おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

山河あり

2024-05-19 07:05:47 | 映画
「山河あり」 1962年 日本


監督 松山善三
出演 田村高廣 高峰秀子 早川保 ミッキー・カーティス
   加藤嘉 三井弘次 清水将夫 河野秋武 小林桂樹
   久我美子 石浜朗 桑野みゆき

ストーリー
大正七年。日本人移民の一団がハワイへやって来た。
その中には、井上義雄(田村高廣)ときしの(高峰秀子)夫婦やこれから嫁入りしようとする少女すみ(久我美子)がいた。
そして十年、人々の努力は報いられ、井上は日本語学校の教師に、妻は小さな食料店主になっていた。
またすみは郷田(小林桂樹)と結婚しクリーニング店を経営。
今では、井上家には春男(早川保)と明(ミッキー・カーティス)、郷田家には一郎(石浜朗)とさくら(桑野みゆき)とそれぞれ子供があった。
そしてまた七年--。さくらと明はハイスクールを卒業した。
一方故国日本は、満州事変、日中戦争、国際連盟脱退と次第に戦争への道を歩いていた。
この雲行きを心配する一世たちに対して、二世の子供たちは一向に無関心だった。
そんな時、井上は心臓麻痺であっけなく死んだ。
きしのは、次男の明を伴って夫の遺骨と共に日本へ向った。
世界情勢はますます悪化し、昭和十六年、ついに日本海軍の真珠湾奇襲が行なわれた。
同じ頃ハワイでは、二世たちが、二世部隊として出陣した。
母を日本軍に射殺された一郎、そしてさくらの恋人春男も志願し、442部隊として出動した。
砲火のイタリア戦線で戦う春男と一郎。
やがて戦争は末期症状をみせ、一方日本では、明がアメリカ人として収容所にとらわれていた。
冷たい壁の中の生活に胸をやられた明は、物置の隅に住むきしののもとへ帰された。
母子の寒さにふるえる生活は続き、やがて明はボロ切れのように死んでいった。
そして戦争は終ったのだが・・・。


寸評
大正時代にハワイへ移民として渡った人々の苦難の人生を描いているが、中でも太平洋戦争時に日本とアメリカの板挟みに苦しむ姿が痛ましい。
しかし彼らの苦労や痛ましさがストレートに伝わってこないのはなぜだろう。
移民として外国に渡った人々の苦労は想像するに難くないし、彼らが過酷な農作業に従事する姿も描かれているのだが、その底辺の生活から抜け出す過程が全く描かれていないので彼らの苦難も中途半端な印象になってしまっている。
移民として渡る大正時代から、満州事変、三国同盟、太平洋戦争、終戦と続く時代の中での彼らに起きる出来事をダイジェスト的に描いていくので、それぞれが希薄なものになってしまっている。
映画は総合芸術として色々な要素があるが、何よりも重要なのはその特徴である映像表現であろう。
この映画ではその部分を会話と文字に置き換えてしまっていることが致命傷となっている気がしてならない。
深読みすると、松山善三は脚本家であって名監督ではないということだったのかもしれない。
制作された1962年と言えば、まだまだ海外旅行は庶民にとって高根の花だった時代で、どこか海外ロケを通じて夢のハワイを描いているようにも感じてしまう。
何よりも内容にそぐわないハワイアン音楽がそう思わせてミスマッチを引き起こしている。

メインは真珠湾攻撃によって日本とアメリカの板挟みになるハワイ移民たちの苦悩である。
田村高廣や小林桂樹は日本人意識が抜けきらない移民一世だ。
それ以前にハワイに渡っていた三井弘次のような移民一世もいただろうが、彼らがハワイにおける日本人社会を築いていったのだろう。
彼らの子供であり移民二世である早川保、石浜朗、桑野みゆき、ミッキー・カーティスたちはアメリカ国籍を取得しているアメリカ人で日本を知らない。
故国を思う親たちとの意識ギャップが描かれるけれど、ミスキャストなのは田村高廣と高峰秀子の子供であるミッキー・カーティスだ。
田村高廣、高峰秀子夫婦からミッキー・カーティスが生まれるのはどう考えても違和感がある。
子供たちはアメリカ人であることを意識させるためのキャスティングだったのだろうか。
日系人部隊が編成されて彼らが一番奮戦したとも聞くが、それはアメリカで自分たちが認めてもらうためには戦場で活躍しないといけないという使命感があったのだろう。
そういった二世たちの感情も中途半端な描き方となってしまっている。

高峰秀子はミッキー・カーティスと日本に帰り親戚の家に世話になるが、戦争が始まれば厄介者である。
迷惑がる一家の中で桂小金治だけが親切にしてくれる。
彼の行動は正義感から来たものなのか、あるいは高峰秀子への思慕の気持ちから来たものだったのだろうか。
後者であった方が面白かったのにと思ったりする。
いづれにしてもすべてが中途半端で、内容の割には物足りなさを感じてしまう作品となっている。
松山、高峰のおしどり夫婦による作品だが、松山善三としては失敗作に入るのではなかろうか。