「地獄でなぜ悪い」 2013年 日本
監督 園子温
出演 國村隼 堤真一 長谷川博己 星野源
二階堂ふみ 友近 坂口拓 板尾創路
でんでん 岩井志麻子 水道橋博士
ミッキー・カーチス 江波杏子
石丸謙二郎 渡辺哲
ストーリー
ヤクザの組長・武藤(國村隼)は、獄中にいる最愛の妻・しずえ(友近)の夢を叶えようと躍起になっていた。
それは娘のミツコ(二階堂ふみ)を主演に映画を製作するというもの。
娘を映画スターにするのは、武藤を守るため刑務所に入った妻の夢でもあったからだ。
しかし、肝心のミツコは男と逃亡してしまい、映画が出来ないまま、いよいよしずえの出所まで残り数日となってしまう。
そこで武藤は、手下のヤクザたちを使って自主映画を作ることを決断する。
そして何とかミツコの身柄を確保し、映画監督だという駆け落ち相手の橋本公次(星野源)に、完成させないと殺すと脅して映画を撮影するよう命じる。
ところがこの公次、実は映画監督でもなければミツコの恋人でもないただの通りすがりの男だった。
それでも監督として映画を完成させなければ彼の命はない。
そんな絶体絶命の中で出会ったのが、自主映画集団“ファック・ボンバーズ”を率いる永遠の映画青年、平田(長谷川博己)。
一世一代の映画を撮りたいと夢見てきた平田は、ここぞとばかりにミツコに執着する敵対ヤクザ組織の組長・池上(堤真一)まで巻き込み、スタッフ&キャストは全員ヤクザで構成するという前代未聞のヤクザ映画の撮影を開始することになる。
かくして、本物のヤクザ同士の抗争を舞台に、史上最も命がけの映画が電光石火のごとくクランクイン。
狂おしいほどまっすぐな想いが叶うなら、そこが地獄でもかまわない……。
寸評
いやはや何とも中身はごった煮で、任侠路線があれば、ラブストーリーをからませ、果ては大アクションと全くのハチャメチャな内容に唖然とする。
と言いながらも、長谷川博己演じる映画青年の映画に対する情熱に熱くなってしまう。
ミッキー・カーチスの言う「最高の一本を撮れ」にジーンとくる。
次回作を期待する作品を残しながら、その一本だけという監督も結構存在しているからなあ・・・。
オーバー演技にギャグ満載である。
「仁義なき戦い」のテーマ曲の触りが流れたと思ったら、事件担当の警察署が深作警察だったりしている。
堤真一の組長が覚悟を決めて腹をくくり、「腹をくくるなら和服だ」と組員に和服を着させるなど滅茶苦茶だ。
冒頭で組長の妻役の友近がバラエティの延長の様な演技で、敵対する組員を追いかけまわし殺害する。
血しぶきが見物人に降りかかるという、どぎつい演出に出鼻から驚かされる。
園監督を支持しない人は、この時点で引いてしまうのではないだろうか?
友近に刺された堤真一が撮影中の映画青年にアドリブ撮影されて彼等とやり取りするが、ここでは「これは喜劇映画か?」と思わせ、早くもこの時点でハチャメチャぶりを見せつける。
國村隼がクールに一人芝居的な演技を見せ、それの対極として堤真一がコミカルな演技を一手に引き受けているという対比が愉快である
映画青年たちは映画館の映写室にたむろしているが、映写室内は懐かしい雰囲気で、ちょっとしか登場しないミッキー・カーチスが適役ぶりをみせる。
35ミリの映写機が懐かしかった(僕はその昔、映写室で作業したことがある)。
敵対するヤクザを演じる國村隼と堤真一が、バカバカしい演技をしながら時々かっこいいところを見せる。
そのギャップがたまらない。
ヤクザの映画班は、俳優、照明、音響と大活躍するが、その躍動ぶりは僕が失くしてしまった無駄とも思える青春の情熱を思い起こさせた。
そこから、映画作りとヤクザの抗争が一体化する展開が、ついに体当たり演技の大爆発にするところになると、学生時代にあんなことやれたら楽しかったろうなと、やけにノスタルジックになってしまう。
兎に角、やくざの出入りのシーンは滅茶苦茶もいいところで、半ばやけっぱちで映画作りを楽しんでいる。
昭和館での完成作品の上映は、映画が全盛だった昭和の時代へのノスタルジーだったのか?
