おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

オッペンハイマー

2024-05-03 06:54:13 | 映画
「オッペンハイマー」 2023年 アメリカ


監督 クリストファー・ノーラン
出演 キリアン・マーフィ エミリー・ブラント マット・デイモン
   ロバート・ダウニー・Jr フローレンス・ピュー
   ジョシュ・ハートネット ケイシー・アフレック
   ラミ・マレック ケネス・ブラナー ディラン・アーノルド
   トム・コンティ ゲイリー・オールドマン

ストーリー
1926年、ハーバード大学を最優秀の成績で卒業したオッペンハイマーは、イギリスのケンブリッジ大学に留学するが、そこでの環境や実験物理学に嫌気が差して、ドイツのゲッティンゲン大学に留学する。
留学先で出会ったニールス・ボーアやヴェルナー・ハイゼンベルクの影響から理論物理学の道を歩み始める。
1929年に博士号を取得した彼はアメリカに戻り、若く優秀な科学者としてカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を取っていた。
オッペンハイマーは自身の研究や活動を通して核分裂を応用した原子爆弾実現の可能性を感じており、1938年にはナチス・ドイツで核分裂が発見されるなど原爆開発は時間の問題と考えていた。
第二次世界大戦が中盤に差し掛かった1942年10月、オッペンハイマーはアメリカ軍のレズリー・グローヴス准将から呼び出しを受ける。
ナチス・ドイツの勢いに焦りを感じたグローヴスは原爆を開発・製造するための極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を立ち上げ、優秀な科学者と聞きつけたオッペンハイマーを原爆開発チームのリーダーに抜擢した。
1943年、オッペンハイマーはニューメキシコ州にロスアラモス国立研究所を設立して所長に就任、全米各地の優秀な科学者やヨーロッパから亡命してきたユダヤ人科学者たちとその家族数千人をロスアラモスに移住させて本格的な原爆開発に着手する。
ユダヤ人でもある彼は何としてもナチス・ドイツより先に原爆を完成させる必要があった。
一方で原爆開発に成功しても各国間の開発競争や更に強力な水素爆弾の登場を危惧していた。
1945年5月8日にナチス・ドイツが降伏したので原爆開発の継続を疑問視する科学者もいたが、日本に目標を切り替えて開発を続けてゆく。
1945年7月16日、人類史上初の核実験「トリニティ」を成功させた。
実験成功を喜ぶ科学者や政治家、軍関係者たちを見たオッペンハイマーは成功に安堵する反面、言い知れぬ不安を感じる。
原爆完成を受けてトルーマン大統領は日本を無条件降伏に追い込み、ヨーロッパで影響力を強めるソ連に対する牽制として広島と長崎へ原爆を投下した。
戦後オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれ、多くのアメリカ兵を救った英雄として賞賛されることに困惑、降伏間近だった日本への原爆投下によって多くの犠牲者が出た事実を知って深く苦悩していた。
1949年、事前の予想より早くソ連が原爆開発に成功、衝撃を受けたアメリカでは水爆など核兵器の推進が盛んに議論される事態となった。
当時、アメリカ原子力委員会の顧問だったオッペンハイマーはソ連との核開発競争を危惧して水爆開発に反対する。
トルーマン大統領に国際的な核兵器管理機関の創設を提案したが、大統領は彼の姿勢を弱腰と決めつけ提案を無視した。
その行動が核兵器推進派の科学者や政治家との対立に繋がり、彼のその後の人生を暗転させてゆく。


寸評
第二次大戦中に原子爆弾の開発は各国で行われていた。
米国は無論だし、ドイツ、ソ連も同様で、日本だって開発に着手していたのだ。
完成間近だったヒトラーのナチス・ドイツが完成前に降伏したのは幸いだったと思う。
作品は原爆の父と称されるオッペンハイマーの伝記映画だが、果たしてどこまで真実が描かれていたのだろう。
僕のオッペンハイマーに対する知識は知れたものだが、僕はオッペンハイマーには功名心や出世競争への執着もあったのではないかと思っている。
誤認かもしれないがオッペンハイマーはドイツで学び、アメリカに渡った時には名声を得ていた学者が既に存在していたのだが、マンハッタン計画では責任者に選ばれ、彼の先を越すことになった。
しかしその後、水爆開発でとってかわられ、彼がその道の責任者になりオッペンハイマーは追い落とされたと認識していた。
映画を見ながら、ドイツで師事したのがハイゼンベルクで、アメリカでのライバルがエドワード・テラーだったと知識を刷り込んでいた。
ユダヤ人のオッペンハイマーはドイツよりも先んじねばならないと言う使命感もあったと思うが、同時にハイゼンベルクに負けたくないと言う思いもあったのではないか。
そしてマンハッタン計画ではライバルに勝ったという満足感も得ていたのではないかと、僕は勝手に思っているのだが、そのようなことは描かれていなかったので、それは僕の妄想なのかもしれない。

時間が前後して描かれているし、やたら人物が登場して会話劇の様相を呈しているので難解に思える。
それを解消するためにカラーとモノトーンを使い分けているのだが、切り替えは時間軸によるものだったと思う。
原爆開発の功罪と開発者の苦悩が描かれているが、日本人僕は開発成功を喜ぶ姿や、投下場所を選定するところなど、やはり嫌悪感が湧いてくる。
オッペンハイマー自身に起きたことではないから省略されたのだろうが、原爆の被害が語られるだけでは納得がいかない。
広島、長崎の被害がどのようなものであったのかを未だに知らないアメリカ人も多いのではないか。
報告を聞いて落ち込むオッペンハイマーを映しているが、記録フィルムを見てとした方が良かったように思う。

開発メンバーの1人であるテラーが1回の核爆発で大気中の原子に連鎖反応が起きて大爆発になってしまうという核の連鎖反応の理論を提唱する。
それに対し、オッペンハイマーは連鎖反応の起きる確率はほとんど0に近いと判断する。
ラストでオッペンハイマーがアインシュタインに「核の連鎖反応は、成功したと思います」と告げるのだが、これは各国の核開発競争が起きたと言う意味で、自分が否定した核の連鎖反応は正しかったのだと言っているのだ。
そうなってしまった以上、日本の進むべき道、立場はこれでいいのかと思ってしまう。