湯河原から幕山公園行きのバスが随時出ていて、便利である。休日は特に人でぎわうでしょう。
幕山公園は、山の斜面に埋められた紅白の梅が4000本もあるそうだ。そこは、幕山登山道の入口にもなっている。幕山公園で梅の観賞した後、幕山から南郷山に歩いた。幕山公園は平日にもかかわらずさすがに人が多かった。幕山の頂上は、まだ時間が早かったのか、人も少なかったが、ごみもいっぱいあった。幕山までは、観光客が登っているのでしょう。南郷山まで行くと、さすがに人も少なく、ごみもなかった。
今日は、春の陽気で展望がかすみがちであった。それでも山頂からは、舞鶴半島がかすみながらもよく見えた。 初島は見えたが、大島はわからなかった。
電車なので、温泉に入った後は、ビールも飲めて、電車で気持ちよく眠りながら、帰路に着いた。この4月からはとても忙しくなりそうで、山にどのくらい登れるのだろうか。


陣馬山から生藤山

2008-03-06 20:14:15 | Weblog
陣馬山から生藤山を歩いた。
藤野駅、8時10分発のバスに乗り、和田のバス停で降りて、歩き出す。
陣馬山頂は、快晴で、雪化粧の富士山はくっきり、丹沢も近くに見えた。雪をかぶった南アルプスの悪沢岳や赤石岳、金峰山も良く見え、相模湾の江ノ島、筑波山、西武ドームなども見えた。頂上で、山の同定をしていたら、大して説明もしていないのに、二人連れの女性にかっこいいと言われて、照れてしまう。陣馬山からいったん和田峠におりて、生藤山に向かった。ほとんど人にも会わなくて、時々雪道になっていた。だんだん富士山に雲がかかるようになったが、生藤山や三国山で、陣馬山でみえなかった雲取山や前聖岳が見えたりした。陣馬山でだいたいの見当がついた山が生藤山に向かって歩いていくと、同じ山でも見え方が違ったり、見えなかったのがみえたり、見えていたのが隠れてきたりする。ミニ縦走ではあるが、縦走の楽しみはこういうところにもあるのだと思った。歩いてきた稜線を振り返るのもいい。生藤山の先が、三国山で、神奈川県、山梨県、東京都の境になっているそうである。陣馬山や醍醐丸は東京で、登る前は藤野から神奈中バに乗り、生藤山を下りたところは井戸から富士急山梨のバスで、やはり県境があるのを感じた。この時期は花粉で、くしゃみ連発、鼻水がズルズルでつらいね。

那須レクレーション

2008-03-03 08:04:35 | Weblog
職場の子ども達と那須にレクレーションで行った。
一泊2日である。
土曜に那須ハイランドパーク。人が少なく、ほとんど貸しきり状態で乗り物に乗ることが出来た。風も強く、雪も舞っていて、観覧車は上空は揺れて、怖かった。働いている人も大変だなと思ってしまった。その日は、那須のホテルで宿泊し、温泉でゆっくりした。バイキングで、ご馳走が並び、子どもたちもたくさん食べた。蟹の食べ放題で満足する子もいた。日曜は那須どうぶつ王国に寄った。「王国タウン」と「王国ファーム」のエリアがあって、「王国タウン」しか開いていなかったが、ちょうど午前中で帰るつもりであったので、子ども達も十分に楽しめた。レンタルで犬の散歩に連れて行ったり、鳥や猫、小動物などいろいろな動物を見てまわったり、ふれあったり、犬のドックショーもなかなか見事であった。2日間、贅沢なレクではあるが、子ども達は盛りだくさんで楽しめ、おかげさまでこちらも楽しんできた。
 東京に戻ってきて、吉祥寺の前を車で通ると人の多さにびっくり。那須のひと気もまだらなのとは段違いである。那須周辺はそれこそたくさんの観光地や名所があり、以前は大変栄えた時期があったと思うが、今回は時期的にも早かったのか、人も少なく、寂れてきている印象もあった。確かにホテルは土日でたくさん宿泊はしていたが、観光地を車で走っていると人は少なかった。今の時代、ガソリンも値上がり、遠出も避けたい心理が働くとしたら、ますます地方の観光地に行こうとするのが少なくなることもあるのだろうか。田舎で住もうとする人も減っていく中で、地域格差がますます生じているような気もする。東京に着いたら、まだまだ寒かった那須とは違って、暖かさを感じ、東京では確実に春の訪れを感じた。

