おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

肉体の悪魔

2021-08-12 06:30:19 | 映画
「肉体の悪魔」 1947年 フランス


監督 クロード・オータン=ララ
出演 ジェラール・フィリップ
   ミシュリーヌ・プレール
   ジャン・ヴァラス
   ジャン・ドビュクール
   ドニーズ・グレイ
   ガブリエル・フォンタン

ストーリー
1918年11月11日。大戦の終結でパリ中に教会の鐘が響き渡り人々が喜び騒ぐうち、一人哀しみに沈む少年フランソワ(G・フィリップ)がとあるアパルトマンから出てきた葬列を遠まきに忍んでいた。
そして、その建物の中の部屋に入って、鏡を見入っての回想が始まる。
戦時中、彼の学校は病院となって、そこへ篤志看護婦としてやって来たマルト(ミシュリーヌ・プレール)は、負傷兵の傷を見て失神し、これを介抱したのがフランソワだった。
彼女は出征兵ラコンブ軍曹(ジャン・ララ)と婚約中だったが、フランソワの強気な情熱に惹かれて動揺した。
マルトの母はその関係に勘づき牽制し、フランソワの父もマルトの手紙でそれを知って夏休みを田舎で過ごさせている間に、マルトはラコンブと結婚した。
半年後、再び学校でめぐり合った二人は再び燃上り、彼女は人の妻であることを忘れた。
マルトが少年の子を宿したので、すべてを戦線の夫に知らせようというフランソワと、それを良しとしないマルトの意見が食違いながらも、二人は肉体の魔にひきずられつづけたが、この恋が戦争の終結と共に断ち切られなければならぬという想いは同じであった。
生まれくる子はラコンブのものにすべしとの親たちの考えに運命は苛酷だった。。
別れの宴を過した二人は、はじめてデートしたカフェに出かけ、ここで終戦の国歌を聞かねばならなかった。
マルトは力つきて倒れ、駆付けた母によってフランソワは引離されてしまった。
赤ん坊を産み落とすと同時に何も知らない凱旋した夫に手をとられつつ息絶えるマルト。
最後に叫んだ少年の名はそのまま、新生児の名前とされるのだった……。


寸評
男子高校生と10歳以上も年上の軍人の人妻の不倫映画で、当時はセンセーショナルな内容だったのかもしれないが、今となればストーリー性に意外性のないありふれた不倫映画のように思える。
設定された状況はドラマチックなものだが、17歳の高校生にしてはジェラール・フィリップは歳を取り過ぎていて高校生には見えず、10歳以上も年上のはずのミシュリーヌ・プレールは若すぎる感じがして、年齢を超えた愛ということが僕には上手く伝わってこないのが残念だ。
それもそのはずで、この時ジェラール・フィリップは25歳ぐらいで、ミシュリーヌ・プレールは同い年だったのだ。
しかし、露骨なラブシーンなんか無くても充分に官能的で愛し合っている2人を描きだしていくのはこの頃の映画の描き方でもあり、ベッドシーンなんかなくても十分に表現できるのだと思わせてくれる演出は素晴らしい。
雨に濡れたフランソワを暖かく包み込むマルトは年上の女性を感じさせロマンチックなシーンとなっている。
約束の待ち合わせの場所でフランソワを1人で待っているマルトのシーンも非常に印象的だ。

息子の不倫の恋愛を肯定しているような父親の存在がユニークだ。
息子への手紙を盗み見して「マルトは本当はお前を愛しているんだろ」などと言ってフランソワを待ち合わせ場所に連れ出し、マルトとの恋愛を叶えさせようとしている。
父親は時に怒鳴りつけたりもするが、「困ったことがあれば相談しろよ」とアドバイスしたり、フランソワを問い詰めるようなことがあっても「お前が話してくれる時まで待っている」と物分かりの良いところを見せる。
家族には帳簿の検算ばかりしている無能な父親と思われているが、息子の責任は自分が取るという父親像を見せる立派な親父だ。

フランソワは積極的に婚約者のいる年上の女性に迫る17歳の高校生だが、同時に子供の頼りなさを見せる。
桟橋で待つマルトを橋の上から見つめるだけで、父親の後押しがあるにもかかわらず飛び出すことが出来ない。
そのくせ、夏休み明けには再びマルトの家に駆けつけ強引に迫りながらも腰の引けたところがある。
マルトの夫となったラコンブと対決する強がりを見せるが、いざとなれば喉がカラカラとなってしまう弱さがある。
若者特有の情熱を持ち合わせているが、すべてを乗り越えていくたくましさが感じられないのも若さなのだろう。
最初はフランソワが積極的だが、やがてマルトの方がフランソワに入れ込んでいく。
戦争による異様な高揚感と非日常感に浮かされる日々を送っている子供と女は、時代の空気に押されて刹那的な情事をひたすら繰りかえす。
歳をとってきたマルトが若い肉体に溺れていくと言った状況なのだが、若い二人の結ばれぬ恋に見えてしまうのは前述の要因による。
戦争が終わると夫が帰ってくることによる、戦争の終わりが恋愛の終りという悲恋なので、終戦が明日への希望を感じさせるものとはなっていないラストシーンである。
教会の使用人は「終戦後初めての葬式で、これからは女性が死ぬ番だ」などと言う。
母親によって引き裂かれたマルトは瀕死の状態で「フランソワ」と彼の名を呼び、それがフラソワと勘違いしたのか夫の手を握りしめる。
母親はずる賢く「あなたの息子の名前だ」と告げる。
この母親の恐ろしさを感じる実に残酷なシーンで、この物語の一番の衝撃となっている。


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