おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

博士の愛した数式

2017-12-11 09:46:41 | 映画
数学の映画を邦画で思いつくのはこれかな。

「博士の愛した数式」 2005年 日本


監督 小泉堯史
出演 寺尾聰 深津絵里 齋藤隆成
   吉岡秀隆 浅丘ルリ子

ストーリー
新学期。生徒たちから“ルート”と呼ばれている若い数学教師(吉岡秀隆)は、最初の授業で何故自分にルートというあだ名がついたのか語り始めた。
それは、彼がまだ10歳の頃――。
彼の母親杏子(深津絵里)は、女手ひとつで彼を育てながら、家政婦として働いていた。
ある日、彼女は交通事故で記憶が80分しか保てなくなった元大学の数学博士(寺尾聰)の家に雇われる。
杏子は最初に博士の義姉(浅岡ルリ子)から説明を受け、博士が住む離れの問題を母屋に持ち込まないようクギを刺される。
80分で記憶の消えてしまう博士にとって、彼女は常に初対面の家政婦だった。
しかし、数学談義を通してのコミュニケーションは、彼女にとっても驚きと発見の連続。
やがて、博士の提案で家政婦の息子も博士の家を訪れるようになる。
頭のてっぺんが平らだったことから、ルートと名付けられた息子は、すぐに博士と打ち解けた。
ルートは、博士が大の阪神ファンで、高校時代には野球をしていたことを知って、自分の野球チームの試合に来て欲しいとお願いした。
炎天下での観戦がいけなかったのか、その夜、博士は熱を出して寝込んでしまった。
博士を心配し、泊り込んで看病する母子。
ところが、そのことで母屋に住む博士の後見人で、事故当時、不倫関係にあった未亡人の義姉からクレームがつき、彼女は解雇を申し渡され他の家へ転属になる。
だが数日後、誤解の解けた家政婦は復職が叶い、再び博士の家を訪れるようになったルートも、いつしか数学教師になることを夢見るようになるのであった。

寸評
28=1+2+4+7+14
1+2+3+4+5+6+7=28
28は30個ほどしか見つかっていない、自身の約数を全部足すと自身になる完全数の一つで、阪神タイガースのエース・江夏豊の背番号だと言うのがいい。
11は素数で美しい素数で村山の背番号だと言うのもいい。
野球の応援に行った博士が、16番の背番号を見て、岡田と言わずに三宅と言うのもいい。
博士とルートと同じ阪神タイガースのファンである僕は、そんなセリフがあるだけで満足してしまう。
素数、完全数、友愛数、階乗など、難しいことも博士がやさしく語ってくれる。
しかも、大人になって数学の教師になった少年が、生徒たちに語るという物語の設定なので、なおさらわかりやすくなっていた。
吉岡秀隆君は数学の先生らしくなかったけど、だけどハマリ役だった。
僕は数学は(も)苦手だったけど、こんな先生だったらもっと数学が好きになっていたかも知れない。

80分しか記憶がもたないことのトラブルが描かれていないから、その苦悩や苦労がイマイチ伝わってこなかった。
靴のサイズを毎回聞いたり、子供がいることを何度も知らされたりするけれど、それはトラブルのうちには入らない出来事だと思う。
記憶がなくなるだけなのだから、瞬間、瞬間においてはもっと鋭敏であってもおかしくないのにと思って見ていた。
過去の記憶をなくすということは、今をより以上に生き切っている筈だから、もう少しそんな場面があってもいいのにという感覚で、ちょっと戸惑う全体なのだけれど、しかしなぜなのかなあ・・・。
ラストシーンの博士とルートが海岸でキャッチボールをしていて、それを未亡人と家政婦の母親が眺めているシーンでとめどなく涙が流れ出した。
悲しいシーンでもなかったし、特別感動するシーンでもなかったと思うが、でもやはり全てを包み込んでしまった感動的シーンだったからなのかなあ・・・。
なぜだか僕の感性がピタリとはまってしまった。
だから映画館の場内灯が付き始めたときには、矛盾点というか省略されているというか、有っても良いシーンの欠如のことなんか吹っ飛んでいた。

すぐに記憶を失ってしまう博士、そして彼の奇行の数々に、観ていて自然に笑ってしまう。
感動、涙、悲しみ、ユーモアなどがバランスよく描かれていて、押し付けがましいところがないのは小泉監督の作風なのかもしれない。
寺尾聡はこんな役をやらせると天下一品の演技をする。
最も注目したのは深津絵里の内面からにじみ出るような自然な演技だ。
そんなに華のある女優さんではないだけに、よけいに演技の深みが感じられた。
彼女の明るさ、温かさがこの映画のポイントだったのかもしれない。
海辺のシーンの音楽も、満開の桜の下のシーンも印象的ですごくよかった。
兎に角、心癒される映画だったことだけは確かだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