おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

荷車の歌

2021-08-13 05:49:49 | 映画
「荷車の歌」 1959年 日本


監督 山本薩夫
出演 望月優子 三国連太郎 左幸子
   水戸光子 左時枝 西村晃

ストーリー
明治二十七年--広島県の山奥の村。
地主(小沢栄太郎)の屋敷に奉公するセキ(望月優子)は、郵便配達夫の茂市(三國連太郎)に求婚された。
茂市は、一銭も月給の上らない配達夫を止めて、荷車ひきになると言った。
茂市に好意を感じていたセキは、勘当の身となりながらも嫁いだ。
二人は、一台ずつ荷車を引いては、車問屋になる日を胸に描きながら往復十里の道を町へ通った。
姑(岸輝子)はセキに冷たく、茂市の弁当箱には米の飯をつめ、セキの弁当には粟飯をつめるような人だった。
セキはやがてオト代を生み、オト代(左民子)は気性の勝った娘に育った。
祖母の荒い仕打ちに逆い、いびられ通しのオト代はコムラ夫婦(奈良岡朋子)に貰われていき、村を去った。
セキは次々と子供を生んだ。
姑が病気で倒れると、セキは心の底から看病をし、姑も、涙をこぼしセキの手を取って死んでいった。
やがて、茂市とセキは、車問屋を始めることが出来た。
が、間もなく鉄道が通じ、山奥の村からは荷馬車が荷を運ぶようになり、手車は時代の波に取り残された。
子供たちはそれぞれ一本立ちするようになった。
オト代(左幸子)と次女のトメ子(小笠原慶子)は結婚し、長男の虎男(塚本信夫)は鉄道の機関手、末っ子の三郎(矢野宣)は電車の運転手になった。
セキの上にも幸福な日が訪れたかに見えたのだが、茂市には隠し女があった。
茂市は、オヒナ(浦辺粂子)というその女を家に連れこんでしまった。
大東亜戦争が起こり、虎男も三郎も召集された。
そして戦争は終ったが、三郎は戦死し、茂市は泥田の中でセキの手を取り感謝しながら死んだ。


寸評
僕の実家は田舎の百姓家で、母は離婚して叔父夫婦が守る家で同居していた。
さすがに叔父に妾などはいなかったが、封建制の名残があって映画で描かれたような社会の雰囲気はあった。
結婚は家の思想に基づく家と家との結びつきが強く、嫁は農家の働き手であり、家事全般を司る女中でもあり、親の面倒を見る介護士でもあった。
祖母は茂市の母親のようなイジメを行っていなかったが、義理の伯母は祖母や小姑である僕の母には随分気を使っていることが子供の目にも顕著であった。
オト代は子供のいないコムラ夫婦に貰われていく。
今では滅多にいないと思うが、親しい人に貰われていく子は結構いたのだ。
僕の家は茂市の家程貧しくはなかったが、それでも藁でコモやムシロを編んだりしていて僕も手伝っていた。
セキが使っている墨俵を編む道具になつかしさを感じる。
この映画は農村婦人のカンパによって制作されたらしいが、カンパした農村婦人には思い当たる出来事が一つや二つはあっただろうと思われる出来事が描かれていく。
観客となった身に覚えのある農村婦人たちからは、すすり泣きが度々漏れただろうと想像される。

茂市とセキは車曳きの仕事を始め、その苦労は見ていても伝わってくるが、当時の農家の状況も多かれ少なかれ似たようなものだった。
後年に土地成金が誕生するなどとは想像も出来なかった。
セキの望月優子は農村の女そのもので、多くの農村婦人はその姿に自分を見ただろう。
彼女の苦労は自分の苦労と感じて同化したに違いないと思う。
茂市はセキをかばいながらも母親に逆らえない、正に嫁姑問題の板挟みで同情も寄せたくなる存在から、妾を同居させるなど身勝手な男に変身していく。
妾のヒナを演じた浦辺粂子も嫌われ役を好演である。
その間に見せる三國連太郎の老け振りはすごいなあと感心する。
本当に老人になり切っていく。

セツはナツノさん(水戸光子)からアドバイスを受け、姑への接し方を変えて懸命に看病に当たる。
姑も態度を変えて感謝を述べながら死んでいく。
僕にも嫁姑問題があって、お世辞にも上手くいっていたとは思えないが、映画と同様に妻は母を看病し、母は妻に感謝を述べて死んでいった。
プライドの高かった母で、自分の好印象の為に感謝を述べたのかもしれないが、そうだとしても母のプライドは保たれただろうし、妻の気持ちも救われた事だけは確かだ。
そんな風に思うのは、僕が母に対して冷たい息子であった為かもしれない。
セツは恨みのあったヒナも許す気になって、子供たちが反対する夫の遺影のある仏壇へのお参りを許す。
セツは荷車に孫たちを大勢乗せて若い頃のように曳く。
虎男が復員してきてセキが駆け寄り、虎男の妻と子供たちが駆け寄る姿を見て、やっと救われたような気持になったのだが、ちょっとお涙頂戴過ぎた作品のようにも思う。


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