おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

キネマの神様

2024-05-07 06:42:48 | 映画
「キネマの神様」 2001年 日本


監督 山田洋次
出演 沢田研二 菅田将暉 永野芽郁 野田洋次郎
   リリー・フランキー 前田旺志郎 志尊淳
   松尾貴史 原田泰造 片桐はいり 渋谷天外
   北川景子 寺島しのぶ 小林稔侍 宮本信子

ストーリー
現代。
出版社に勤める円山歩(寺島しのぶ)の元に借金取り(北山雅康)からの電話がかかってきた。
歩の父“ゴウ”こと郷直(沢田研二)、御年80歳がギャンブルと酒で作った多額の借金で、ゴウの妻で歩の母である淑子(宮本信子)に内緒で借りた金だった。
歩と淑子はゴウの通帳とキャッシュカードを没収し、ギャンブルを禁止した。
居場所を失ったゴウは淑子がパートとして働いている映画館「テアトル銀幕」に向かい、経営者で旧友でもある“テラシン”こと寺山新太郎(小林稔侍)から今度リバイバル上映する予定のとある映画のフィルムチェック試写に誘われた。
そんなゴウが思わず見入ったのは、かつての銀幕スター・桂園子(北川景子)が主演した1本の映画だった…。
…50年前。
若き日のゴウ(菅田将暉)は映画監督になることを夢見て松竹撮影所の門を叩いた映画青年だった。
ゴウは映写技師だった若き日のテラシン(野田洋次郎)と酒を酌み交わし、いつか自分にしか撮れない映画を作ると息巻いていた。
テラシンもまた自らの映画館を持つという夢を抱いていた。
この頃のゴウは映画界の巨匠と名高い出水宏監督(リリー・フランキー)のもとで助監督として働き、当時の大スターだった園子に可愛がってもらっていた。
ゴウが当時の映画人たちと共によく入り浸っていたのは撮影所近くの食堂「ふな喜」だった。
「ふな喜」の看板娘は若かりし頃の淑子(永野芽郁)で、テラシンは淑子に一目惚れしてしまっていた。
しかし淑子の気持ちはゴウにあり、ゴウもまた淑子に想いを寄せており、二人は初めてキスを交わした。
そして、ゴウが書き上げた脚本「キネマの神様」がゴウ自身の初監督作品として製作が決定したのだが・・・。


寸評
当初郷直役には志村けんがキャスティングされていたのだが、志村けんが新型コロナウィルスで亡くなってしまったので急遽沢田研二が代役となった作品である。
映画は日本開催となったラグビーのワールドカップにおける2019年9月28日のアイルランド戦から始まる。
ジャパンが世界ランク1位のアイルランドを19対12で破り、世界に再び衝撃を与えた一戦だったのだが、寺島しのぶがテレビ中継に興奮している所から映画が始まるので、ラグビー好きの僕は同じ気持ちで作品に入り込めた。
2020年2月3日にクルーズ船・ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入港して日本でも新型コロナウィルス騒動が始まるのだが、そのことで映画館が受けた状況も描き込まれている。
そんな時代に生きるゴウを取り巻く人たちの姿と、50年前に映画制作の現場で夢を描いていた若かりし頃のゴウに起きた出来事を対比させながら映画は進んでいく。

現在のゴウはギャンブルと酒に依存していて借金まみれで、その借金返済で妻子は四苦八苦している状態だ。
娘の寺島しのぶが借金取りを追い返したり、妻の宮本信子が困りながらもダメ亭主の沢田研二を甘やかしてしまうことなどが描かれるが、肝心の沢田研二のギャンブル依存、アルコール依存、借金まみれの様子が伝わらないので、家族に同情するよりも沢田研二を可愛らしく思ってしまうところがある。
ゴウの映画を愛してやまない姿も、もう少しあっても良かったような気がする。
菅田将暉によるゴウが若い時代のパートは、当時の製作現場の雰囲気はこんなだったろうなと思わせ、楽しめるものがある。
三角関係のエピソードも、ありきたりと言えばそれまでだが、いいアクセントになっている。
いっそトップ女優と若手スタッフの恋をからめた四角関係でも良かったのではと思ったりもしたのだが、そこまでやるとやりすぎか?
でも園子は随分とゴウに肩入れしていたなあ。
清水宏や小津安二郎へのオマージュがプンプンなのだが、ゴウはその後に登場する松竹ヌーベルバーグに代表されるような新しい映画監督の象徴的人物だろう。
ゴウはベテランの撮影監督との対立が原因で現場を去ることになるが、時代の過渡期における若手監督のいら立ちの結果でもあり、それは当時における山田洋次の思いでもあったのかもしれない。
ゴウが淑子と結婚し、歩という娘が生まれ、その歩は離婚して一人息子を育てているのは分かったけれど、テラシンはその後どのような人生を経て今に至っていたのだろう。
映画館を持つと言う夢は叶えたようだが、ずっと淑子を思い続けていたのだろうか。
そうだとすれば二人並んで映画を見るシーンなんてすごく良かったのだけれど、どうもテラシンノの気持ちが見えなかった。

山田洋次は「キネマの天地」でも娘の主演作を見ながら死んでいく父親を描いていたが、ここでも同じシチュエーションで締めくくっているから、彼には自分も好きな映画を見ながら死にたいとの願望があるのかもしれない。
僕は許されるならそんな死に方をしてみたい。
年齢を重ねて山田洋次には冴えとキレが亡くなってきたように感じるけれど、たたき上げ監督の安定感があり常にアベレージ作品を送り出しているのは流石だと思う。