黄河の鉄橋を渡っています。殷墟のある安陽から鄭州の方へ帰る南行きの列車です。列車が南岸に着いたところです。河は写真の奥が上流で手前が下流です。つまり黄河は西から東に流れています。黄河の水は写真のように黄土を含み土色ですが、鄭州の水道は、この黄河を水源にしていると聞いたことがあります。沈澱すれば、使えるということなのでしょうか。
安陽は河南省にありますが、河南省は一部黄河の北も含みます。河南は「中原に鹿を追う」と言われる中原に属する地域です。3000年前は現在とは異なり、この地域は亜熱帯に属して、湿潤な気候だったようで、象もいたようです。河南よりもっと西北にある現在の黄土高原といわれる地域も樹木が茂っていたようです。現在の気象条件で考えると、黄河より揚子江の方が文明発祥の条件を備えていたように思われるほど、黄河流域は現在は乾燥していますが、昔はそうでなかったのですね。
今は上流の乾燥化と流域の過度の取水により、「断流」といわれるような、河水が途中で途絶えて、海まで届かないという現象が1年の大部分あるようです。もう一つの大河である揚子江(長江)は、10,000トンの船が南京まで、3,000トンの船が重慶まで届きますが、黄河は河口から船が入れないことが多くあるということです。
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安陽は河南省にありますが、河南省は一部黄河の北も含みます。河南は「中原に鹿を追う」と言われる中原に属する地域です。3000年前は現在とは異なり、この地域は亜熱帯に属して、湿潤な気候だったようで、象もいたようです。河南よりもっと西北にある現在の黄土高原といわれる地域も樹木が茂っていたようです。現在の気象条件で考えると、黄河より揚子江の方が文明発祥の条件を備えていたように思われるほど、黄河流域は現在は乾燥していますが、昔はそうでなかったのですね。
今は上流の乾燥化と流域の過度の取水により、「断流」といわれるような、河水が途中で途絶えて、海まで届かないという現象が1年の大部分あるようです。もう一つの大河である揚子江(長江)は、10,000トンの船が南京まで、3,000トンの船が重慶まで届きますが、黄河は河口から船が入れないことが多くあるということです。
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