おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

15時17分、パリ行き

2024-05-20 08:25:56 | 映画
「15時17分、パリ行き」 2018年 アメリカ


監督 クリント・イーストウッド
出演 アンソニー・サドラー  アレク・スカラトス スペンサー・ストーン
   ジェナ・フィッシャー ジュディ・グリア レイ・コラサーニ
   P・J・バーン トニー・ヘイル

ストーリー
2015年8月21日。アムステルダムからパリに向けて幼なじみの若者アンソニー、アレク、スペンサーの3人が乗った高速列車タリスが発車。
列車は順調に走行を続け、やがてフランス国内へ。
ところが、そこで事件が発生する。
乗客に紛れ込んでいたイスラム過激派の男が、自動小銃を発砲したのだ。
突然の事態に怯え、混乱をきたす500名以上の乗客たち。
その時、米空軍兵のスペンサー・ストーンとオレゴン州兵のアレク・スカラトス、そして2人の友人のアンソニー・サドラーは男を取り押さえ、大惨事を防ぐことに成功する。
なぜ彼らは、死の恐怖に直面しながらも、困難な事態に立ち向かうことができたのか……?


寸評
予告編では、列車でテロ事件が発生し、乗り合わせた若者3人がそれに立ち向かう姿が描かれていた。
列車テロを描いたサスペンス映画かと想像していたら全く違った内容だ。
テロをネタにした作品としては全くの異色作品である。
サスペンス映画というより青春ロードムービー、あるいは清酒グラフィティの感じがする内容なのだ。
前半はアンソニー、アレク、スペンサーという3人の成長ドラマが描かれる。
少年時代の三人は落ちこぼれの問題児だ。
授業に集中しないし、問題を起こしては母親と共に校長室に呼ばれ注意を受けている。
おもちゃの銃器に夢中になってサバイバルゲームに興じながらも友情だけははぐくんでいる。
イタズラもやるし、落ちこぼれとはいえ何処にでもいる普通の子供と言える。

成人したスペンサーは戦争で人を救いたいとレスキュー部隊を志願するが、必死で努力したのに検査ではねられ違うところに配属されてしまうから、そこでも彼は落ちこぼれということになる。
オレゴン州兵のアレクはアフガンに派遣されたものの、すでにそこは戦場ではなくなっていて、華々しい活躍などできるわけがない。
つまり彼等は子どもの頃から挫折だらけの人生を送ってきたのだが、それでも非行に走ることなく真面目な思いだけは持ち続けて生きてきたごく普通の青年たちなのだ。
実はこの普通の青年たちということが大きなファクターであったことがラストで証明される。
彼らが普通の若者であることを強調するかのように、3人のヨーロッパ旅行が描かれる。
旅を楽しみ、旅行先で出会った人々と交流する姿は、僕が旅行に興じていた頃の姿と何ら変わらない。
出会った女性とロマンスが芽生えるようなことも起きない、ごく普通といえる親友との旅行を楽しんでいる。

そこで彼等は事件に遭遇し活躍するが、彼等をそうさせたのは「困っている人を助けたい」「誰かの役に立ちたい」という気持ちを持ち続けていたからだ。
これこそがイーストウッドが訴えたかったことだろう。
政治家でもビジネスの成功者でもない、圧倒的に大多数である普通の人々がその気持ちを持てば悪いことなど起きないということで、それこそが一番大事なことなのではないかと訴えてくる。
彼等は落ちこぼれだったが、軍で習った人命救助の方法や柔術の腕前が役立てることが出来たから、落ちこぼれが行ってきた努力も無駄ではなかったという教訓も感じ取れる。
全体から見ればほんの少ししか描かれないテロの顛末だが、訴えたいテーマのための何も起きない長い長いモノローグであったような気がする。

この映画の特異性の最大なことは、3人の若者たちを本人が演じていたことだろう。
聞けば実際に列車に乗り合わせていたその他の人たちも出演しているらしい。
つまり、どこにでもいる普通の人がテロに遭遇することは珍しいことではなくなったのだということで、イーストウッド演出は俳優も特別な存在であるプロの俳優を除いてしまっている。
では普通の人である僕はテロに遭遇したらどうするか?
なんだか逃げ惑うだけになってしまいそうな気がするが、震災とか福知山線の列車事故などで助け合う人の姿を目の当たりに模したから、人間本来の中に「困っている人を助けたい」という気持ちはあるのかもしれないなとも思う。
そうであってほしい。