「ガントレット」 1977年 アメリカ
監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド ソンドラ・ロック
パット・ヒングル ウィリアム・プリンス
ビル・マッキーニー マイケル・キャヴァノー
キャロル・クック マーラ・コーディ
ストーリー
舞台はアメリカ、アリゾナ州。
フェニックス市警のはみ出し刑事ベン・ショックリーは、警察コミッショナーのブレイクロックから呼び出しを受け、ある裁判の証人をラスベガスから護送する任務を言い渡された。
証人の名はガス・マリー、職業は娼婦。
ラスベガス警察に捕まっていたマリーは何者かに命を狙われていると主張し、移動を頑なに拒否したが、話を信じないショックリーは彼女を強引に連れ出した。
しかし道中マフィアの襲撃に遭い、マリーの話を信じざるを得なくなった。
マリーの家に到着したショックリーはブレイクロックに電話をかけ保護を求めた。
しばらくすると、家は何台ものパトカーに包囲されてしまい、様子がおかしいと気付いたショックリーはマリーを呼ぶが彼女の姿はなく、警官隊の凄まじい発砲が始まった。
ショックリーは偶然地下の脱出通路を発見し家から逃げ出すと、出口ではマリーが待っていた。
ショックリーは彼女を連れてその場を離れ、1台のパトカーに目をつけた。
運転席にいた警官コンステーブルを銃で脅し車に乗り込んだ2人。
コンステーブルは先ほどの襲撃は本部からの命令によるものだと話した。
ショックリーは再びブレイクロックに連絡を取り、アリゾナ警察の護衛を州境に向かわせて欲しいと頼んだ。
コンステーブルの運転でショックリー達も州境へ向かう。
先ほどの襲撃について考えていたマリーは、警察に裏切り者がいる可能性を指摘し、ショックリー達は念のため州境の手前でパトカーから降りることにした。
コンステーブルがそのまま州境へパトカーを走らせると、待ち構えていたマフィアに銃撃されて死亡した。
洞窟で朝を迎えたショックリーはマリーに、デルーカという男を知っているかと尋ねた。
彼は現在アリゾナ州から告訴されていて、マリーはその裁判の証人なのだ。
寸評
ストーリーは単純明快で、ラストの壮絶な銃撃を見せつけるための映画と言ってもよい。
警察組織の腐敗を描く映画は数多くあるが、本作もその中の一本と言えなくもないが、主題はそこではない。
まず警察内部の腐敗が何なのかが語られずに話が進んでいくことがある。
不正を行っているのが誰なのかが早い段階で明かされているのも、腐敗追及を狙ってはいないと感じさせる。
警察組織の上層部が不正の張本人であることが大半だが、それでも警察コミッショナーのブレイクロックがそうだと早い段階で明かされているので、不正を行っているが誰なのかというサスペンス性はまったくない。
ブレイクロックが録音テープを聞いているシーンや、ショックリーが護送の応援をブレイクロックに頼んだマリーの家に警官隊がやって来て銃撃を加えるシーンで、張本人はブレイクロックだと決定づけられる。
それでもショックリーが気付かないのは滑稽だが、マリーに指摘されるまでもなく、ショックリーは優秀な刑事ではないのだ。
イーストウッドが主人公の刑事を演じているとなれば、ダーティ・ハリー並みの刑事を連想してしまう。
ここでは大卒の娼婦というマリーの頭脳にまったく及ばない落ちこぼれ刑事なのだ。
冒頭でショックリーのダメぶりを見せているが、それでもイーストウッドだと敏腕刑事を想像してしまうのは、この作品においてはマイナス要因となっていると思われる。
マリーが母親に電話して、娼婦となる前には秘書をやっていたことが分かる。
マリーが大卒であることも明かされていたから、彼女がショックリーに的確な指摘を行うのも分るし、状況判断におけるショックリーとマリーの逆転が愉快だ。
本作はアクションとしての面白みよりも、冴えない中年刑事と知的な娼婦のひとときのロマンスの方に比重が置かれているので、途中からの二人の関係には魅せるものがある。
ショックリーは警官コンステーブルが運転するパトカーに乗り込んで州境を目指すが、車内で交わされるコンステーブルとマリーの会話には耳をふさぎたくなる。
それだけで18歳以下禁止になりそうな内容だ。
おそらく警官のコンステーブルと警察コミッショナーのブレイクロックは同じような性癖をもった人物なのだろう。
コンステーブルはブレイクロックよりも嫌悪感を抱かせる人物だ。
兎に角、作中で行われる2回の銃撃シーンはスゴイとしか言いようがない。
マリーの家では無数の銃弾による銃撃で建物が崩壊してしまうのだ。
タイトルの“ガントレット”とは、両側にムチを持った人間を並べその間を走り抜けさせる拷問の事らしいのだが、クライマックスでショックリーが両側から無数の警官隊による銃撃を受けつつバスを走らせるシーンを指している。
あれだけ銃撃を受けながら銃弾がタイヤに当たることはなくバスが動き続けるのはおかしいではないかと思うが、この手の映画でそんなことを思うのは邪道だろう。
「ガントレット」はこのシーンを撮りたいがための作品なのだ。
僕がこの映画でホロッとさせられたのはマレーがショックリーから送られた花をケースに入れて大事に持ち歩いてるシーンで、銃撃を受けボロボロになりながらも花束を離さないマレーの健気さを表していて、イーストウッドらしい演出を感じ取れる。
後年、秀作を連発するイーストウッドだが、この頃はまだ粗削り感が残る演出に留まっていたのだなと思わせる。