「7月4日に生まれて」 1989年 アメリカ
監督 オリヴァー・ストーン
出演 トム・クルーズ
レイモンド・J・バリー
キャロライン・カヴァ
キーラ・セジウィック
フランク・ホエーリー
ジェリー・レヴィン
ストーリー
1946年7月4日、アメリカの独立記念日に生をうけたロン・コーヴィックは、ロングアイランド州マサピークアでその少年時代を送っていた。
すっかりスポーツマンに成長した高校時代のロンは、ある日学校にやってきた海兵隊の特務曹長の言葉に感銘をうけ、憧れていたドナとのダンスの思い出を胸に、64年9月、子供の頃からの夢であった海兵隊に入隊した。
そして13週間の訓練を経て、ロンはベトナムの戦場に身を投じるのだった。
67年10月、軍曹になったロンは、激しい銃撃戦の後、部下を率いて偵察に出かけ、誤まってベトナムの農民を惨殺してしまいショックをうける。
そしてこの混乱に乗じて襲いかかかってきたベトコンの姿にパニック状態に陥ったロンは、部下のウィルソン伍長を射殺してしまい、罪の意識にさいなまされるロンに、上官は口外を禁じるのだった。
そして68年1月、激しい攻防のさ中、ロンはベトコンの銃弾の前に倒れ、下半身不随の重傷を負ってしまう。
69年、故郷のマサピークアに戻って来たロンは家族に温かく迎えられるが、ベトナム戦争を批判し、反戦デモを繰り広げている世間の様相に大きなショックをうけるのだった。
この年の独立記念日に、在郷軍人会主催の集会の壇上に立ったロンは、戦場のトラウマが蘇りスピーチを続けることができなかった。
世間の冷たい風当たりに、ロンは次第に酒に溺れ、両親の前でも乱れ続けるのだった。
苦しみから逃れるように、70年にメキシコに渡ったロンは酒と女で孤独を紛らわせる。
しかしここで知りあったチャーリーの厳しい言葉に目が覚めたロンは、自堕落な生活と訣別し、ウィルソンの両親を訪ね罪を詫びるが、返ってきたのは優しい慰めの言葉だった。
寸評
ベトナム戦争とはアメリカにとって意味のある戦争だったのだろうか。
世界中で、アメリカ国内で戦争反対の平和運動が巻き起こり、日本でも反戦団体のべ平蓮なども誕生した。
僕の高校時代にベトナム戦争反対運動の機運が盛り上がってきたので、描かれた世代の人間である。
冷戦下にあったソ連とアメリカの代理戦争だったのだろうが、アメリカの介入はケネディからジョンソンへと政権ごとに拡大していった。
大国に翻ろうされたベトナムこそいい迷惑だったろうが、ベトナムのゲリラ兵は中国にも勝ったし強い。
結局アメリカは負けたのだ。
戦場における米軍、ベトコン軍の悲惨さは度々映画化されている。
反戦映画の舞台としても、ベトナム戦争は格好の題材だった時期があって、この作品もその一つだ。
内容的には戦闘場面は少なく、帰還兵の苦悩を描いている。
きれいごとを言ってはいるが負傷兵に対する国家の扱いは冷たく、若者は消耗品であったかのようで、政府のごまかしには憤りを覚えるけれど、僕はイマイチ共感する部分が少なかった。
なぜかフラストレーションがたまる作品でもあった。
共産主義への嫌悪感、両親の期待などによる自分の甘い考えで、英雄気取りになってベトナム戦争に行って、農民をそして赤ん坊を殺してしまったことにショックを受けてパニックを起こし、誤射によって同僚を殺してしまい、さらに自分も敵に撃たれて脊髄損傷で下半身不随になり、帰国したら誰も尊敬してくれなくて非難され逆切れし、すさんだ生活に堕ちていく。
主人公がそんな風なわがまま坊やに見えてしまって冷めた気分になってしまったのだ。
誤射を懺悔して、優しい言葉をかけられ、まともな生活に戻ったと言われてもなあという気分なのだ。
オリバー・ストーンとしては反戦映画というよりも、この作品を若者の再生映画として描いたのだろうか。
しかし、病院の様子などは実際もそうだったのだろうなと思わせるし、負傷して帰ってきたら周りは反戦運動が高まっていて、自分はまったく尊敬の対象ではなくなっていたという悲劇性は感じ取れた。
さらに主人公は半身不随で一生車椅子から逃れられない体になっているし、生殖機能も断たれている。
主人公は国家によって尊厳を奪われた人間の代表でもある。
7月4日はアメリカの独立記念日で、主人公はその記念すべき日が誕生日である。
彼の誕生日を祝うかのように、独立記念日のパレードが行われ、毎年の様子が幾度か描かれる。
国家の誕生を祝う日であるが、同じ日に誕生した主人公に国家は何もしてくれない。
ニクソン大統領は彼等に賛辞を贈るが、主人公にとってはたわごとであり、何のサポートも受けていない。
ケネディの演説が写され、「国家が何をしてくれるかではなく、国家に何が出来るかだ」という有名な一節を語っていて、それを子供も交えた家族全員で見ているシーンがある。
その時、彼等は「そうだ!」と思ったに違いない。
しかし政府を代表とする国家のために戦場に行ったのに、帰還してみたら国家は何もしてくれなかった。
