おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

影の軍隊

2024-05-05 07:07:06 | 映画
「影の軍隊」 1969年 フランス


監督 ジャン=ピエール・メルヴィル
出演 リノ・ヴァンチュラ シモーヌ・シニョレ
   ジャン=ピエール・カッセル ポール・ムーリス

ストーリー
フィリップ・ジェルビエは、ある日、独軍に逮捕され、キャンプに入れられてしまった。
そして数ヵ月後、突然、ゲシュタポ本部へ連行されることになった。
だが、一瞬のすきをみて、そこを脱出した彼は、その後、抵抗運動に身を投じることとなった。
そうしたある日、彼はマルセイユに行き、フェリックス、ル・ビゾン、ルマスク等と一緒に裏切り者の同志ドゥナの処刑に立ちあった。
その後に、彼は、ジャン・フランソワに会った。
ジャンの仕事は、名高いパリの女闘士マチルドに、通信機をとどけることだった。
彼はそのついでに、学者である兄のリュック・ジャルディを訪ねたが、芸術家肌の兄を心よくは思わなかった。
一方、新任務のためリヨンに潜入したジェルビエのところへやって来たのは、意外にもジャンの兄のジャルディだった。
やがて無事、その任務を果したジェルビエのところへフェリックス逮捕さる、の報が伝えられた。
さっそく、救出作戦を展開したが、ジャンの犠牲も空しく、失敗に終ってしまった。
ジェルビエが再び逮捕されたのは、それから間もなくであった。
独軍の残虐な処刑に、もはや最後と思っていた彼を救ったのは、知略にすぐれたマチルドであった。
それからしばらくたった頃、隠れ家で休養をとっていたジェルビエを、ジャルディが訪ねて来た。
彼の来訪の目的はマチルドが逮捕されたことを告げるためと、口を割りそうな彼女を射殺するということだった。
現在、仮出所中の彼女も、それを望んでいる、と彼は伝えた。
ある日、エトワール広場を一人歩く彼女に、弾丸をあびせたのは、彼女を尊敬するジャルディ、ジェルビエ、ル・ビゾン、ルマスク等仲間たちだった。
しかし、遅かれ早かれ、彼等の上にも、同じような運命が待ち受けているのだった。


寸評
レジスタンスを描いた作品だが、登場人物たちが独軍を混乱に陥れるとか、設備の破壊活動を行うとかするという彼等の活躍シーンがあるわけではない。
かろうじて描かれているのはドーバー海峡を行き来する人々の手助けをしているシーンぐらいである。
この映画で描かれているのはレジスタンス達がコソコソ逃げ回る姿であり、捕まって拷問を受ける姿である。
たまに脱獄を手伝って成功させるシーンがあるものの暗い気分になる映画で、その重い気持ちはレジスタンス内における鉄の規律と、組織内の裏切り者を粛清していく様子によってもたらされている。
その感情を増幅させるのが暗いトーンの映像である。
映画にできるだけ自然採光を持ち込もうとしているせいでもあるのだが、かれらの置かれた立場を示す色調だ。
ナチス・ドイツを相手とするレジスタンス映画では、ナチス・ドイツは悪でレジスタンス側は善という決まり切った構図が通常の描き方だ。
しかしここではレジスタンス側にも悪の部分があったのではないかと思わせるし、悪の部分を生み出してしまうのが戦争なのだと思わせる。

彼等の粛清は、近藤・土方が率いた新選組が、敵を殺した人数よりも、厳しい規律で隊士を粛正によって殺した人数の方が多かったということを思い浮かばせた。
ジェルビエは裏切り者のドゥナという若者の処刑に立ち合う。
隠れ家に連行されるドゥナは暴れるでもなく、行きかう人に助けを求めることもしない。
処刑場所となった隠れ家の隣の家の人に気付かれてもいけないので音を立てることもできないのだが、そこでもドゥナは諦めているのか抵抗するわけでもなく大声を出すこともしない。
銃が使えないのでナイフを探すが、ナイフどころか包丁もない。
しかたなく台所のフキンを使って絞殺するのだが、彼等の非常さを示す残酷なシーンとなっている。
ドゥナは仲間を裏切ったのだろうが、そうせざるを得なかった事情は描かれていない。
彼の無抵抗は、やむを得ず裏切った彼の覚悟でもあったと思うのだが、ここでのドゥナの描き方は最後のマルチドの描き方に引き継がれていて、当人の苦悩を想像させるものとなっている。
連合軍によってパリが解放される直前の話だと思うが、マルチドに続き、闇の部分を持ったボスのシャルディやジェルビエ達が夢見たパリ解放を知らずに散っていったことが示される。
彼等の戦いとは何だったのだろう。

フランスを離れるべきだと忠告するマルチドにジェルビエは「色んなレジスタンス組織をまとめるのが自分の役目で、離れるわけにはいかない」と告げる。
マルチドは「あなたがいなくなれば誰かがやる」と言って立ち去るのだが、それは僕の社会人時代に目の当たりにしたことでもある。
これは自分にしかできないと思っているのは自分だけで、必要なことならその仕事は誰かが立派に引き継いでいたし、必要でなかった仕事は誰もやらなくなっていたのだ。
彼等の仕事は必要なことだったのだろうが、善とされる勝者の側にも表に出ない悪があったのだと言っているようであり、レジスタンスの活躍ばかりを見せられてきた僕には新鮮に映る作品となっている。