「千利休 本覺坊遺文」 1989年 日本
監督 熊井啓
出演 奥田瑛二 萬屋錦之介
上條恒彦 川野太郎
牟田悌三 内藤武敏
芦田伸介 東野英治郎
加藤剛 三船敏郎
ストーリー
千利休(三船敏郎)が太閤秀吉(芦田伸介)の命で自刃してから27年後、世の中は徳川の時代に入っている。
愛弟子だった本覺坊(奥田瑛二)は心の師と語らうのみの生活を送っていた。
ある日本覺坊は、利休がなぜ秀吉の怒りを買って死んだのか、理由を解明しようと情熱を傾ける織田有楽斎(萬屋錦之介)に会って感動を覚えた。
そして一年後、本覺坊は有楽斎に、利休の晩年山崎の妙喜庵で催された真夜中の茶会について話した。
客は秀吉と山上宗二(上條恒彦)だったが、もう一人が不明だった。
床の間には不吉な「死」の一文字が書かれた掛け軸が掛けられていた。
さらに一年後、有楽斎は残る客の一人は利休の弟子の古田織部(加藤剛)だと見抜いた。
山上宗二は、小田原城落城の際秀吉に刃向かって面前で腹を切っている。
織部も大坂夏の陣で豊臣方に内通したかどで、利休や山上宗二と共に自刃したが、実は三人とも死を誓い合っていた。
「妙喜庵での茶席は、死の盟約だった」のだと、本覺坊と有楽斎はこの解釈で納得する。
翌年有楽斎は体が弱り危篤となったが、なお利休の最期の心境を知りたがっていた。
本覺坊は夢にみた利休と秀吉の最期の茶事の光景を語り始めた。
秀吉は一時の感情で下した利休に対する切腹の命を取り消したが、利休は茶人として守らなければならない砦のために切腹すると言い切った。
本覺坊の話が利休の切腹に及ぼうとするところで、有楽斎はもうろうとした意識の中で刃を取って切腹する態度を見せ死んでいったのだった。
寸評
この映画の特異なところは女性が全く出てこないことだ。
登場しても可笑しくはない場面もあるが、秀吉の周りにも、利休の周りにも全く登場しない。
男だけの世界である。
主演の奥田瑛二も頑張ってはいるが、利休役の三船敏郎を筆頭に脇を固める人達がとにかく素晴らしい。
秀吉から切腹を命じられた利休が最後に秀吉と二人で茶室で対峙する場面では、三船が己の道を突き進む利休の強い意志を見事に演じきっており、秀吉の芦田伸介がかすんでしまう貫禄を見せる。
そして織田有楽斎を演じた萬屋錦之介も最後の映画出演を汚さない演技を見せる。
死を誓い合っていた利休、古田織部、山上宗二にあわせるように、死を悟った織田有楽斎が幻の刀で腹を切るその演技は鬼気迫るものである。
奥田瑛二が演じた本覺坊というのは実在した人物らしいが、実在していたというだけの人物に利休の弟子として利休との思い出を語らせるのは原作者井上靖の着想の妙だろう。
利休の切腹理由は諸説あるが、本覺坊は朝鮮出兵を批判したこと以外に考えられないと述べている。
大徳寺の山門に自分の木造を置いて秀吉に下をくぐらせようとして秀吉の勘気をこうむったとする有名な説は難クセとして一笑に付している。
利休の重用をねたんだ側近からの「安い茶器を高額で売りさばいて私腹を肥やしている」との讒言とか、娘を側室に差し出すのを拒んだからだという説も聞くし、実際その事を題材にした「お吟さま」という作品も存在しているが、前述のように女性は登場しないので、この説は全く登場しない。
山上宗二はむごい死に方をし、古田織部も徳川秀忠の茶道を務めながらも徳川から切腹を命じられ非業の死を遂げている人物である。
織田有楽斎は自らの死に臨んで「まるで名のある茶人はみな腹を切らねばならんようではないか。わしは切らん」と叫んでいる。
この有楽斎は信長の弟でありながら、主人を織田信忠、織田信雄、秀吉、家康、秀忠と替えて生き延びているので、はたして描かれたような剛毅な男ではなく、要領の良い男とのイメージが僕にはある。
秀吉は「意地を張らずに詫びればそれで済むのだから切腹などしなくてよいのだ」と無責任なことを言い出すが、利休はきっぱりとそれを断る。
利休は戦場で茶をふるまい、それを名残りに出陣していった多くの武将たちを死なせている。
古田織部もそうで、彼等にとっての茶道は武人の茶だったのだろう。
命を惜しむ庶民の侘茶ではなかったのかもしれない。
多くの人を死なせることで得た天下の覇権なのに、人の命を軽んじる秀吉への反抗であったような気もする。
しかし利休と秀吉の仲が険悪になってから利休から遠のいていった人が多かった中で、古田織部と共に堺に蟄居する利休を見送ったとされる細川忠興がその後何事もなく肥後細川家の初代となっているから秀吉の勘気は本気ではなく、本当に利休が詫びれば済む程度のものだったのかもしれない。