アメリカンギャングスター

2008-02-24 10:56:02 | Weblog
1970年代のニューヨークを舞台に実在した伝説のギャング、フランク・ルーカスの半生を描いている。監督は『グラディエーター』の名匠、リドリー・スコット。主演はオスカー俳優のデンゼル・ワシントンとラッセル・クロウ。二人の力演で、なかなか見ごたえがある。D・ワシントンが演じるフランクは表向き信心深く、地味で家族想いのビジネスマン、裏では麻薬の新しいビジネスモデルを築き上げ、暗黒外のカリスマでもある。ラッセル・クロウ演じるリッチーは乱れた女性関係と離婚裁判をかかえているが、正義感の強い刑事である。この二人を軸に描いている。
フランクのビジネススタイルはまるで、今日の家電販売店やユニクロなどの量販店が実施している流通システムである。買人を通さず、直接製造者から買い取って消費者に売るというシステムである。確かにこうなると安くなるが、小売店は、大変である。画一化した販売システムを先取りしたかのようである。フランクは自ら東南アジアのジャングルに出向き、製造元と直接交渉して大量の麻薬を購入し、ベトナム戦争で活躍した軍用機に乗せて運び込んでしまう。文字通り「アメリカン・ギャングスター」で純度の高い麻薬ブランドを確立した。ベトナム戦争で疲弊していたアメリカの中で見事にマッチしたのか知れない。暗黒外のアメリカン・ドリームでもある。裏社会で暗躍したが、それも時代の流れの中で変化していくのである。当時のベトナム戦争、蔓延するドラッグ、黒人・イタリア系などマフィア界の闘争、軍や警察の汚職など、複雑な社会情勢や人間模様を描いている。モハメッドアリの世界ヘビー級ボクシングの試合が出てきたり、懐かしく思う人も多いと思う。

歓喜の歌

2008-02-21 21:42:09 | Weblog
今日は、映画を見る前に胃カメラを撮る。職場の健康診断でひかかったのである。胃カメラ自体は麻酔が効いていたのか、それほど痛くはなかったが、注射が痛くて、「痛い」といっていたら、看護師から「ごめんなさい、これは痛いですよね」といわれながら、やり直しているうちに、胃カメラのほうは終わってしまった。しばらく麻酔なのか、うとうとしていた。撮った写真が見えたので、いただけますかと聞くとよろしいですよと渡された。その後、診察をしてもらうと、胃があれてはいるが、大丈夫ですよといわれて、ほっとする。
そして、せっかくの休みだからと映画「歓喜の歌」を見に行く。
とある文化会館で、“みたまレディースコーラス”と“みたま町コーラスガールズ”、この似た名前のコーラスグループが、大晦日のコンサート会場の予約をダブルブッキングしてしまう。文化会館に勤める飯塚主任は、半年前に市役所から飛ばされてきた典型的なダメ公務員だ。彼は適当に生きている。その彼が、歌うことを楽しみにし、ひたむきに生きていく人たちの生き様に触れながら、彼自身が変わっていくのである。優柔不断で何となく頼りない主人公の様子が、自分と重なってしまうところもあって、それでも一生懸命生きることは大切なんだといわれている様でもあった。トルコ行進曲などいろいろな歌が出てきて、楽しめるし、物語がだんだん盛り上がり、「歓喜の歌」である。落語家・立川志の輔の同名作品の映画化である。

