おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

スポットライト 世紀のスクープ

2021-04-20 07:01:09 | 映画
「スポットライト 世紀のスクープ」 2015年 アメリカ


監督 トム・マッカーシー
出演 マーク・ラファロ
   マイケル・キートン
   レイチェル・マクアダムス
   リーヴ・シュレイバー
   ジョン・スラッテリー
   ブライアン・ダーシー・ジェームズ

ストーリー
2001年、マサチューセッツ州ボストンの日刊紙『ボストン・グローブ』はマーティ・バロンを新編集長として迎える。
バロンは同紙の少数精鋭取材チーム「スポットライト」のウォルター・ロビンソンと会いゲーガン神父の子供への性的虐待事件をチームで調査し記事にするよう持ちかける。
チームは進行中の調査を中断し取材に取り掛かる。
当初、チームは何度も異動させられた一人の神父を追うが、次第にマサチューセッツ州でカトリック教会が性的虐待事件を隠蔽するパターンに気づく。
虐待の被害者のネットワークに接触したのち、チームは13人の神父に調査対象を広げる。
統計的には90人程度の神父が性的虐待を行っているはずだと言う指摘を受け、病休あるいは移動させられた神父を追跡して87人のリストを得る。
チームはカトリック信者の多いボストンで様々な妨害にあいながらも調査が佳境に差し掛かった9月11日にテロが起き、チームの調査はしばし棚上げされる。
枢機卿が虐待事件を知りながら無視したという公的な証拠の存在をつかみ、チームは活気づく。
ロビンソンはカトリック教会の組織的な犯罪行為を徹底的に暴くために記事の公開を遅らせる。
チームはより多くの証拠を公開するよう求めた裁判に勝ち、2002年にようやく記事を公開し始める。
記事公開の直前、ロビンソンは、1993年に性的虐待を行った20人の神父のリストを受け取りながら調査をしなかったことを告白するが、バロンはチームが今、犯罪を暴いたことを称賛する。
翌日、チームは多くの犠牲者から告白の電話を受け始める。
合衆国および世界中で聖職者による性的虐待のスキャンダルが明るみに出る。


寸評
特に著名な俳優が出ているわけではない(僕が知らないないだけかもしれないが)。
ハッとするようなドラマ性もない淡々とした映画である。
それなのに時間の経過を感じさせないトム・マッカーシーの演出力は相当なものがある。
日本は報道の自由度が世界の70何番目かで非常に低い。
スクープ記事は週刊文春におまかせといった状態で、日本の新聞記者に見せたい映画だ。
田中金脈を暴いて退陣に追い込んだのも出版社だった。
横並びで政府発表、警察発表だけを報道する日本の新聞社にこの努力はあるのかとの疑問が湧いてきた。

描かれているニュースは僕も目にした記憶があるが、キリスト教徒ではない僕はそんなに衝撃を受けなかったことも事実。
ひどいニュースだと思ったが、偽善に満ちた聖職者がそんなにもたくさんいたのか程度だったような気がする。
そもそも僕は聖職者と呼ばれる人たちに潜在的な反感を持っている。
先生、医者、宗教家などで、どうも僕はまともな人間ではなさそうだ。
寺の檀家の一員である僕だが、信心深いほうではないし、都合のいい時だけ神頼み仏頼みを行う不届き者で、お寺のおつとめや説教の会にも参加したことがない。
欧米の人にとっては教会は近い存在だと思うし、地域の教育機関の一翼も担っているのではないかと思う。
そこでの性的虐待事件の発生などは想像の外にあったし、日本の仏教界にそのような事件が存在しているとも思えないのだが、表ざたにならない事柄だけに実情は分からない。。
教会批判は欧米人にとってはタブーなのだろう。
そこに主人公たちは切り込んでいくし、この映画も切り込んでいく。
宗教問題は日本でもタブー視されている側面を感じないわけではない。
ある宗教団体を非難したばかりにラジオ番組を降板させられたキャスターもいた事実がある。
反論するパワーを持ち合わせていない皇室と違って、宗教団体は多くの信者を抱えているからその力は無視できないものがあり、政党の支持母体にもなっている。
しかしスポットライトのチームメンバーは地道な活動を通じてそのタブーに挑んでいく。
9.11の同時多発テロは世を震撼させ、彼等が追っている事件よりも優先される。
それでも彼らは諦めずに告発を成し遂げた。
禁欲生活を強いられている職種ではあるが、性的虐待が明らかになった教区の多さ、それが世界中で起きていたことには流石にあぜんとしてしまう。
本作は間違いなく地味な映画だ。
それなのにひきつけてやまないのは、記者たちの怒りや葛藤、仲間同士の絆、スクープへの情熱などが伝わってくるからである。
ドラマチックなところはないが、自分の力を100%発揮する社会人としての彼等の活動の在り方に共感する所から得られる感動があるからである。
ラストの被害者からの電話には心打たれ感動する。
派手ではないがエンタメ性も有していたと思う秀作である。


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