「シシリアン」 1969年
監督 アンリ・ヴェルヌイユ
出演 ジャン・ギャバン
アラン・ドロン
リノ・ヴァンチュラ
イリナ・デミック
シドニー・チャップリン
マルク・ポレル
ストーリー
パリに住むマフィアの顔役、ビットリオ・マナレーゼは五月の蝿と異名をとる、殺し屋サルテを、獄中から救出する計画を立てていた。
彼から送られた莫大な値打のスタンプ・コレクションに対する返礼であった。
裁判所で、ビットリオの二人の息子、アルドとセルジオに電気ドリルを渡されたサルテは、護送車で送られる途中、アルドの妻ジャンヌの助けをかりて逃走に成功。
一年ほど前にル・ゴフ警部に逮捕されて以来、久しぶりに自由を得たのだった。
その後しばらくの間、ビットリオにかくまわれていたサルテはジャンヌと人知れず愛し合うようになっていた。
やがてサルテは、獄中仲間から手に入れた宝石強奪の仕事の話を、ビットリオにもちかけた。
心動かされた彼は、ニューヨークのマフィアのボスであるトニー・ニコシアに助力をあおぐことにした。
その結果、パリからニューヨークへ宝石を運ぶ飛行機を襲うことに決められた。
当日、ビットリオ、アルド、セルジオ、それにサルテが飛行機に乗込み宝石を略奪してしまった。
仕事が終った後、南米へずらかる予定のサルテをニューヨークに残し、ビットリオたちはパリへ戻って来た。
そこでシシリーへ帰る支度をしていたビットリオは、孫の口から、サルテとジャンヌに浮気の事実があったことを聞き、シシリー人の面目を汚された彼は、ジャンヌともども殺そうと思いサルテを呼び戻すべく、トニーに工作を依頼した。
しかしジャンヌの密告をうけた妹から自分が狙われているということを聞いたサルテは、アルドとセルジオが待機するオルリーには、降り立たなかった。
寸評
ジャンギャバン、アラン・ドロン、リノ・バンチュラという往年のファンにとってはたまらないキャスティングで繰り広げられる犯罪映画であるが、何といってもジャン・ギャバンが作品を締めていて、さすがのアラン・ドロンも影が薄い。
冒頭はそのアラン・ドロンのサルテが用意周到な計画によって脱獄する様子が描かれる。
サルテは警官2名を射殺している冷酷な犯罪人の筈だが、彼の冷徹さ、非情さは映画全編を通じてもあまり感じられない。
妹に対しても人並み以上の愛情を見せていて、案外いい兄貴なのだと思わせる。
アンリ・ベルヌイユがアラン・ドロンのイメージに遠慮したのだろうか。
危険極まりない人物といサルテに対して、ジャン・ギャバンのマナレーゼは沈着冷静そのものだ。
静かなもの言い、静かな動作は貫禄十分だし、彼の存在がこの映画を支えている。
空港で予期せぬ出来事が起こりピンチになった時の、とっさの行動などは流石はギャバンだと思わせる。
僕はギャバンそのものがマナレーゼになっていて、役名などは吹っ飛んでいた。
一味の狙いは宝飾展に出品されている高額な宝石であることが判明し、その強奪作戦に興味が移っていく。
フランスとアメリカにまたがる壮大な計画が実行されるのだが、マナレーゼがアメディオ・ナザリ演じるアメリカ側のボスであるトニーと再会する場面は渋いなあと感心させられる。
何十年ぶりかで会った二人の会話がイキだ。
お互いに孫の為におもちゃを買うのも微笑ましいが、それが計画の伏線にもなっている。
強奪作戦に素晴らしいアイデアが浮かんだらお互いに連絡を取り合う手筈も小粋なもので雰囲気がある。
ここからは身内の警官を殺されて、執念でサルテを追うル・ゴフ警部との攻防が見どころとなってくる。
間一髪のところで逃げたり、パスポート偽造が発覚したリと、犯罪映画らしい場面が続く。
意外なのは飛行機に乗り込んで宝石を強奪しようとする計画である。
ハイジャックしても警官隊に取り囲まれることは必定で、どのようにして奪うのか興味津々となるのだが、アッと驚く手口で楽しめる。
ところで、ただ酒好きの男が仲間にいたのだが、それが何のための設定だったのかよく分からない。
計画を間違いなくこなすために好きな酒を禁じると言うだけのものだったのだろうか。
もう一つ疑問に思うのはジャンヌへの対処だ。
あの展開だとアルドがジャンヌを即座に始末してもいいと思うのだが、サルテの帰国便を警察に知らせるためのパーツとして生かされていたのだろうか。
ギャバンの決着の付け方を見るとジャンヌへの対応はアンバランスなような気がする。
リノ・バンチュラは2人の人気俳優に挟まれて、目立たない役回りになるのではと気がかりだったが、サルテに振り回される警視の役をうまくこなしている。
禁煙に挑戦してたのにサルテに先を越されてイライラしてタバコを吸いはじめる場面では、そのイライラ具合が伝わって来るもので、ギャバンと1対1の会話の場面でもベテラン警視のいい雰囲気をかもし出している。
後にも先にも3人まとめて見ることができるのはこの作品のみである。
フレンチ・ノワールらしい作品で、ラストの寂しさも余韻が残る。
