埼玉は、毎日穏やかな天候が続いています。大したことはしていないのですが、妻にせつかれてそれなりにやっています。
昨日、漢中の桟道の話しをしましたが、その後、宝鶏と漢中を結ぶ道路の地図を見つけたので、添付します。図中赤い線が、昨日紹介した道路で、褒斜道(ほうしゃどう)と書かれています。この道路の多くは桟道となっており(なっている筈?)、褒斜桟道と呼ばれます。北の宝鶏から南に向かい、分水嶺を越えて、漢江の支流である褒水に沿って更に南に下ります。漢中に近い所に青い字で「石門水庫」とあるのが判るでしょうか。そこにダムがあります。
石門とは説明銘板によると、紀元0063年に開鑿されたトンネルで、長さ16メートル、幅4メートル、高さ3.5メートルあったとのことです。桟道がつくれなくて、トンネルにしたようです。これが、ダムの建設で水没したのです。この石門の近くには漢や魏の時代に刻まれた書があり、切り取られて、漢中博物館(漢台)に収蔵されているようです。
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昨日、漢中の桟道の話しをしましたが、その後、宝鶏と漢中を結ぶ道路の地図を見つけたので、添付します。図中赤い線が、昨日紹介した道路で、褒斜道(ほうしゃどう)と書かれています。この道路の多くは桟道となっており(なっている筈?)、褒斜桟道と呼ばれます。北の宝鶏から南に向かい、分水嶺を越えて、漢江の支流である褒水に沿って更に南に下ります。漢中に近い所に青い字で「石門水庫」とあるのが判るでしょうか。そこにダムがあります。
石門とは説明銘板によると、紀元0063年に開鑿されたトンネルで、長さ16メートル、幅4メートル、高さ3.5メートルあったとのことです。桟道がつくれなくて、トンネルにしたようです。これが、ダムの建設で水没したのです。この石門の近くには漢や魏の時代に刻まれた書があり、切り取られて、漢中博物館(漢台)に収蔵されているようです。
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