おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

サン★ロレンツォの夜

2021-03-09 09:48:59 | 映画
「サン★ロレンツォの夜」 1982年 イタリア


監督 パオロ・タヴィアーニ / ヴィットリオ・タヴィアーニ
出演 オメロ・アントヌッティ
   マルガリータ・ロサーノ
   ミコル・グイデッリ

ストーリー
イタリア中部のトスカーナ地方では、8月10日、聖ロレンツォの日の夜は、愛する人のために流れ星に願いをかけると叶うという言い伝えがあり、この夜も、チュチリアは、愛するわが子に、自分が6歳の時に体験した出来事を聞きとどめてくれることを願って回想するのだった。
それは、第二次大戦も終わりに近づいた1944年の夏にさかのぼる。
ドイツ軍の占領とファシスト支配が続く中部では、連合軍の北上が待たれていた。
この地方の小さな村、サン・マルティーノの郊外の教会では、徴兵を拒否したコラードと、すでに身重のペリンディアのささやかな結婚式が行なわれていた。
そのころパルチザンのニコラが、仲間のブルーノとフィレンツェから帰ってきた。
ドイツ軍司令部は人家を爆破することを決定し、村の司教からそのことを聞いた人々は、大聖堂に向かうが、ガルヴァーノは、ドイツ軍の罠かもしれないと考え、この村を脱出して連合軍を探しに行こうと決意する。
脱出した一行がいると知ったファシストは、追跡を開始した。
居残り組と戻って来た者たちで、大聖堂ではミサが行なわれた。
突然、大爆音が轟き、多くの人々が傷つき、ベリンディアは息絶えた。
ガルヴァーノ達は、米軍の居場所を知っているというダンテという人物が率いるパルチザンを求めてアルノ川沿いを進んだ。
小麦畑でダンテとその一行に出会ったガルヴァーノらは、彼らと行動を共にする。


寸評
6歳の少女が母親になって我が子に自分の体験を語り掛ける形で映画は始まるが、記憶の世界で描かれる場面に少女が登場するものの彼女が常に中心人物になっているわけではない。
描かれている出来事は彼女が目撃し体験したことなのだろうが、彼女の目を意識させるような描き方ではない。
戦争の悲惨さを描いてはいるがユーモアを感じさせるシーンも随所にちりばめられている。
第二次世界大戦末期の混乱した時期だし、それなりに緊迫した状況が描かれているのだが、画面を通じて感じるのは随分とのんびりした人々の様子である。
舞台となったトスカーナ地方の風景が更にのんびりとした雰囲気を手助けしているのだが、それはタヴィアーニ兄弟が意図するところだろう。

ドイツが攻めてきて村を爆破するようで、爆破される家には十字のマークが書かれている。
爆破対象の人々は一カ所に集まっており、そこで村を脱出して北上してくる米軍を探しに行こうとするグループと大聖堂にいれば大丈夫だろうとして村に残るグループに分かれる。
当初は脱出組に入っていた人も、いざ出発となると恐ろしいから残ることにする人が出てくる。
生きるか死ぬかの選択で、迷う人の気持ちは理解できるので残る人を悪いようには描いていない。
しかし安全と思われた大聖堂が爆破され多くの犠牲者が出る。
大聖堂まで破壊しないだろうと言って、残留した人を大聖堂に集めていた村の司教は冷たい視線を浴びるシーンがある。
僕には神の言葉を語る司教でさえ戦争の犠牲者を救うことはできないという現実を描いていたように思う。
実際に結婚式を挙げたばかりの新妻が子供を宿しながら夫の目の前で死んでいく。

ガルヴァーノの一行は米軍を目指す途中で、麦刈りをしている人々に出会い、その刈り入れを手伝うことになる。
その時、敵の飛行機がやって来て人々は森の中に逃げ込むのだが、逃げ込んだところで「ダルマさんがころんだ」状態で全員が動きを止めている。
何とも滑稽な場面を用意したもので、この映画ののんびりさの象徴的シーンとなっている。
この麦畑の中でパルチザンとファシストの戦闘が行われるが、その交戦状況は軍人同士の戦いのように規律に導かれたものではない。
人々の動きが民間人丸出しでバタバタしていることもあって、戦闘にのんびりした雰囲気がある。
しかし、その雰囲気の中で顔見知りの者が敵と味方に別れてお互いに殺し合い次々と倒れていく様は、雰囲気に反してすごく恐ろしいものである。
戦闘が終わりガルヴァーノの一行はその村に一夜の宿をあてがわれて一泊させてもらう。
ガァルヴァーノは夫婦と勘違いされて若い頃に憧れていたコンチェッタと同室になり、幼い頃から想いを寄せていたことを告白し二人は結ばれる。
聖ロレンツォの夜の願いは平和の到来なのだろうが、実はこの二人の願いが叶ったことだったのだと思う。
晩年に自分の思いを相手に告げることができ、秘かに愛した人がそれを受け入れてくれるという時間を過ごせた事はなんてすばらしくて羨ましいことではないか。
僕はこのエピソードで麦畑の悲惨な出来事を払拭できた。