歴史に現れる男の意地は面白い。
監督 熊井啓
出演 奥田瑛二 萬屋錦之介
上條恒彦 川野太郎
牟田悌三 内藤武敏
芦田伸介 東野英治郎
加藤剛 三船敏郎
ストーリー
千利休(三船敏郎)が太閤秀吉(芦田伸介)の命で自刃してから27年後、世の中は徳川の時代に入っている。
愛弟子だった本覺坊(奥田瑛二)は心の師と語らうのみの生活を送っていた。
ある日本覺坊は、利休がなぜ秀吉の怒りを買って死んだのか、理由を解明しようと情熱を傾ける織田有楽斎(萬屋錦之介)に会って感動を覚えた。
そして一年後、本覺坊は有楽斎に、利休の晩年山崎の妙喜庵で催された真夜中の茶会について話した。
客は秀吉と山上宗二(上條恒彦)だったが、もう一人が不明だった。
床の間には不吉な「死」の一文字が書かれた掛け軸が掛けられていた。
さらに一年後、有楽斎は残る客の一人は利休の弟子の古田織部(加藤剛)だと見抜いた。
山上宗二は、小田原城落城の際秀吉に刃向かって面前で腹を切っている。
織部も大坂夏の陣で豊臣方に内通したかどで、利休や山上宗二と共に自刃したが、実は三人とも死を誓い合っていた。
「妙喜庵での茶席は、死の盟約だった」のだと、本覺坊と有楽斎はこの解釈で納得する。
翌年有楽斎は体が弱り危篤となったが、なお利休の最期の心境を知りたがっていた。
本覺坊は夢にみた利休と秀吉の最期の茶事の光景を語り始めた。
秀吉は一時の感情で下した利休に対する切腹の命を取り消したが、利休は茶人として守らなければならない砦のために切腹すると言い切った。
本覺坊の話が利休の切腹に及ぼうとするところで、有楽斎はもうろうとした意識の中で刃を取って切腹する態度を見せ死んでいったのだった。
寸評
この映画の特異なところは女性が全く出てこないことだ。
登場しても可笑しくはない場面もあるが、秀吉の周りにも、利休の周りにも全く登場しない。
男だけの世界である。
主演の奥田瑛二も頑張ってはいるが、利休役の三船敏郎を筆頭に脇を固める人達がとにかく素晴らしい。
秀吉から切腹を命じられた利休が最後に秀吉と二人で茶室で対峙する場面では、三船が己の道を突き進む利休の強い意志を見事に演じきっており、秀吉の芦田伸介がかすんでしまう貫禄を見せる。
そして織田有楽斎を演じた萬屋錦之介も最後の映画出演を汚さない演技を見せる。
死を誓い合っていた利休、古田織部、山上宗二にあわせるように、死を悟った織田有楽斎が幻の刀で腹を切るその演技は鬼気迫るものである。
奥田瑛二が演じた本覺坊というのは実在した人物らしいが、実在していたというだけの人物に利休の弟子として利休との思い出を語らせるのは原作者井上靖の着想の妙だろう。
利休の切腹理由は諸説あるが、本覺坊は朝鮮出兵を批判したこと以外に考えられないと述べている。
大徳寺の山門に自分の木造を置いて秀吉に下をくぐらせようとして秀吉の勘気をこうむったとする有名な説は難クセとして一笑に付している。
利休の重用をねたんだ側近からの「安い茶器を高額で売りさばいて私腹を肥やしている」との讒言とか、娘を側室に差し出すのを拒んだからだという説も聞くし、実際その事を題材にした「お吟さま」という作品も存在しているが、前述のように女性は登場しないので、この説は全く登場しない。
山上宗二はむごい死に方をし、古田織部も徳川秀忠の茶道を務めながらも徳川から切腹を命じられ非業の死を遂げている人物である。
織田有楽斎は自らの死に臨んで「まるで名のある茶人はみな腹を切らねばならんようではないか。わしは切らん」と叫んでいる。
この有楽斎は信長の弟でありながら、主人を織田信忠、織田信雄、秀吉、家康、秀忠と替えて生き延びているので、はたして描かれたような剛毅な男ではなく、要領の良い男とのイメージが僕にはある。
秀吉は「意地を張らずに詫びればそれで済むのだから切腹などしなくてよいのだ」と無責任なことを言い出すが、利休はきっぱりとそれを断る。
利休は戦場で茶をふるまい、それを名残りに出陣していった多くの武将たちを死なせている。
古田織部もそうで、彼等にとっての茶道は武人の茶だったのだろう。
命を惜しむ庶民の侘茶ではなかったのかもしれない。
多くの人を死なせることで得た天下の覇権なのに、人の命を軽んじる秀吉への反抗であったような気もする。
しかし利休と秀吉の仲が険悪になってから利休から遠のいていった人が多かった中で、古田織部と共に堺に蟄居する利休を見送ったとされる細川忠興がその後何事もなく肥後細川家の初代となっているから秀吉の勘気は本気ではなく、本当に利休が詫びれば済む程度のものだったのかもしれない。
歴史に現れる男の意地は面白い。