監督 アンリ・ヴェルヌイユ
出演 ジャン・ギャバン
アラン・ドロン
リノ・ヴァンチュラ
イリナ・デミック
シドニー・チャップリン
マルク・ポレル
ストーリー
パリに住むマフィアの顔役、ビットリオ・マナレーゼは五月の蝿と異名をとる、殺し屋サルテを、獄中から救出する計画を立てていた。
彼から送られた莫大な値打のスタンプ・コレクションに対する返礼であった。
裁判所で、ビットリオの二人の息子、アルドとセルジオに電気ドリルを渡されたサルテは、護送車で送られる途中、アルドの妻ジャンヌの助けをかりて逃走に成功。
一年ほど前にル・ゴフ警部に逮捕されて以来、久しぶりに自由を得たのだった。
その後しばらくの間、ビットリオにかくまわれていたサルテはジャンヌと人知れず愛し合うようになっていた。
やがてサルテは、獄中仲間から手に入れた宝石強奪の仕事の話を、ビットリオにもちかけた。
心動かされた彼は、ニューヨークのマフィアのボスであるトニー・ニコシアに助力をあおぐことにした。
その結果、パリからニューヨークへ宝石を運ぶ飛行機を襲うことに決められた。
当日、ビットリオ、アルド、セルジオ、それにサルテが飛行機に乗込み宝石を略奪してしまった。
仕事が終った後、南米へずらかる予定のサルテをニューヨークに残し、ビットリオたちはパリへ戻って来た。
そこでシシリーへ帰る支度をしていたビットリオは、孫の口から、サルテとジャンヌに浮気の事実があったことを聞き、シシリー人の面目を汚された彼は、ジャンヌともども殺そうと思いサルテを呼び戻すべく、トニーに工作を依頼した。
しかしジャンヌの密告をうけた妹から自分が狙われているということを聞いたサルテは、アルドとセルジオが待機するオルリーには、降り立たなかった。
寸評
ジャンギャバン、アラン・ドロン、リノ・バンチュラという往年のファンにとってはたまらないキャスティングで繰り広げられる犯罪映画であるが、何といってもジャン・ギャバンが作品を締めていて、さすがのアラン・ドロンも影が薄い。
冒頭はそのアラン・ドロンのサルテが用意周到な計画によって脱獄する様子が描かれる。
サルテは警官2名を射殺している冷酷な犯罪人の筈だが、彼の冷徹さ、非情さは映画全編を通じてもあまり感じられない。
妹に対しても人並み以上の愛情を見せていて、案外いい兄貴なのだと思わせる。
アンリ・ベルヌイユがアラン・ドロンのイメージに遠慮したのだろうか。
危険極まりない人物といサルテに対して、ジャン・ギャバンのマナレーゼは沈着冷静そのものだ。
静かなもの言い、静かな動作は貫禄十分だし、彼の存在がこの映画を支えている。
空港で予期せぬ出来事が起こりピンチになった時の、とっさの行動などは流石はギャバンだと思わせる。
僕はギャバンそのものがマナレーゼになっていて、役名などは吹っ飛んでいた。
一味の狙いは宝飾展に出品されている高額な宝石であることが判明し、その強奪作戦に興味が移っていく。
フランスとアメリカにまたがる壮大な計画が実行されるのだが、マナレーゼがアメディオ・ナザリ演じるアメリカ側のボスであるトニーと再会する場面は渋いなあと感心させられる。
何十年ぶりかで会った二人の会話がイキだ。
お互いに孫の為におもちゃを買うのも微笑ましいが、それが計画の伏線にもなっている。
強奪作戦に素晴らしいアイデアが浮かんだらお互いに連絡を取り合う手筈も小粋なもので雰囲気がある。
ここからは身内の警官を殺されて、執念でサルテを追うル・ゴフ警部との攻防が見どころとなってくる。
間一髪のところで逃げたり、パスポート偽造が発覚したリと、犯罪映画らしい場面が続く。
意外なのは飛行機に乗り込んで宝石を強奪しようとする計画である。
ハイジャックしても警官隊に取り囲まれることは必定で、どのようにして奪うのか興味津々となるのだが、アッと驚く手口で楽しめる。
ところで、ただ酒好きの男が仲間にいたのだが、それが何のための設定だったのかよく分からない。
計画を間違いなくこなすために好きな酒を禁じると言うだけのものだったのだろうか。
もう一つ疑問に思うのはジャンヌへの対処だ。
あの展開だとアルドがジャンヌを即座に始末してもいいと思うのだが、サルテの帰国便を警察に知らせるためのパーツとして生かされていたのだろうか。
ギャバンの決着の付け方を見るとジャンヌへの対応はアンバランスなような気がする。
リノ・バンチュラは2人の人気俳優に挟まれて、目立たない役回りになるのではと気がかりだったが、サルテに振り回される警視の役をうまくこなしている。
禁煙に挑戦してたのにサルテに先を越されてイライラしてタバコを吸いはじめる場面では、そのイライラ具合が伝わって来るもので、ギャバンと1対1の会話の場面でもベテラン警視のいい雰囲気をかもし出している。
後にも先にも3人まとめて見ることができるのはこの作品のみである。
フレンチ・ノワールらしい作品で、ラストの寂しさも余韻が残る。