ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

多摩川でジョギング

2011-09-02 10:28:10 | Weblog
9月1日の防災の日に思い切って、多摩川原橋と多摩水道橋の2つの橋を渡る周回コース約11Kを初めて、走ってみた。調布から走り始めて、多摩川原橋→稲田堤→多摩水道橋(登戸)→狛江→調布といったコースである。今年の夏からジョギングを始めて、最初は調布側のサイクリングロードを多摩川原橋まで約5km少しを夕方走っていた。最初、慣れなくて、足が痛くなったりして、しばらく休む日をとって、また走ったりした。最近では足が痛くなることは少なくなってきた。今年は天気が崩れることが多くて、なかなか山に登れなかったので、トレーニングとしてはちょうど良かったかもしれない。今まで周回コースは走ったことがなくて、川崎側を走ってみると、スカイツリーが見えたりした。多摩川原橋を稲田堤側(川崎側)に渡ってからはサイクリングロードが無かったので、わき道に入り、街の中を走って、つないだりした。今までにない長い距離を走ったので、長くは感じたが、いつもと違う景色を見ることが出来て、それはそれで楽しい。防災の日で、多摩川沿いに消防自動車が走ったり、雨は降っていなかったが、川の上流では雨が降っていたのか、水嵩は多かった。きつかったが、たっぷり汗をかいて、走り終えた充実感はあった。

横浜花火大会

2011-08-28 15:45:58 | Weblog
今年は震災の影響で、花火大会を中止にする所がいくつかあったが、先日(8/17),
横浜で花火大会が開かれていたので、行ってきた。「横浜から元気を! 東日本大震災復興祈念  第26回神奈川新聞花火大会」という名称で行われていた。
 今年は例年より小規模の様であったが、被災地から花火を仕入れ、尺玉やスターマイン(何種類もの花火の速射連発)など約6000発で、きれいに打ちあがる。迫力もあり、充分楽しめることが出来た。スターマインはいくつもの花火を組み合わせて連続的に打ち上げることで、物語を描き出しているらしい。7時から8時までの一時間であったが、人もたくさん出ていて、さすがに賑わっていた。夏の風物詩としての花火は心躍ると同時に、夏の終わり近くに見ると、夏が終わっていくのかなとも思ってしまう。

東日本大震災

2011-03-17 12:11:23 | Weblog
3月11日、地震発生時、私は勤務中であった。めまいがしたので、いよいよ心臓等の異常が来たのかと思ったが、職場の職員たちが外に集まっていたので、すぐに地震であることがわかった。職員たちはすぐに、いる子ども達の安全確保に動きながら、しばらく広場で待機をした。東北地方を中心とした大地震が起こっていたのである。都内では電車が動かなくなり、遠くに通学している高校生が帰ってこれない状況にもなっていた。巨大な津波にも襲われ、壊滅的な被害を生じた地域も多い。また、福島第一原子力発電所は、火災や水蒸気発生が続き、危険な状況にもなっている。すさまじい規模の地震となり、甚大な被害が生じている。とにかく、被災された方々の安全で、安心した生活が一刻も早く過ごせるようにと願う。
 地震発生後は、都内でもスーパーに行くとレジにたくさんの人が行列を作り、品物がカップめんやパン、電池などの防災用品などがなくなってきている。被災地に物資がないのに、物のある東京で、あおられて、纏め買いすることはどうなのかと疑問に感じてしまう。ガソリンスタンドも行列が出来ている。何かあれば車で動くこともあるかなと思うが、救援物資の輸送や地震の地域にガソリンが必要な状況であることを考えると、しばらくは車に乗ることも控えようかなとも思った。。また、計画停電も始まり、東電の計画停電は、全体を5つに区画して、それぞれ1日に3時間ずつ送電を止めている。停電情報に振り回されている感もあるが、このぐらいの不便は我慢をしなければならないと思う。
 それでも、海外からは日本に対し賞賛の声もある。スーパーやガソリンスタンドでは物資が少なくなっても行列ができていて、暴れ回る人がいないってことにびっくりしている。電車が止まり駅に人がたまり、その中でも、階段に座っている人たちが歩くスペースをきちんと空けて座っていることに対して、中国では空けて座るなんてかんがえられないという報道が流れている。日本は底力があり、確実に復興に向けて動き出している。

