おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

天草四郎時貞

2023-07-24 07:47:43 | 映画
「天草四郎時貞」 1962年 日本


監督 大島渚
出演 大川橋蔵 大友柳太朗 三国連太郎 丘さとみ
   平幹二朗 毛利菊枝 佐藤慶 千秋実 戸浦六宏

ストーリー
徳川家光の治下。島原、天草のキリシタン百姓は、キリシタン禁制とその苛酷な政治下に喘いでいた。
松倉藩の代官田中宗甫(千秋実)は幕府直参多賀主水(佐藤慶)の督励を背景にキリシタン弾圧を実行。
名主与三右衛門(花澤徳衛)の息子三蔵(和崎隆太郎)の嫁、身重の梅(木内三枝子)は殺され、助けに行った三蔵は極刑に倒れ、また南蛮渡来の油絵の魅力につかれた絵師・右衛門作(三國連太郎)は、絵のために何度か信仰を裏切り、娘の菊(立川さゆり)は雑兵に犯された。
天草の救世主と仰がれるキリシタン青年、天草四郎(大川橋蔵)は、父甚平衛(佐々木孝丸)、母マルタ(毛利菊枝)、姉レシイナ(八汐路佳子)と共に隠れ家にあり、百姓と共に起ち上る日を待っていた。
四郎は武士時代の親友で、恋人桜(丘さとみ)を譲った岡新兵衛(大友柳太朗)に捕われのキリシタンとの連絡を頼んだところ、新兵衛はキリシタンではないが、武士の情けで引き受けるのだった。
一方、弾圧にたえかねた名主与三や角蔵(吉沢京夫)らは、四郎の制止をきかず、宗甫勢を襲った。
百姓方に浪人群も加わったことを知った四郎は決起を決意し、城内のキリシタンへの連絡を新兵衛に頼んだのだが、連日の拷問に苦しむ善右衛門(芦田鉄雄)が主水に新兵衛のことを告げてしまう。
新兵衛が捕えられたので、四郎は新兵衛の妻桜をかくまった。
百姓達と浪人群の総勢は島原城攻撃を開始した。
主水は新兵衛に、桜と四郎の仲に疑問を抱かせ、四郎を斬ることを条件に新兵衛を放した。
新兵衛は四郎に会って総てを了解したが、味方の銃で重傷を負ってしまう。
松倉藩は事の容易ならざるを知って幕府に急報し、幕府は早速十万の大軍を送ることになった。
その大軍が来る前に、百姓達は第二回の城攻めを行ったが、オランダの大砲の前に失敗した。
浪人群は四郎の母マルタ、姉レシイナを奪って主水に届け、交換に禄にありつこうとするが断わられた。
野望に破れた浪人群は百姓達にも見放された。
四郎は四万七千名を率い、原の古城に幕府十万の大軍を迎えようとしていた・・・。


寸評
大島渚が東映で撮った作品だが完全な失敗作。
60年安保闘争を時代劇に持ち込んでいるのだろうが、何が言いたいのかチンプンカンプンで、おまけに東映時代劇らしい天草四郎と浪人の果し合いもないし、キリシタン側と幕府側の合戦場面もないので娯楽作を期待していた観客はがっかりだろう。
キリシタン農民は言ってみれば一般大衆である。
無力な大衆を先導して武力改革を目指す戸浦六宏の浪人などは闘争指導者への疑問を呈している。
名主の花澤徳衛などは日和見の代表者のような存在で、最後には戦っても意味がないようなことを言って闘争から離脱していく人物として描かれている。
四郎は今は城に攻め込んでも無駄死にするだけで、全国のキリシタンが団結して立ち上がる時期を待つべきだと主張しているが、権力に対抗する国民運動の総決起を望むのは難しい。
路線の違いで、慎重派と強硬派の間に内部分裂が生じてくるのは集団闘争にはつきものである。

四郎には菊という恋人がいるが、菊は雑兵に犯されてしまう。
身体はきれいでも心が汚れている者もおれば、体が汚れていても心がきれいな人もいると慰めるが、その後の二人の顛末は描かれておらず、一つの挿話としてだけで描かれたエピソードとなっている。
さらに四郎の親友である新兵衛の妻となっている桜と四郎の間には愛が存在している風に思えるのに、深く追及されることはなく、四郎の二人の女性に対する気持ちはどうだったのかは想像するしかない。
大川橋蔵の天草四郎はじっと我慢するだけのような感じで、宗教に殉じた敬虔なキリシタンという感じもしない。
アジ演説を行うわけでもなく、この作品では存在感そのものがない。
それまで大川橋蔵が演じてきた美男剣士、明朗快活な青年のイメージを壊した役柄だが、壊しただけに終わってしまっている。

よく分からないのは三國連太郎の右衛門作も同様である。
元はキリシタンだったが、今は信仰を捨てて絵師となっている。
キリシタンの取り締まりを強化している代官田中宗甫の肖像画を描いている男なのだが、この男の苦悩がほとんどと言っていいぐらい上滑りな描き方に終始してしまっている。
宗教を捨て去ったことなのか、あるいは仲間を裏切ったと言う気持ちからなのか、暗い影を引きずっているのだが、僕はこの男の人物像を最後まで把握できなかった。
立場や振る舞いがよく分からないのは大友柳太朗の新兵衛も同様で、内部通報者なのだが幕府側の接し方は生ぬるいものだし、最後の行動も理解に苦しむものがある。
あの微笑みは、妻と共に磔にされた喜びからだったのだろうか。
名作を送り出してきた石堂淑朗 と大島渚のコンビによる脚本だが、安保を意識しすぎた脚本に問題があったのかもしれない。
期待を裏切った究極はラストシーンで、僕などは「ええ、ここで終わるの?」という印象を持った。
大川橋蔵、大友柳太朗はミスキャストだったように思う。


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