おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

恋人たちの時刻

2024-05-11 08:38:16 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/11/11は「つぐない」で、以下「椿三十郎」「罪の手ざわり」「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」「冷たい熱帯魚」「ディア・ドクター」「ディストラクション・ベイビーズ」「ティファニーで朝食を」「テキサスの五人の仲間」「テス」と続きました。

「恋人たちの時刻」 1987年 日本


監督 澤井信一郎
出演 野村宏伸 河合美智子 真野あずさ 加賀まり子
   高橋悦史 大谷直子 石田純一 宮下順子

ストーリー
札幌に住む西江洸治(野村宏伸)は医大を目指す予備校生。
彼は歯科医院で、先日海岸で不良達に強姦されそうになっているのを救けた女性と再会した。
その女性は村上マリ子(河合美智子)と名乗り、彼女に魅かれた洸治はデートに誘うが、彫刻のモデルをしているからと断られる。
彫刻家との約束で、作品が完成するまで男性とつき合ってはならないというのだ。
彫刻家、桑山(高橋悦史)の妻、啓子(大谷直子)は乳ガンで入院中で、桑山は利加子(真野あずさ)という女と愛人関係を続けながら、住み込みモデルのマリ子に身の回りの世話をさせていた。
ある日、洸治はマリ子から呼びだされ、かつての親友、山崎典子の行方を探してほしいと頼まれた。
早速小樽を訪れ、典子が住んでいたアパート、通っていた理容学校を訪ね歩くが、浮かびあがったのは典子のすさんだ生活ぶりだった。
札幌に戻った洸治は、典子に会ったらきっと魅かれるとマリ子に告げた。
マリ子は何故か、もう典子を捜さないでくれと憤るのだった。
不思議に思いながらも好奇心に駆られた洸治は、典子の実家のある漂津に向かった。
そして、典子の義理の母と親友に会い、彼女の写真を手に入れ典子はマリ子だということを知る。
マリ子は過去を知ってもらえば、洸治も自分が嫌いになるだろうと思っていた。
だが徐々に洸治に魅かれ、過去を知られるのが恐くなっていたのだ。
洸治はマリ子の過去を知っても、自分の気持は変わらないと告げ、その夜二人は結ばれた。
マリ子は洸治と暮らすことになった。
その事を伝えに桑山宅を訪れた彼女は、彼の妻の死を利加子から知らされる。
その利加子が別の男と結婚することも……。


寸評
懐かしさを覚えてしまうような映画の作りで、若い二人にリアリティを感じないので乗り切れないものがある。
演技力のなさはどうしようもなくキャスティングの失敗もある。
澤井信一郎には「Wの悲劇」や「時雨の記」などの秀作もあるが、本編における演出には冴えが見られない。
荒井晴彦の脚本が悪いのか、澤井信一郎の演出が悪いのか、登場人物の人間関係に深みがないのだ。

利加子は桑山の愛人ではあるが、桑山と利加子の愛人として関係は希薄な描かれ方だ。
当初はギクシャクしたような描かれ方なのだが、その後は桑山との愛人関係を復活させている。
桑山の妻で入院している啓子は利加子の存在を知っていたのだろうか、それとも知らなかったのか。
本妻と愛人の間にあるもの、あるいは妻の夫への感情もよくわからない。
桑山は彫刻家でマリ子をモデルに裸婦像を制作しているが、妻が乳がんの手術で片方の乳房を取ったために、裸婦像の乳房ももいでいる。
桑山の妻への思いはどうだったのだろう。
妻はモデルとして見てもらえても、女としては見てもらえないとマリ子に語っているのだが、どこか唐突感のあるシーンだった。
いっそ妻の啓子を登場させなくても良かったのではないかとさえ思う。
洸治の父親は医者だったが亡くなっている。
母親(加賀まりこ)はさっぱりした人で、父親の弟と一緒になるらしい。
洸治は家が嫌で飛び出したとマリ子に語っているが、その事が理由だったような気もするが真の原因は分からないし、母親と洸治の関係を見るとそうではなさそうな気もするのだ。

洸治が山崎典子を訪ね歩くシーンは映画としてもう少し盛り上がりを見せても良かったように思う。
一度は関係を持つが二度目はない女で、相手は典子を想うあまり精神的におかしくなったり、金を払おうとしたら倍額を要求されたりとしていて悪女的な女性のイメージながら、会う人々は優しすぎる子だったと言う。
証言を通じて典子の魅力が伝わってこなかったことが、劇的展開を希薄なものにしている。
真相がわかると、なぜマリ子が典子を探して欲しいと頼んだのかの理由を観客に納得させなければならないのだが、その役目を果たしているとは言い難い。
おそらくマリ子は洸治に愛を感じ始めていて、本当の自分を知ってほしかったと言うことなのだろうが、それは想像するしかなく突きつけられたものではない。
ラブロマンスあるいは悲恋物としては弱いところだ。
ラストで「したいからした」というマリ子の言葉だけはこの女性の本質を著していたと思う。

僕は澤井信一郎に期待した時期もあったのだが、「蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜」を見て見限った。
多分これは僕がチケット代を払って劇場で見たことにもよる。
貧乏性の僕にはチケット代を返せと思った出来栄えだったことが大いなる要因だ。
食べ物の恨みは金の恨みよりも強いとは言われるが、僕にとっては金の恨みは・・・だったのである。