おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

大菩薩峠 完結篇

2023-12-24 07:16:07 | 映画
「大菩薩峠 完結篇」 1961年 日本


監督 森一生
出演 市川雷蔵 中村玉緒 本郷功次郎 小林勝彦
   近藤美恵子 三田村元 丹羽又三郎 見明凡太朗
   阿井美千子 矢島ひろ子

ストーリー
竜神の滝の断崖から落ちた盲目の竜之助はお豊の助けで伊勢大湊の与兵衛宅にかくまわれていた。
お豊は古市の廓に身を沈めたが病に犯され自害した。
竜之助あての遺言状と金は流しのお玉に手渡された。
挙動不審を咎められたお玉は役人に追われ金は落してしまうが、手紙だけは竜之助に渡すことができた。
裏宿の七兵衛はやっとのことで竜之助を探し出すが、竜之助は生花の師匠お絹と発った後であった。
お絹の色香を狙うがんりきの百は山中で二人の駕籠を別々に引き離してしまった。
怒った竜之助は百の片腕を切り落すが谷底に落ちてしまい、それを救ったのはお徳であった。
甲府勤番となって湯元にやって来ていた旗本神尾主膳は、土豪望月家から金を捻出しようと面策、婿の清一郎を召捕った。
お徳からこれを聞かされた竜之助は清一郎を救い出すが、自分は主膳の家に捕われた。
主膳は竜之助の腕を見込んで、甲府勤番頭駒井能登守の暗殺を条件に屋敷へかくまった。
主膳は有野村の馬大尽の一人娘お銀との縁組を強制していた。
一夜、お銀を屋敷に連れこむがお銀は竜之助に救われた。
お銀は顔半面むごたらしいヤケドの跡を作っているため、盲目の竜之助にかえって愛情を持った。
竜之助もお銀の声にお豊、お浜の面影を思いだしていた。
竜之助はある夜、駒井能登守を襲うがその人格にうたれて討つことができなかった。
お銀とともに大菩薩に舞い戻った竜之助は、お浜の墓地をみつけて愕然とした。
それからというものは、竜之助の辻斬りが毎夜のように続いた。
辻斬りの噂を聞いて兵馬も大菩薩に帰って来た。


寸評
監督が前2作の三隈研次から森一生に代わったが、演出上に特段の変化は見られない。
しかし、重要人物の一人であるお松の山本富士子が全く登場せず、与八が「お松さんはここにおられます」と述べるにとどまっている。
山本富士子のスケジュールが合わなかったのか、中里介山の原作が未完の為に脚本上もそうなってしまったものなのかの真相は知らない。
しかし本郷功次郎の宇津木兵馬と山本富士子のお松との恋の行方は、物語上の関心事の一つだったはずなのに全くの尻切れトンボ感があり肩透かしを食ったのは残念だ。

代わって登場するのがお銀で、これをお浜、お豊に続き中村玉緒が演じている。
お銀は顔に大きなヤケド傷があり、それがコンプレックスになっているのだが、盲目の竜之介には見えるはずがなく、そのことでお銀は竜之介に心を寄せる。
竜之介はお銀を通じてお浜やお豊に思いをはせる。
虚無的で人のことなど知ったことかという竜之介だが、お浜に通じる女には関心を寄せているので、彼の女に対する出発点はお浜にあるのだろう。

竜之介は薄情な男で平気で無関係な人を切るいわば悪人だ。
それに対するのが宇津木兵馬で、兵馬は正義の代表と言っていい。
しかし正論ばかりを述べる善人より、少々悪いところがあり、悩んでいる人間の方が魅力的だったりする。
二人を見比べると、主役であるということを除いてもやはり机竜之介の方が人間的魅力がある。
東映版の片岡千恵蔵は人間としての表現に勝っていると思うが、机竜之介という男のイメージ、魅力は市川雷蔵の方が出せていると思う。
竜之介を恐ろしい男と知りながらも女たちは彼に吸い寄せられていく。
雷蔵には女を吸い寄せる魅力が天性のものとして備わっているように思う。

竜之助ががんりきの百の片腕を切り落すが谷底に落ちてしまい、それを救ったのがお徳で、どうしたわけかお徳は必要以上に竜之介の面倒をみている。
竜之助はお徳の子蔵太郎を見てわが子郁太郎の身に思いをはせるが、抱いたこともない郁太郎のことをなぜ思うようになったのだろう。
出会うことなどないであろうお玉にまで「もし出会ったなら決して剣術使いなどにはなるなと伝えてほしい」などと言っているのである。
僕はこの変節の理由がいちばん分からなかった。

崖から落ちても死ななかった竜之介である。
笛吹川の濁流にのまれて行った竜之介の今後を中山介山はどう描くつもりだったのだろう。
郁太郎との出会いがあっただろうと想像するのだが・・・。