永遠のゼロ

2011-02-22 21:54:07 | Weblog
百田尚樹の『ゼロ』を読んだ。「ゼロ」とは、ゼロ式戦闘機、いわゆる零戦のことである。
司法試験に失敗を繰り返し、目標を失いかけていた青年・佐伯健太郎にフリーライターの姉・慶子はアルバイトを持ちかける。太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べてほしいということである。彼らに祖父はいたが、その祖父が実の祖父ではないことを知ったのは、6年前に祖母が死んだときであった。調べていくうちに、実の祖父の宮部久蔵の姿が、元戦友たちの証言から浮かび上がってきた。宮部は、日本軍敗色濃厚ななか、凄腕を持ちながら、生への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」とさげすまれたゼロ戦パイロットであった。「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた男は、なぜ特攻を志願したのか。健太郎と慶子はついに六十年の長きにわたって封印されていた驚愕の事実にたどりつく。
 宮部久蔵の生き様を描いていて、こういう生き方が出来たら素晴らしい。また、この小説は、第二次世界大戦の概観をつかむのにも適しているかなと思った。自分の知らないところを詳しく知識として入ってくる気がした。とにかく結構なボリュームのある小説であったが、目をしょぼしょぼさせながらも、一気に読んでしまった。太平洋戦争は人間を人間としてみなしていなかった。上層部は自己保身のために、多くの人を犠牲にしてしまっている。歴史にもしもはないが、一部の上層部の保身がなければ、歴史は変わっていたかもしれないと思わせられた。終戦が近づくと、神風特攻隊が組織されて、多くの若人が亡くなったのは歴史上の事実である。アメリカの戦闘機は身を守る装備は整っていたが、日本の機体は「ワンショットライター」といわれ、身を守るのはなかった。勝てるはずがなかったし、戦争は狂気の世界に陥り、多くの若者が命を奪われた。そうした時代の中で国のためといいながら、本当は国のためではなく、愛するものたちのために、真摯に生きようとしたが、散っていった若者たちである。この小説は戦争のことを扱っているが、青年の語りを通しているので、わかりやすく、読みやすい内容になっていた。

母の入院

2010-09-09 09:49:08 | Weblog
 母(80)が自転車に乗っていて、転び、足の骨を折り、入院をした。普段、何もしていないので、日曜に見舞いに行った。少し前に手術をして、レントゲン写真や手術経過が書いてある書類をみせてもらった。今はボルトが入っている。今までは座ることも難しく、横になっていたのが、少し起き上がることが出来、この日は車椅子にも看護師さんに支えてもらって乗ることが出来た。妹の話では、しばらく幻覚なども出ていたとのこと。自転車に乗った高校生とぶつかりそうになったのを避けるために転んで、骨折し、そのままじっとしていればよかったのだが、動いてしまったので、悪化させたようである。骨も弱っているので、複雑に折れたようだ。年をとってからの骨折は本当に心配である。最初に母の顔を見たときは横になったままだったので、老けて寝たきりの印象を受けたが、話をしながら、看護師さんに車椅子に乗ってみますかと言われ、介助してもらって乗ると、少し元気が出てきた感じである。母もトイレにやっといけるようになり、車椅子で連れて行ってもらったら、前の前の人が紙おむつを入れたままにしていたので、トイレがつまっていて、流したら大騒ぎになってしまったようである。そんなこんなもあって、落ち着かないところもあったが、母の顔を見ることが出来てよかった。これから先、元気になってくれればと思う。白内障の手術をするところであったが、延期になっている。
 今回はどこも寄らず、日帰りで、愛知の病院に行ったのである。車であったので、ETC割引で安くいけたが、帰りには渋滞にはまってしまって、往復で12時間ぐらいを一人の運転、疲れた。ビートルズのCDも途中のパーキングで買ってしまった。それでも病院に顔を出せたのは良かった。母の近くに妹がいるので、面倒は見てくれて助かる。子どもの頃は、妹とはそれほど仲はよくなかったが、今となっては、唯一の兄弟だし、色々と助かる。兄弟のありがたさを感じる。帰りの車のラジオでもニッポン放送で、笑福亭鶴瓶(58)が吉幾三(57)から贈られた新曲「姉ちゃんへ」(発売予定なし)の公開レコーディングを行った模様を放送していた。鶴瓶は映画「おとうと」(山田洋次監督)に出演したことをきっかけに、鶴瓶自ら「お姉ちゃんがテーマの曲を作ってほしい」と吉幾三に依頼して、吉が二日間で作ってしまったそうである。渋滞の中、この放送を聞きながら、年をとった今、兄弟や親、家族のことで感じるものがあった。