映画への愛を形にできるのなら、そこが地獄でもかまわないと、映画にのめり込む人種がますます登場することを期待したい。
長谷川博己のオーバーアクションとセリフまわしは最後まで持続するが、最後の最後になっての「ハイ、カット」は映画の中の映画みたいで、なんだか作戦負けしたような気分。
園子温ってそんな監督なんだろうけど、この作品も受け付ける人と受け付けない人がいるだろうな。
でもまあ、受け付ける人しか見に来てないか・・・。
監督 園子温
出演 國村隼 堤真一 長谷川博己 星野源
二階堂ふみ 友近 坂口拓 板尾創路
でんでん 岩井志麻子 水道橋博士
ミッキー・カーチス 江波杏子
石丸謙二郎 渡辺哲
ストーリー
ヤクザの組長・武藤(國村隼)は、獄中にいる最愛の妻・しずえ(友近)の夢を叶えようと躍起になっていた。
それは娘のミツコ(二階堂ふみ)を主演に映画を製作するというもの。
娘を映画スターにするのは、武藤を守るため刑務所に入った妻の夢でもあったからだ。
しかし、肝心のミツコは男と逃亡してしまい、映画が出来ないまま、いよいよしずえの出所まで残り数日となってしまう。
そこで武藤は、手下のヤクザたちを使って自主映画を作ることを決断する。
そして何とかミツコの身柄を確保し、映画監督だという駆け落ち相手の橋本公次(星野源)に、完成させないと殺すと脅して映画を撮影するよう命じる。
ところがこの公次、実は映画監督でもなければミツコの恋人でもないただの通りすがりの男だった。
それでも監督として映画を完成させなければ彼の命はない。
そんな絶体絶命の中で出会ったのが、自主映画集団“ファック・ボンバーズ”を率いる永遠の映画青年、平田(長谷川博己)。
一世一代の映画を撮りたいと夢見てきた平田は、ここぞとばかりにミツコに執着する敵対ヤクザ組織の組長・池上(堤真一)まで巻き込み、スタッフ&キャストは全員ヤクザで構成するという前代未聞のヤクザ映画の撮影を開始することになる。
かくして、本物のヤクザ同士の抗争を舞台に、史上最も命がけの映画が電光石火のごとくクランクイン。
狂おしいほどまっすぐな想いが叶うなら、そこが地獄でもかまわない……。
寸評
いやはや何とも中身はごった煮で、任侠路線があれば、ラブストーリーをからませ、果ては大アクションと全くのハチャメチャな内容に唖然とする。
と言いながらも、長谷川博己演じる映画青年の映画に対する情熱に熱くなってしまう。
ミッキー・カーチスの言う「最高の一本を撮れ」にジーンとくる。
次回作を期待する作品を残しながら、その一本だけという監督も結構存在しているからなあ・・・。
オーバー演技にギャグ満載である。
「仁義なき戦い」のテーマ曲の触りが流れたと思ったら、事件担当の警察署が深作警察だったりしている。
堤真一の組長が覚悟を決めて腹をくくり、「腹をくくるなら和服だ」と組員に和服を着させるなど滅茶苦茶だ。
冒頭で組長の妻役の友近がバラエティの延長の様な演技で、敵対する組員を追いかけまわし殺害する。
血しぶきが見物人に降りかかるという、どぎつい演出に出鼻から驚かされる。
園監督を支持しない人は、この時点で引いてしまうのではないだろうか?
友近に刺された堤真一が撮影中の映画青年にアドリブ撮影されて彼等とやり取りするが、ここでは「これは喜劇映画か?」と思わせ、早くもこの時点でハチャメチャぶりを見せつける。
國村隼がクールに一人芝居的な演技を見せ、それの対極として堤真一がコミカルな演技を一手に引き受けているという対比が愉快である
映画青年たちは映画館の映写室にたむろしているが、映写室内は懐かしい雰囲気で、ちょっとしか登場しないミッキー・カーチスが適役ぶりをみせる。
35ミリの映写機が懐かしかった(僕はその昔、映写室で作業したことがある)。
敵対するヤクザを演じる國村隼と堤真一が、バカバカしい演技をしながら時々かっこいいところを見せる。
そのギャップがたまらない。
ヤクザの映画班は、俳優、照明、音響と大活躍するが、その躍動ぶりは僕が失くしてしまった無駄とも思える青春の情熱を思い起こさせた。
そこから、映画作りとヤクザの抗争が一体化する展開が、ついに体当たり演技の大爆発にするところになると、学生時代にあんなことやれたら楽しかったろうなと、やけにノスタルジックになってしまう。
兎に角、やくざの出入りのシーンは滅茶苦茶もいいところで、半ばやけっぱちで映画作りを楽しんでいる。
昭和館での完成作品の上映は、映画が全盛だった昭和の時代へのノスタルジーだったのか?
映画への愛を形にできるのなら、そこが地獄でもかまわないと、映画にのめり込む人種がますます登場することを期待したい。
長谷川博己のオーバーアクションとセリフまわしは最後まで持続するが、最後の最後になっての「ハイ、カット」は映画の中の映画みたいで、なんだか作戦負けしたような気分。
園子温ってそんな監督なんだろうけど、この作品も受け付ける人と受け付けない人がいるだろうな。
でもまあ、受け付ける人しか見に来てないか・・・。
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