「ランジェ公爵夫人」 2007年 フランス / イタリア
監督 ジャック・リヴェット
出演 ジャンヌ・バリバール ギョーム・ドパルデュー ビュル・オジエ
ミシェル・ピッコリ マルク・バルベ トマ・デュラン
ニコラ・ブショー バーベット・シュローダー
ストーリー
1823年、ナポレオン軍の英雄アルマン・ド・モンリヴォー将軍はスペイン・マヨルカ島で、かつて愛したアントワネット・ド・ランジェ公爵夫人と再会するが、しかし現在の彼女は修道女だった。
5年前、パリのサンジェルマンでのある舞踏会でモンリヴォー将軍と出会ったランジェ公爵夫人は彼に興味を抱き、自分の家に来てアフリカでの冒険譚を語るように誘う。
一方、公爵夫人に恋心を抱いたモンリヴォー将軍は、彼女を自分の恋人にする事を決意。
翌日から、訪れてきたモンリヴォー将軍に対し、ランジェ公爵夫人は思わせぶりな態度を見せつつも自分には指一本触れさせず、彼の心を翻弄する。
焦らされることにしびれを切らしたモンリヴォー将軍は、遂に“誘拐”という行動に出る。
しかし、泣いて許しを請う彼女を目にして、結局そのまま解放するのだった。
この経験が公爵夫人の恋心を目覚めさせ、彼女はこれまでの態度を悔いて、熱烈な手紙をモンリヴォー将軍に送り始めたのだが、彼は彼女を徹底的に無視する。
公爵夫人は返事の来ない手紙を出すことに耐えきれなくなり、ついにモンリヴォー将軍の留守宅へ押しかけたのだが、そこで彼女が目にしたのは、封が切られていない手紙の束だった。
絶望した彼女は“この手紙を読んで3時間後に自分の屋敷へ来なければ、自分は姿を消す”としたためた最後の手紙を届ける。
モンリヴォー将軍は、来客に邪魔されて出かけることができず、ランジェ公爵夫人はパリを後にした。
再会から数ヵ月後、モンリヴォー将軍は修道院からランジェ公爵夫人を誘拐する計画を立て、武装した船でマヨルカ島へと向かう…。
寸評
惚れ合っているというのは下々の感情で、恋をするとは特権階級のゲームに似た行いだったのだと思えた。
少なくともヨーロッパ社会において、恋に関してはそのような時代があったのではないかと思う。
恋愛遊戯ゲームを繰り広げられるのは、地位があり、それに伴って、金があり、時間もありで、おまけに男女を問わず美貌を兼ね備えた者だけである。
そんな風に定義できてもよいような時代の話である。
フランスの文豪オノレ・ド・バルザックの作品が原作だけに、描かれている内容は面白いのに映画としてみると間延びしてしまっていて、おまけに作りも状況の説明文を入れて長編小説を読んでいるような気分にさせるもので、バルザックを読み込んでいることが鑑賞条件のような作品となっている。
条件の一つと思っている美貌に関しては、好みにもよるのだろうがモンリヴォー将軍にもランジェ公爵夫人にも、それらしいものを感じなかったことが間延び感を感じてしまった原因の一つかもしれない。
特にランジェ公爵夫人のジャンヌ・バリバールに魅力を全く感じなかった。
思いを寄せる女性の思わせぶりな態度は罪なものである。
男は女の気持ちを推し測ねて悶絶する。
それを楽しんでいるかのような女は、恋する男にとっては天使でもあり悪魔でもある。
モンリヴォー将軍は人妻と知りながら、一途な愛をランジェ公爵夫人に注ぐ。
元はと言えばランジェ公爵夫人が仕掛けたものだ。
ランジェ公爵夫人にとっては、夫が長期不在のための退屈しのぎだったのかもしれない。
しかしモンリヴォー将軍は本気になってしまう。
彼が何度も愛を打ち明けるが、そのたびにランジェ公爵夫人はあやふやな態度で拒絶する。
ついにモンリヴォー将軍がしびれを切らして公爵夫人から離れていくと、今度は公爵夫人の方がモンリヴォー将軍に愛を感じ始め出す。
追えば逃げ、逃げれば追うという、恋愛ゲームではよく見かける関係である。
しかし、男から女へのアプローチにおける格調をつけたいだけかと思われるくどい描き方に加え、女から男へのアプローチは逆に割愛しているような感じを受けて、僕は両方とも消火不足だった。
特に公爵夫人が一族の名誉を捨ててまでモンリヴォー将軍に言い寄る姿に物足りなさを感じる。
手紙が無視される状況などはもっと描かれていても良かったように思う。
モンリヴォー将軍が公爵夫人からの手紙を無視し続けることとか、指定された時間に行くのか行かないのかなどのドキドキ感は、ゆったりとした描き方によって生まれてこない。
時代を感じさせたいためなのか、この作品は最初から最後までそれぞれのシーンがゆったりとしている。
言い換えればじれったいのだ。
しかし、男と女の立場が逆転し、最後の悲劇を生み出していくストーリー立ては、バルザックならではと思わせる面白いものだ。
公爵夫人がモンリヴォー将軍を愛するようになってからは結構楽しめるものになっている。
もう少し描き方があったような気がする惜しい題材であり、バルザック作品を知ったという功績だけは残った。