見事なまでの逆説である。
監督 オリヴァー・ストーン
出演 トム・クルーズ
レイモンド・J・バリー
キャロライン・カヴァ
キーラ・セジウィック
フランク・ホエーリー
ジェリー・レヴィン
ストーリー
1946年7月4日、アメリカの独立記念日に生をうけたロン・コーヴィックは、ロングアイランド州マサピークアでその少年時代を送っていた。
すっかりスポーツマンに成長した高校時代のロンは、ある日学校にやってきた海兵隊の特務曹長の言葉に感銘をうけ、憧れていたドナとのダンスの思い出を胸に、64年9月、子供の頃からの夢であった海兵隊に入隊した。
そして13週間の訓練を経て、ロンはベトナムの戦場に身を投じるのだった。
67年10月、軍曹になったロンは、激しい銃撃戦の後、部下を率いて偵察に出かけ、誤まってベトナムの農民を惨殺してしまいショックをうける。
そしてこの混乱に乗じて襲いかかかってきたベトコンの姿にパニック状態に陥ったロンは、部下のウィルソン伍長を射殺してしまい、罪の意識にさいなまされるロンに、上官は口外を禁じるのだった。
そして68年1月、激しい攻防のさ中、ロンはベトコンの銃弾の前に倒れ、下半身不随の重傷を負ってしまう。
69年、故郷のマサピークアに戻って来たロンは家族に温かく迎えられるが、ベトナム戦争を批判し、反戦デモを繰り広げている世間の様相に大きなショックをうけるのだった。
この年の独立記念日に、在郷軍人会主催の集会の壇上に立ったロンは、戦場のトラウマが蘇りスピーチを続けることができなかった。
世間の冷たい風当たりに、ロンは次第に酒に溺れ、両親の前でも乱れ続けるのだった。
苦しみから逃れるように、70年にメキシコに渡ったロンは酒と女で孤独を紛らわせる。
しかしここで知りあったチャーリーの厳しい言葉に目が覚めたロンは、自堕落な生活と訣別し、ウィルソンの両親を訪ね罪を詫びるが、返ってきたのは優しい慰めの言葉だった。
寸評
ベトナム戦争とはアメリカにとって意味のある戦争だったのだろうか。
世界中で、アメリカ国内で戦争反対の平和運動が巻き起こり、日本でも反戦団体のべ平蓮なども誕生した。
僕の高校時代にベトナム戦争反対運動の機運が盛り上がってきたので、描かれた世代の人間である。
冷戦下にあったソ連とアメリカの代理戦争だったのだろうが、アメリカの介入はケネディからジョンソンへと政権ごとに拡大していった。
大国に翻ろうされたベトナムこそいい迷惑だったろうが、ベトナムのゲリラ兵は中国にも勝ったし強い。
結局アメリカは負けたのだ。
戦場における米軍、ベトコン軍の悲惨さは度々映画化されている。
反戦映画の舞台としても、ベトナム戦争は格好の題材だった時期があって、この作品もその一つだ。
内容的には戦闘場面は少なく、帰還兵の苦悩を描いている。
きれいごとを言ってはいるが負傷兵に対する国家の扱いは冷たく、若者は消耗品であったかのようで、政府のごまかしには憤りを覚えるけれど、僕はイマイチ共感する部分が少なかった。
なぜかフラストレーションがたまる作品でもあった。
共産主義への嫌悪感、両親の期待などによる自分の甘い考えで、英雄気取りになってベトナム戦争に行って、農民をそして赤ん坊を殺してしまったことにショックを受けてパニックを起こし、誤射によって同僚を殺してしまい、さらに自分も敵に撃たれて脊髄損傷で下半身不随になり、帰国したら誰も尊敬してくれなくて非難され逆切れし、すさんだ生活に堕ちていく。
主人公がそんな風なわがまま坊やに見えてしまって冷めた気分になってしまったのだ。
誤射を懺悔して、優しい言葉をかけられ、まともな生活に戻ったと言われてもなあという気分なのだ。
オリバー・ストーンとしては反戦映画というよりも、この作品を若者の再生映画として描いたのだろうか。
しかし、病院の様子などは実際もそうだったのだろうなと思わせるし、負傷して帰ってきたら周りは反戦運動が高まっていて、自分はまったく尊敬の対象ではなくなっていたという悲劇性は感じ取れた。
さらに主人公は半身不随で一生車椅子から逃れられない体になっているし、生殖機能も断たれている。
主人公は国家によって尊厳を奪われた人間の代表でもある。
7月4日はアメリカの独立記念日で、主人公はその記念すべき日が誕生日である。
彼の誕生日を祝うかのように、独立記念日のパレードが行われ、毎年の様子が幾度か描かれる。
国家の誕生を祝う日であるが、同じ日に誕生した主人公に国家は何もしてくれない。
ニクソン大統領は彼等に賛辞を贈るが、主人公にとってはたわごとであり、何のサポートも受けていない。
ケネディの演説が写され、「国家が何をしてくれるかではなく、国家に何が出来るかだ」という有名な一節を語っていて、それを子供も交えた家族全員で見ているシーンがある。
その時、彼等は「そうだ!」と思ったに違いない。
しかし政府を代表とする国家のために戦場に行ったのに、帰還してみたら国家は何もしてくれなかった。
見事なまでの逆説である。