おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

シックス・センス

2021-03-21 10:01:03 | 映画
「シックス・センス」 1999年 アメリカ


監督 M・ナイト・シャマラン
出演 ブルース・ウィリス
   ハーレイ・ジョエル・オスメント
   トニ・コレット
   オリヴィア・ウィリアムズ
   トレヴァー・モーガン
   ドニー・ウォールバーグ

ストーリー
小児精神科医の第一人者マルコムはある晩、妻アンナと自宅にいたところを押し入ってきた10年前に治療した患者のヴィンセントに撃たれた。
ヴィンセントは彼を撃つと自殺し、この事件は彼の魂に拭いがたい傷を残した……。
1年後。フィラデルフィア。
妻アンナと言葉を交わすこともできず悶々とする日々を送るマルコムは、他人に言えない秘密を隠して生きるあまり心を閉ざした8歳の少年コールに出会った。
彼の秘密とはなんと死者が見えること。
彼はこの秘密を母リンにも話せず、友達からも異常者扱いされて苦しんでいた。
やがて、ふたりは心を通わせるようになり、コールはついに秘密を打ち明けた。
死者は彼にいつも何かをさせたがっているというのだ。
吐瀉物で汚れた少女の霊に会ったコールはマルコムに連れられてその少女の葬儀が行われている家へ行く。
霊となった少女はコールに箱を手渡す。
箱の中にはビデオがあり、そこには彼女の母親が少女を毒殺する姿が映っていた。
少女の父親はそれで真実を知った。
死者は彼に自分の望みを叶えてもらうことで癒されるのが望みだったのだ。
ついにコールは悩みを克服し、母リンにも秘密を打ち明けた。
一方、マルコムは妻アンナのことでまだ悩んでいた。
コールはマルコムに彼女が眠っている時に話しかけてと助言した。


寸評
これをホラー映画と呼ぶには抵抗がある。
マルコムの物静かな態度と話しぶりによって、ホラーというよりはむしろ心理映画のような感じの作品である。
一般的なホラー作品のように、観客をドキリとさせることを目的としたシーンは登場しない。
したがって、見方によっては退屈な作品と感じる。
セリフの一言一言、場面場面の登場人物の態度と風景がわずかな疑問を呈するのだが、それが何なのかがはっきりしないのでもどかしさを覚える。
ここで我慢できなかった観客は、そのひとつひとつの意味合いを知ることが出来ないだろう。
全てはラストシーンによって紐解かれる。
「ああ…そうだったのね…」となって、今までのシーンが解き明かされていくのである。
それが分かると、あのシーンもそうなら、あのセリフもそうだったのだと悟るのである。
結末を知ってこの作品を見ると、全く違う作品に見えてしまうのではないかと思う。

マルコムは小児精神科医の第一人者として多忙である。
妻のアンナは、「子供たちが第一で、自分は二の次だと」夫を責めるが、それは欲張りすぎるグチだと分かっていて、市民栄誉賞をもらった夫を尊敬し、二人は今も愛し合っていることが感じ取れる出だしだ。
そこでマルコムはかつての患者に撃たれ、彼を救えなかったことで悩むようになる。
そんなことがあって、二人の間に微妙な隙間風が吹き始めた様で、事件から1年後の結婚記念日にマルコムは約束のレストランを間違えて遅れてしまい、怒ったアンナは「よい結婚記念日を」と言って席を立ってしまう。
どうやらアンナには別の男性が近づいているようなのである。
心変わりを描くでもないアンナの描写は、終わってみれば随分と計算されたものであったことが分かる。
マルコムが取ろうとした伝票をさっと横取りしサインする姿。
言い訳するマルコムに一度も目を合わせないアンナの姿。
再見してみると、マルコムの座り方まで計算されていたことが判る。

コールは死者が見えてしまう霊感を持っている。
それが単なる「第六感」でなく本当に見えていて、死者がコールに思いを託していることが少女の葬式で父親に渡されたビデオテープによって判明する。
ここからの展開は静かだった映画が、謎解きを一気に進めるように迫力を生み出してくる。
しかも、それはあくまでも静かになのだ。
コールは母親に自分の超能力の存在を告げる。
母親が祖母に抱いていた気持ちを語り、親子の関係に光が差す。
そしてコールがマルコムにアドバイスした内容と、実践した時の妻の反応がすべてを明らかにする。
それで映画が始まって以来ずっと抱いてた不快感が取り払われた。
それはコールとマルコムの交流が、医者と患者という割には何か違和感のあるものであったことだ。
度々ドアを開けようとするシーンの意味もやっと分かった。
随所に使われていた赤い色が印象を残す。