謹賀新年

2010-01-06 21:08:45 | Weblog
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
正月は、例年のように愛知の実家に行った。元旦に愛知に向かい、2日に向こうで我が家と妹夫婦と一緒に常滑のやきもの散歩道を歩いた。3日に東京に戻ってきた。結局、ETC1000円割引の影響もあって、往復とも渋滞であった。
遊べたのは中の2日の日だけではあったし、運転も疲れるが、我が家で揃って一緒に動ける少ない機会でもある。だんだん子ども達も大きくなってきて、一緒に行けるのは少なくなるかもしれないので、いける時は一人で暮らしている母に顔をだして、正月を過ごすようにしてきている。常滑は実家に近いのだが、行ったこともなく、旅行気分も味わえた。
さて、今年はどんな年になるか。今年の正月は日本海側は荒れた天気となり、遭難事故もおきている。今年も山に出来るだけ登りたいし、仕事の方も充実できるようにしていきたいと思う。そのためには、体にも気をつけなければならない。特に飲みすぎ食べすぎは禁物だが、そこが難しい。健康診断にもよく引っかかるようになり、若い時のような無理は出来ないことは肝に銘じておかなければならない。景気もよくないし、仕事も大変になってきているし、かといって、映画も観たいし、寄席にもいきたいし、あれやこれやしたいこともたくさんある。限られた時間で色々と考えてしまう。写真は常滑で、急須の前で考える人。


谷根千界隈

2009-11-28 16:41:53 | Weblog
知り合いの職場を訪問をし、近くの谷根千界隈を歩いた。谷中・根津・千駄木界隈は「谷根千(やねせん)」といわれている。
午前11時に日暮里駅に集合し、谷中銀座から、通称へび道と言われるところを通る。谷中銀座は、JR日暮里駅と千代田線千駄木駅の間にある人気の商店街。大きめの階段(通称:夕焼けだんだん)があって、階段を下った先が商店街になっている。江戸時代からの寺町であり、震災・戦災での焼失が少なかった谷中界隈には、いまも風情ある街並みが残っていて、路地散策も楽しい場所となっている。そして、笑吉というお年寄りの笑い顔等をテーマにしたユニークな指人形工房を見学した。工房前にはさまざまなシチュエーションの指人形が陳列してあった。
へび道は今は暗渠(地下の水路)になってしまっているが、大正時代までは藍染川が流れていた場所である。藍染川は上野の不忍池にそそいでた川。へび道がくねくねしている理由は元が川だからである。川筋の道が文京区と台東区の境目にもなっている。猫グッズがたくさん陳列してあるねんねこ家に入ったりもした。職場訪問をした後、レトロな両山堂印刷所工場を見たりしながら歩き、旧岩崎邸を見学した。その後、根津にある居酒屋「車屋」で打ち上げして、暗くなったが、西日暮里駅まで歩いた。諏訪神社からの駅周辺の夜景の眺めもよかった。一日、よく歩いた、江戸情緒あふれる街歩きが出来た。

