立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

山茶花の赤

2012年01月06日 | Zenblog
 木の間に気がつかないほどの山茶花の赤が見えます。それを「ああ、いい」と思います。雪の中ですから。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の庭

2012年01月06日 | Zenblog
 雪が積もると、またまったく別の庭になります。雪国の庭は、雪が降っているとき、そして積もることも計算に入れて造られているのでしょうね、きっと。日本の庭は、ほとんどが本来そうなのかも知れませんが・・・

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い機関車

2012年01月06日 | Zenblog
 赤い機関車が貨物のコンテナ車を引いて、雪の世界を横切っていきました。鮮やかなイメージをモノトーンの世界に残しました。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弥陀ヶ原から上

2012年01月06日 | Zenblog
 大きな傾斜の弥陀ヶ原がやっと見えます。その上は現世ではないような、かろうじて見える夢幻的な世界です。名前のように「弥陀ヶ原」の上の、阿弥陀如来の世界(浄土)かもしれません。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早月の尾根

2012年01月06日 | Zenblog
 立山の姿は見えません。写真上方の大きな雪の尾根は、雲から覗いている早月の尾根です。上には見えない剱岳がそびえています。その山の一部が雲間からわずかに見えています。全体が見えないだけに、剱岳の並はずれた壮大さがイメージされます。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道が凍っていた

2012年01月06日 | Zenblog
 朝方の冷え込みはすごく、布団の中で震えました。道路は凍って、車がガリガリ音を立てて走り、歩く人は滑りながら行きました。写真は昼前だいぶ融けた道です。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

醢(カイ)なのに墓祠の謎 。子路の塚周辺の碑・・・JingShangの河南濮陽への旅(濮陽市文物景区・子路墓祠)

2012年01月06日 | JingShang君からの上海レポート
 子路の塚の周辺の碑です。

 「醢」(カイ)にされた子路に墓祠があるというのは、子路を慕う後世の人が子路を祀ったものであり、実際にこの塚に葬られているのかどうか、判りません。「醢」は塩漬けにしてさらしものにする刑ということのようですから、ここが元はさらし場であったのかもしれません。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高官となるが反乱で落命、塩漬け。子路の塚・・・JingShangの河南濮陽への旅(濮陽市文物景区・子路墓祠)

2012年01月06日 | JingShang君からの上海レポート
 子路の塚です。享殿の裏にあります。

 更に子路に関するウィキペディア簡約の続きです。史記にある孔子世家の記述によれば、子路は衛の高官となったが、反乱で落命したとのこと。衛は濮陽の戚の上部国家です。子路の遺体は「醢」(漢字源によれば、音読みでは「カイ」、訓読みは「ひしお」ですが、第二義として殺して塩漬けにする、またはその刑とあります)にされたということです。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子路は軽率だが率直。享殿・・・JingShangの河南濮陽への旅(濮陽市文物景区・子路墓祠)

2012年01月06日 | JingShang君からの上海レポート
 子路墓祠の享殿です。

 以下は子路に関するウィキペディア簡約の続きです。子路は魯国出身で、孔子門下でも武勇を好み、そのためか性格はいささか軽率なところがある反面、質実剛健たる人物であったとのこと。論語では、性格の軽率さ孔子にとがめられるも、その人物の率直なるを持って愛された姿が記される弟子の中で論語に出てくる回数が最も多いとのこと。クラスを代表して叱られることが多い生徒のようなものでしょうか。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子路は孔子十哲の一人。牌坊・・・JingShangの河南濮陽への旅(濮陽市文物景区・子路墓祠)

2012年01月06日 | JingShang君からの上海レポート
 子路墓祠の中にある牌坊です。牌坊は通常門の外側にあるので、不思議です。

 ここで子路(しろ)について、日本語ウィキペディアを簡略したものを述べます。子路は紀元前543年に生まれ紀元前481年に没し、孔子十哲の一人として挙げられます。姓は仲、名は由で、子路は字だそうです。しかし論語の中では子路として登場することが多いのだそうです。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子路墓祠(しろぼし)の正門・・・JingShangの河南濮陽への旅(濮陽市文物景区・子路墓祠)

2012年01月06日 | JingShang君からの上海レポート
 今朝の上海は曇りです。予報は雲が多目の晴れ、最高気温は7度、最低は7度です。

 今日も河南濮陽です。濮陽戚城文物景区の北側の門の前は古城路ですが、その石畳の道路を東に進むと子路墓祠(しろぼし)がありました。1枚目の写真は正門です。門の前は古本屋が店を広げていました。

標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひブログランキング・にほログ村へ日記@BlogRankingにクリックを!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする