おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

サン・ジャックへの道

2021-03-07 09:20:55 | 映画
「サン・ジャックへの道」 2005年 フランス


監督 コリーヌ・セロー
出演 ミュリエル・ロバン
   アルチュス・ドゥ・パンゲルン
   ジャン=ピエール・ダルッサン
   マリー・ビュネル
   パスカル・レジティミュス
   エマン・サイディ

ストーリー
会社経営と家庭のストレスで薬に依存している兄のピエール、支配的で頑固なオバサン教師のクララ、アルコール漬けで家族にも見捨てられ一文無しの弟のクロード。
互いを認めず険悪な仲の兄姉弟が、亡き母親の遺産を相続するため、フランスのル・ピュイからスペインの西の果て、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで1500kmにも及ぶ巡礼路を一緒に歩くはめに。
本来神聖なる旅路のはずだが、彼らの頭には、遺産の二文字しかない。
このツアーの同行者として、ベテラン・ガイドのギイ、楽しい山歩きと勘違いしてお気楽に参加したハイティーンの女の子達、エルザとカミーユ、カミーユを追って参加したアラブ系移民の少年サイッド、従兄弟であるサイッドにだまされてイスラムのメッカへ行けると信じ、二人分の旅費を苦しい家計から母親から捻出してもらったラムジィ、頭をターバンで包んだ物静かな女性マチルドがいた。
9人の男女が、様々な思いを胸に、フランスのル・ピュイから旅の一歩を踏み出した。
果てしなく続く岩山の道。
様々なトラブルを乗り越えながら、一行はまっすぐ続く一本道を、急勾配の道を、天候に関係なくひたすら歩き続ける。
それは、まさに人生のように長く起伏に富んだ道。
今や彼らは、距離的にも精神的にも出発点からは遥かに離れた地点に立っていた。
1500kmもの徒歩の旅のゴールには、いったい何が待っているのだろう? 
そして、ささやかなラムジィの願いは叶うのだろうか?


寸評
映画の冒頭、字幕と共にフランスの郵便事情が映し出され、郵便を受けとる3人が登場する。
それぞれの住所地で読んだ兄のピエール、姉のクララ、弟のクロードの3人が一様に怪訝そうな顔をしているので、その中には一体何が書かれていたのかと観客の興味を集中させておいて、登場するのがこの3人に対して行われる死亡した母親が残したとされる遺言書の説明シーンである。
巡礼路を歩くことを条件として遺産を相続させると書かれてあることを聞いた時の3人の反応は拒絶である。
長男のピエールは会社経営で忙しく、さらに妻がアルコール依存症という悩みまで抱えて「俺にはそんな時間はない!」と言い、学校の教師をしている長女のクララは、家族の世話のため巡礼など行けるはずがないと言う。
次男のクロードはアル中状態で家族からも見捨てられていて、理由はないが行きたくないのは同じ。
しかもこの兄姉弟はどうやら仲が良くないようだいう幕開けなので、おおよその結末は予想がつく。
したがってその間の出来事で、いかにして結末に導くのかに興味が行くのだが、同行者やガイドが加わって一種独特なロード・ムービーとなっている。

ツアーとは言え、それは1500キロに及ぶ巡礼なのに兄姉弟には信仰心がない。
これに楽しい山歩きと勘違いしてお気楽に参加したハイティーンの女の子二人が加わる。
その内の一人の女の子を追ってアラブ系移民の少年と、従兄にイスラムのメッカに行けると信じ込まされた文字が読めない少年の二人と、なぜか頭をターバンで包んだ1人参加の女性が参加していて、それをガイドのギイが何とか引っ張て行く。
やっと電波が届く場所に到着すると、携帯電話で語られることはもめ事ばかりで、それは文明批判ともとれるし、人と人が係わるともめ事が発生するのなのだとも言っているような滑稽なシーンもある。
珍道中なので重い荷物を内緒で捨てたり、迷惑な相部屋の旅行者がいたりのドタバタもあるが、彼らが抱える苦悩や希望が夢の中で描かれ、そのイメージをシュールな映像で描き出していることや、彼らが歩いている山道の景色や、休憩しているシーンの点描が美しく、ドタバタ感を打ち消すように静かな安堵感をもたらしてくれる。
歩きくたびれた彼らがとる休憩時間の描写に、彼等もホッとしているのだろうが、見ている僕も何故かホッとしたものを感じ取ることが出来た。

旅の途中でガイドのギイから「実はこの遺言書はこの地点でいいと書いてあった」ということが発表され、3人は今や仲間になり切った他の6人に心からの別れを告げ、帰る為に6人とは反対の道へ歩き始めたが、まず最初にピエールが方向を変え、クララとクロードもビックリして後に従う。
そんな行動を自然に納得させるのがロード・ムービーの良さであり、この映画のすばらしさだ。
途中でガイドのギイの子供が病気になっていること、妻が友人と浮気をしていることも判明するが、それに対する埋め合わせ的な結末も用意しているし、識字の勉強を教えてもらっていたラムジィが学習効果を見せた半面、彼に起きる悲しい出来も描きながら、最後は最初の予想通りそれぞれの人たちが迎える明るい未来を予兆させて終わるのだが、クロードの描き方はアル中が治ったのかどうかは疑わしいままのように思う。
巡礼というロード・ムービーだが宗教臭さはまったくなく、というより宗教は全く描かれずに終わったのも肩ぐるしくしていなくてよかったと思う。