おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

續姿三四郎

2023-12-19 06:59:19 | 映画
「續姿三四郎」 1945年 日本


監督 黒澤明                                                        
出演 藤田進 月形龍之介 河野秋武 轟夕起子
   大河内伝次郎 清川荘司 森雅之 宮口精二
   高堂国典    菅井一郎 石田鉱 光一

ストーリー
明治20年。
檜垣源之助(月形龍之介)との戦いに勝利をおさめた三四郎(藤田進)の名は、最強の武道家として全国に知れ渡っていた。
三四郎をアメリカ領事館通訳の布引(菅井一郎)が訪ね、アメリカ人拳闘家と試合をしないかと持ちかける。
見世物にでることは禁じられていると断る三四郎だが、試合を見に行くことになる。
そこには中年の柔術家が三四郎の代わりに試合に出ていた。
試合は一方的な展開となり中年柔術家はボロボロに、そしてそれを囃すアメリカ人観客達。
三四郎は苦悶の表情を浮かべ、修道館で矢野(大河内伝次郎)と対面する。
村井の墓参りに出かけた三四郎はそこで村井の娘の小夜(轟夕起子)と再開する。
その頃三四郎に敗れ病床に臥す檜垣源之助の弟の鉄心(月形龍之介)と源三郎(河野秋武)が上京してきた。
二人は唐手使いで修道館に乗り込み、矢野に三四郎との立ち会いを申し込むが断られる。
どうにも収まりが付かない三四郎は、わざと禁を破り破門されようと思い、道場で酒を喰らう。
そこに矢野が現れ、わざと気付かない振りをし、徳利に技をかけて柔道の極意を教える。
矢野の思いやりに両手をついて頭をたれる三四郎。
鉄心と源三郎の姿に昔の自分の姿を見て苦しむ源之助は修道館を訪れ弟たちの非礼を詫び、二人が打倒三四郎のため山に籠もったことを告げる。


寸評
冒頭は車夫がアメリカ人の水兵に絡まられているのを三四郎が助ける場面から始まる。
相手を見事に岸壁から海に投げ落とすのだが、アメリカ人をやっつけるのはそれだけではない。
アメリカ人ボクサーとの試合ではこれまた見事に投げ飛ばして気絶させてしまう。
あまりにも日本柔道強し、アメリカ人弱しの演出が空々しい。
これらは多分に当時の世相を反映したものであろうから致し方がないのかもしれない。
それにしても、映画の出来としてはよろしくない。
先のボクサーとの試合もそうだし、檜垣鉄心との雪原での試合もそうなのだが、試合としての迫力がない。
ボクサーは1回投げられただけで気絶してしまうし、檜垣鉄心は投げられて雪の斜面を転がり落ちていくが、クッションの様な雪の上に投げられて参ったもないものである。
檜垣鉄心の月形龍之介はやたらと叫んでいるだけで、おおよそ生死をかけた決闘には程遠いものである。
アクションにしても檜垣鉄心の空手はまるで相手に受け止められるような動きでスピード感がない。

檜垣鉄心との戦いに勝利した三四郎は山小屋で熱を出した檜垣鉄心を介抱している。
傍らには病的に凶暴性を見せる弟の源三郎がいる。
おかゆを進められても狂気をはらむ源三郎は受け付けない。
やがて疲れが出たのか、三四郎は眠ってしまう。
源三郎は今がチャンスと隠していたナタを取り出し三四郎を殺害しようとする。
その時、三四郎は夢の中で小夜の声を聞きニッコリと微笑む。
その無邪気な寝顔を見て源三郎は殺意を失くしてしまう。
この一連の流れにしても、何かもう一工夫がなかったものかと思うほど単純な演出で、なんだか肩透かしを受けたような感じがした。
目覚めた三四郎はおかゆを食べている源三郎をみて、温かいおかゆを作ってやろうと言い水汲みに出かける。
そのくったくない姿に、檜垣鉄心は「負けた」と言葉を発し、三四郎の笑顔の大写しで映画は終わる。
これまた、取って付けたような演出で重厚感はない。
後年の黒沢作品を見ている者にとっては寂しすぎる演出だ。
黒沢がまだまだ開眼するには時間を要した時期の作品なのだとみるべきか、当時の時代背景からしてその内容、製作費等に制約を受けていたためなのかは判断がつかない。