おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

飼育

2021-03-10 06:54:37 | 映画
「し」の第一弾は2019年7月5日から「七人の侍」「地獄の黙示録」「仁義なき戦い」など50本程度を掲載しましたが、今回はさらに幅広く取り上げて行こうと思っています。


「飼育」 1961年 日本


監督 大島渚
出演 三國連太郎 ヒュー・ハード
   小山明子 三原葉子 中村雅子
   沢村貞子 大島瑛子 浜村純
   山茶花究

ストーリー
昭和二十年の初夏、或る山村へ米軍の飛行機が落ち、百姓達の山狩りで黒人兵(ヒュー・ハード)が捕まった。
黒人兵は地主鷹野(三國連太郎)の穴倉へ閉じこめられ、指令があるまで百姓達は黒人兵を飼うことになった。
そんな頃に、鷹野の姪の幹子( 大島瑛子)がこの村に疎開して来た。
村の少年達はクロンボが珍らしくて、いつも倉にやって来ては黒人兵をみつめている。
少年達と黒人兵はいつしか親しさを持つようになっていった。
そこへ、余一(加藤嘉)の息子次郎(石堂淑朗)が召集令をうけて村に帰って来た。
出征祝いの酒盛りの夜、次郎は暴力で幹子を犯し、翌日次郎は逃亡した。
兄が非国民となって、弟の八郎(入住寿男)は幹子のせいだと怒った。
幹子を責めた八郎は、皆に取押さえられて鷹野家の松に吊された。
クロンボが八郎を慰めるように歌をうたったが、八郎はクロンボが村中を狂わしたと憎んだ。
縄を切った八郎は、ナタを持ってクロンボに飛びかかった。
その時、そばにいた桃子(上原以津子)は突き飛ばされて崖下に転落、そして死んだ。
伝松(山茶花究)の息子が戦死したという公報が入り、クロンボが厄病神なのだとなり、村の総意は、クロンボをぶち殺してしまえということになったが、そうと知った少年達はクロンボを逃がそうと図った。
だが、飛びこんで来た鷹野が、ナタでクロンボを殺してしまった。
それから数日して、役場の書記(戸浦六宏)が慌ててみんなに戦争が終ったことを発表した。
みんなは、もし進駐軍に知れたらとあおくなったが、鷹野の発案でなにも起らなかったことにした。
そのかための酒盛りの晩、次郎がかえって来たので、もし発覚したら次郎が犯人ということにしようとしたが、次郎は書記と争ってあやまって死んでしまった・・・。


寸評
大島渚が「日本の夜と霧」で会社を追われて製作を始めた第一作である。
配給をしている大宝映画は1961年(昭和36年)8月新東宝株式会社の倒産後、同年9月に配給部門を分社化して設立されたが、わずか4か月後の翌年1962年(昭和37年)1月には業務停止になり、制作はわずか6本で「飼育」はその中の1本である。
大島作品だけに「飼育」は見ているが、僕はその他の5本に関してはタイトルすら聞いたことがない。

時代は終戦の直前で、舞台は都会からの疎開者がいるものの同族の者でまとまったである。
そこに米軍の黒人パイロットが村人によって捕虜となったことから起きる狂ったような世界が描かれている。
東京は大空襲を受けているのに山間の村は適当にやっている変な時代であり、小さなの人間ひいては日本民族のいびつな姿が捉えられていく。
あわよくば黒人を役場に差し出して金をもらおうとする村人は、黒人をよそ者というより獣のように飼うことにする。
黒人は日本人が持つ差別意識の象徴だ。
小さな村にも存在する格差社会も描かれていて、村の権力者として三國連太郎がモヒカンみたいな頭で象徴的に登場するが、閉鎖の権力者と言う割には迫力不足だ。
山間の同族だけに、その社会の中にあるいびつな性の話も描かれているが、どこか中途半端な描かれ方で宴会で歌われる春歌も生きていない。

物足りない部分もあるのだがストーリー的に面白くなるのは、次郎が出征することになり、その祝宴の夜に次郎が幹子を犯して逃走するあたりからだ。
村人はこの恥はみな、「クロンボのせいだ」と言うようになるのだ。
クロンボのせいはその前にも畑の泥棒問題の時にも語られている。
村人は何でもクロンボのせいにして解決しだす。
次郎の弟の八郎はクロンボを殺そうとするが、関係ない娘を崖から落としてしまう。
クロンボを殺せという村人の声の中で三國が米兵を殺してしまう。
そんな時に次郎が帰って来て、村人たちは何か言われたら次郎のせいにしようとする。
何かあれば誰かのせいにしてしまう村人たちなのだ。
村人たちに対し抵抗する次郎は刺されて死んでしまうのに、次郎のなきがらに火を放ちながら次郎を殺した村人たちはしばらくできなかった秋祭りの話をする。
この一連の出来事は、何でもかんでも過去のこととして葬り去ってしまう日本社会への批判である。

日本は先の大戦の総括を行っておらず、過去の出来事として片付けられようとしている。
汚職事件などが起きると一次的にはマスコミも悪い奴らだと煽り立てるが、時が過ぎると当人たちは過去の人として葬ろうとする現実と何ら変わらない。
熱しやすく冷めやすい今の風潮を風刺しているように思える。
しかしアジテーションは前作の「日本の夜と霧」程ではなく、その代わり話は分かりやすい。
大宝映画という制作環境のせいかもしれない。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
渋谷実的ですね (FUMIO SASHIDA)
2021-03-11 08:19:15
今は、DVDが出ていますが、1960年代末には上映されない映画でした。理由はよく知りませんが、作った人が、受けなかったので、意固地になっていたのだと思います。
パレスフィルムという会社は、外国映画の日本での撮影を手配するような会社で、松竹の独立プロの窓口だった中島正幸さんが一緒になって製作したのだそうです。

私が見たのは、1966年秋に早稲田大学映画研究会がやったときで、中村征夫ちゃんが、新橋の会社から缶を一人で持って来て大隈講堂で上映しました。

内容的には、渋谷実の『気ちがい』によく似ています。
大島や田村、さらに篠田正浩らは、渋谷を大きく評価していたと思う。

大宝の他の作品も大体見ています。
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すごいですね (館長)
2021-03-12 09:17:27
FUMIO SASHIDAさんてすごいですね。
大宝映画をほとんど見ておられるなんて信じられません。
映画関係の方なのでしょうか?
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映画研究会にいましたが (FUMIO SASHIDA)
2021-03-12 11:43:30
大学時代は映画と演劇のサークルにいましたが、市役所に勤務しました。

大宝については、「シネマトライアングル」という人たちが上映会をやっていて、それで見ました。
山際永三監督の『狂熱の季節』はDVDになっています。
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つれない返事 (館長)
2021-03-13 13:50:01
地域の宴会で市長と同席になり、文化レベルを上げるために定期的な映画鑑賞会をやりましょうと持ち掛けたことがあったのですが、あまり興味を示してもらえませんでした。
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