おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

潮騒

2021-03-12 09:13:00 | 映画
「潮騒」1954年 日本


監督 谷口千吉
出演 久保明 青山京子 三船敏郎 沢村貞子
   太刀川洋一 宮桂子 上田吉二郎 高島稔
   加東大介 東野英治郎 小杉義男
   三戸部スエ 本間文子 石井伊吉 赤生昇

ストーリー
伊勢海にある歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。
久保新治(久保明)は、船に乗って働き、母(沢村貞子)と弟(高島稔)と三人暮しの家計を助けていた。
ある日夕暮の浜で、彼はふと見知らぬ少女を見かけたが、何故かその夜はいつになく寝つきが悪かった。
翌日彼が船で聞いたところによると、この少女初江(青山京子)は頑固で金持の宮田照吉(上田吉二郎)の末娘で、他所にやられていたのが、婿取りをするために呼び戻されたのだという。
その後新治は山のなかで、道に迷った初江に再び出会ったが、それは秘かなそして楽しい出会いだった。
だが暫くして、新治は島の名門の息子である川本安夫(太刀川洋一)が初江の入婿になるという噂を耳にした。
そして砂浜で初江に会った機会に、彼はこの真偽をたしかめたが、笑って否定する初江だった。
新治は我知らずその唇に触れてしまった。
こうして逢びきをしている間、ある時、砂浜で裸になった二人はそのまま熱情的に抱き合うのであった。
初江は新治の嫁になるのだと云い張ったが、それ迄はと最後の一線だけは守っていた。
一方、東京の大学に行っている燈台長の娘千代子(宮桂子)は、休みで帰省していたが、心を寄せていた新治が初江と一緒にいるところを目撃し、それを安夫に告げてしまった。
嫉妬にかられた安夫は、ある夜、初江を襲ったが、偶然とんできた蜂に妨げられて果さなかった。
照吉は新治との結婚には固く反対していた。
やがて新治と安夫は島の青年達の憧れの的である歌島丸に乗りこみ、訓練を受けることになった。
ズボラな安夫に対し、誠実な新治は、暴風雨のために切れたワイヤーを直すために命を賭して怒涛の中に飛びこんだ。
船が帰ってきたとき、この働きぶりは照吉にも知れ、二人は遂に晴れて結ばれることになったのである。


寸評
川端康成の「伊豆の踊子」、伊藤左千夫の「野菊の墓(野菊の如き君なりき)」、三島由紀夫の「潮騒」は時のアイドルスターを迎えて何度も映画化されている。
僕は森永健次郎監督の浜田光夫、吉永小百合による「潮騒」(1964)年と、西河克己監督の三浦友和、山口百恵による「潮騒」(1975年)も見ているが(他の2本は未見)、この作品が一番よい。
初江を演じた青山京子が一番役にハマっていると感じていることがその理由である。
50本以上の映画に出演した昭和を代表する女優野一人であるが、僕はこの「潮騒」が彼女の中では一番ではないかと思う。
僕は青山京子の出ている映画を何本かは見ているのだが、すぐにタイトルが思い浮かぶ作品がない。
美空ひばりと離婚していた小林旭と結婚して引退したが、僕の中では印象の薄い女優さんだった。
しかし、ここでの初江を演じる青山京子はいい。
少女の初江は、村の有力者で金持ちの宮田照吉の娘で、養女に出されていたが照吉の跡取りである一人息子が死んだために島に呼び戻された。
新治は父親を亡くしていて母と弟と暮す貧しい一家を支えている母想いの青年である。
初江が照吉の娘であると語られるだけで、金持ちの娘と言う感じには描かれてはいないが、金持ちの娘と貧しい家庭の青年というよくある身分格差の図式である。
新治の久保明もいいが、それよりも青山京子の初江が本当に島の娘らしい雰囲気を出せている。

島では初江の婿になるのが島の名門の息子である川本安夫だとの噂が流れる。
安夫は自分の家柄を鼻にかけてふるまう嫌味な男なのだが、彼が名門を笠に着ている描かれ方は希薄だ。
新治と初江とのあらぬ噂をばらまいたのも安夫なのだが、彼が噂を広めている直接的な場面もない。
安夫が初江に横恋慕し、燈台長の娘千代子は新治に恋心がある。
新治、初江、安夫、千代子の間にある若者たちの恋を巡る人間関係をもっと深く描いても良かったと思うが、谷口演出は醜い人間関係よりも青春を賛美しているような感じだ。
僕はもっと人の心に入り込んだような作品の方が好きなのだが、それでは三島が描いた瑞々しい話が台無しになってしまう。
これはこれで神話的な雰囲気を残した作品として評価して良いのだろう。
実際、舞台となっている歌島は神話に出てくるような島である。
結婚は親が許した相手としか出来ないし、人の噂さに戸は立てられないような狭い社会である。
そんな社会が風景に中に上手く溶け込んでいる。
近代化と開発が押し寄せ、この様な雰囲気を持った村落は日本の中に少なくなっていると思う。
新治は初江を思い浮かべて海に飛び込むが、その描き方は初江の力を得て事を成し遂げたように見える。
三島が記したように、初江の力ではなく新治自身の力でやり遂げたという描き方であっても良かったように思う。
照吉が言う「この村の男は金持ちも貧乏人も関係ない、この村の男に求められるのは気力だ」の言葉が生きてくるし、新治は本当にこの島の男になったのだという余韻が持てたような気がする。
それでも、この島の人たちは本当にいい人たちばかりなのだなあという誇らしい気持ちを感じられて、僕には満足感がある。