おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

十戒

2021-03-20 11:03:20 | 映画
「十戒」 1956年 アメリカ


監督 セシル・B・デミル
出演 チャールトン・ヘストン
   ユル・ブリンナー
   アン・バクスター
   エドワード・G・ロビンソン
   イヴォンヌ・デ・カーロ
   デブラ・パジェット

ストーリー
エジプト王ラメシス一世は、新しく生まれるヘブライの男子をことごとく殺すという命を発した。
生まれたモーゼも母親の手でナイルの大河へゆりかごに隠されて流された。
だが幸運にも小さな箱船は王女の足もとへただよい着いた。
王女はその赤児をあわれに思い、引きとって立派に育てた。
成長したモーゼ(チャールトン・へストン)がエジプト王子として勢力を得て来た頃、宮廷には彼のほかに実の王子ラメシス(ユル・ブリンナー)が権力をふるっていた。
2人は王位と王女ネフレテリ(アン・バクスター)の争奪を始める。
ネフレテリは“世襲王女”であったから、王座を継ぐものは彼女と結婚しなければならないからだ。
ある日、モーゼは奴隷であるヘブライ人が重労働を課せられているのを見、そして1人のエジプト人が、ヘブライ人を打ちすえたところを目撃した。
だが、この現場を同胞を食いものにしている奴隷頭デイサン(エドワート・G・ロビンソン)が見ていた。
これがラメシスの耳に入り、ヘブライ人であることが暴露されたモーゼは砂漠に追放された。
荒野をさまようモーゼを救ったのは、ジェスロー(エドワード・フランツ)だった。
やがてモーゼはジェスローの長女セフォラ(イヴォンヌ・デ・カーロ)と結婚した。
彼はここで平和な生活を送っていたが、ある日シナイ山で神の声を聞いた。
ここにモーゼとラメシスの争闘が始まった。
数千の奴隷は脱出して紅海の畔までたどり着いた。
モーゼがひとたび叫ぶと、焔が立ちラメシスの軍勢を防いだ。
海は陸地となり、水は2つにわれるという奇跡が起こったのだ。


寸評
宗教的に深い知識を持っているわけではないが、モーゼの名前とモーゼの十戒のことぐらいは知っている。
十戒とは
 1.主が唯一の神であること
 2.偶像を作ってはならないこと
 3.神の名をみだりに唱えてはならないこと
 4.安息日を守ること
 5.父母を敬うこと
 6.殺人をしてはいけないこと
 7.姦淫をしてはいけないこと
 8.盗んではいけないこと
 9.隣人について偽証してはいけないこと
10.隣人の財産をむさぼってはいけないこと
という10の戒律を言うらしいのだが、「汝、殺す無かれ」という文言は何処で得たのか知らないが記憶の中にある。
宗派によって違いがあるらしく、1を除いて隣人の妻を欲してはならないを加える場合もあるとか。
そのモーゼの生涯を描いた作品で、やや散漫な気もするが当時の特撮を駆使し、エキストラを動員した映像は楽しませてくれて伝記物としては及第点の出来栄えだと思う。
モーゼ伝説を知らない僕にも要領よく教えてくれる教材としての価値ある作品だ。

特撮スペクタルの極め付けがモーゼの神通力によって紅海が真っ二つに割れるシーンだろう。
現在のコンピューターグラフィックスからすれば稚拙な映像処理なのだろうが、当時としてはかなりのグレードだっただろう。
映画好きの従兄も公開時にこの映画を見て「航海が割れるんや」と興奮して語っていたことを思い出す。
モーゼは旧約聖書の「出エジプト記」などに現れる紀元前13世紀ごろに活躍したとされる人物で実在は疑問視されているが、描かれているのは正にそのモーゼであり、時代背景もその時代ということになる。
若い女性が色彩豊かな衣服をまとって躍ったりするのは、中国を舞台にした作品などでも見られる演出だが、衣服は時代考証がなされているのかどうかは別として映画的には華やいだものとなっている。

王室の子として育てられたモーゼが、実はヘブライ人の奴隷の子であったことが判明してモーゼの苦難の道が始まるのだが、それを証明するのが産着の布切れ一枚というのが説得力に欠ける。
それがどうしてモーゼの産着だったと言い切れるのか。
疑問に思うことは一杯あるし、愛し合っていたと思われるネフレテリの心の動きなどはとても切り込んでいるとは言えない。
可愛さ余って憎さ百倍なのか、夫となったラメシスにモーゼの殺害を迫るのだが、その変化の描き方は通り一辺倒なもので、あらゆる登場人物の心の内は伝説の映像化とスペクタクルの影に隠れてしまっている印象である。
古代イスラエルの話とはいえ、僕にとっては何だかイスラエル支持者によるイスラエル賛歌のような印象をもってしまう作品だ。