おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

4ヶ月、3週と2日

2023-05-19 07:29:32 | 映画
「4ヶ月、3週と2日」 2007年 ルーマニア


監督 クリスティアン・ムンジウ
出演 アナマリア・マリンカ ローラ・ヴァシリウ ヴラド・イヴァノフ
   アレクサンドル・ポトチェアン ルミニツァ・ゲオルギウ
   アディ・カラウレアヌ

ストーリー
1987年。官僚主義がはびこり、人々の自由が極端に制限されていたチャウシェスク独裁政権末期のルーマニアで、女子大生オティリアは、ルームメイトのガビツァとともにキャンプにでも出かけるかのようにのんびりと身支度を整えると、ひとり寮を出る。
まず彼女が向かったのは大学で、恋人のアディと会い、頼んでおいたお金を受け取る。
アディは母親の誕生パーティに彼女を誘うが、オティリアはそれどころではなかった。
そして、彼女はガビツァから言われていたホテルに向かう。
取ってあるはずの予約を確認するためだったが、フロントで「予約は入っていない」と断られる。
別のホテルに予約を入れ、ガビツァに連絡を取ると、自分の代わりに男に会いに行くように頼まれる。
思い通りに事が運ばないことに不安を感じ始めるオティリア。
ガビツァに指示された通りにべべと会ったオティリアは、二人でホテルへ向かう。
しかし、ホテルが当初の約束と変更になったことを知ると、無愛想なべべの機嫌がさらに悪化。
ホテルも待ち合わせた女も違うと、べべは二人に怒りをぶちまける。
「これからやるのは違法行為だ!妊娠中絶はバレたら重い刑に問われる!分かっているのか?」詰め寄られた二人は、お金が足りないことを告白。
ベベはあきれ、話にならないと帰りかける。
二度とない中絶手術のチャンスを逃がすまいと必死にすがりつくガビツァ。
そのとき、オティリアは覚悟を決め、ある行動を取る……。 


寸評
予備知識を持って見ないと理解できない作品である。
まずこの作品のルーマニアにおける1987年と言う時代背景を理解しておく必要がある。
独裁者チャウシェスク大統領が失脚して1989年に処刑される政権末期である。
チャウシェスクは強権的な統治を行い、自分への個人崇拝を強い、国民生活の窮乏もいとわなかった。
チャウシェスク政権はルーマニアの人口を増やすため人工妊娠中絶を法律で禁止とし、離婚に大きな制約を設けて一部の例外を除いて禁止していた。
そうしたチャウシェスク政権が行った政策への批判がある。
第二は若干のストーリーを知っておかないと、前半部分では一体何をしているのかよく分からないことだ。
オティリアとガビツァは何か準備をしていて、大学に出かけたオティリアは恋人のアディから金を借りてホテルに向かうが予約したはずの部屋が取れておらず狼狽する。
体調不良のガビツァから会うことになっているベベを迎えにいってくれと頼まれる。
予備知識がないと彼女たちが何をしようとしているのか、オティリアが迎えに行った男は何者なのかがよく分からないので、事情が呑み込めるのに上映時間の半分くらいを要してしまう。
そこで中絶する本人ではなく、友達として彼女の世話をする女の子の物語だとやっと理解できる。

ガビツァが中絶しようとしていることは分かるのだが、オティリアが本人以上に苦しい思いをするのはなぜなのか、どうしてそこまで尽くすのか。
そもそも妊娠させた相手は誰なのか。
なぜ出産ではなく、怪しげなヤミ医者で中絶しなければならないのかという疑問に一切答えないで描かれていく。
少なくとも時代背景だけは理解しておかねばならない理由がそこにある。
当時のルーマニアは経済的にもボロボロで、映画の中でも街灯はほとんどついておらず、車もあまり走っていない様子が描かれている。
オティリアが無賃乗車したバスの中で車掌が切符を確認しにきたので、あわてて見ず知らずの人にチケットを分けてくれるよう頼むシーンには驚いてしまう。
オティリアがケントなる銘柄のタバコにこだわるのが興味を引いた。

オティリアは彼氏の母親の誕生日パーティに同席するのには乗り気ではなかったのだが、そこでは親族の間でまったく興味のない会話が延々と続けられる。
もちろん見ている僕も興味が持てない内容で、何か意味のあるシーンとは思えなかったが、このシーンがやたらと長いのはオティリアの気持ちを観客に伝えるためだったと思う。
オティリアのイライラは最高潮に達していたのだろう。
ガビツァは堕胎に成功するが、この女の子は自分本位で僕もイラッとするところがあり、それはオティリアも同じ気持ちだったと思う。
彼女の為にオティリアは自分の体まで提供しているのだ。
その事をどう思っているのか、平然と食事をしてメニューを見る彼女に飽きれてしまうのだ、それが当たり前のように描かれていることが怖い世の中を表している。