おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ハッピーアワー

2017-10-04 08:08:33 | 映画
長時間作品を前編、後編で公開する作品が見受けられるが、興行を考えて前後編に分けられているのかもしれない。
それを一回で上映した作品もある。
「ヘブンズ ストーリー」278分、「ハッピーアワー」317分などである。
今回はその「ハッピーアワー」を再見。

「ハッピーアワー」 2015年 日本

監督:濱口竜介
出演:田中幸恵 菊池葉月 三原麻衣子 川村りら
   申芳夫 三浦博之 謝花喜天 柴田修兵 出村弘美

ストーリー
神戸市で暮らす看護師のあかり(田中幸恵)、専業主婦の桜子(菊池葉月)、学芸員の芙美(三原麻衣子)、科学者の妻の純(川村りら)は、お互いに仲が良く、行動を共にすることが多い。
彼女たちは、鵜飼(柴田修兵)が開催したワークショップに参加する。
打ち上げの席上、純が離婚調停を進めていると知ったあかりは、なぜ今まで話してくれなかったのかと怒り、その場を立ち去る。
あかり、桜子、芙美、純は約束していたとおり温泉へ出かけた。
あかりと純のあいだにあったわだかまりは消えて、彼女たちは旅行を満喫するが、芙美は、夫で編集者の拓也(三浦博之)と小説家のこずえ(椎橋怜奈)が連れ立って歩いている場面を目撃してしまう。
後日、あかり、桜子、芙美は、純の夫の公平(謝花喜天)からの連絡を受けてカフェを訪れ、純の行方が分からなくなっていると聞かされ、さらに離婚を望んでいた純が裁判に敗れたこと、そして、純が公平との子を妊娠しているらしいことも、公平の口から語られる。
一方、桜子は、中学生の息子が恋人の女性を妊娠させてしまったと知らされる。
夫の良彦(申芳夫)と話し合ったのち、良彦の母のミツ(福永祥子)と共に女性の家を訪ねた桜子は、女性の両親に土下座した。
その帰り道で息子と出会った桜子は、良彦との仲を取り持ってくれたのが純であったと話す。
こずえの小説の朗読会が開催され、司会を務めていた鵜飼が途中で退席するが、純を探して朗読会に来ていた公平が司会を引き継いで、朗読会は無事に終わる。
打ち上げでは、公平、桜子、芙美、拓也、こずえのあいだで口論が起こってしまい、こずえと拓也が残された。

寸評
一つ一つのシーンが長いので上映時間317分と5時間を超える長編となっている。
冒頭でのワークショップにおける「重心を聞く」という催し物のシーンで、これがずっと続くのなら耐えれないなと思っていた僕は、そのシーンが実はじわじわと心に沁み込んでいたのだと体感することになる。
このシーンをはじめ、純が帰りのバスで旅行者と語り合うシーン、朗読会でこずえが自分の小説を朗読するシーンなど、場面場面が異様に長い。
一見無駄とも思える会話やシーンが続くのだが、知らず知らずのうちにその世界に引きずり込まれていて、映画を見ている自分ではなく、その会話の中に入っているような臨場感を覚えていく。
観客である僕が、出演者として映画に参加しているような感覚だ。
この感覚こそがこの映画の醍醐味である。

ワークショップの打ち上げ会で、あかりが述べる話は重かったし新鮮だったし考えさせられた。
「医療技術が進歩し寿命が延びて、今までだったら亡くなっていた人が生き延びている。その結果、病気を抱えて認知症になっている。その患者が徘徊、病院を脱走すれば看護師の責任になる。死亡でもすれば裁判に負けて慰謝料を要求される。そのための保険に自腹で加入している」と話すのである。
長生きするだけがいいのか、患者を看ている看護師だけが責任を負っていいのかと思う。
人は誰かと無意識のうちに触れ合っていたいものなのだろう。
子供の頃には意味もなく体を触り合っていたのにと語られる。
4人の交流は、まさにそのような本能とも思える欲求に支えられたもので憧れさえ持つ関係だ。
僕はこの打ち上げ会のシーンでも同席しているような錯覚を覚えた。

演技経験がないと言う4人の主演女性はスゴイ!
長回しもあるが、その中での自然体の演技は観客を引き付けるし、表情、会話にリアリティがあり、そのために静かな画面に迫力を感じる。
神戸が舞台とあって話される会話が関西弁であることが、関西人である僕により一層リアリティを感じさせて引き付けていたのかもしれない。
4人の性格描写が素晴らしい。
仲の良い4人の中にあるわずかな感情の違い、わだかまり、個々が抱える友人にも言えない別々の悩みなどが示され、誰か一人に感情移入してもよさそうなのだが、それぞれの立場や気持ちが伝わってきてしまい、一人に同調することはないし、挙句の果てには彼女たちを取り巻く男連中にも感情移入できてしまう。
問題が解決されたわけではなく、彼女たちに起きた変化の帰結は不明のままである。
それにも係わらず4人はまた旅行に行って、無意識に体を触れ合うことが出来る仲の良い友人として出発するのだろうと思わせるラストであった。
彼女たちの至福の時は家庭にあるのではなく、彼女たちの交流の場にあったのだと思う。
自分が生きている空間と、自分が存在している空間は違うのだと僕は感じた。
すごく新鮮な映画作りに衝撃を覚えるし、この内容で5時間を感じさせないのは驚異的だ。
まれにみる傑作である。


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