おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

新源氏物語

2024-05-23 06:51:52 | 映画
「新源氏物語」 1961年 日本


監督 森一生
出演 市川雷蔵 中村玉緒 若尾文子 水谷良重
   高野通子 寿美花代 市川寿海 水戸光子
   中田康子 川崎敬三 千田是也

ストーリー
桐壷(寿美花代)は、出身身分は低いのに帝(市川寿海)の寵愛を一身に集めたせいで、弘徽殿女御(水戸光子)を始めとする後宮の女たちの嫉妬の的となる。
桐壷は男の子を生み落して間もなく亡くなるが、光源氏(市川雷蔵)と名付けられた男の子は美しい若者に成長し、父である帝の強い後ろ盾を得て時の権力者左大臣の娘葵の上(若尾文子)を正妻に迎えることが決まり前途を嘱望されていた。
源氏と葵の上の婚儀の日、源氏は藤壷(寿美花代)の姿を遠目に見て心がさわぐ。
藤壷は、桐壺を忘れられない帝が、桐壺にそっくりという理由で新たに女御に迎えた女性であった。
一方、政略結婚と割り切っているつもりの葵の上は結婚早々夫に冷たい態度を取る。
夫の愛人、六条御息所(中田康子)の名を出して夫を困らせる。
その六条御息所は、自分は源氏の結婚を祝福していると娘には言いながら、心は嫉妬にもだえていた。
源氏は結婚を失敗だと悔やむ一方、藤壷への思いを募らせる。
従者惟光(大辻伺郎)は源氏を諫めるが、源氏が道ならぬ恋に暴走するのを恐れ、藤壷付きの王命婦(倉田マユミ)に話をつけて源氏を藤壷の眠る几帖の中に忍びこませる。
源氏に抱かれてしまった藤壷は良心の呵責に苦しむ。
その後、屋敷に引きこもった源氏が藤壺との再会を夢見る一方、藤壺の方も源氏への思いを募らせて帝のお召しを断り続ける。
弘徽殿女御は、藤壷を追い落とすために源氏との醜聞を利用しようと企んだ。
だが右大臣(千田是也)の娘で弘徽殿の女御の姪でもあり、東宮妃となる予定の六の君(中村玉緒)は叔母の悪企みを嫌って出し抜き、別れぎわに名を知ろうとする源氏に「朧月夜」とだけ覚えておくように言った。


寸評
紫式部の「源氏物語」は明治以降にその時代にフィットするかたちで、それぞれの作者によりなんども現代語で訳されているが、僕はそのどれをも未読である。
それでも54帖の中のエピソードを断片的にではあるが知っているのは、源氏物語の普遍性のなせる業であろう。
本作は直木賞作家でもある川口松太郎の同名小説を原作としているのだが、川口源氏を読んでいない僕はどこまで原作に忠実なのかを知る由もなく、未熟を恥じ入るしかない。

映画では光源氏が誕生する第一帖の桐壺から、朧月夜との事件で流罪になるかもしれないと察した光源氏が、自ら須磨で謹慎する決意をする第十二帖の須磨あたりまでが描かれている。
光源氏は女性との色恋沙汰を繰り返す男としての印象が強いが、ここではその中の空蝉(うつせみ)や夕顔(ゆうがお)は登場しない。
逐一それらを詳しく描いていたら何時間あっても足りなくなってしまうのだろうが、この作品においてもダイジェスト的に描かれていて、それぞれのエピソードに深みはない。
葵の上は政略結婚であることを自覚しているのだが、光源氏から「憎むのはいいが嫌わないでほしい。憎しみは消し去れるが嫌われると取り返せない」と言われ、夫婦関係に修復が見られる。
しかし、夫婦間の憎しみや嫌悪は夫婦関係を修復させるとは思えない。
それを確かめることもなく葵の上は死んでしまう。

六条御息所は歳上の女性である。
光源氏との関係が切れていたが、再び彼によって女の性を呼び起こされる。
普通の女性として嫉妬心も湧きおこるが、ついには宗教の道へ向かう。
女性たちが被る悲劇の全ては、光源氏が義母に当たる藤壺によせる恋心から生じている。
この時代は通い婚で一夫多妻が普通だったのかもしれないが、光源氏が愛した女性は藤壺だけだったのだろう。
藤壺は光源氏の子供を産むが、帝は生まれた子供を我が子と信じて抱き上げる。
帝はそうするしか自分の権威を維持できなかったのだろう。
物語は六の君との関係を知らされた新帝の怒りを察知した光源氏が須磨へ蟄居するところで終わっているが、源氏物語の後日談では、同じ思いを光源氏が味わう事となっている。
私の認識では確か、妻の産んだ子供が親友の子供であることを知りながら、光源氏は抱き上げるしかないというものだったように思う。
源氏物語は多分に紫式部の思いも反映された物語だと思う。
桐壺がイジワルをされる場面などは中流貴族の出だった紫式部が宮中に上がって受けたイジメを連想させる。
光源氏を中心とした男尊女卑の世界が描かれているが、出世の道具にされる葵の上や六の宮など女性の人格は無きに等しいもので、そんな世の中の犠牲になっている女性の悲哀を訴えているとも受け取れる。
そうだとすれば、源氏物語は紫式部の女性代表としての訴えを描いている物語なのかもしれない。
もちろん紫式部の保護者であった藤原道長の意向が盛り込まれていることは承知の上なのだが・・・。
平安絵巻としては衣笠貞之助の「地獄門」などは見るべき点も多かったが、本作はエピソードを紡ぐような演出で、映像的にも少々深みにかけていたように思う。