おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

シシリーの黒い霧

2021-03-17 09:48:42 | 映画
「シシリーの黒い霧」 1962年


監督 フランチェスコ・ロージ
出演 フランク・ウォルフ
   サルヴォ・ランドーネ

ストーリー
1950年7月5日。 シシリー島(シチリア島)のある民家の中庭でサルバトーレ・ジュリアーノという三十歳の男の、射殺死体が発見された。
話は五年前にさかのぼるが、当時シシリー島には独立運動が渦まき、独立義勇軍がマフィアや地主勢力と結んでファシスト政府と戦っていたのだが、義勇軍は匪賊サルバトーレ・ジュリアーノ一味を味方にし、独立達成の時は彼らを特赦することを約束していた。
ところが、連合軍上陸と同時にイタリア解放委員会第一次政府は、義勇軍を弾圧した。
そして五年後の今、中庭ではジュリアーノの検死がつづく。 彼は誰に殺されたのか?
再び話は1946年。 政府軍はシシリー独立義勇軍を攻撃したがジュリアーノは最後まで戦った。
そしてシシリーには自治が認められたが、しかしジュリアーノ一味は匪賊とみなされ、特赦されなかった。
そして現在、ジュリアーノの母は息子の死体にとりすがって泣く。 「彼を誰が殺したか!」と。
再び1949年。 第一回シシリー自治政府の選挙は人民連合派の勝利に帰した。
共産党はメーデーを祝っていたが、その時、ジュリアーノ一味が集会を銃撃した。
そして今。
ジュリアーノの死をめぐる裁判では彼の片腕ピショッタが出廷し、奇々怪々な当時の情勢が明るみに出る。
誰が彼にメーデーを襲撃させたか? そして誰が、彼を殺したのか?
話はもう一度1950年に。 マフィアは憲兵隊と組んでジュリアーノ一味を追いつめた。
そして憲兵隊はかくれ家を襲いジュリアーノを殺し、死体は中庭に引出された。
そして現在。 法廷で終身刑をいい渡されたピショッタは無実を叫ぶ。
だが、ジュリアーノ殺しは一体、何のために、誰の手引きでなされたのか。
十年後の1960年に、当時を知るマフィア一味の一人が群衆の中で殺された。
そして未だに、ジュリアーノ殺しの真相は解っていない。


寸評
分かりにくい映画ではある。
誰が山賊で、誰が憲兵で、誰が警察で、誰がマフィアなのかがどうも分かりにくい。
さらに過去と現在が頻繁に交錯する演出方法が分かりにくさを助長している。
シチリアの歴史に詳しくない僕には当時の複雑な歴史的事情も説明してほしかった。
さらに度々会話の中で登場するサルヴァトーレ・ジュリアーノ本人がいかなる人物なのかがさっぱり描かれていなくて、死体を除けば時々遠景の中に登場するだけというのも、主人公の存在を消し去っているような演出だ。
むしろ彼が主役というより、彼を媒介に、警察、憲兵、マフィア、地元住民など、いろんな人々がうごめいている不穏なシチリアの数年間が描かれていると言ってよい。

この映画においては黒の印象が強い。
モノトーン作品のせいでもあるが、室内では細くあけた窓のほかを全部黒が埋めてる感じがする。
正義の背後にある黒を感じさせるためなのかもしれない。
ドキュメンタリータッチのカメラが生きていて、軍隊が入って来て市民が連行される場面における、兵隊が一列にずらっと並んでいるシーンなどはゾクッとした。
またメーデーの虐殺シーンにおいては、カメラは逃げ惑う市民を遠景で捕らえながらパンして死体や馬の影が長く伸びている映像を見せつける。
手持ちカメラが混乱する群衆の中に入り込んで臨場感を生み出すような演出を排除している。
あたかも出来事を客観的に見ているようなカメラワークで、それがドキュメンタリータッチを増長させている。

本来なら英雄として描かれるはずのジュリアーノを義賊としては描いていない。
これは意図的なものだろう。
つまり、この映画はサルヴァトーレ・ジュリアーノ個人に焦点を当てるのではなく、誰が彼を操り、利用し、邪魔になったところで抹殺したのかという背後の黒い動きをあぶり出そうとしている。
犯罪者であるはずの山賊たちと警察や憲兵隊が関係を持って世の中を動かしていた。
誰がそう仕向けていたのかと追求しているように見える。
裁判劇において、誰がジュリアーノを殺したのかという論点から、山賊たちにメーデーの虐殺をさせたのは誰かという論点に移っていることがその証である。
ジュリアーノ一味を直接追いつめたのはマフィアと組んだ憲兵隊で、ジュリアーノを殺したのも憲兵隊らしいことは映画の中で暗示されているが、メーデーの虐殺を指示したのが誰だったのかは分からずじまいである。
感じるのは国家という魔物の存在であり、国家権力という目に見えない力である。
一人の人間を操り、抹殺することなど簡単なことなのかもしれない。
真相を知っている人物が殺されるという展開によって、実はさらに深い闇があると暗示されているようにも思えるラストシーンがそれを物語っていたように思う。

この映画を見るにはシチリアの歴史も頭に入れておいた方がよいかもしれない。
兎に角、映画の予備知識を持ってみた方が良いと感じられる作品だった。