おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ゴジラ-1.0

2024-05-16 07:43:15 | 映画
「ゴジラ-1.0」 2023年 日本 


監督 山崎貴
出演 神木隆之介 浜辺美波 山田裕貴 青木崇高
   吉岡秀隆 安藤サクラ 佐々木蔵之介

ストーリー
太平洋戦争末期。特攻隊員の敷島(神木隆之介)は、零戦の故障で大戸島の守備隊基地に着陸した。
しかしベテラン整備兵の橘(青木崇高)は、戦闘機に異常がないことから敷島が特攻から逃げてきたことを悟った。
その夜、巨大な恐竜のような生物が基地に襲来し、ある整備兵は、それが島の伝説にあるゴジラではないかと言った。
橘は敷島に零戦に搭載された砲弾で攻撃するように言ったが敷島は攻撃できず、橘と敷島を残して部隊は全滅してしまう。
1945年の冬、焼け野原になった東京に帰ってきた敷島は、隣に住む澄子(安藤サクラ)から両親が空襲で亡くなったことを知らされた。
厳しい生活のなか、彼は闇市で空襲中に託された赤ん坊・明子を抱えた典子(浜辺美波)と出会い、成り行きで共同生活をすることになった。
やがて敷島は、秋津(佐々木蔵之介)、野田(吉岡秀隆)、水島(山田裕貴)と共に米軍が残した機雷撤去の仕事に就き、収入を得た敷島は家を建て直した。
1946年の夏、ビキニ環礁で行われた米軍の核実験によって被爆したゴジラはさらに巨大化し、放射線を放つようになっていた。
その後、米軍の船舶が被害を受ける事故が続発し、ゴジラは日本に近づいてきた。
そんななか、敷島たちが乗る「新生丸」に、巡洋艦・高雄が日本の海域に戻るまで、ゴジラを足止めするよう命令が下った。
ゴジラに襲われた彼らは、回収した機雷をゴジラの口の中に放り込み、機銃で撃って爆発させたがゴジラは死ななかった。
絶体絶命と思われたとき高雄が到着しゴジラを攻撃したが、ゴジラが吐いた青い熱戦によって高雄は海の藻屑と消えてしまった。
その後、典子は明子とともに自立するため、銀座のデパートで働き始めた。
そんな折、ゴジラが銀座に上陸したので、典子の身を案じた敷島は彼女のもとへ駆けつけたが、ゴジラの放った熱線の爆風によって典子は吹き飛ばされてしまった。
絶望した敷島は、秋津たちからゴジラ討伐作戦に誘われた。
元海軍の兵士をメインとした民間のゴジラ討伐部隊が結成され、戦時中に兵器の開発に携わっていた野田は、「ワダツミ作戦」を発案した。
それは、ゴジラをフロンガスの泡で包み込んで一気に深海まで沈め、その急激な水圧の変化によってゴジラを倒すというものだった。
さらに二次攻撃として、海中で大きな浮袋を膨らませゴジラを海面まで引き上げることで、急激な減圧によって息の根を止めるという作戦だった。
敷島は野田にゴジラを予定海域に誘導するための戦闘機を探してもらう。
野田は開発段階で終戦を迎え、実践で活躍することのなかった最新の戦闘機「震電」を見つけてきた。
敷島は機体の修復のために橘を探し出した。
敷島は「震電」に砲弾を数多く搭載し、ゴジラの口の中へ“特攻”することを決めていた。
ゴジラは予想より早く東京に上陸したのだが、戦闘機に乗った敷島はゴジラを相模湾沖まで誘導することに成功した。
充分な深さのある海域まで誘導すると、野田の指示で2艘の戦艦がゴジラの周りを取り囲み、フロン爆弾を爆発させた。
作戦通りゴジラは海底に沈み、第二段階の浮袋でゴジラを浮上させようとしたが浮袋を破られ失敗となった。
そこで一か八か、2艘の戦艦でゴジラを引き上げる作戦に変更したが、2艘だけでは引き上げる力は弱かった。
誰もがあきらめかけたとき、水島が多くの民間の船を率いて加勢するためにやってきた。
こうして引き上げに成功したが、ゴジラは息絶えておらず放射熱線を放とうとした。
そこへ敷島の乗った戦闘機が飛来し、ゴジラの口の中に特攻を仕掛けた。
爆弾を爆発させ、ゴジラの頭を吹き飛ばすことに成功した。
野田や秋津が敷島の身を案じていると、空中でパラシュートが開いた。
橘は戦闘機に脱出装置をつけていたのだ。
無事に帰還した敷島は澄子から電報を渡され、明子とともに病院に向かった。
そこには典子がおり、重傷を負ってはいたものの、意識もはっきりしていた。
「あなたの戦争は終わりましたか?」と言う典子を抱きしめ、敷島は涙を流しながら頷いた。
しかし典子の首には、黒いアザのようなものが浮き上がっていた。
一方、海中ではゴジラの肉片と思われるものが漂い、再生しようとしていた。


寸評
これはゴジラ掃討作戦の物語であるのと同時に、特攻隊の生き残りである敷島の再生物語でもある。
敷島は特攻隊員として出撃していったが怖気づいて目的を果たせず帰還してきた。
その行為を慰めてくれる者もいたが、当時の軍人たちから見れば卑怯者だ。
ゴジラに怖気づいた敷島は零戦に搭載された砲弾で攻撃することも出来ず、部隊は敷島と橘を除いて全滅してしまう。
ゴジラの破壊力からして、敷島が砲撃していたとしても部隊は全滅しただろうが、そのことは敷島のトラウマとなって彼を苦しめることになる。
終戦を迎えても敷島にとっての戦争は終わっておらず、彼がどのようにしてケジメをつけるのかが物語の一方の柱である。
焼け野原となった日本はゼロからの出発を始めていたが、そこにゴジラが来襲してゼロどころかマイナスからの出発を余儀なくされてしまう中でのゴジラとの戦いがもう一方の柱になっていることは当然である。
日本が危機に陥っても連合国は助けてくれないし、駐屯する米軍も助けてくれない。
自衛隊はまだ存在せず政府は無力で情報も開示しない。
国民を守るべき連中が、まったく役立たずなのだ。
日米安保があったとしても、いざとなったらアメリカは助けてくれないのではないかとの疑問がわく。
特攻隊の生き残りたちは死ぬとは限っていないのだから戦時中よりましだとゴジラとの戦いに挑んでいく。
政府が何もしなくても民間人は健在だ。
なんの後ろ盾もない日本の民間人たちが、ゴジラを殲滅すべく立ち上がる。
戦後復興を成し遂げたのは、正に戦争の生き残りの人たちだったのだとも思わせた。
水島たちが船団を組んで駆けつけてくるところなどはダンケルクを髣髴させて身震いがした。
佐々木蔵之介、吉岡秀隆、山田裕貴のオーバーアクションも、ゴジラ映画では違和感がない。
政府は三流、民族は一流と言っているようだ。
練りに練った脚本は無駄を省いており、テンポの良い描き方は時間を忘れさせた。
ラストはその後を想像させるものとなっている。
僕は想像した。
敷島と典子はきっと結婚するだろう。
しかし典子の首のアザをみると、典子は原爆症を発症して苦しむのかもしれない。
もちろんゴジラはその再生能力で復活してくる・・・。
「シン・ゴジラ」「ゴジラ-1.0」とゴジラ映画は完全復活どころか進化を遂げている。
もう子供だましのゴジラ映画は作れない。
次のゴジラは大変だぞ。
個人的には神木隆之介と浜辺美波のキャスティングに疑問を持った。