雪の乾徳山

2008-02-18 20:50:36 | Weblog
乾徳山に登り、月見石まで行ったが、雪で敗退。
2/14(木)朝、徳和のから道満尾根の方に行ってみようと思い、車を走らせていたら、急な登りがあって、登りきったところで、道が曲がっていて、急坂のため前の道が見えなくて、そのまま前に走らせていたら、前輪の片方のタイヤが路肩を乗り上げてしまった。下は崖である。危ない。車が動かなくなり、どうしようかと思っていたら、たまたま工事の方たちの車が通っていくのが見えて、助けを求めた。親切にみんな来ていただく。とても持ち上がる様子ではなかったので、工事の方が車を取りに行ってもらって、牽引をしていただいた。とても助かった。本当に感謝一杯である。
それからは、道満尾根をあきらめて、いつものように乾徳山登山口から登ることにした。この間、雪がよく降ったのか、雪が多かった。登り口から雪が現れ始めて、登っていくと、結構、雪が多くなる。途中で、雪が深く、ひざ下までとなり、足跡もなくなってきて、ラッセル状態の中で、ズボズボと足がはまりながら歩く。雪がないと雪があったほうがよいと思うが、だんだん疲れてくると、もういいやとなってくる。月見石のところまでがんばって歩いたが、そこからはさらに深い雪で、とても歩ける状況ではないと思ったので、引き返すことにした。朝のこともあって、今日はついていないので、無理をしないことにした。こういうときは、スノーシューとかがあると歩きやすく、気持ちがよいのだろう。スノーシューで歩きたいとも思った。帰りはほったらかし温泉に寄って、汗を流し、疲れを癒した。

潜水服は蝶の夢を見る

2008-02-10 18:31:16 | Weblog
「新宿バルト9」で、「潜水服は蝶の夢を見る」を観る。「新宿バルト9」は新しく出来たシネコンである。この場所でよく映画をみたことがあったが、こんなに立派に建て替えられたのかとびっくり。三連休の中日でしかも雪の降った後のためか、いくつかの映画が上映されていたので、チケットを買うためにすごい行列が出来ていた。後に並んでいた人がこんなに混むとは甘く見ていたと何回も言っていた。同感である。2時間前に並んでチケットを買ったが、一番前の席しか空いていなくて、結局、見上げるように映画を観た。
“ロックト・イン・シンドローム”という症状は、脳こうそくが原因で全身の筋肉が麻痺し、ほぼすべての運動機能が失われる症状である。ジャン・ドミニク・ボビーは、ある日、突然脳梗塞で倒れて、病院で意識を取り戻したが、ベッドと車椅子に乗るだけの生活。「ロックト・イン・シンドローム」となり、左目のまぶたしか動かせなくなり、左目の動きでコミュニケーションを取ることになる。「はい」は、まばたき1回。「いいえ」は、まばたき2回。自由がきかなくて、潜水服を着たような状態になったわけである。潜水服の中にいる彼の焦りや周りとのずれによる苛立ちも映し出されるが、多くの人に支えられたり、女性の何気ないしぐさや表情に色気を感じたり、ウイットとユーモアにもあふれている。こうして、絶望の淵に落とされても、蝶のように飛躍できるイマジネーションと記憶を頼りに自伝を左目の瞬きで書き始める。20万回に及ぶまばたきを繰り返し、「潜水服は蝶の夢を見る」を書き上げる。この実話を元にジュリアン・シュナーベル監督が映画化。
映像はジャン・ドミニク・ボビー自身が見ている映像を写すことによって、心情と内面を視覚化して描いている。こういう見え方がするんだとか、妙に納得して、かなりつらいだろうと思った。一方、美しい女性の胸元に見とれたり、女性を口とこうとしたり、思わずかわいそうだが、生きる力が出てきたかなと思ったりして、笑いを誘うところもある。動けなくて、言葉も出なくて、相手に伝えられない状況で、意識だけは鮮明というのは、確かにたえられないし、表現する能力を持ちたいと思うでしょう。それが、本となって結実したともいえる。