「We are the World」

2009-10-03 18:36:29 | Weblog
「We are the World」のドキュメンタリーDVDを買う。8月に池袋演芸場で小三治の噺を聴いた時に、マクラでマイケルジャクソンの話をはじめて、熱烈に勧めたDVDである。オバマクラシックCDを買いに言ったついでにこのDVDも購入した。小三治は多くのアーティストの名前の紹介をしていたが、すぐに出ない名前もあって、きちんと紹介できればいいのだが、客席に聞いたりしていた。知ったかで話をしてしまうからこうなってしまうといいながら、本題の「千早ぶる」につなげて、上手いなと思ったのを思い出した。高座にこのドキュメンタリーフィルムの上映をしたいぐらいであると語った。ちなみに「千早ぶる」は「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川唐くれないに 水くぐるとは」の有名な和歌を知ったかで、相撲取りにかけて、ご隠居がとんでもない解釈をしてしまう話である。
「We are the World」の歌は1965年にアメリカで発売される。アフリカの飢餓をなくす目的で作られた歌であり、DVDは「We are the World」製作過程のドキュメンタリーになっている。私はあまり詳しくないけど、私が知っているだけでも名だたるアーティストたちが出ている。小三治も笑点を引き合いに、一線級の人たちが集結して作っているたとえで出していたが、「We are the World」も一人一人、有名すぎる人たちが揃いにそろって、すごいと思った。スーパースター達が集結をして、曲が完成していく様を描いている。見ごたえのある貴重な映像であることは確かであると思うが、私もすぐに知ったかをしてしまうからぼろが出てしまう。


野球観戦

2009-05-30 15:28:30 | Weblog
5月27日水曜日、神宮球場で野球の招待があり、子ども達と行った。ヤクルトーオリックス戦である。5-4でヤクルトが勝利。ヤクルトのデントナがスリーランを打つなどで4点を取ると、その後、オリックスのラロッカのスリーランなどで4点差を追いついた。その直後に、ガイエルの勝ち越し打で逃げ切る。時間が遅くなり、最後まで試合を見られなかったのだが、ヤクルトの林昌勇が20戦連続無失点で、救援をした。3連敗中のヤクルトであったので、応援の方は盛り上がっていた。応援席は、いつものように点が入ると、傘が上がった。スクリーンに子ども達の姿が映ると喜んでいた。球場で見る野球は、選手は良く見えないが、雰囲気が楽しい。外野にいるガイエルや青木が応援席から声をかけると振り向いたり手を振ったりするのも声援が上がっていた。

皮膚手術

2009-05-20 21:26:49 | Weblog
粉瘤(ふんりゅう)とは、皮下にできる良性腫瘍(できもの・おでき)の一種で、アテロームとも呼ばれている。以前にこぶのようなものが肩に出来て、形成外科に診療してもらうと、粉瘤と診断された。そのときは、粉瘤を絞って、小さくしてもらったが、また少しずつ膨らんできたので、皮膚科で粉瘤の摘出手術をしてもらうことにした。粉瘤(アテローム)は、皮膚下にある袋状のもの自体を完全に摘出しない限り再発するのである。
手術する前に、どのような手術をするかを医師から説明を受けた。その後、最初局所麻酔をして、麻酔が効いてきた頃に、摘出作業が行われた。その摘出した袋状のものも見せてもらった。こんなのが入っていて、どんどん膨らんでいくのかと思った。切り開いて摘出して、縫っているので、また、抜糸もしてもらわなければならない。様子を見たりしながら何回通わなければならない。今日はアルコールを抜いてくださいと言われた。せっかく手術したお祝いに一杯と思ったが、ちょっとこれがきつい。手術した医師自身も同じ手術をして、お酒を飲んだら血がどくどく出てきたので、今日は絶対に飲まないでくださいと念を押された。ドクターも飲んだのではないかと思ったが、自らの失敗談を語られて、聞かなければ申し訳ないかな。しかも自分のためだから、今日は我慢するか。以前、血液検査をしたときの結果も教えられて、何のために調べたか説明を受けた。単純な血液検査ではなくて、性感染症など含めて、色々なものを調べていることがわかった。