おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

シテール島への船出

2021-03-22 08:46:00 | 映画
「シテール島への船出」 1963年 ギリシャ / イタリア


監督 テオ・アンゲロプロス
出演 ジュリオ・ブロージ
   ヨルゴス・ネゾス
   マノス・カトラキス
   ドーラ・バラナキ

ストーリー
映画監督のアレクサンドロスは彼の作品の主役になる俳優のオーディションが行なわれている撮影所に向かったが、アレクサンドロスの気に入る者はいない。
女優のヴーラは彼の愛人で、最近冷たいと彼にグチを言う。
そんな矢先、ラヴェンダーの花を売る老人が入ってくる。
その老人こそイメージに描く老俳優だと、アレクサンドロスは直感した。
老人を追って地下鉄に乗り港へ行ったが、埠頭まで追ったところで彼は花売り老人を見失う。
同じ場面のまま映画中映画になって彼は妹のヴーラ(先出の女優のヴーラ)と二人で、32年前にロシアに亡命した父の帰国を待っている。
ウクライナ号から降りたった父スピロ(ラヴェンダー売りの老人)を出迎え、母カテリーナの待つ家に案内する。
スピロはカテリーナに再会したが、しかしスピロが何を言ったのか、カテリーナは怒って台所に閉じこもり、スピロは家を去って町の安ホテルに泊った。
翌日、親友のパナヨティスらの歓迎を受けるスピロ。
山にあるその村にスキー・リゾートを造る計画があり、村人は署名をするがスピロは猛反対し、カテリーナに署名するのをやめさせる。
そんな父を非難するヴーラ。今さら母に命令などできるはずはないと……。
夜中、スピロはロシアでの生活をカテリーナに語り、あちらにも妻子ができたと告白する。
朝、村人たちはみな帰ってゆくがスピロは一人残り、山では憲兵隊がスピロの行方を探していた。
国籍のないままのスピロがこれ以上面倒を起こすと滞在許可まで取り消されるとアレクサンドロスに警告して去る彼らだったが、スピロはカテリーナと二人で山の家に残ると言いはる。


寸評
僕にとってはイタリアにフェデリコ・フェリーニが居るようにギリシャにはテオ・アンゲロプロスが居ると思わせた作品で、その後に彼の作品を何本か見ることになった。
「シテール島への船出」とは、かつて北朝鮮がこの世の楽園とばかりに渡っていった日本人と同じように、老人による至福の島への旅を著していると思う。
老人は32年の時を経てロシアから帰国してくるが、彼には母国の国籍はなくなっている。
アレクサンドロスは彼の作品に登場する老人役のオーディションを行っているが、そこにイメージに合う花売りの老人が登場し、その老人はそれ以後アレクサンドロスの父親として描かれていく。
アレクサンドロスが撮ろうとしている作品は父親をイメージした作品だったのだろう。
したがって描かれている父親は多分、彼のイマジネーションによる父親像が多分に反映されているのだと思う。
父親はかつて社会主義革命の闘士として戦っていたが、戦いに敗れてソ連に国外追放となっていたようだ。
革命戦士として命を投げ出すような所はなくて、老母に寄れば「恐くなるといつも隠れてしまう」男なのだ。
社会主義の理想のもとに戦った老父は、帰国しても何処にも居場所がない。
当時は支援してくれたかもしれない住民は、今では資本主義の下で金銭欲に縛られている。
自分の土地を売ってスキー場にしようとしている彼らにとって、突然帰国してきて土地を手放そうとしないスピロは厄介者でしかない。
現在の母国に同化できず、再び追放されてしまう彼の孤独は深い。

老父は再び国外追放の憂き目にあっても毅然としている。
その意味では強い男だ。
夫がソ連で現地の女性と一家を構えたことがあるのを知ってからでも、「そばに行きたい」と呼びかけて再び国外追放になる夫と運命を共にしようとする老母は更に強い。
それに比べれば息子の方は、老父の再度の国外追放に対して何もできない無力さを見せる。
そんな彼をあざ笑うかのように、妹は「この体だけが生きている証なのだ」と言って目の前で行きずりのセックスをしていて、同世代と思われる兄と妹の態度はどこか刹那的である。
内容を後押しするかのように、この映画の色調は冷たく覚めている。
僕は年老いた父親や息子のアレクサンドロスを見ていると、学生時代に経験した学生運動に対する自身の関わり方を思い浮かべてしまっていた。
僕は学生運動の闘士ではなかったし、どのセクトにも所属していなかった。
それでも大学の自治は守ろうとしたし、少しでも世の中をよくしたいと思う気持ちは多分にあった。
デモにも参加したことはあったが、どこか日和見的で時代の流れに身を任せる結果となった。
団塊の世代が卒業すると消えてしまったあの時の学生運動はファッションではなかったのかとさえ思えてくる。
僕は恐くなったら隠れてしまう老父と変わりはないし、そんな老父に何も助力が出来ず呆然と見つめるだけのアレクサンドロスと違いはなかったのだと自己嫌悪に陥った。
とりあえずは国際領域の海に放り出して責任逃れする警察に代表されるような、現日本における国家権力もどこか事なかれ主義に陥っているのには憤りを感じる。
「シテール島への船出」は映画館の暗い客席でじっくり見る映画だ。