おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ゆれる

2020-06-17 09:17:33 | 映画
「ゆれる」 2006年 日本


監督 西川美和
出演 オダギリジョー 香川照之 伊武雅刀
   新井浩文 真木よう子 木村祐一
   ピエール瀧 田口トモロヲ 蟹江敬三

ストーリー
東京で写真家として成功した早川猛は、母の一周忌で久しぶりに帰郷する。
母の葬儀にも立ち会わず、父・勇とも折り合いの悪い猛だが、温厚な兄の稔はそんな弟を気遣う。
稔は父とガソリンスタンドを経営しており、兄弟の幼なじみの智恵子もそこで働いていた。
智恵子と再会した猛は、その晩に彼女と関係を持った。
翌日、三人は近くにある渓谷へ向かい、智恵子は稔のいないところで猛と一緒に東京へ行くと言い出す。
智恵子の思いを受け止めかね、はぐらかそうとする猛だが、猛を追いかけて智恵子は吊り橋を渡る。
河原の草花にカメラを向けていた猛が顔を上げると、吊り橋の上で稔と智恵子が揉み合っていた。
そして智恵子は渓流へ落下する。
捜査の末に事故死と決着がついたが、ある日、理不尽な客に逆上した稔は暴力をはたらき、連行された警察署で自分が智恵子を突き落としたと告白する。
猛は東京で弁護士をしている伯父・修に弁護を依頼するが、稔はこれまでとは違う一面を見せていく。
稔は、智恵子の死に罪悪感を抱いていたために「自分が殺した」と口走ってしまったと主張。
その態度は裁判官の心証をよくし、公判は稔にとって有利に進む。
しかし、稔が朴訥に語る事件のあらましは猛の記憶とは微妙に違っていた。
後日、証人として証言台に立った猛は、稔が智恵子を突き落としたと証言する。
7年後、スタンドの従業員・洋平が猛の元を訪れ、明日、稔が出所することを伝える。
その晩、昔、父が撮影した8ミリ映写機とテープを見つけた稔は、テープに残された幼い頃の兄と自分を観る。
猛の目に涙があふれる。


寸評
冒頭の法事のシーンで、徳利から酒の雫が稔のズボンにポタポタと垂れるシーンがあって、僕はそのシーンでこの作品に引き込まれた。
稔の立場と性格をワンシーンで表現していたと思う。
走行中のセンターラインとか、船盛りの鯛の刺身の目玉とか、僕の脳裏に残るシーンが度々あったのだけれど、これは撮影の高瀬比呂志さんの功績なのか、西川監督の感性だったのだろうか、兎に角ぼくの感覚とはマッチしたシーンが多かった。

解き明かされないで観客の想像に委ねる構成は意図したものだったのだろう。
もちろん、智恵子の死は事故だったのか殺人だったのかに始まり、稔の腕の傷の原因とか、稔はバスに乗ったのだろうかとか・・・。
「疑いをもって、最後まで疑いつづけるんだ、それがお前だ!」と稔が叫ぶが、それも弟・猛が本当にそうだったのか、はたまた自分自身のことを言っていたのかも曖昧だ。
そのことで、見終わってからも「あれはどういうこと?」「あのシーンはなに?」「あっそうか、あれはきっとこうに違いない」とか、色々と考えさせてくれ、長い余韻となって残る。
あるいは見た人と、そのことを通じて会話が弾む。難解であり過ぎてもそうはならないので、これくらいの適度な表現がよい。
それがまた映画の魅力の一つでもあると思っている。

チョイワルのオダギリジョーもはまり役でいいけれど、兄の稔を演じた香川照之が抜群に良い。
最後まで本心を見せずに、揺れ動き高ぶる気持ちを押さえ、時に激情する屈折した感情を、視線や指先の動き、背中の角度に至るまで演じきっていた。
面会場での二人芝居は迫力があったなあー。
傍聴席に向かって「スミマセンでした」と言って深々と頭を下げるねじれた感情のセリフ回しにドキリとした。
智恵子を演じた真木よう子さんの目力は迫力が有り、将来を感じさせる女優さんだ。

兄弟がいない僕には実感としての感情認識はなかったけれど、稔と猛の兄弟はもちろん、一方の兄弟である父と、弁護士の叔父の精神的感情に、肉親の中にある微妙な精神構造を感じさせてくれた。

西川美和さんは監督としてはもちろんだが、話題の小説やコミックからの映画化が多い昨今にあって、これだけの作品を書き上げる脚本家としても並々ならぬ力量を感じさせてくれた。
処女作を未見で本作を見た僕にとっては次回作が楽しみな監督の登場だと思わせた作品である。
西川美和監督はその後「ディア・ドクター」、「夢売るふたり」と秀作を送り続けて、僕の期待を裏切っていない。


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